トンネルの残響 中編

 

『ゴオオオオオオオオオオン……』


「……『海神トンネル』……そういやそんな名前だっけな」


おれはトンネル入り口に印字された名前の表示を見て呟く。何だってこんな山奥にこんな物々しい名前を付けたのか……まあ、確かに海が目立つ街で、海の景色もよく見える場所に通じるトンネルだが。



「う、海の神様って、不穏なのがおおいよね……」


加藤さんがおれの呟きに返してくれる。

「まあ、太平洋とかの安定した海以外は荒れてばかりだからな……北海周辺なんか海はとんでもない扱いじゃなかったっけ?」


「……うーんどうだったか、川とかはライン川の三女神でヤバいイメージはあるけどな」


良治が答えながらトンネルに足を踏み入れる。


『ゴオオオオオオオオオオン』


入る前からうるさいが、一歩入ると更にうるさい。良治も顔をしかめた……いや、それにしては妙に……。


「だ、大丈夫……? 顔色が……」


加藤さんも気づいたのか良治に訊く。


「う……うん、大丈夫ではある……。多分……。うーん……肩が重いな」


「大丈夫ですか? 先輩」


八坂さんや免田さんも駆けよってくる。それに伴っておれは後ろを見たのだが……トンネルの入り口は真っ白な霧で覆われ、外が全く見えなくなっていた。


「外……」


俺の呟きに皆がそれを見る。怪訝な顔を浮かべる。

そして気付く。

――うるさいトンネル内に……車が一台も走っていないことに。


『ゴオオオオオオオオオオン』


「これ、どうなって……」


『ゴン』


「痛っ」


八坂さんが『霧にぶつかった』。

何がどうなっている?

おれは直ぐに駆けよる、彼女は別に怪我はしていなかった、それよりも驚きの方が大きかったようで少々放心しているように見える。

おれは試しにその霧を手でノックしてみる。


『コンコン……』


「なんだ、これ」


硬い。

硬い壁がある。

霧は通常通りの霧……だが、その見えない一寸の先にガラスのような壁がある。


「も、もどれないってこと……?」


加藤さんがそう言う。


『ゴオオオオオオオオオオン』


 ……全員が顔を見合わせる。その面持ちは不安よりも期待。


「怪異だ。おそらく浩二もここに居るはずだ」


おれは根拠のない事を全員に確信を以て伝えた。皆、頷く。


「よかった、実は私、兄貴のところからちょっと妙な道具をくすねてきたんだ」


免田さんはそう言って鞄の中から何か砂のようなものが入った小袋を幾つか取り出し、配った。灰……?


「兄貴、この街でオカルト探偵なんて名乗って上島町の、あのアパレルの隣のさ、事務所ビルに事務所なんて構えてんの。ちょっと胡散臭いけど、この街でオカルトなんて専門にしてるってことは多少はこういう手合いに効くんじゃないかなって」


 「確かにな……お兄さんの入院ってのも十中八九怪異関係じゃない?」

 

 「多分ね、本人は隠しているって言うか、巻き込みたくないみたいだけど……」


 「ふーん……」


 思わず羨ましいとおれはいいそうになった。危ない。加藤さんも口を押えている。多分おれと同じミスをやりかけたのだろう。良治は少し気分もよくなったのか、呆れた顔でおれたちを見ていた。


『ゴオオオオオオオオオオン』


 「帰れ」


呟く声がした。良く知った声。こんなにうるさい中で、でもわかる、おれはその声に尋ねる。


 「?……浩二!?」


 「帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ!!」


 突如、トンネル内にぐわんぐわんと浩二の声が響き渡る。おれたちは驚きつつも身構える。

 おれは叫ぶ。


 「浩二! どこだ! 助けに来た!」


 「もう遅い! はやく帰れ! 早く!」


 トンネルの反響で若干聞き取り辛いが、言っていることは分かる。だが……。


 「怪異に襲われてるお前をほっぽって逃げれるか! 何の怪異だ! 何にやられた!」


 「だめだ、これ以上ここに留まったらだめだ! 早く出口に逃げろ! じゃないと……!」


 「じゃないと何だ、何があるっていうんだ!」


 「皆、僕に殺される」


 「何?」


 突然、浩二の声が隣から聞こえた。おれは咄嗟に振り返ろうとした。


 「布施田とまれ! 振り向くな!」


 良治が全力でそう叫んだ。叫びはトンネル内に大きく反響する。

 

 「そうだ、百舌鳥坂先輩の言う通り止まって……部長だけでなく皆も、こちらを見ないで」


 浩二の声が後ろから聞こえる。……全員その声に従って前を見ている。前……出口の方を見ている。


 「幸田君? なにがあったの……?」


 八坂さんが振り向かずに訊く。


 「……今は駄目だ、とにかくみんな出口に行くんだ。振り返らずに」


 しっかりと一言一言重く響かせるように浩二はそう言った。トンネルの残響に掻き消えないようにはっきりと。


 「……おれたちはお前を助けに来たんだ」


  おれの言葉に免田さんが続ける。


 「そうだよ、幸田。わたしたちは全員でこの時間までずっとアンタを探してたんだよ!」


 「もう、探さないでくれ。手遅れだ。この時間帯に出歩いては……ウグッ……」

 「どうした、浩二?」


 嗚咽? 何があったのか。


 「……もう大丈夫です、こっちを向いてもいいですよ」


 浩二の声だ。だが、これは……。


 「ダメだ! 皆、前を向け!」


 良治が叫ぶ。トンネル内の音の響きの中にぴしゃりと声が響き渡る。


 「百舌鳥坂先輩、もう大丈夫なんです。一過性の怪異です、一定時間ごとに――」


 浩二の声だ、だが、落ち着いている。――怪異の特性なのか? 良治はその声を遮るように叫び、トンネル内に響かせる。


 「黙れっ! 皆、騙されるな! 取敢えずみんな出るんだ、このまま、まっすぐ出る! 浩二は……出る前に俺が何とかする、とにかく出るぞ!」


 良治が歩き出す。

 この場に浩二を置いてはいけない、だがそれは良治とて同じ。とにかく出口の近くに行かなくては、全員が怪異に取り込まれるかもしれない……。あるいはもう取り込まれているのかもしれない。

 おれは良治と共に歩きだす。八坂さん、免田さん、加藤さんも歩き出す。

前にいる加藤さんは少し震えて自身の手を強く掴んでいる。

 ――? 珍しいな、加藤さんが恐怖している……?

 いつもならおれと同じく怪異事件に対して興味を抱く反応はすれど恐怖することはないが……流石に既知の友人が巻き込まれたとあっては恐怖も感じるものか。……かくいうおれは微塵の恐怖もないのだが……。

 それよりも良治の顔色が悪い。


 「あ、おい……」


 丁度良治はおれの隣にいたが、急にスッと立ち止まり、おれの後ろになってしまって、様子が分からなくなった。


 『ゴオオオオオオオオオオン』


 「皆止まろう」


 良治がそう言う。はっきり聞こえた。だが、良治の姿はここから見えない。

 おれは止まる。前にいる加藤さんも止まる。ほかも止まったのだろうか……。足音はしない。


 「どうした良治」


 「……流石に浩二をこのままおいていくわけにはいかない、少し浩二に話を聞こう」


 おれは少し、違和感を覚えた。何だろうこの感じ。

 何故、こんなトンネルの真ん中あたりまできてそれを急に言いだした?

こんな中途半端なところまで歩かせて急に方針転換? 

 ……いや、だが良治もさっきから顔色が悪い、熱か何かで判断力が低下しているのかもしれない。

 もしくは、このまま判断を出口近くまで留保し続けるのが悪いと思ったのかもしれない。

 確かにまだこの怪異の攻撃性がどんなものなのかとかも知らないわけだ……。長くいる浩二に効くのは適切……そうも思えてくる。

 浩二の返答が聞こえてくる。


 「……この怪異は僕の見立てでは攻撃性は低いと思います。事実、僕がかなりの時間こうして無事だったので。特性さえわかれば大丈夫です。今も振り向いたりすることはできますよ」


 おかしい。

 浩二じゃない? さっきまでの言行とは違う。気迫も違う。さっきまでの浩二はもっと――もっと、必死で、探さないでくれとまで言っていた。

 八坂さんが声を出す。


 「……違う、浩二君じゃない!」


 恐らくおれたち全員が納得した。


 「浩二はどこだ、怪異!」


 良治がそう声をトンネル内に響かせる。

 おれはまた、違和感を覚えた。さっきと言い良治の声に何か違和感がある。何だ……? 良治の体調不良のせいか、声が違って聞こえるのだろうか。


 『ゴオオオオオオオオオオン』


 暫らく誰の声も響かなかった。浩二は黙っている……それとも、消えた?


 「……消えた……?」


 良治がそう言う。……良治の声に違和感がある。


 「布施田君、百舌鳥坂君、こっちを向いて! 」


 八坂さんがそう言う。

 ――八坂さんの声にも違和感がある……? それに、こちらを振り向かせようとして来ている……これは……まさか……。


 「どうしたの、布施田君、こっちを向いて」


 「布施田、こっちを向くんだ、大丈夫だ。俺はもう向いている」


 響きだ。声の響きが違う。まるで録音した音声を張り合わせたように。こいつらの声は……さっきトンネルに響いた声を、再生しているだけだ!


「ッ!」


 おれはトンネルの出口へと駆け出す。前に立つ加藤さんの姿は、おれが近づくにつれ離れて行く……幻覚!?

 おれは幻覚に囚われていたのか?


 「こっちを見ろ」


 「こっちをみろ」


 「コッチヲミロ」


 「コッチヲミロォッ!」


 三人の声が混ざり合った声が背後から追いすがる。その声には精神は無く、実体もなく、意味もない。機械音声の様に繰り返されるだけの声だ。

 このままでは、追いつかれる。


「コッチヲミロ」


近づいている。


「コッチヲミロ!」


着実に。


「コッチヲミロ」


後ろに着いている!


「コッチヲミ……ガッ!」


何かがぶつかる音。


「早く、逃げて、先輩。こっちを見ないで! 叫ばないで!」


浩二……!


『ドンッ!』


「ううっ!」


おれは背中を何者かに強く押され、アスファルトに倒れる。


「布施田」


 良治……。八坂さんに、加藤さんに、免田さん……全員、外に出ていた。

 おれはトンネル外の暗い歩道に倒れていた。良治が肩を貸してくれようと、おれに手を差し伸べている。その顔は、他の面々と同じく、悲痛な様子がうかがえる。

 ……浩二がおれを外に押し出したのだろうか。

 振り返るとトンネルの中は濃霧によって塞がれていた。




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