霧の幻影:Side 蚕飼白 1
蚕飼白(こかい はく):7月16日、日曜日。……おれは由美のもとへ向かっていた。
霧が濃い。
探偵社の事務所からまっすぐ走って向かっているが、十数メートル程度で視界は霧に遮られる。……この街は、この霧によって狂っている。この霧の中で、おれたち生きる者を侵す、しみったれた怪異共が、我が物顔で闊歩しやがる。
殺す。
見つけ次第殺す。
あの半魚人共だってできるだけ叩き殺す。
幽霊だなんだも来た順に、何だって、おれたち真っ当に生きる人間の領域を侵す不届きな死人共や害獣どもを、殺す。
半魚人共も幽霊の類も、全部おんなじだ。
あの『耳鳴りオヤジ』と同じ、生きてもいない、おれたち人間の足を引っ張る『敵』。
見つけ次第殺す。
――居た。
結婚式場近くの道路の真ん中に、うすら笑いを浮かべる、クソッタレの白黒メイクの……ピエロ。
1,2,3,4,5……6体……等間隔に数メートルずつ離れて、だらんと両手を垂らしながら放心したように立っている。
あいつら……こんなに嫌がったのか。
丁度好い、全員殺す。
おれはわき目も降らず、道路に佇む奴らに向かい突進するように向かう。右手にはバットがしかと握られている。バットを握る手が、妙に力強く、頼もしく感じてくる。見ていると妙な……オーラすら感じる。いや、これは闘気と言うべきか。
ぐらりと揺らいだかに見えた奴は、ぬるりと上半身、腕を振り、おれの腹へその右手に出現させたナイフを突き立てる。
『ボンッ!』
問題ない。俺の振りの方が速く、奴の上半身が吹き飛んだ。おれのバットの振りは以前の比ではない。
奴の脚が地面に倒れ込む。徐々に傷口が煙を出して消えていっている。
『ドタッ……シュウウウウウウ……』
「おれを恐れろ」
五方向から全く同じ姿のピエロが人間とは思えない速さでこちらに一直線に向かう。
おれはフルスイングの構えを取ってバットを強く握り締める。それに呼応するように身体は力に満ちている。奴らの動きも手に取るように先が分かる。
おれは突き立てられ、上から、下から、横から、同時におれ目掛けて振り込まれるナイフをひらりと飛び上がって躱し、その跳躍の空中にて奴らの一匹の頭を吹き飛ばす。
『ボフッ!』
「恐れろ、怪異共」
地面に着地、同時にバットを空に放り、隣二匹の頭を掴む。
二匹の頭を落下したバットに思いっきり、挟むように打ち付ける。
『ボシュウウウウウウウウッ!』
「お前らは弱い」
後ろから振り下ろされるナイフを振り返らずに躱し、拾い上げたバットで奴の片腕を殴り壊す。
『バキィッ!』
すかさず奴は左手にナイフを出現させおれの腹へ突き立てる。
おれはまたも見向きもせず避け、奴の左腕をバットで殴り壊す。
『バキィッ!』
「おれを恐れろ」
『バキッベキッ!』
おれは奴の残った肢体である二本の脚にバットを押し付け、割り壊す。
「お前らが狩られる側だ」
『ジュウウウッ……』
「……」
四肢を失ったピエロは俺のバットが胸に押し当てられても何の言葉も発することは無く、苦しむ素振りすらもない。ただにやけた顔をニヤニヤと動かし、嘲り、煽るように表情を動かすだけだ。
『バキッ、バキッ、バキッ……!』
おれはわざと自分の足で奴の頭を踏みつける。
「いい面になった。にやけてるよりずっとハンサムだぜ」
ピエロの顔は変形し、にやけた表情も破壊されつくした。だが、これはまだ、動く。だからおれは奴の右目に押し付けるようにバットをあてがい、ゆっくりと溶けていくのを待った。
『ジュウウウウウウウッ……』
ピエロはその笑いすら失い。消えた。
おれはそこから、そそくさと由美のもとへと向かった。いい準備運動になった。感謝したいくらいだ。
「由美、今日はM市の外に出ろ」
「え? 白、どうしたの? ……急に、デート?」
「説明は、後だ、とにかく、君だけはここから出したい。おれは……やることがあるが、明日になれば迎えに行く。とにかく今は一刻も早く出なきゃいかん」
おれは由美の家に着くなり、迎え出た由美の手を引き、そう言った。
時間がない……免田さんの見立てじゃ後一時間もない。
「……わかった。少し待って、財布と、最低限の用意を、五分で済ませる」
「ああ、急いでくれ」
丁度五分で出てきた由美とおれは走り、M市と隣の市の境へと向かった。途中から、おれは由美を抱え走った。
「――白、あの霧の中の……人間? は……」
「あの半魚人……! ……いや、今はそれよりも、この街を出る。ああいう手合いが、もう少ししたら、手に負えないほど出てくる。今晩には、この街はあれで満たされる。おれはそれを止めなきゃいかん……だが、その前に、君を……ウグッ!」
「白!」
『ドタッ……』
転ぶ。だが、おれはすぐに由美を抱えて走るのを再開する。
「頭は打っていないな?」
「う、うん……白……」
「どうした? もうすぐ出れるぞ」
「……どうして白がそんな……残らなきゃいけないの?」
「おれにしかできない事がある。誰よりも俺が上手くできる。それに……いや、おれは、おれにしかできない事をしなきゃ、いけないんだ」
本当は、あの『幽霊野郎』に負けっぱなしは厭だという、バカみたいな我儘だ。おれは、どこまでも……。
「……明日、迎えに来てくれるんでしょ」
「ああ、必ず、迎えに行く」
霧が晴れる。街の外だ。おれたちは、霧の外に出た。
「迎えに来なかったら……永遠に恨むから」
それは、呪詛だった。
愛という呪いの言葉だ。
「……ああ……永遠に悲しませるわけにはいかないさ」
おれは振り返り、濃霧に包まれる街へと駆ける。
後ろの由美は、きっと涙を落としているのだろう。
おれには既に予感があった。
今日、俺は、不幸に見舞われる。
体験したことのない、人生の底。
おれは、由美が不憫で……顔を見れなかった。
だが、由美の放った呪いは、おれを鼓舞する。
――生きて帰る。
街は深い霧の中、怪異が堂々と闊歩している。おれは、バットの柄を強く握りしめた。
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