第2話 生存と異変

 不意に目が覚めた。


 重い瞼がちょっとだけ開いた。


「…………え!?」


 目が覚め、周りが見渡せるという圧倒的な違和感に、俺は思わず声を上げてしまう。


 ど、どうして、目が覚めるんだ?


 どうして、目の前の景色が見えるんだ?


 死んだはずの俺にとって、それは途方もない違和感だった。


 こ、ここはどこだ!? 天国!?


 いや、天国がこんな現実味のある天国であってたまるか。


「そうか……」


 そうか……。俺は生き残ってしまったのか。


 俺は自分の置かれている状況を把握して、思わず溜息を吐きそうになる。


 俺の生存という事実は、決して良いことではなかった。


 俺が生き延びてしまうことで、世界が大きく変わってしまったかもしれない。


 俺はあの場で死んだ方が良かったんだ。


 モブとしての自分の役目を完璧にこなせなかった後悔が、俺の脳裏を過ぎる。


「やっと……目が覚めたんですね。グレイグさん」


 すると、そんな俺のすぐ傍で聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「え……?」


 俺はまさかと思い、声が聞こえた方向に視線を移す。


「の、ノア……様……?」


 俺のすぐ横には、ノア様の美しいご尊顔があった。


 この世界の主人公であり、救世の美少女勇者。


 そんな高貴すぎて尊すぎて触れられないはずのノア様が、すぐ俺の横に座っていた。


「グレイグさん。どうして、あんなことをしたんですか? どうして、私を庇うなんてことをしたんですか?」


 すると、ノア様は綺麗な深紅の瞳で俺のことをじっと睨んだ。


 ノア様の顔を見ると、俺は酷く緊張してしまう。



 異世界に転生してから、俺はノア様のご尊顔をまともに直視したことは無かった。


 ノア様かすぐ目の前にいる……。


 その事実だけで、俺の心臓の鼓動は激しく音を鳴らす。


 お、落ち着け……。ノア様の質問に答えるんだ。


「そ、それはノア様を守るためです。勇者であるノア様と俺なら、どっちが生き延びるべきかは明白です」


 俺は目を伏せながらも、そう答えた。


 ノア様はきっと怒っているのだろう。


 ノア様は自分のためだけに、平民と言えども命が無くなるのをよく思わない人だ。


 ノア様はアニメの通り、聖人のように優しい人だった。


 しかし、それが故に自分の価値を正しく理解していなかった。


「……そんなの耐えられません。私の代わりにグレイグさんが死ぬなんて、絶対に嫌です。それなら私が死んだ方がマシです」


 ノア様はそう言うと、唐突に俺の手をとてつもなく強い力で握り締めた。


 痛いという信号より先に、俺の手に触れるなんてノア様の手が汚れてしまうという感情の方が先に来た。


 しかし、遅れて痛いという信号が、しっかりと頭に響いた。


 どうして、こんなにノア様は握る手に力を入れてるんだ?


 ノア様は力加減が分からない感じのキャラではないはずだ。


 薄々気づいていたが、さっきからノア様の雰囲気がおかしかった。


 なんというか、湿度が高いと言うか、どことなく恐怖を感じてしまうというか。


 俺はそんなノア様に違和感と恐怖を覚えていた。


「の、ノア様……? 少し痛いですよ……?」


「ふふっ、わざと痛くしてるんです。もう二度とグレイグさんを離さないように」


 ノア様は聖母のような穏やかな微笑みで、俺にそう言った。


 え? わざと痛くしてる?


 どういうことだ?


 俺はノア様の言っていることが理解できなかった。


「あははっ、分かんないですよね。私も分からないですよ。でも、こんな気持ちにさせたのは、グレイグさんなんですからね?」


 時が止まるような感覚が、俺の頭の中を支配する。


 ノア様の言っていることが、俺の頭では理解できなかった。


「《拘束致死の魔法》」


 すると、ノア様は表情を崩さず微笑んだまま、俺の手元に魔法を展開した。


「へ……?」


 手元に見える拘束魔法を見つめ、思わず間抜けな声が出てしまう。


「これは、グレイグさんが私の手を離しちゃうと、私が死んじゃう魔法です。これでグレイグさんは私から離れられませんね……いや、離れませんよね?」


 ノア様は美しくも狂気的な笑みで微笑んだ。


 俺の目の前には、最強美少女勇者のノア様の姿はなかった。


 ただ、淀んだ瞳で俺をじっと見つめる狂気的なノア様がそこにはいた。

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