霧の幻影:Side 御代出海香 3

 先程外に出た日隈さんがすぐに車内に入り、バックで車を出す。

 免田さんの姿はない。

 車は右往左往、荒々しい運転の中、大きく揺れる。その反面、私の体調は少しずつ回復しつつある。窓の外の霧に包まれた住宅街が過ぎ去ってゆく。


 「くそっ……あんな大群に……魔術師の男……免田っ……!」


 日隈さんはそう呟きながら時折現れるあの幽霊を避けつつ車を走らせて行く。この野鳥平を降りるつもりらしい。


 「……どこへ向かうんですか?」


 「……申し訳ない……アテがないんだ。ただ、あなたが無事なら、あの魔術師の男の行っている儀式は完遂されない……それだけは確実だ。おれはこの命に代えてもあなたを守る。友人たちとの約束を守るため、この街を守るために……!」


 車は野鳥平を降りる道路へと曲がる。しかし、直ぐに急ブレーキがかかる。


 『キキィイイイッ!』


 「くっ……マズい!」


 道路には赤い車……それも十台近くが歩道にまでわたり、道路を寸断するように停車している。そのエンジン音から、こちらへ突撃する機会をうかがっているようにも思える。

 日隈さんは後ろを見る。

 後方には……あの『魔術師の男』と呼ばれた人間と……無数の刺し傷に外傷を受けた免田さんの姿……そして、その周囲に立つ50人近い幽霊たちの姿があった。


 「日隈絢三……だったっけ? 取引ごっこしよう! ここに居る免田四恩はまだ生きている。まあ、おれの手に掛ればコイツの命は生かすも殺すもできるわけだ。……証拠を見せてやる、ほら、動けよ」


 魔術師の男は隣に浮かぶ免田さんの身体を乱雑に殴る。


 「ううっ!」


 免田さんが声をあげて苦しむ。


 「はははは! いい声だ。しばらくこれで楽しみたいところだが、そうもいかない。ほら、日隈さんよ! コイツをそっちに引き渡すからそっちの……御代出海香だっけ? その女をこっちに寄越せ」

 

 「何を……っ」


 日隈さんは拳を握り締め周囲を伺う。けれど周囲は依然として逃げ道なし。向かって右側には住宅街の壁、左側には自動車学校のフェンス。前方は車、後方は奴ら。どこにも逃げ場はない。


 「分かってないのかなぁ? これは『取引ごっこ』……おれの優しさで成り立っている、本来成立しない取引なんだよ……。この免田とテメエはおれの計画に不必要な人間。さっき殺した若い男……蚕飼だったか? あいつは儀式に使えたが……日隈、テメエは使い物にならない。第三の儀式に必要な『魔術師』は既に確保している……予備としては魅力的だがおれを阻むような存在はこの街にはもういない……お前らのぐちゃぐちゃになった姿も魅力的だが、偉大なる『神』の顕現を目の当たりにして絶望する奴は一人でも多い方がいいからね……実際この街の怪異はもうおれの手を離れて勝手に増えて勝手に殺している。魔力は十分だから増やす必要もないのにね……ま、位置を動かしたりはできるからたまに人を襲わせて楽しんでるけど」


 日隈さんは焦りと動揺から額に汗を滴らせている。私は彼にある提案をする。


――


 「お、ようやく降りたか……日隈は……降りないのね……ちっぽけな良心の呵責を慰めるためか? それともそそくさと逃げるためかァ? まあいいさ」


 魔術師の男は私を見る。

 

 「さあ、さっさとこっちに来たまえ、御代出さん。それともそこの車ごとブチ殺していいのかい?」


 私は魔術師の男の方へと歩きだす。……徐々に右方向へと寄りながら。

 奴は私が向かってくるのを見て、そして、そのことに気づき、何かを言おうとする。その時。


 『ブオオオオオオオッドガァンッ!』


 日隈さんのワゴンが魔術師の男にバックで突っ込む。日隈さんは運転席の窓から灰袋を撒き散らし、その後すぐに真っ直ぐ車を走らせ、赤い車に思いっきりぶつかり、押しのける。

 私はその隙に自動車学校のフェンスを越え、住宅街の方へと走ってゆく。


 「くくく……免田が本当は死んでいることに、なんで気付いたんだろうなぁ? ……それとも、見棄てる気だったのかァ? ……いいね、やっぱり人間そんなモンだよなぁあ……! いいねいいねえ……」

 

 魔術師は真っ直ぐ私の方へと無数の幽霊たちをけしかける。私は自動車学校の教習コース内へと入る。日隈さんによって壊されていない二台の赤い車がこちらに向かってくる。ここまで、想定通り。

 

 「ははははははは!」


 幽霊たちはこちらにすごいスピードで飛び掛かってくる。私は灰の入った袋を広げ、灰をまき散らす。


 『ジュウウウウウワアアアッ!』


 しかし、それでも幽霊たちの大群の勢いは衰えない、さらに、赤い車が、幽霊たちをすり抜けてこちらに向け真っ直ぐ加速を続け、ぶつかろうとしてくる!

 ――お願い、間に合って!


 『ドガァアアアン!』

 

 日隈さんのワゴンが、幽霊たちを蹴散らし、介入する。日隈さんは運転席の窓から水鉄砲を打ち出し、二台の赤い車へ攻撃する。


 『バシュウウウウウウッ! ドガァアアアン!』


 赤い車は制御を失い、スピンしながら双方ぶつかる。

 日隈さんが乗り出す窓から灰が零れている、車内は灰が充満している……私の予想した通り、車は幽霊たちを裂き殺している。

 私はワゴンの方へ走る。

 日隈さんは車のドアを開き私に手を伸ばす。


 『ドスッ』


 「そんな小手先の策略でどうこうなる程度の相手じゃないこと……素人にはわからないよねぇーッ! ハハハハハハハハ!」


 魔術師の男の笑い声が響いてくる。私の胸を手が……貫いている。


 「ゲホッ……」


 吐血……。ああ、私は、そうか、死ぬんだ。

 私を貫く手が、引き抜かれるように動く。

 私は、それを掴む。


 「!? コイツ……『深きもの』の力が……進行している……! なんて力だ……ここに無数に呼び込んできた『紛い物』とは違う……古代種の血が濃いだけあるね……ははは……」


 日隈さんの声が響く。


 「御代出さん!」


 「行って! 私はもう助からない! さっき免田さんよりも私を優先したように、この街の為に、『印』を持って逃げて!」


 なんでこんな、貧乏くじをいつも引いちゃうのかな、私。

 この街が好きなわけでもないのに。

 学校の子たちだって、仕事だから付き合っているだけ。

 職場の人たちも、仕事だから。

 仕事をしているのは社会人だから。

 社会人なのは生まれ、成長したから……。

 ……そんな虚しい理屈で、全部無視して逃げることをせずに、バカみたいな使命感と、よくわからない心の動きで、こんな苦しみを受け入れて、しがみついている。

 藻掻くのを辞めれば楽になるのに。死んでしまえば楽になるのに。

 あの子たちを……放って逃げてしまったこと、これで埋め合わせできるかなぁ。


 「醜い顔を見せろよ、はっはっはっは! 御代出海香ぁ! この手を離してよぉお!」


 私は右手の鱗だらけの腕で後方の魔術師の男をもいっきり殴りつける。


 『ドチャァッ!』


 奴の胸部に私の変質した腕が入り込む、しかし、それは空洞のようになっていた。


 「これは……?」


 「どちらもなかなか死なない体みたいだね……ははははは!」


 周囲を囲む幽霊が私の方へ突撃を開始する。

 受けて立つ――長引こうが、日隈さんや、布施田君たちのところへ、コイツを行かせるわけにはいかない!

 できるだけ長く、ここに留める! 

 それが今、私にできる唯一の埋め合わせ!



 ○:日隈絢三は御代出海香、そして免田四恩から受け取った『旧神の印エルダーサイン』を握り締めながら、車を灯台へと走らせる。背後を確認せずに、真っ直ぐ。

 御代出海香は魔術師の男とその幽霊による攻撃の中、実に10分間、意識を失い、脳の大部分を損傷し、複数の臓器を破壊されながらも生き延び、幽霊たちの多くを破壊した。魔術師の男の計画は大きく狂う事となる。


 その後、ズタズタになった御代出海香だったものの死体を、魔術師の男は野鳥平展望台にて『第二の生贄』に捧げ、全速力で世界岬の灯台へと飛んでいった。

 彼は焦りと、そして、喜びを覚えていた。

 何故なら『第三の生贄』に必要な『魔術師の死体』は既にその手中にあり、灯台に居る、自らが時間をかけて用意した『加藤稲穂』は既に用済みであること、そして、先程、御代出海香が日隈に述べた『印』が『旧神の印エルダーサイン』である可能性。この二つの彼にとっての吉と凶の事実が、焦りと喜びと言う相反する心情を同居させていたのだ。

 

 「灯台に集まる奴らは既に『旧神の印エルダーサイン』を持っているのか否か……慎重に、かつ速やかに動かなければ、この儀式は……。それだけは避けねばならない。偉大なる『神』の復活のため、それだけは、それだけはあってはならない!」


 怒りと喜びに交じり合った奇妙な独り言が世界岬へと続く森の中に響き渡る。かくして、魔術師の男は灯台へと飛んでゆくのだった。


 (続く)

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