文学館へ行ってみよう

文学館へ行ってみよう

 ○:M市港湾文学館。元は海員会館を利用した施設であったが、昭和63年に『アーカム』というヴィクトリア風建築の元レストランの建物へ移転。街出身の芥川賞作家や、ゆかりのある作家を紹介するほか、市民や作家から寄贈された文庫を無料で市民に公開している文化施設である。

2022年7月16日。仕事復帰した免田オカルト探偵社は港湾文学館からの依頼を受領した。


 「――つまり、警備システムに引っかからない侵入者がいたと?」


 日隈絢三ひぐま けんぞう:免田がスマホの電話相手にそう伺う。

 仕事の依頼か。

 俺は珈琲を淹れながら耳をそばだてて聞く。免田はスピーカーにしており、作業しながら対応している。後で依頼を俺たちに伝えるのが面倒だからそうしているのだろう。

 ソファーで横になっている蚕飼も黙ってそれを聞いている。


 『はい、入り口は完全に施錠されており、窓も割られた形跡もなく……完全に密室の室内に、青白く光る人が居たと、先月から何度も言われておりまして……信じがたいと私も取り合っていなかったのですが、あまりにも報告数が多く……館長として自ら確認してそんな根も葉もない都市伝説に終止符を打たねばと思い、私は夜間、泊まり込みで見張ることにしたのです……』


 「そこで、『見た』と……」


 『はい……いまだに信じがたいことですが、私ははっきりと見ました。青白く発光する半透明の人間が、壁の中からするりと現れ、文庫書庫の扉へ、再びするりと投下していく様を……。あれほど、お、恐ろしい体験はありませんでした。わたしは暗い二階の事務所の中でその様子を目撃したのち、暫らくその場から動くことができませんでした。……ですが、このままでは他の目撃者と同じだと思い、思い切って文庫書庫を開け、その仔細を調べようとしたのです』


 「……そして……お怪我を負われたと」


 『はい……文庫の扉を開くと、書籍を手に取り食いつくように読み漁る青白い幽霊がいました。私の方へ横眼を向けたのは覚えています。ですがその後の記憶が……曖昧で……気づけば私は、朝、後頭部に怪我をした状態でその場に倒れており、そのまま救急車で運ばれることとなりました……』


 「ふむ……それは、我々の得意とするところの事件ですな」


 『ええ、私もそう思い、連絡した次第です。どうか、私たちの文学館を助けてはもらえないでしょうか』


 「ええ、勿論、本日すぐに伺います。最終的な料金はその際に相談させていただきます……当然、その際に料金に不服の場合は前金をお返しいたします」


 『ありがとうございます。15時にお待ちしております』

 

 「ええ、こちらこそ、では、失礼します……」


 『プツッ……』


 「んん……あー、仕事だな」


 「ああ、コーヒー飲んだら行くぞ」


 俺は淹れたコーヒーをソファーの前のテーブルと免田の事務机に置く。復帰早々仕事が舞い込むのは幸運か、不幸か――



 「ここが幽霊文学館ね……」


 蚕飼は車を降りとそう呟く。文学館は中央の駅からすぐ近く。歩いて五分もかからない場所に位置し、すぐそばには交番がある。その佇まいはレンガ造りと大理石風の柱のアーチや飾り窓など18世紀アメリカ東海岸の雰囲気を醸し出している。増設されている様子もあり、おそらく文庫書庫と呼ばれていた箇所なのであろう。館の正面には『アーカム』という文字が示された看板に汽船の絵が描かれている。

 その看板を眺めていると、免田がそれを見ながらつぶやく。


 「『アーカム』……アメリカのマサチューセッツ州の都市の名前だな……確か有名なホラー作家の出身地でもあったはずだ。同名の汽船が北海道開拓以前にこのM市の港を訪れたそうだ」


 「よく知っているな」


 「道の駅に記念碑がある。それに、ホラー小説が好きでね。一応文学部出身だし、こんな仕事をしているからな……」


 皮肉っぽく笑うと免田は建物の入り口へ向かう。蚕飼も続く。

入り口のすぐそばにカウンターと階段へ続く廊下、そして吹き抜けの展示スペースへの入り口が見えた。カウンターには館長と思しき男性がいた。


 「免田探偵社の方ですね? 館長の凩です」


 「ああどうも、ご依頼いただきました免田オカルト探偵社の免田四恩です。こちらは助手の日隈と蚕飼です」


 挨拶もそこそこに、問題の文庫へと案内される。吹き抜けの展示スペースの東側、増築されたと思われた箇所に当たる場所に繋がる壁に重々しい扉が付けられていた。

公開中の今は開け放たれているが、閉館時には閉められ、施錠されるという。鉄板製のしっかりとした扉だ。そう易々と抜かれることは考えられない。

 文庫もコンクリートの壁に囲まれたしっかりとした、窓のない書庫であった。恐らく本の保存の為にここまでしっかりとした造りなのだろう。蛍光灯の灯りに照らされる本棚の本は『サーストン文庫』と題される箇所が特に特徴的な本が並んでいる。


 「サーストン文庫……?」

 

 「ええ、おじいさまがアメリカ人で膨大な蔵書を引き継がれた方が我々に寄贈してくださった本です。おじいさまとその方の姓をとって『サーストン文庫』としております。……妙な本が多く、出版されていないものもあるのですが、その、芸術性と言いますが、美術品としても価値が感じられたため、そのまま公開しております」


 免田はその話を聞きながら、手帳のようなものを手に取って読んでいる。

 俺もスケッチブックのような本を取り開く。


 「うおっ……」


 思わずぎょっとしてしまった。そこには写実的……というよりも解剖図のような正確さで描かれた魚のような……人間のような生物のスケッチが大きく描かれていた。他のページには先程の生物が若干人間よりの形になっている様子が描かれている……。ページを進むごとにどんどん人間に……いや、人間から魚になる様子が逆に描かれている……?

 俺は妙な寒気を覚えた。

 こんなに心を揺さぶる作品は確かに芸術性が高いのかもしれない。


 「……興味深いな……。これは……」


 免田は食いつくようにその手記を読んでいる。横から見るその本はアルファベットや日本語ではない、かといってアラビックでもない妙な文字? が羅列され、奇妙な図式と挿絵が描かれており、俺にはよくわからなかった。


 「……閉館までこれを読んでも? 閉館後もここで『幽霊』を待つつもりですので」


 俺たちは閉館するまで文学館内で過ごした。一応飲食スペースはあり、腹ごしらえは問題なかったが免田はそんなことを気にすることなく熱心に『サーストン文庫』の本を読みふけっていた。

 その姿はある種の狂気にさえ思えた。だいたい、あいつはそんな熱心な読書家であったわけではない、古い小説をよく読んではいたが、蔵書が多いというわけではないし、本の話をしている様子もなかった。では一体何がアイツを駆り立てるのか。

それに……蚕飼の様子も少々おかしい……。病院の時もそうだったが、怪異に対しての話をするとき、あいつの目は妙にぎらついているというか……。怒りのようなものが瞳の中に燃えているのを感じる。

 昼は暇そうにバットを抱えて座っていたが……。閉館後、夜になるとアイツはきょろきょろと周囲を見回し、神経質な瞳で少しの物音にも敏感に反応するような素振りを見せた。俺も共に見回りをしていたが、あそこまで集中することは難しい。閉館後も免田の方はずっと本を読んでいた。アイツが鍵を預かっているというのに……まあ、文庫の中で待機して待ち構えているというのは合理的な判断なのかもしれないが。


 深夜0時。流石に眠気も感じる。交代制にしたいところだと思い、俺は蚕飼の方を向く。するとあいつは天井の隅をジッと、見ている。それは怒りに満ちた憎悪の目。

まさか――

 俺はそちらに目を遣る。

 そこには壁を通り抜けて現れる、青白く発光する……人間の姿があった。半透明で顔は定かではない。何かローブのような衣をまとっている様子だ。そして、空中にふわふわと浮遊している。

 幽霊。

 真っ先に思い浮かぶ名称はそれ以外になかった。


 「おやおや、今日は多いな」


 はっきりと声が聞こえた。

 その幽霊はこちらに、空を滑るように近づいてくる。俺たちが立っているのは一階の展示スペース。

 そこへ向かってくる幽霊に対して蚕飼は飛び掛かり、バットを振るう。振りの軌道はしっかりと幽霊を捉えている。

 だが、バットの振りをひょいと躱し、幽霊はくるりと空中を回転しつつ、何かを口元で呟いた。


 「うううっ!?」


 突如、蚕飼は空中でぴたりと静止する。そしてバットを落として、苦しむような表情を浮かべ、うめき声をあげる。


 「ううっ……! 何かに……『掴まれている』! ……『吸い取られる』!」


 幽霊は俺のすぐそばを嘲るように、凄いスピードで通過し文庫書庫の扉をするりと透過して入ってゆく。

 免田は大丈夫か?

 俺は扉を開く。

 途端、扉からさっきの幽霊の頭が出てくる。顔ははっきりわからないが、笑っている。

 幽霊は俺を通り抜け、二階の空中にふわりと向かう。


 「待てっ!」

 

 開かれた扉から免田が飛び出し、灰の袋を投げる、幽霊はひょいと回避する。


 「はははは! まさかお仲間が先にいるとは!」


 なおも免田は小袋を投げる、俺はそれに合わせて別方向から同時に、小袋を投げつける。


 『ボフッシュウウウウウッ!』


 「あはははははははははっ! いいね、いいね、抵抗力もある! 素晴らしい! いい供物だ! 我らが神にふさわしい供物だ!」


 煙を出しながら奴はそう叫び免田に向かって飛び掛かる。


 「君もまた神の聖名を知った者。一緒に行こうじゃないか……夢の世界へ……!」


 免田は幽霊を殴りつける。


 『ドガッ!』


 同時に、蚕飼は地面に落ちた。


 『どすっ……』


 殴りつけられた幽霊は大笑いしながら壁を抜け外へと去ってゆく。


 「待てこらぁアアアアアアアアアアアっ!」


 叫びながら蚕飼は外へ飛び出し、幽霊を走って追いかける。


 「免田、大丈夫か」


 「ああ、それより蚕飼を追うぞ」


 俺たちは飛び出した蚕飼を追って外へと出る。

 外は既に霧で充満している。叫び声を頼りに俺たちは蚕飼を追う、計測山方面へと向かっている……。


 「この野郎! 待て! この野郎!」


 遠くから蚕飼の声が響く、どこまで走っていくつもりだ!?

 流石に俺は息を切らす。免田が止まる。


 「日隈……マズい」


 「? ……何が……」


 『ピチャッ……ピチャッ……』


 水音……?

 流石に港湾近くとは言え既に海からは少々離れている場所。雨が降ったわけでもない、だというのに……。

 前を向くと霧の中にうごめく人影が一人……。いや、あれは人影ではない……。

 その霧の中から現れたのは、昼に文庫で見たスケッチと瓜二つ……半魚人のような生物だった。

 それはてかてかと鱗が濡れ、フジツボや海藻が所々に付着しており、いかにもさっき海から這い出たものだという姿をしている。その手には銛が握られ、鰓のある顔の中でぎょろりと輝く目玉がこちらを捉えると、その銛をこちらに向け、不明な叫びと共にこちらに走ってくる。


 「なっ……なんだコイツっ!」


 俺は咄嗟に灰袋を投げつける。


 『バフッ……』


 効かない! 怪異じゃないってのか?

 

 『バコォン! ……バタッ……』


 半魚人が倒れ伏す。

 後ろから蚕飼が息を切らしながら現れる。


 「に、逃げるぞ……こいつ等、多すぎる……」


 そう言って蚕飼は駆け出す。その後ろの霧には何人ものさっきのような影が揺らめき、こちらに近づいているのが分かる。

 十人以上だ!

 その手には銛や刃物のようなものが見える。流石に人間大の生き物十数匹に襲われて、大丈夫な俺たちではない。

 こいつらは足のひれのせいで足が遅いようで、逃げている内は、べたべたという気持ちの悪い足音だけが周辺に響き、その姿を霧の中から表すことはなかった。

 だが、その足音は文学館に戻るまでにどんどん増えて行く。


 『べたっべたっべたっべたっ……』


 「数が増えてるぞ、文学館に戻ってもヤバイ!」


 「交番はどうなってる?」


 文学館隣の交番が見えてくる。そこは明かりが照らされている……そして、その明かりの中に何人もの半魚人の姿が見える。


 「ダメだッ! 車で逃げる!」


 俺たちは駐車場へと一直線に向かう。駅の駐車場を使っており、半魚人の大群からは距離的に少し余裕がある。

 俺たちは速やかに車へ乗車し、俺はエンジンを掛け、車を走らせる。

 駐車場を出る折り、半魚人たちがこちらへ向かっているのが見える。高架道路へ上がる道は開けているが、街へ行く道は半魚人たちに塞がれている……。

 俺は迷わず逃げる道……高架道路への道へ乗る。

 後ろの座席に座る蚕飼が口を開く。


 「……あの幽霊……計測山方面へ向かった。同じ方向から半魚人も来ていた、大群はそっちからだ……」


 「見た目からして水生生物だが……交番に居たのはあの近くの海から這い出たもんだろうが……計測山か……清水山高校が近いよな……」


 不安な面持ちで助手席の免田がそう答える。確か妹が清水山高校に通っているのだったか……。

 蚕飼ががっくりとしながらつぶやく。


 「……あの半魚人共は一体何なんだよ……クソッ……」


 免田は顎に手を当て、何か思い当たる節がある様な様子を免田は見せる。

俺は訊く。


 「どうした、心当たりでもあるのか……?」


 「……ああ、文学館の文庫の本……そこにあれのスケッチと似た様な生体の生物に関する手記なんかがあった……だが、まさか……」


 蚕飼が食い入るように近づいて聞いてくる。


 「なんだ、弱点でもあるのか?」


 「いや……まだ詳しくは調べ終えていないが……もしかすると……この街全体が危ないかもしれない……」


 俺はハンドルをきりつつ話に入る。


 「どの道、明日も文学館に行く必要はあるな。……あの化け物がいなくなってればの話だが……」


 「……恐らく、今日は大丈夫だ。明日以降はおれにも分からんが……」


 免田はそう言って、そのままの姿勢で考え込んでいる。

 蚕飼は座り直し、外の景色を眺める。

 免田は……どこまで、何を知っているんだ?

 あの幽霊が言っていたこと……『君もまた神の聖名を知った者。一緒に行こうじゃないか……夢の世界へ……!』

 その不穏な意味と雰囲気、そしてまるで、あの幽霊が、免田を同族かのように扱う言説……。

 だが、俺は……。免田を不審に思う気にはならない……。

 ――きっと何か、何かがあるのだろう。

 そう思いつつ、とりあえず俺は車を事務所の方に走らせた。

 恐らく免田は資料を整理したいと思っているのだろう。……どんな結果が出るとも、明日にならねば分からないのだから、俺はとにかく目の前のことをこなす。

 ふふっ……これも免田に教わったようなものだ。

 高架道路から見える工場夜景は美しくきらめいていた。

 まるでこの街に化け物などいないとその科学と工業の技術を誇示するかのように。


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