霧の幻影:Side 布施田仁良 4
展望台には月光が射し、おれ達と一人の死体を照らしている。鉄板の床の上には金属バットが転がっている。
ふと、膝をつく四恩さんと日隈さんを見ていた良治は、何かに気づいたように、二人の前にある死体に触れる。
「……どうした、良治?」
「ここに何かある」
良治は断言した。
四恩さんがそれを聞き、死体を動かす。
「これは……おそらく『儀式』の一環だろう……」
死体に覆われた鉄板の上にあったのは奇妙な模様……魔法陣のようなものだった。
良治はおもむろに死体のシャツをめくり、腹部を見る。
そこには鉄板に焼き付けられた魔法陣と似た紋様。それが腹部から更に体を覆うように、蝕むように広がっていた。
「なんだ、コレ……」
ある種の物語を描く壁画のようなその紋様には幾度も瞳や星、そして蛸のような絵柄があり、それの隣に不可解で奇妙な文字を羅列している。
それを見て日隈さんが呟く。
「……何か、ヤバい気がする」
良治がシャツを離す。
「離れろ!」
全員が後ろへ離れる。よく見ると死体は首元や腕の部分に先程の文字が『蠢いて』いた。それは虫のように皮膚の中を這いまわり、数を増やし、死体を覆いつくさんと、首から顔へと侵食してゆく。
音のないその身体の侵略は瞬く間に完了し、死体は、空中へと浮遊しだす。
おれは思わず叫ぶ。
「なんだ!?」
10メートルほど浮かび上がった死体は青白い光を放ち、それは、雲海の中に不自然に開かれた、あの湾内の海に築かれつつある、蠢く生きた塔のようなものへ光の柱を一直線に放つ。
周囲の霧はその死体に吸い込まれるようにぐんぐんと集まってゆく。
四恩さんはそれを見て悲痛な面持ちで呟く。
「魔力充填のための人柱……魔力の感性が強く、魔力も持ち合わせた生物が必要とあったが……ハクは……そうか、妙に勘が良いからな、あれは魔力の感性か……」
「……これからどうすれば?」
おれが訊くと四恩さんは振り返り、こちらを見る。その面持ちは覚悟に満ち、先程の表情は消え去っていた。
「おれ達は次の標的を救うために野鳥平へ向かう。大橋を渡ってな……だが、多分、お前らの友達は灯台の方にいるだろう。最後の儀式がそこで行われる、最後の儀式は時間が要るのでおそらく、あの糞野郎は今頃灯台で準備に勤しみつつ、野鳥平の儀式の標的を探っているところだろう……ハクのように、最後の儀式以外の人間はそんなにキッチリと用意していないようだからな。お前らは……途中までは乗っけていってやる」
日隈さんが呟く。
「車がもっとあればいいんだがな」
「ないものは仕方ない。急ぐぞ、お前ら」
おれたちはそのまま展望台を降りて駐車場へと急ぎ向かう。その駐車場にはちょうど、もう一台の車が入ってきていた。
霧の中、駐車場に停まった車から、ライトを付けたまま降りてきたのは八坂さんの父、徹さんだった。
「香奈枝! ……それに、免田も?」
「父さん!」
八坂さんは徹さんへ走ってゆき抱き着く。
「こんな日に一人で外へ出ちゃダメじゃないか。偶々俺が一度家に戻ったからよかったものの……というか、お前たちどうして帰っていないんだ? 引率の先生は大橋の方へ車を向かわせていたはずだぞ」
免田さんが訊く。
「先生を見たんですか!?」
「あ、ああ、一瞬だったが、凄いスピードで車を走らせていたからな。生活安全課としては見過ごせなかったが、こんな事態なもんで切符を切る気にはならなかった。だが顔は見たぞ。なんというか、その……片手で顔を抑えている様子だったが、こんな事態だ、怪我でも負ったのかもしれん」
良治が何か思い出したかのように四恩さんに訊く。
「そうだ、四恩さん、これに見覚えは?」
そう言って良治は星の中に瞳のマークが入ったお守りを見せる。
四恩さんは驚いたようにそれを見て返答する。
「これは……これは本物か?」
「え、ええ。自分のは中央の『ダニッチ』って店のオーナーから買いました。同じものを先生も持っていましたが……」
「これを作り出せるのは本物の魔術師か、ある特定の『一族』だけだと書かれていた。『エルダーサイン』……そうか、もう一つ持っている人がいるんだな?」
「え、ええ、先生が」
「灯台で最後の儀式に対してこれをつかえば今回の事態は納められるかもしれない。持って近づくだけでいい。二つあれば……確実にこの儀式を終焉に向けられる……八坂のオッサン、こいつらを灯台まで届けてやってくれないか?」
四恩さんは徹さんへ振り向き、そう願い出る。
「? 灯台? ……お前は」
「おれらは野鳥平で……命がけでやることがある。時間がないんだ。遅れればこいつ等の友達が一人死に、そしてこの街、いや、世界規模の災害が起きる」
徹さんは戸惑いながら訊く。
「……命がけ、だと?」
「既にハクが死んだ」
徹さんは思いがけず驚き、更に戸惑った表情を見せる。
「……。仕方ない……灯台だな」
四恩さんは微笑して車へ向かう。だが、何か思い出したように、先程展望台で拾い上げていたバットをおれに渡す。
「武装が心もとないお前らにやる。これで思いっきり怪異共をぶん殴ってやれ、使える奴が持つ方がいい。じゃ、達者でな。無茶すんなよ、凛音もな、死ぬなよ」
「兄……」
四恩さんはすぐにワゴンへと駆けていった。免田さんは不安げな表情で、お兄さんを呼ぼうとして、それを辞め、振り返ってこちらに来た。八坂さんが心配そうに伺う。
「凛音ちゃん……」
「大丈夫……きっと大丈夫……」
免田さんは言い聞かせるようにそう答えた。
おれ達は徹さんの車へと入っていく。流石にさっきのワゴンよりは狭いかと思ったが、意外にも広々と全員が入れる。
……八坂さんや免田さんは不安な面持ちでいる。
「……灯台には全員で行くのか?」
徹さんが運転しながらそう訊いてくる。良治がそれに付け加える。
「家に向かってもいい、灯台まで行って車の中で待機してもいい。全員で行くことはないんだ。……既にこの街で安全な所があるとも思えないけど」
八坂さんは答える。
「……私、加藤さんがクラスで浮いているのは知っていた、けど、大丈夫だって勝手に思っていた。……どういう虐めに遭っていたのか知らなかった。……無関係でいてしまったのが、いや。もう、無関係でいれるとも、大丈夫だとも思いたくない、助け出して一番初めに謝りたい。だから……行く」
免田さんが続いて、おずおずと話す。
「わ、私……ゴメン、今でも……手が震えて」
八坂さんが肩を抱く。
「しょうがないよ……大丈夫、誰も責めない。皆知っている」
おれはそれに続く。
「ああ、勿論だ。こんな事態、怖くなるのは無理ない……」
無理もない事だ。当然だ。当然のはずだ……だが、俺には……恐怖よりも、怒りがあった。
あの青白い半透明の存在は、どこかの誰か、この事態を招いた一人の人間によるものだ。こんな、数万人規模の、大迷惑を。そんなちっぽけな人間一人がやっていいはずがない。許していいはずがない。さらに、人をなぶり殺し。加藤さんまで連れ出して行った。それは、一撃でも、何発でも……食らわせてやらねばならない。
――バットを握る。妙に力がこもってくるような感覚がある。
このバットで、元凶を何度でも殴る。この命に代えても。
暗い呪詛を、おれは心の中で祈った。
なにかが、ぬらぬらとした何かが、おれの背を這ったような気がした。
「な、なんだこれは!?」
車が停まる。計測山から観光道路を渡り、中央に降りる山の大きな道路の真ん中。目的地ははるか遠い。
だが、車の正面から見れば、とまらざるを得ないことは容易にわかる。街の方へ続く道路には無数の、蠢く半魚人が無軌道に歩き回り、座り込み、何かを探している様子を見せている。
さらに空中には奇妙な……コンドルにも似ているが、もっと奇妙だ、四肢があり、羽毛のない、蝙蝠のような……薄気味悪い生き物が飛び交っている。
街は一体……どうなってしまったのか。
「この街は、もう……狂っている……」
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