霧の幻影:Side 免田四恩 6

 霧の中より奴らは浮かび上がる。

 おれはできる限りの『火の精』を招来し迎え撃つ準備を整える。奴はゆっくりとこちらへ近づいてくる。その数は100以上……。おびただしい数の人影が霧の中から現れ、その勢いは衰えを知らない。

 いつ仕掛けてくるか……。日隈と先生は屋内に居れば……いや、これではジリ貧だ……魔術師の男の差し向けてきている幽霊の数からして、奴の魔力はおれの何十倍も上……! 防衛線は持久力の高い方が勝つ、勝機は明らかに向こうにある。

 

 『ドガァアアン!』


 「!」


 奴らの一人がこちらへ突撃。火の精の一匹にぶつかり消滅した。

 だが、奴らはそれに呼応することなく、嘲るようにじわじわと、近づいて来るのみである。

 ――おちょくられているのだ。

 

 『ドガァアアン!』


 また一匹、突撃して爆裂。

 ジリ貧は確実……奴らは自らの数に自信があるのだ。一匹程度どうという事は無く……一気に崩すことも出来るが、時間をかけ、じわじわと……。こちらが苦しみ、焦り、絶望する姿を待っている。奴の今までの態度と発言を見れば、その歪んだ欲望に想像がつく。ろくでもない捻じ曲がった性癖とそれを正当化し実行する下劣な根性。……吹き飛ばしてやる……!


 「免田!」


 おれは日隈の声に振り返る。彼は先生を連れ、外に出ている。

 良かった……これで活路が見出せる! 

 ……その代わり、危険な賭けになるが。

 おれは日隈に指示する。


 「車に乗れ、直ぐに出ろ……行き先は……野鳥平だ……」


 「えっ?! でも……」


 日隈は戸惑う。おれは急かす。


 「早くしろ、それしか道はない……!」


 既に大橋方面に抜けるのは不可能。中央・上島町方面から続々と幽霊野郎の大群がこちらに来ている。

 どうやら、学生たちから幽霊野郎を引きはがす事には成功しているようだ……。単なる囮として終わるワケにはいかんが……。

 先生はワゴンの後部座席に横になり、おれもすぐに車へ飛び乗る。それに気づいた幽霊野郎どもはこちらに突撃を開始する。だが、おれは火の精をこちらに近づくように指示し、幽霊野郎にぶつけないように引き込んでいく。


 『ブロロロロ……』

 

 エンジンが掛る。おれは指示を飛ばす。


 「アクセルを踏め! 野鳥平方面に接続する道路に出るんだ! 前方の幽霊野郎は気にするな、おれがどうにかする!」


 「お……おう!」


 日隈は迷いを捨て、アクセルを踏み道路へと車を発進させる。おれは、前方に陣取る幽霊野郎どものやや後方に向け、数匹の火の精を移動させ、自爆させる。


 『ドガァアアアアアアン!』


 幽霊野郎どもが吹き飛ぶ、爆炎を車が抜ける。

 

 『ドガァアアアン!』


 『ドドドガァアアアッ!』


 『ドガァアァアアアン!』


 前方をどんどん爆破し、車は爆炎と煙の中、何も見えずに爆走する。時おりすり抜けて入ってくる幽霊野郎の生き残りをおれは車内で待ち構え殴り飛ばす。


 『ザシュッ!』


 「くっ……!」


 通り抜け様に腕をやられる。軽傷、だがおれの動きも鈍くなっている。傷を覚悟で残党狩りをしていかなければならない。


 『ドカァアアン!』


 『ザバッ!』

 

 『ドガァアアアン!』


 『ドスッ!』


 『ドガガガガァアアン!』


 『ザクッ!』


 血が温い……。日隈にも攻撃が行っている。何とか先生は守れているが……彼女の体調も芳しくないようで、全身に鱗のようなものが浮き出て、意識も朦朧としている様子だ。先程から定期的に錠剤のようなものを口にしている。

 彼女の症状……あれは『邪神』の影響によるものだと考えられる。血縁に少しでも『深きもの』の末裔が居る人間は『邪神』の力によってその血に刻まれた『呪い』が開花する……。あの気味の悪いスケッチの文言。『邪神』による人知を超えた『呪い』の力の一端。夢と海の支配者の権能……!


 おれ達のワゴンはようやく幽霊野郎の大群を抜け、山道を走る。小谷高校方面に向かう高速道路近くの道路へと入る。周囲は森と山……。追手は馬鹿正直にこちらを直線的に追って来ている。分散する場合は別の進路へ向かいたいところだが……。どうやら誘導されているようだな……。この数だ……その誘導に乗るしかない。その間におれは魔力を少しでも回復させなければならん。

 日隈は運転しつつ、バックミラーで後部座席の先生を確認し、声をかける。


 「……御代出先生、大丈夫ですか?」


 「……ううっ……はい、何とか……さっきよりは……山の方に来てから次第に鱗も剥がれてきているみたいで……すみません、汚して……」


 「それは良いんですが……」


 おれは御代出先生に伝える。


 「……失礼ですが……親戚の方に誰か、高齢の方で、そのような症状が現れている方はいらっしゃったのでしょうか?」


 「……はい……父が……」


 父……なるほど、それは……。

 そうだ、『旧神の印』、あれも父からの……?


 「百舌鳥坂君から聞いた話ですが……お守りのようなものをお持ちのだとか……それもお父様から?」


 「……ああ、これですね……はい……」


 彼女はペンダントを取り出す。そのペンダントは強力な魔力を帯び、複雑な魔術が施された『旧神の印エルダーサイン』そのものであった。百舌鳥坂君の持っていたものとは少々異なるが、効果に変わりはない。『邪神』の復活門と邪神の眷属を打ち滅ぼす強力な魔法の道具である。


 「それは……非常に重大なものです……いま、この街で起こっている異変を止められる『鍵』です……どうか、それを我々に預けてもらえませんか? ……不躾な願いだと思いますが、どうしても必要なのです……」


 彼女はおれの方を見る。


 「……この、状況を、私のことも……これをあなたに渡せば、助かることができますか……?」


 必死の『懇願』だ。祈りにも似た……懇願だ。


 「……はい」


 おれは答える。

 おれは、嘘をついた気がした。

 

 彼女はおれの手にペンダントを渡した。

 

 「……日隈のオッサン……持っていてくれ」


 おれは日隈にペンダントを渡す。

 彼は驚き、おれの顔を見る。


 「ど……どうし……」


 だが、その言葉を彼は打ち止め……運転に戻る。

 

 「もうすぐ野鳥平だ」


 車は小谷高校を通り過ぎ、コンビニのある交差点へと至る。

 上島町方向への道には案の定、百近い幽霊野郎の大群が待ち構えている。

 当然、それを抜ける術はない。奴の想定通り。全て奴の計画の上……。

 だが……。

 車は野鳥平中央を通る一本の通りへ入る。真っ直ぐ向かっていく。日隈も気づいているのだ、降りる道にはおそらく、数百体の幽霊野郎の大群が道を阻んでいることを。だから車は真っ直ぐ、野鳥平展望台へと向かっていく。

 

 『ザシュッ!』


 『ザバッ!』


 時折、おれと日隈に向け、幽霊野郎の一人二人が、攻撃を仕掛け、おれに殴り飛ばされる。だが、おれたちはどんどん消耗してゆき、傷を負っていく。

 

 展望台に着く。

 道に駐車し、おれ達二人は車を降りる。周囲に集まりつつある幽霊野郎の大群など、おれの目には入らない。日隈とおれはただ一人、この霧のない街角の小さな展望台のベンチに寝転ぶ、魔術師の男だけを見ている。怒りと、嫌悪の目で。


 「意外とゆっくりと来やがって……おかげで月があんなところにまで登っちゃったよ……まぁ、そのおかげで……」


 『ドスン! ドスン!』


 二体の、潰れたヒキガエルのような、頭の代わりに触手を生やした、青ざめた死体のような肉体を持ち、手に槍のようなものを携えた3メートル近い化物……『月棲獣ムーン・ビースト』が奴の隣に降り落ちてくる。


 「こいつらを試せる……おれもいそがしくてさぁ、さっさとその車の中の『深きもの』のなりそこないを捧げなきゃならん……君たちのおかげで、灯台がヤバいんだよね……フフフ……」


 おれたちはただ奴を見るだけで、車の傍からは離れない。


 「フン……これから死ぬってのによくもまあ……もっと苦しめよ……これを食らってなァあ!」


 奴が『拳』の呪文を唱え、隣の二匹が動き出し、その手に持つ槍のようなものをこちらに向けて突き出す!


 「!?」


 『ドガァアアアアン!』


 おれの火の精は奴らの背後、展望台の崖の下から飛び出し、おれの指示通り奴らの背後を爆炎に包んだ。

 おれは先の脱出の際に残った火の精を別ルートからこの場所へ近づくように指示をしていた。それが功を奏し、奇襲となったのだ。

 おれは駆け出し、奴の『拳』を避け、魔術師の男へと飛び掛かる。

 おれは、こうするしかないのだ。

 後悔はない……そう言えばうそになる。


 『ドスッ、ドスッ!』


 「日隈のオッサン! 逃げろ! 車に入って! 逃げろ!」

 

 おれは、両隣の『月棲獣』の槍によって胸を貫かれ、血を吐きつつ、そう叫び、目の前の魔術師の男に拳を振るう。


 『ドガッ!』


 おれの拳は奴の顎に当たる。


 「お疲れ様……なんとも弱い拳だな……ハハハハハ!」


 おれは笑う。


 「地獄で言ってろ」


 おれは『火の神・クトゥグァの招来』の呪文を唱え始める。

 奴は顔面を蒼白させ、自らの拳と全幽霊、月棲獣を用いておれを殺そうとする。

 ――悪手だぜ。

 それは完全なブラフ。おれには魔力なんてこれっぽっちも残っていない。

 後方でエンジン音がして、遠ざかってゆく。

 幽霊共の攻撃が来る。

 意識が遠ざかってゆく。

 だが、もう少し。

 もう少しだけ……。

 大丈夫だ……。

 おれの努力は……役に立つ……。

 そんな気がする……。

 それだけで……。

 十分……。

 凛音……。

 ハク……。

 日隈……。

 みんな……。

 ごめんな、御代出先生……。

 ごめんな……。


 (続く)

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