霧の幻影:Side 加藤稲穂

 ――


 『……君がオカ研唯一の部員か! おれは布施田、布施田仁良ね。良治……百舌鳥坂に誘われて一緒にここに入ることにしたんだ。よろしくー』


 彼はそう言って笑いながら、手を差し伸べた。

 私はおどおどと手を握って、握手をした。その手は暖かくて、大きかった。


 『わ、わた、私は……加藤稲穂……です……よ、よろしく』


 私が手を離し、俯きながらそう言うと、彼は私に質問を投げかけた。


 『加藤さん、良治から聞いたんだけど、オカルトや民俗学とか神話の話にすごく詳しいんだってね。おれちょっと興味あるって言うか、趣味で小説とか書いててさ……』

 

 初めてだった。私の趣味を偏見や嘲笑なく、純粋に興味を持って、訊こうとする人は。

 その日から、私は、その場所にいることが……何だか許されたような気がして……許されない学校という場所に、許される部活と言う場所ができた。

 私を許さない人たちにトイレで水を掛けられることも、他に人のいないところで髪を引き抜かれることも、ノートを捨てられることも……全て、なんとか、耐えられる気がした。

 けれど、そう、上手くはいかない。

 私は耐えることができなかった。

 また、私は学校を休み、私の手で学校を許されない場所へと変えてしまった。

 私は耐える苦しみを……怒りに変えて……せめてどこかへ吐き出したかった。

 そうして私は、文学館で見つけた『魔術書ネクロノミコン』の内容を試すようになった……。

 今思えばあの日から、この街の怪現象は始まったのだろう。

 全ては私のせいなのだろう。

 ……そうして半年近く経ったある日、私が二日ぶりに学校へ来ると、私を許さない人たちは跡形もなく消え、私の記憶からも名前と顔が抜け落ちていた。

 あれだけの憎しみを、怒りを覚えていた対象は綺麗に消失して、朧げな影として、私の中で残っていた。

 困惑しながらも、私の魔術が達成されたという昏い悦びを覚えた私の前に、あの幽霊の男が、現れた。

 男は自分こそが『私を許さなかった人々』を消した犯人だと名乗った。


 『キミの願いを私は叶えた……もう一つ、叶えてあげよう……ただしそれには一つ、条件がある』


 『条件?』


 『キミは魔術師となるのだ。私が魔術を授けよう。いい条件だろう? 私には弟子が必要なんだ……さあ、キミの願いはなんだい? キミが魔術師となった時、それをかなえて差し上げよう』


 『私の……願いは……愛する人に……愛されたい……』


 私は彼が見せた幽霊や使い魔、魔術の数々に魅入られて、その奇妙な取引に応じてしまった。一つ、また一つと魔術を知る中で、私は、数々の幽霊と使い魔のような生き物を使役する術を身に着け……そして、奴の正体を知った。

 この街の怪異の多くが、奴と魔術的な『繋がり』を持ち、奴の手で操られていた。

 奴はこの街に怪異を放ち、霧の結界を生み出し、人々を狩ることで『呪い』を集め、更なる怪異が寄り付き、生まれ、この街に滞留することように仕向けていた。

 それはこの街を包む結界の強度を強め、この町全体を巻き込んだ巨大な魔術儀式を可能にさせた。

 私は……この日……夕方の学校で、奴の幽霊の一匹を追い詰めた。


 『おいおい、師匠を急に裏切るとは、不誠実な弟子がいたものだな……この怪異の数、キミにしては上出来じゃないか』


 『お、お前が……私たちの仲間を……』


 『仲間……? ああ、トンネルの『残響』か、そうだよ、学生を殺して、そのまま怪異に仕立て上げた……全員狩れるかなと思ったんだけどねぇ、やっぱ駄目だったよねー』

 

 『何が目的だ……!』


 『目的? そりゃあ、キミの願いを』


 『そんな、き、気はないんでしょう。本当の目的だ……この結界と儀式の!』


 『……チェッ、やっぱりバレたか、もっとおバカだったら、良い顔が見れたのにな……。目的かァ……自殺ってことになるかな?』


 『……?』


 『このクソみたいな世界はオレを見放した。だからオレは死のうと思う。だけど、せっかく死ぬんだ、オレみたいな見放された人の為にも、皆を殺してあげよう! ついでにオレを見放した奴らの苦しむ顔も見れて一石二鳥。いや一石ですべてが取れる! フフフフ……善行は気分が良いし最高だよね』


 『……な、何を言って……』


 『オレはさ、何かになりたいわけでも、生きていたいわけでもなかったんだよ。ただぼうっと生まれて、ぼうっと生きて、ほんで見棄てられて、蔑まれて、生きるのが許されなかった。じゃあ死ぬかと思った時に、文学館で読んだ本を思い出したんだ……それからその本の内容を、バカ真面目に実践してみたら……できちゃった! ……これってキミとよく似てると思わないかい?』


 『……そ、それは……』


 『藁にも縋る思いで、キミは文学館の本の内容を実践したわけだが、オレはそうでもなかった。そこは違う。でも、キミだって誰かに呪詛を送った。方法まで一緒だ。キミも解るんじゃないかい? どうしようもない時に明らかに原因になっている相手に殴りかかりたい……でもそんなことをしてはいけない……じゃあ呪おう……呪いが成就しないかな……成就……した!』


 奴は屈託のない笑みを浮かべた。心の底から人が苦しむ姿が好きなのだろう。


 『ハハハハハ! キミの図星を突かれた顔、いいねえ! 本当はキミの好きな人を目の前でぶっ殺して、もっと絶望した顔を見ながら君を生贄にしたかったんだけど……さてはて、どうなるかな♡』


 私は奴の幽霊ごと『拳』の魔術で、後ろのガラスを貫き、破壊する。

 その時、背後に布施田君たちの気配がした。

 私はそのまま学校内へ逃げた。私が用意していた使い魔『眠り男』たちのいる理科室へと……。

 そうして、その後、『ミ=ゴ』の襲撃や、布施田君たちの侵入があり、私は屋上へ逃げ……そのまま奴に捕まり……灯台へ行き……そして……そして……。

 布施田君は跡形もなく吹き飛んだ。

 私の目の前で。

 奴の自爆によって。

 奴は……言った。

 『本当はキミの好きな人を目の前でぶっ殺して、もっと絶望した顔を見ながら君を生贄にしたかったんだけど……さてはて、どうなるかな♡』

 有言実行。

 私は、もう、立ち上がることができない。

 私の大切なものは、もう、ここには……。


 「稲穂!」


 良治君の声が聞こえる……。


 「稲穂、君なら知っているんじゃないか、コレの使い方……この儀式を止める方法が……」


 良治君は、膝をつく私の前に、印の入ったお守りを見せる。

 『旧神の印エルダーサイン

 古き支配者たちの招来……つまり、今この街で起こっている儀式……それを妨害することのできる、強力な道具。けれど……。


 「じ、『邪神』の魂が全てこちらに召喚されれば、この道具の意味はなくなる……。も、もう、時間が……」


 「やり方はあるんだろ? ……布施田は命を賭しておれ達とこれを守った……無為にさせはしない。最後まで足掻くんだ……布施田なら、そうする筈だ、そうだろ?」

 

 彼は私を見てそう言う。

 布施田君の守ったもの……。良治君や、八坂さん……私……この街……。それがこのままでは……無駄になる……!

 立ち上がるんだ。立ち上がらなきゃ。

 動かなきゃ!


 「……私だけじゃ……この印の力を引き出せない……。五人で、手をこの形にしなきゃいけないの……私以外の五人で……」


 私は「旧神の印」の印相を示す。

 八坂さんが何かに気づいたように私の話を聞いて走り出す。

 彼女は駐車場から免田さんを連れてくる。私は彼女に話しかける。


 「免田さん……!」


 免田さんは私におずおずと話す。


 「……ごめんなさい! 加藤ちゃん……私、あなたと同じクラスなのに……あなたのこと、何も知らなかった。何も助けて……あげられなかった」


 私は意外なその言葉にすぐに彼女に駆け寄って手を握る。

 

 「いいよ……私も、気にしていなかったから……あなたのことは同じ部活の仲間だとずっと思ってる、今だってそう思っている。……今、私たちは、あなたの力が要るから……それが、その、償いの代わりだと、想ってくれたら、丸く……収まると思うんだ」


 「――うん」


 私以外の五人が集う……これで『旧神の印エルダーサイン』の儀式が行える……あの邪神の魂は、今もゆっくりとこの世界へ触手を伸ばし、身体を動かし、遥か海底の城塞からこの街へと顕れようとしている……。

 私は、布施田君の守ったこの街を……奴の手から守る……!


 (続く)

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