霧の幻影:Side 布施田仁良 7

 「よぉ……ボロボロじゃねえか、心配しちまうぜ……へへへ……大丈夫かぁ?」


 おれは怒りが頂点に達し、逆に笑えてくる。殺す相手が今目の前にいる。こんな状況に遭遇するとは夢にも思わなかったが、これは現実なのだ。そう言う時には、おれはせせら笑うような笑いがこみあげてくる人間だったのか。くくくく……。

 おれはバットを握り締める。

 殺す。

 コイツはこのバットで頭を殴りつけ、その頭蓋骨を叩き割る。脳漿をぶちまけ、この灯台の錆にして、死体を魚に食わせてやる……おれの手のバットから、怨嗟が漏れだし、おれの耳に多くの声が響いてくる。


 『殺せ、殺せ、死体を引き裂け、肉を千切れ、皮を剥がせ、目玉を抉れ、歯を抜け、脳漿を弄べ、床のシミにしろ、海の藻屑にしろ、森の養分にしろ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せえええッ!』


 奴のにやけ面にバットを叩き込む。


 『ガァアアアン!』


 奴は驚くほど硬い。が、奴の右頬にぶつけられたバットはしっかりと奴の顎を揺らす。おれはすぐに切り返し左頬へ……だがそれは避けられる。


 「ハッハッハァッ! 大丈夫! 元気ビンビンだぜぇっ!」


 おれは背後に気配を感じる。おれが振り向く前に背後から巨大な拳が幾重にも出現し殴り飛ばされ、ガラスを割る。おれは灯台から降り落ちる。

 ――地面に、落ちる、前に、バットを振り、降ろすッ!


 『ドガァアアアアアアアン!』


 おれは一瞬衝撃でふわりと上に飛び上がったような錯覚を覚える。そして、そのすぐ後に地面に落ちる。


 「うぐっ……」


 すぐに起き上がる。奴は灯台から加藤さんを引き連れて余裕そうに浮遊し、こちらへ降りて来た。


 「オイオイ、大丈夫か? そっちはただの弱々しい人間なんだから心配だよ……これ以上愉しめなくなっちゃいそうでさ……もっと君が絶望している表情を見たいんだ、そんなにやけ面が恐怖と悔しさと失望なんかで血の気が引いていく表情をさ……だから、簡単に死んでくれるなよ?」


 「クッソガァアアアアアアアアッ!」


 おれはバットで降りて来た奴の胸を突く、突く、突く。

 奴が何か口元で唱える。

 おれは左方向から飛んでくる巨大な拳を避ける――奴の方へ向けて避ける!


 「!」


 おれはバットを奴の頭の後ろに持ってきて、グっと、もう片方の手でバットの先を掴む。奴の身体を引っ張り、拳の通過する地点へ持って行く。

 

 「ハハハッ!」


 『ドガァアアアアン!』


 しっかりとおれは奴を掴み、奴はその巨大な拳にぶつかる。衝撃は全て奴に行く。


 「あ……がっ……!」


 おれはホールドを離し、奴の頭にしっかりとフルスイングで殴りつける。


 『ガァアアアアアン!』


 重い金属音が響く。

 奴は、倒れかける、が空中でぴたりと止まりニヤリと笑う。


 「残念だった……」


 『パァアン!』


 奴の両目の間にしっかりと銃痕が開く。

 振り返ると、徹さんが、銃を構え、その銃口から煙が出ている……。

 魔術師の男は倒れた。

 

 「死んだか……?」


 徹さんが近づきながら訊く。他の皆もこっちに……。そうだ、おれも奴の隣に置かれている加藤さんを……。

 八坂さんと良治が目を見開き叫ぶ。


 「まだだ!」


 おれは振り返る。

 そこには笑みを浮かべ起き上がってこちらを見ている魔術師の男の姿があった。顔にはしっかりと銃痕……それも反対側の景色が見えるほどにしっかりと貫かれた穴が広がっている。

 奴は何かつぶやいた。さっきと同じ『呪文』だろう。


 『ドガァアアン!』


 おれは再び巨大な拳に殴り飛ばされ、1メートルほど後方に倒れる。


 「はははははは! いい顔だ、キミも、キミたちも、すっごく良い顔してるよ! いいねいいねぇ! もっと見せてくれよ、さっきみたいなお行儀の悪い顔から、絶望してる顔、驚いてる顔……! イッちゃいそうだぁっ! ウフフフフフ……」

 

 そう奴は笑いながら、また呪文を口ずさむ。

 おれは叫ぶ。


 「やめろ……!」


 だが、奴の拳は八坂さんと徹さんを殴りつける。ただ一人、良治だけが、それをしっかりと視認して避けた。


 「いいねいいねぇ! 見えてる奴がもう一人! いい感じだよ、良い感じだよぉっ! このままオレを絶頂させてくれよぉっ!」


 良治が拳の雨の中を走り抜ける。おれはよろめきつつも立ち上がり、バットを握り締める。呪いが、おれの腕を……走り抜ける。

 殺す。殺す。殺す。

 奴の脳ミソをこの展望台の石畳にぶちまけ、シミにしてやる。

 奴はおれの方へと振り向く。だが、おれはすでに奴の頭に狙いを定め、バットを振っていた。


 『ガキィイイン!』


 奴は腕を差し込みガードする。だが、この感触……腕の骨はかなり……!


 『バキッ!』


 「おお、凄いね」


 折れた!

 だが、奴はもう片方の手でおれの胸を貫かんと、突いて来る。

 このままでは間に合わない!

 

 『ガッ!』


 「布施田ァッ! やれぇっ!」


 良治が後ろから奴に飛び掛かり、ホールドする。一瞬奴の動きに迷いが生じる。

 その隙におれはバットを切り返し、奴のもう片方の腕に一発。


 『ガァアアン!』


 二発!


 『ドガァアアアン!』


 三発!


 『ビキビキバキィイ!』


 四……!


 「いいねぇ……」


 奴はさっきとは別の何かを口ずさむ。これは前に訊いた……『わしづかみ』か!

 おれは背後にある気配を避けるように右へ飛び退く。

 良治は奴からすぐに離れる動きを取る。奴が捕まえようとするもするりと奴の手を抜ける。まるで奴の動きを知っているかのように。


 「……そっちは予知がビンビンだね……いいじゃん、いいじゃん、楽しいじゃん! その怯えた顔……くっくっく……」


 奴は穴の開いた顔でニヤニヤとこちらを見つつ笑っている。


 「どっちから先に殺すか……いや、他の奴らから血祭りにあげて……」


 『ダァン! ダァン! ダァン!』


 奴のこめかみ、胸、腹にそれぞれしっかりと穴が開く。だが、奴の顔の中央に空いている穴同様、血も少し流れる程度で、噴き出すようなことはない。徹さんは叫ぶ。

 

 「化け物がぁっ……!」


 「警察かぁ……そんなに躊躇なく撃つ警察、初めて見たよ、オマケに腕もたつ……最初はアイツでいっかぁ」


 奴が徹さんの方を見る。徹さんは隣にいる八坂さんを押して退ける。

 奴は真っ直ぐ徹さんの方へ行こうと、空中へふわりと、浮かび始める。おれはがむしゃらに奴の身体へフルスイングをぶつける。奴は一瞬痛みで硬直したようだが、そのまま向かおうとする姿勢を変えない。

 良治は徹さんの方へ駆け出している。

 ――何とか、今の一瞬が……徹さんを救ってくれ……!

 圧倒的な加速により奴は徹さんの方へと飛んで行く。

 そして、そのまま。

 徹さんとぶつかりかけるが、良治のタックルにより奴の攻撃は外れる。


 「チッ!」


 徹さんが良治に言う。


 「グウッ……すまん……」


 良治は空を旋回する魔術師の男から目を離さずに答える。


 「銃じゃダメだ……二人は加藤さんを、怪異対策の道具で解放して、俺と布施田が奴を!」


 二人はおれの背後にいる加藤さんの方へ駆ける。おれは、帰ってくる魔術師の男に狙いを定める。奴は何かつぶやいている……ここからは聞こえないが……。

 良治が叫ぶ。


 「来る! 『わしづかみ』の方だ! 奴も危険だぞッ!」


 おれは背後と右隣りに現れる『手』の気配を察し、避ける。良治も最低限の動きで避けている。そして、入れ違いで奴が、おれの方へと飛び込んでくる。おれはバットをバントの持ち方で前に出し防御する。


 『ドガアアアアアアアアン!』


 スピードを付けた奴の体当たりもこのバットにぶつかれば……何とか……抑え込める。背後から八坂さんの声が聞こえる。


 「加藤さんは解放した!」


 目の前の奴がそれを聞いて嘲るように哂う。


 「ヒヒヒヒ……加藤ちゃんも解放されて良治君が俺を攻撃する……勝ちだと思うかい?」


 奴はおれに訊く。

 奴の背後から良治が『お守り』を取り出し、背中に叩き付ける。奴は、おれにむかって、笑顔を崩さない。


 『カッ……!』

 

 『お守り』が光り輝く……!

 その光は中央に瞳のようなマークが描かれた六芒星を示し、おれの目の前の魔術師の男の身体を包み込み、バラバラに……分解してゆく。


 「くくくく……」


 奴は背中から分解していく中で笑みを浮かべ、指を鳴らす。何か嫌な気配がおれの背中に走る。そして、『お守り』の光は収束し、分解も止まる。

 おれは声を漏らす。


 「な……何が……?」


 背後で、声がする。男性……徹さんじゃない……この声は……日隈さん?


 「免田が、さっき死んだ! 死体が奴に取られて……!」


 おれは背後を見る。加藤さんは解放され、八坂さんに抱えられている。日隈さんがボロボロの様子で息を切らし、叫んでいる。おれは、良治の方を向いた。

 良治は絶望し、唖然とした表情で、空を見上げている。

 おれもそちらを見る。

 そこには免田さんの死体が空に浮かび、街の中心……海の方へ光の筋を放っている。

 免田さんが……加藤さんの代わりに……?


 おれの目の前の奴が笑う。


 「無駄な努力、ご苦労様ぁああああ♡」


 奴はおれの顔を嬉しそうに眺めている。

 おれは、きっと、いま、絶望した顔をしているのだろう。

 あそこに立つ良治のように、向こうで膝をつく日隈さんのように、死体となった免田さんのように……。


 (続く)

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