霧の幻影:Side 八坂徹 1

 「一体どうなってるんです。全員が出動って……」


 出勤前から全域の通信障害、霧……俺は真っ直ぐ警察署に車を走らせ出勤した。署内は騒然としており、刑事部長ら管理職の連中が右往左往していた。上司が煩わしそうに俺の疑問に答える。


 「街中で『怪事件』が発生している。オマケに電波障害と来たもんだ。携帯と電話回線、テレビ電波が問題らしく無線は通じるようだが……とにかく消防と協力して避難の呼びかけ、およびパトロールを行う。警察署、交番等は最低限の人員だけ残す……お前も拳銃とチョッキ着て早く出ろ……ったく、忙しいってのに……」

 

 いそいそと上司は会議室の方へと向かう。俺は諸々の装備を着用したのち、無線で連絡を取りながら妻恋の方へと車を走らせる。

 だが、その足取りもすぐに止められることとなる。

 

 「オイオイ……なんだこれは」

 

 人の顔の皮。指。体の皮。臓器……誘うように道路の端に一定間隔で置かれたそれは、江西町から小沢町の境のあたりにある道の奥へと続いていた。

 ――馬鹿にしやがって……。

 人を何とも思っちゃいない、この所業は。恐らく怪異。だと思いたい。……どの道犯人にはそれなりの代償を支払わせる。


 「小沢町に向かう道にて人間の皮や臓器を発見……殺人事件と思われます……」


 無線に報告を入れつつ、おれはその道へと誘われてゆく。

 住宅街から小学校跡地へと続くその道を進み、小学校跡のグラウンドが見えた時、俺は車を停めざるを得なかった。

 グラウンドには子供が一人、屈みこみ、震えている様子でいたのだ。

 俺は駐車場に車を停めると周囲を確認しつつ、グラウンドへと立ち入る。


 「小沢小学校跡地のグラウンドにて、6歳くらいの少年。迷子かと思われます、事情を聴くために保護します」


 無線を入れる。無線はかなり混線しているようで変身は遅い。

 グラウンドはしばらく手入れされていなかったのか雑草が砂地に根を張り、しっかりとした感触がある。それにしても、こんなところに子供がなぜ……いや、この地域に子供がいないわけじゃない、だが、何か……。先程の人体の道はここで途切れている……まさかこの子が……いやいや、考えすぎだ。とにかく……。


 「おじさん誰?」


 しゃくりあげた声で、その子供がこちらに背を向けたまま訊く。

 俺は不信感を抱きつつも答える。


 「警察さ。お父さんやお母さんはどうしたのかな?」


 「いなくなっちゃった……」


 俺は近づきながら質問する。


 「じゃあ、おじさんが君のご両親を探そう……そのためにもまず、君のお名前をおしえてくれないかな?」 

 

 「僕の名前は……正田たいち……」


 俺は丁度その子の真後ろに着いた。俺はまた、訊く。


 「そしたら、たいち君。こっちを向いてくれないかい。お父さんとお母さんのことを探すためにも……」

  

 くるりと彼はこちらを向く。

 その顔には違和感があった。

 その違和感は……。些細というにはあまりにもおかしなもので……だが、細かな所の問題ではある。

 彼の顔には目もあるし口も、鼻も揃っている……だが、それらはつぎはぎのように統一性がなく、頬や額に至っては妙な隆起や扁平さが見られた。そういう顔だと言われれば納得できるが……できの悪いAI生成の画像に近い。

 ……いや、待て、これは……彼が瞬きをすることで分かった。彼の顔は動くたびにランダムな形に変化している。それに……今、彼の右手の指の本数は五本から四本に変わった。左手は三本から六本に変わった。

 これは……幻覚か?


 「なんだ……これは」


 彼は俺の手に触れようと手を伸ばす。俺は咄嗟に避ける。


 「おじさん、どうしたの。どうして避けるの。どこへ行くの。どこかへ行くの。逃げるの」


 声が……妙なノイズが……怪異だ。逃げなくては!

 俺は踵を返しグラウンドの外へ向く。


 「いただきます」


 グラウンドの端が黒い壁で覆われる。

 ――閉じ込められた!?

 俺は振り返る。黒いドームの中心にあの子供……いや、子供じゃない!?

 俺の視界にノイズが走る。

 あれは……か、香奈枝……!?

 どこからどう見ても……。俺の娘だ……どうなっている。まやかし、幻だ。それは分かっている。だが……。


 「お父さん……」


 香奈枝……。いや、香奈枝は家にいるはずだ。今日は……ここに居るはずがない。ここに居るはずがない。居るはずがない!

 香奈枝がこちらに近づいてくる。俺は後ろに後ずさる


 「どうして避けるの? ……最近は進路の話もできてないじゃない。お父さんは土日に居ないし……この街で変なことが起きても、学校でおかしなことが起きても……お父さんは家にはいないじゃない」

 

 それが偽りの存在だとわかっている。これは俺の心の奥底に居る香奈枝の姿を映しているだけなのだろう。だからと言って、いや、だからこそ俺は……膝をつく。この空間内は……妙に空気が重い。香奈枝の声が、おれの頭に響いてくる。

 香奈枝の手が、近づく。

 この手に触れるとヤバい……それだけは分かる。

 俺は後ろに後ずさる。怯えるように。逃げるように。


 「逃げないで。逃げないで。逃げないで。逃げないで。逃げないで。」


 頭が痛い……。

 だが、俺は……ここで死ぬわけにはいかない。ダメだ。ダメだ。

 俺は懐からナンブを取り出す。震える腕。片手じゃダメだ。片手じゃ……。両手……。クソッ震える。照準……定まらねえッ……。クソが……。

 俺の目の前に居る香奈枝に、俺は、照準を合わせている。クソッタレ。考えるな。考えるな。背中が冷たいものに支配されている。心臓だけが熱い。汗が全身の体温を奪い続ける。寒い。寒い。

 

 「そんなものを向けないで……お父さん……」


 涙声の娘の声……クソがッ……クソッ。クソッ。クソッ!

 ヤケクソで引き金を引く。


 『ダァンッ!』


 娘の頬をかすめる。


 「キャアッ!」


 頬から血が出ている……クソッ……なんで、なんでこんなに、ホンモノなんだよッ……どうして、どうしてお前は……香奈枝は家にいる!

 俺は……家に帰るんだ……。ああ!


 『ダァンッ! ビシャッ!』


 「あああああっ!」


 血だまり……俺は……娘を手にかけているというのか……違うッ、違うッ……違うッ……!

 

 『ダァンッ! ダァンッ! ダァンッ!』


 「あ……ああ……お。おとうさ……ん……」


 『ダァアンッ!』


 「あ……」


 黒いドームが消える。

 娘の死体だったものは筋くれだったミイラのようなものになっている。

 偽物……偽物だ……偽物なんだッ……!

 俺は車へとふらふら戻ってゆく。

 無線は未だ混線中……というよりも錯綜と混乱だ。誰も配置に迎えていない。怪異や……化け物共に殺されている。ああ、そうか……こんな拳銃だけじゃ……ダメなんだ。免田で学んでいるだろう……。今の怪異が殺せたのも偶々……銃弾も弾倉には残っていない。

 帰ろう。

 今はとにかく……帰らなければ、ダメだ。家族を、守らなければ。

 俺は車のエンジンを掛け、来た道を戻る。

 街全ての人は俺には守れない。だからせめて……隣の人を……。

 

 


 

 

 

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