霧の幻影:Side 免田四恩+蚕飼白 4

 文学館の中へと入る。扉の鍵は開いていた。

 内部は意外にも荒らされてはいない。……あのフードの男がそう怪異や怪物たちに指示しているのか?

 館内ホールはおれたちが昨日暴れた形跡が一部残っていたが、階段の方にバリケードのようなものができていた。そして、二階から数名の人間が現れる。


 「あ、あんたら……大丈夫か? そんな状態で……避難しに来たのか?」


 おれは返答する。


 「……いや、ちょっと調べものをしに来ただけだ。大丈夫、おれたちは怪我はしていない。これは……あの化け物の返り血だ」

 

 おれが説明する横で日隈とハクが床に寝転ぶ。


 「あの……化け物を……? あんたらが……?」


 おれは文庫書庫の扉を開きつつ応える。


 「ああ、安心しな。ここに奴らは来ない。今のところは、な。おれらはここで少し休むが……あんたらは今のうちに入り口を固める準備をしておいた方がいい。おれらが出ていってからしっかりと塞いで、夜は二階で静かにしてな」


 おれはそう指示してから文庫に入り、目当ての手記を取って、椅子に腰かける。

 身体に百年分の重みを感じる。こんなにつかれていたのか……いや、脳内の興奮作用で疲れをとばしていただけだ。いま、疲労を痛感する。

 痛む身体をぎこちなく動かしながら、おれは本を開く。


 ――サーストン彌太郎。このサーストン文庫の寄贈者であろう。祖父の収集した資料を研究し、その痕跡から謎めいた『クトゥルフ教団』や『ネクロノミコン』、『魔術儀式』についての知識を蒐集したM市在住の男……。この手記は彼によるもので、今の彼についての情報もこの手記に書かれていたことだ。

 そしておそらく、この文庫の外国語文献に挟まっている翻訳や知識についてのメモの著者でもあるだろう。

 この男がまとめたこの手記には『邪神復活の外法』についての詳細と警告が載っていた。以前のおれは眉唾として読み飛ばしていたが……翻って読めば、これは……やはりこの街の現状を示している。

 第一段階は領域全体を霧で包み込み、怪異により魔力と呪いを溜め、第二段階の『封じ込め』の準備をする。この段階で『海』に『深きもの』を呼び寄せられる。

 第二段階は霧の外郭を硬質化し、一般人を閉じ込め怪異と眷属の活動を活発化する。

 第三段階は強力な魔力を有する生物を殺し、生贄として高所に浮かべ、邪神復活の祭壇へ魔力を注ぐ。これを三回分行う事で最終段階へと至る。特に三番目の生贄には魔術を扱ったことのある者が必要がある。

 最終段階は術者自身が死ぬことで術者の夢より邪神の魂が招来され、魔力の注がれた『深きもの』による祭壇へと魂が移動し、邪神が復活する。この段階に至れば術者以外は儀式を止めることができない。

 最後に、『最終段階までに術者を殺さない限り儀式の停止は絶望的だ。私の収集した資料では儀式の再現にまで至ることはないであろうが、類似した事態に遭遇した場合、速やかに術者を見つけ出し、殺せ。儀式の完遂はこの人類世界の悲惨、少なくとも数十万人規模の死と全世界にわたる狂気が夢を覆うだろう。この文庫に残した魔術を使え、聖なる物を使え、徒党を組め、あらゆる兵器を使え、どんな手を使ってでも、その術者を殺さなくてはならない。』と警告され手記は終わる。


 ――おそらく現状は第二段階……奴は今、三人の生贄を求めている。

 ……それがあの計測山にあるというのか……?

 いや、奴は……高校に向かった?

 高校……なにか見落としている気がする……。


 「高校……」


 おれはそう呟いた。それを聞いた日隈はおれになにか思い出したように訊いてくる。


 「そういや、免田、お前妹はどうしてるんだ?」


 ……!

 清水山高校オカルト研究部の、深夜学校探査は……今日か!

 あいつら、おれと同じく怪事件を解いていっていた……その過程でおれやハクのように妙な直感や、力に目覚める者がいてもおかしくない!

 それが奴の狙いか?

 だとすると……。

 

 「凛音が危ない!」


 気づけば周囲は夜の闇に包まれている。おれの声を聞きハクは飛び起きる。

 日隈が驚きつつおれに伺う。


 「何がわかったんだ?」


 「どんな手を使ってもあのフードの魔術師を殺さなきゃならん。じゃないと邪神が復活する……!」


 日隈は怪訝な顔をしつつも、首肯する。ハクはバットを肩に当て、おれに訊く。


 「妹さんが危ないってのはどういう事っすか」


 「それは……あの幽霊魔術師が恐らく高校を目指しているという事と、あの高校には今、オカ研の生徒が集まっているってことだ……あの幽霊野郎は魔力に溢れる……修羅場をくぐった『生贄』を欲している!」


 おれはいそいそと文学館を出る。日隈がワゴン車を開け、運転席に着く。ハクもすぐに入る。


 「急ぐんだ……! 奴のことだもう着いているだろうが……まだ、誰か生贄になっていない。今、奴は獲物の選別をしているのだろう……」


 車はすぐに道路へと向かう。前のおれたちの殲滅により『深きもの』たちの数はまばらになっていたが、霧の奥から集団が移動するのが見えた。おそらく、外海から一団がやってきているのだろう……本来ならおれたちが殲滅すべきだが……今は面倒を見られない。


 まばらに『深きもの』や『バイアクヘー』たちが飛び交うなか、おれたちは清水山高校のある山の道路に差し掛かる。途中横転したバスが道路に放置されていたが、構っている場合ではない。ここらは怪異の手もある程度穏やかかと思ったが……。

 おれたちのワゴンが清水山高校駐車場と計測山へとつながる観光道路の分岐点に差し掛かったところ、目の前に、女子生徒を抱えた青白い幽霊野郎が登場した。

 真っ先に反応したのはハクだった。


 「あの野郎……!」


 ハクはワゴンが急ブレーキをかける中ドアを開き、道路に転がり出ると、幽霊野郎に迷いなくバットを振った。

 

 『ガキィイイン!』


 金属音が鳴り響く。おれも道路に飛び出し、灰袋を投げつつ応戦する。


 『ボシュウウウウウウッ……!』


 だが、幽霊野郎は煙を吹きだし、女子生徒を抱えながらも片手を突き出し、何か呪文のようなものを唱える。

 するとおれに向かって拳が振るわれたような衝撃が、おれの身体に感じられる。

 ハクも何か同じような攻撃を食らったようだが、彼はバットを振る手を止めない。


 「いいね、君。タフだ。それに……バットの力かと思ったら、君の魔力か……丁度いい」


 幽霊野郎はふわりと飛び上がりつつハクの頭をゲシゲシと足蹴にする。


 「野郎……! ぶっころしてやぁる!」


 激昂したハクはバットを振り回すが幽霊野郎はひらりと避け、わざと低速で計測山の方へと向かう。これは、明らかに挑発だ。

 ハクはその方へと向かう。


 「待てハク! 罠だッ!」


 おれの制止を聞いてハクは振り向く。


 「足止めをするだけだ! 学校を確認したらアンタらも来い! 大丈夫、おれは冷静だ!」


 ハクはおれ達を見てそう言う。


 「しかし……」


 「うわああああああああああ!」


 学校の方から声がする。男子生徒の声……?

 おれはハクに言う。


 「必ず合流する! だから、焦りすぎるな!」


 ハクは手を振り走り出しながら言う。


 「ああ、わかってる!」


 それがおれとハクの最後の会話だった。

 おれと日隈はそこから駐車場にいる『深きもの』たちのもとへと向かった。

 

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