霧の幻影:古の偉大なるものクトゥルフの退散/エピローグ

 加藤稲穂:私以外の五人、八坂香奈枝さん、八坂徹さん、免田凛音さん、百舌鳥坂良治君、日隈絢三さんが印相を結び、『旧神の印エルダーサイン』を中心に円状に並ぶ。たちまち彼らの周囲に光が満ちる。

 私は拙い魔力の操作を必死に行って、その光に自身の魔力を注入し、その輝きを強めていく。

 光は天上へと向かう一筋の柱となり、上空の『門』へとぶつかる。

 だけど……足りない!

 力が足りない、彼ら五人と私の魔力、それだけじゃ到底足りない……!


 「ハハハハハハハハ!」


 はるか上空の『門』の一部が歪み、青い光を放つ、一人の人間の姿を映す。奴だ……魔術師の男の霊魂が、まだあそこに残っている!


 「壊し損ねた『旧神の印エルダーサイン』があったとはね……だが、そんなチンケな道具、開かれた『門』の前には無力だ。世界を終焉させる王の棲家、『ルルイエ』への『門』がそう易々と閉じられるものかよ! 世界は眠りにつき、人類は偉大なるクトゥルフの死んだ奴隷として永遠に操られるのだ! ざまあないね! ハハハハハ!」


 何か……魔力を強めるもの……何かないの?

 どこかに、希望は……。


 「稲穂! あのバットが!」


 良治君の叫びで、私は布施田君の残したバットを見る。

 それは数多くの人々の呪いを纏い、光り輝いていた。私一人の魔力なんて目じゃない。この街の人々の怒りや苦しみ、悲しみが結集したそれは、吸い寄せられるように、私たちが形づくる円の中へ入り、中心に浮かび上がる。

 きっとこのバットの持ち主は、相当強い魔力を持って生まれた人。その人の思い入れがいつしか呪いとなり、他の呪いを引き寄せる触媒……『呪物』となったのだろう。

 諦観、絶望、辛苦、悲哀、憤怒、そして死……生きている人、死んでいる人、あらゆる人々の感情の渦がこの触媒に集約され、今、解放される。

 それは眩い光となって、天上の『門』を形づくる魔術へと勢い良く、放射される。


 「ああ!? この魔力……呪いか!? あのバットはこんなに……おいおい……『門』が……閉じ始めてるじゃないか。いけないなぁ!」


 魔術師の男の霊魂はそう叫ぶと、光の柱へと向かう。霊魂体ながら、魔術は使える……何とか私も対抗しなくては……けれどこの光の柱の制御と魔力の注入でもう、私の力は、残っていない……!


 「俺はこの街を支配した! この街の死を司った! この街のゴミ共がどれだけ集おうと、俺の前には意味はない! こんな呪いとて、俺の術の前には、無いも同じだ! みーんな一緒に死んで無に帰ろうぜ! ハハハハハ!」


 『ズガァアアアアン!』


 奴の決死の叫びの後、光の柱へ、奴は『拳』の魔術を放った。

 しかし、その攻撃は全て、光の柱自身が曲がり、避け、そして光は、奴の霊魂を捕えた。

 

 「ああああ! お前ッ! お前もッ! 生贄に捧げた筈だ! 俺が殺したはずだ! クソッ! クソッ! 計画が狂っちゃったじゃーん」


 奴は光に巻かれ、藻掻き、手も足も出ない様子を見せる。

 生贄に捧げた……?

 免田凛音さんが叫ぶ。


 「兄貴!?」


 日隈さんも。


 「免田! 白!」

 

 良治君も。

 

 「先生……! 布施田!」


 私はその光の中に、布施田君の面影を見る。

 きっと、この街の人々の想いの中に、彼の魂の一部が、残っていたのだろう。この街の皆が、魔術師の男を抑える。

 私は、最後の力を振り絞り、光の柱に、魔力を送る!

 

 「閉じる! 閉じてしまう! クソッ! 皆の悲しむ顔が見れなくなっちまう! 皆が一緒に死ねなくなっちまう! あーあ! もったいない!」


 『門』は収束してゆき、それを構築する魔術と紋章は崩壊してゆく。

 鉤爪と頭部を門から出し、その六つの赤い瞳をこの世界に向ける、恐るべき『邪神』の魂は門の収束に気づき、門の中へと戻ってゆく。しかし、数本の触手は魔術師の男の魂へと向かい、彼を貫き、捉えた!


 「クククク……ハハハハ! どうやら時間切れみたいだ。計画は完璧じゃなくて少し心残りがあるけど……まあ、終わり良ければ総て良し。俺は一足先に死んでおさらばさせてもらおうか……あばよゴミ共! ……あれ?」


 奴の魂の魔力は触手によって注入されているようで強くなっている、奴の生命力もそれに伴って強くなる、そして、そのまま触手は、門へと入ってゆく。


 「オイ……オイオイオイ……術者の死後の魂はすぐに神の養分になるんじゃ……ないのか? ……俺は、消えるんじゃないのか? ……俺は永遠に、このままなのか?」


 奴はそう疑念を叫びながら、門の中へとゆっくりと入ってゆく。その顔は困惑に満ち、そして、絶望へと染まっていった。奴にとってはきっと、死ぬことだ一番の目的だったのだろう。……それだから、自分は絶望することはないと高を括っていたのかもしれない。

 

 門は完全に閉じ、少し残った『邪神』の魂の一部……触手が上空から海へ落ちてゆく。海の真ん中にある不気味な『邪神』の肉体の影はその赤い六つの瞳をこちらに光らせているように見える……。

 けれどもその中身は無い……私たちを包む光が薄らいでゆく。

 私たちそれぞれも、魔力を使い果たし、一人、また一人と倒れ、意識を失ってゆく。

 私も……魔力の枯渇で……意識を……。


 ―― 


 光の中で、布施田君の声がした。

 きっと魔術師の男を光が抑えた時、生贄になった先生や免田さんと共に彼もまた、立ち向かっていたのだろう。

 

 「おれの分も、皆を頼む……楽しかったよ、稲穂さん……」


 初めて彼が、私の名前を呼んだ。

 初めて私が、本当の意味で、この世界にいることが許された気がした。


 「……君が、君を許せる日まで……生きろ……」


 私の心を見透かしたみたいに、彼はその言葉を最後に添えた。

 生きるための呪詛が、彼から私に送られた。

 私は彼のその呪いをいつまでもいつまでも、この夢から覚めても、きっといつまでも、心に留めて、忘れないのだろう。

 呪われた私に、大切な呪いをくれた、愛おしい人は、夢の中でも消えてしまった。


――


 『北海道M市にて大規模ゲリラ暴風雨による被害。全戸停電。通信障害。死者、行方不明者多数。道路寸断、電車一時停止。現場は混乱。全国的大規模災害余波か』


――


 松谷由美:早朝。私はビジネスホテルを出て、M市へと走った。

 いやな予感がした。

 昨日の街の様子。濃い霧。しばらく前に電車で遭った『耳鳴りオヤジ』のこと。それを白がバットで倒したこと。あの日も霧の濃い夜だったこと。それから白はバイトを変えて……よく怪我をしているようだった。そして、昨日の白の様子……。

 いやな予感を覚えるのは当然だった。

 そして、『迎えに来る』っていう約束を私は信じて待っていた。

 けれど、さっき復旧したネットを見て……『M市の災害』を知り、居ても立っても居られなくなった私はホテルを飛び出した。

 まだ暗い街を私は駆ける。

 迎えに来てくれるのかな。

 彼は無事なのかな。

 どうして私と一緒に行くと……。

 ……そんな我儘をあの時言えなかったことを後悔する。

 引き留めていれば。

 

 M市とこの街の境には、未だに厚い霧の壁が不自然に佇んでいる。

 私はそこにぶつかるつもりで走ってゆく。真っ直ぐ。突き抜けて……。


 『ドカッ』


 霧は壁として、私を拒み、私は後ろに倒れる。

 この霧は本物の『壁』だ。

 白は……きっとこの壁……そしてこの壁の内側で起きることから私を遠ざけたのだろう。彼の家族も私の後に彼の指示でこちらの街に避難していた。彼は大切なものを全てこちらに置いて……一人で……。


 朝日が私の後ろから射した。

 その時、霧は薄らいで、朝日に解けるようにゆっくりと、消えていった。

 街の様子が見えてくる。

 そこには、うすぼんやりとした、幻影のような姿の白がこちらを見ていた。


 「白!」


 私は起き上がって、彼に駆け出して、抱きしめる。

 彼は抱きしめ返す。確かに、抱きしめ返した。


 「……ごめんな。迎えに行けなくて……」


 「いい、いいよ。……ここに居るんだもの」


 私は何となく気付いている。


 「……ありがとな。待っていてくれて……」


 「いつまでも、いつまでも待つよ」


 「……ありがとう。でも、もういいんだ。……おれの分も楽しめよ」

 

 「行かないで……行かないで!」


 彼は私の頭に手を置いた後、ふっと消えてなくなった。

 何となく気付いていた。

 でも、信じたくはなかった。

 約束は守られた。

 でも、破ってでも、あなたには居てほしかった。

 そうしたら、きっと、あなたはあなたで居られなかったのに。

 それでも、あなたにここに居てほしかった。

 

 虚しさの中で、灰色に染まった街を、私はただ叫ぶこともなく、涙を流してぼんやりと眺めた。

 ……きっと多くの人が、私と一緒で、彼に助けられたのだろう。

 私はこの後に、それを一つ一つ、知ってゆくのだ。

 いてほしかったと、呪いを抱えながら。

 いつか、許せる、その日まで。


 (終)

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