霧の幻影:Side 免田四恩 1
7月16日の朝は、碌でもない始まりだ。
おれ達は事務所のソファーで目覚め、あちこちが痛む身体を起こし、事務所の菓子パンで朝飯を取り、テレビがノイズを発することから異常を悟った。
日隈がおれに訊く。
「電波障害……ぽいな、スマホも伝播が異様に弱い。電話回線もダメ……どうなってる?」
おれは、窓から外を見る。霧……一面濃い霧だ。この地上四階のビルから地面がよく見えないほどに濃い……。
――まさか。
『ギャァアアアー!』
窓から見える空……そこに、奇妙な生物……あれは、文学館の本で見た。名前は確か『バイアクヘー(Byakhee)』。蟻のような、触角をもつ、羽の生えた宇宙よりの怪物。スケッチにあった通りの姿だが、大きい。2,3メートルはあろうか。
それはどこかへ向かうふうもなく、当てのない空の旅をしているように過ぎ去り、霧の中へと紛れていった。
……この街は、もしや。
「な、何なんだあれは……」
唖然とする日隈とハク。おれは自らの知る情報を述べる。
「あれは、文学館の本にあった怪物で間違いないだろう……あれがいるという事、そして、昨日の深夜に見た半魚人いや『深きもの』たち。ここ最近のこの街の実態。それを鑑みるに……あの文学館にあった本は、紛れもない真実を示していた。この街は、今日、『大いなる邪神』によって滅びる……」
ハクがおれを見て怪訝な顔で訊く。
「お、おいおい、流石に……流石にそんな、荒唐無稽な話は……あり得ない、信じられないぜ免田さん」
おれはすぐに反論する。
「あの文学館の本の中にあった手帳には『深きもの』たちの崇める神についての記述とその招来儀式の方法がつづられていた。なんでも本来の方法からは外れた、外法らしいが……魔力と呪いに溢れる土地にて、優秀な魔術師と魔力に溢れる三体の生き物をいけにえに、深海に眠る神の魂の一部を招来するそうだ……そして、その魂は集った『深きもの』たちの身体へと受肉し、顕現する……という事だ」
二人は信じられない様子でおれの話を聞く。おれだって信じられんさ。手帳のこの部分は話半分で読んでいた。徐々に怪異が増え、事件に巻き込まれ、魔術師や化け物が表れて行くあの手帳の内容が、この街に似ていたから、思わず読み進めただけだ。
だが、バイアクヘーや深きものたちがこの街に自ら集い始めている今、それを否定するのは、現実から目を背けるような気さえする。
この感情は……もしかすると、おれは既におかしくなってしまっているのかもしれない。この確信めいた感情は一体何だろうか……虫の知らせと思っておこう。
「……今のこの街の現状は『魔力と呪いに溢れる土地』を作り出す前段階。資料によればこの土地を霧や闇などで『閉ざし』、外界から隔絶したうえで内部の人間を一定以上、怪異などを使い、殺すことで次の段階へと向かう……この電波障害は明らかに、そのための布石。もしかするともう、この街を出られなくなっているかもしれない」
それにハクが呼応して立ち上がり、エレベーターの方へ向かう。日隈は驚き、ハクへ訊く。
「お、おいハク、どこに……」
「野暮用っすよ、すぐ戻ります」
おれはそれに対して返答する。
「ハク、おれ達は文学館へ向かう。もう依頼どうこうの話ではないと思うが、調べることがある。とりあえずそこで合流しよう。……お前がこっちに戻ってくるつもりなら……の話だが」
日隈がおれを見る。
「……」
だが、返す言葉が見つからないようだ。
ハクは答える。
「戻るよ。アンタら二人だけじゃ、危なっかしくて見てられねえ……乗り掛かった舟だし、それに、街一つ救う経験なんて、この先いくら金をかけても早々できないしな。……じゃ、文学館でな」
ハクは出て行く。
おれはほっと息をついている日隈に訊く。
「おっさん、アンタも逃げれるかもしれないうちに、逃げた方がいい。それに、このままいけば、おれは今まで以上の危険に……」
「おいおい、俺を侮っちゃ困るぜ。免田。俺はお前に命を拾ってもらったんだ。そいつは、これくらいのことで協力を辞める程度の恩じゃない。それに、俺も随分とこの会社が居心地よくてな。この仕事も、気に入っている。……さっさと行こうぜ、文学館。道中怪異共をなぎ倒しながらよ」
日隈は笑った。
「ああ、アンタのワゴンに残ってる道具を全部積みこんで、街中にいる怪異共を潰しながら行こう」
街中は静かなものだが……霧の中には人知れず、怪異が跋扈している。霊魂、呪い、化物……今まで見てきた怪異の総数以上の怪異があらゆる場所に隠れている。
「オッサン、そっち行った!」
「おうよ! オラッ!」
『バシュウウウッ!』
這いずり回る女を日隈は灰袋を投げつけて祓う。下半身のない這いずる女……どこかで聞いたことがあるが、都市伝説のそれよりもずっと弱い。そんなのがうようよと居る。
「そろそろここは切り上げよう。……そろそろ手持ちも減ってきている、車に戻って……」
『バシュウウウウッ!』
おれの後ろへ日隈が水鉄砲を放つ。後ろに迫っていた化け物の頭部が破裂したように溶ける。目玉が吹き飛び、こちらに向かってくるが、触れる前に溶け消えた。
「ああ、俺の方もこっちで打ち止めだ、早く行こう」
おれ達は事務所のある上島町から大陸橋を越えて、映画館周辺の半魚人や怪異を仕留めていた。既に何人かの人が襲われていたようで、血痕や衣服の切れ端が道路に遭った。死者がいないと良いが……。
おれ達はワゴンに入り、ハンドルに手を掛けた日隈がおれに訊く。
「次は何処の予定だ?」
「江西町、その後は妻恋、まあ、M市本線に沿って行くつもりだ」
「じゃあすぐだな」
五分程度車を動かし、真っ白な視界の中、道路を進み、公共ホールと商業施設が連なる場所に駐車する。
既に何匹か怪異が見えている。ここは人通りは少ないが、居住する人間が多い。ここに居る怪異の脅威は計り知れない。出来るだけ多く、一匹でも潰さなくては。
「うわあああ!」
車を降りるなり、叫ぶ声が飛び込んでくる。公園の方だ。
おれ達はすぐに駆けだし、公園へと向かう。
「ううううしゅるるるるるっるるるっるうるるうううう」
人間の腕が幾重にも重なった塊が老齢の男性を掴み取り取り込もうとしている。明らかな、怪異。
――効くか?
半魚人やバイアクヘーには物理的な攻撃以外のものは効かない。
だが、迷う時間はない。とにかく、おれは小袋を投げつける。
『バシュウウウウウウッ!』
「あああああああああああああっ!」
煙を上げて腕の一部が消失する。あの塊は叫び声を上げ、取り込まれつつあった男性を離す。男性は地面に落ちる。
日隈が駆けつけ、男性を抱え上げる。
あの塊は全ての腕がだらんと下げ、死んだような様子を見せている。
だが、次の瞬間、腕の間からずるずると這い出るように肉の塊が湧き出てくる。それは顔だ。人間の顔、だが、それは、ホンモノの人間の顔とは異なり、あらゆるもののバランスが、滅茶苦茶で、数も合わない。鼻も眉も瞳も口も、数、位置、バランス、全てが違う。幾つもの気味の悪い体の部位はそれぞれ動き、こちらに向かってその顔面というべき部位が伸びてきている。
なんて気持ちの悪い……。そして……大きい。
おれたち二人で削り切れるか……?
いや、やるしかない。
おれは拳の包帯を縛り直した。
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