イレイザーヘッド症候群 後編
『どく……どく……どく……』
その大きな繭のようなものは壁に糸で張り付き、脈打つような動きをしている。真ん中の人一人がようやっと入れる大きさの穴に続々と、表情一つ変えない同じ頭の人間が入ってゆく。
「……とりこんで……いる?」
「ほ、捕食だよ、き、きっと。あの、繭みたいなのから何か孵るんだよ。う、宇宙人かな」
稲穂が口走る。流石に飛躍した考えだが……確かに、繭から連想されるもので思いつくのは蚕が孵る様子くらいだ。そしてあの鳴動、生き物であることを疑うことはできない。であればこいつの妄言じみた飛躍的発想も頷けてしまうものに思えてくる。
「とっ……とにかく、あの繭を、あの繭をぶっ壊せば解決するんじゃねえか?」
布施田は少し周囲を見回し、瓦礫の中から鉄パイプを取り上げた。
「いや、だが……それ以外何も分からんからな……やるしかないのか?」
この異常な状況に布施田の適応は早い。俺の方が混乱して、迷っている。鉄パイプを握り締めて繭に近づく布施田と共に稲穂も径の小さいアルミパイプをもって繭をつつこうとしている。
……動くしかない……俺はもしもの為に懐の札を一枚取り出し、胸ポケットに入れていたお守りのペンダントを首に掛け直す。
――あの喫茶『ダニッチ』のビルのオーナー……怪しげな『陰陽師』を名乗る男が言うには『気休め』らしいこのお守りだが、今まであの男から買ったもので効果のイマイチだったものはない。全て怪異に対して強力な効果を示した。あの男はホンモノの陰陽師、もしくはそれに類する何かだ。
『ぷっ……』
稲穂が繭をパイプでつつくと、繭を構成する糸が簡単に割れ、穴ができる。
『しゅぅううううううううう……』
音と共に煙のようなものが吹き出てくる。
「下がれ!」
稲穂を庇いつつ、布施田は鉄パイプを構えて下がる。俺も構える。
白い煙は繭の前に吹き出て霧散せずに塊として形を作ってゆく、空間から輪郭を浮き出しそれは人の形を定義してゆく。手、脚、頭、胴体、人間……。それは色を持ち、形を持ち、質量を持つ……ように見える。それは後ろで繭に入っていく人間と全く同じ頭、全く同じ体、全く同じ顔……のように見える。
同じ顔……後ろの人間はそれぞれ別の顔をしている、筈だ。だが表情が同じであるせいなのか、同じような頭を見すぎたせいか……同じ顔に見える。そしてそれらの顔の全ての平均値と言おうか、全ての要素が等しい顔、姿、身体の存在がここに現れた。
「ひ、人……?」
稲穂が口にする。
「ええ、人ですよ。私は人です。そしてあなたも人です。そこの二人も人ですね。初めまして」
張り付いた笑顔で『それ』はそう言う。声は妙に聞き取り辛い。良く聞く機械音声とは違う、リアルな声とトーンをしている、だが、それが一層不自然さを際立たせている。……切り貼りだ。音声を切り貼りして繋げているのだ、『これ』は。
「え……えーと。あなたは一体」
布施田はパイプを構えつつもキョトンとした顔で訊く。
「私の名前は山岡浩三、45歳、このM市に在住しています。よろしくお願いします」
『それ』は手を差し伸べ、握手を求める。
「……」
流石にそれに応じるような迂闊さは布施田にはない。
「ははは。失礼ですね。殺します」
『ずるっ……ぱきょっ』
『それ』はその言葉を口にすると体が縦に真っ二つに裂け、右半身は天井に、左半身は床に断面を張り付け、それぞれを回転させながら滑るようにこちらに突進してきた。
「うおおおお!?」
布施田は床の方の左半身をパイプで叩く。
『ブチュウウッ』
柔らかい肉が弾ける音がする。白濁した液体を飛び散らせる。
『ずるるるるる』
天井を統べる右半身。こちらの頭上へと近づきつつある。俺は札を投げつける。
『バチュッ』
『ボシュウウウウッ!』
札が当たる一瞬前、奴の右半身は液体のように分裂し被害をおさえたようだ。だが札に当たった部分は煙となって消えている。
『ブシュウウウウッ』
相変わらず同じ頭の人間が入り込んでいく繭が、煙を吹く。
ずらっと、全く同じ様子の人間が5人出現する。
「殺します」「殺します」「殺します」「殺します」「殺します」
口々にそう言うと、全員の身体が一気に水風船のように膨らみ、破裂!
『パァン!』
身体の破片をこちらに飛ばしてくる!
「危ない!」
俺は布施田と稲穂の前に出る。
「わああああ!」
俺たち三人は白い気味の悪い液体を被ってしまう。幾分か後ろの二人の分は俺に……従え。従え。従え。従え。従え。従え。従え。従え。従え。従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属
「う、うわああああああ!?」
「あああああああ!」
「うおおお!?」
脳に、頭に、何かが入り込む。前のフルスイングジャックの時のようだ。俺たち三人全員が頭を抱えている。情報が従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え混濁して、頭を侵食してきている! 俺の思考が従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え塗りつぶされかけている。俺の腕が!? お、俺の腕が! 従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属
「あがっ……ぐぐっ」
従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属くるしい……右手が勝手に首を……従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え
『カッ』
俺の首に掛けられたペンダントが光る。
『ジュウウウッ』
俺の身体にへばりついた液体の一部が煙になる。従属従属従属従属従属従属従属従属……だが全部ではない。
「あっ……リョウジッ……あ……加藤さん、ガッ……」
「っ……かっ……たっ……」
俺はすかさず懐の札を自らの首を締める二人に投げつけた。従属従属従属従属従属従属従属従属二人の身体の自由が戻る。二人とも俺より被害は軽かった、従え従え従え従え従え従え従え従え
「ウウッ……クソッ気持ち悪ぃ……」
「ううう……」
そう言いつつも布施田はパイプを握り締めて立ち上がる。稲穂も立てそうだ、従属従属従属従属従属従属従属従属、俺の足は動かない。従え従え従え従え従え従え従え従えくそ……俺の足に札を……いや、布施田に賭けるか。従属従属従属従属従属従属従属従属、恐らく俺が一番ひどい。従属従属従属従属従属従属従属従属
『プシューッ』
更に五人の同じ人間が現れ、布施田を襲う。従属従属従属従属従属従属従属従属
「オラァアアッ!」
『ブチャッ!』
布施田は現れたと同時に一体にフルスイングを浴びせ、すかさず同じ頭の人間の列の向こうへ行く。従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え、白い液体となって弾けた一体はウゾウゾと動き元の形に戻ろうとしている、従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え、他の四体は布施田を追って列の向こうへと向かう。従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属
「クソッ、オラァッ!」
『ドパァン!』
従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属もう一体が向こうで吹き飛んだ、流れる脚の隙間で布施田の足と同じ足、そして白い液体が交錯する。従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属、ジリ貧……布施田が繭からジリジリと遠ざかり、吹き飛んだ『あれら』も復活している。
「ウワァアアッ!」
『ドサッ』
『カン、カラララ』
列の向こうから布施田が同じ人間五人に圧し掛かられ倒れ込む。従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属、それと同時にこちらの方にパイプを投げた。何故……俺はもう従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属、歩けない従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属、そうか……! 従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え
朦朧とする中、俺は最後の力を振り絞って鉄パイプと札を繭の方へ投げ込む。従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え
『プシューッ』
「従え」「従属」「従え」「従属」「道はない」
鉄パイプは向こうへ渡った、従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属、同じ人間が俺に圧し掛かる。従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属、だが、鉄パイプは稲穂に渡った、後は従属従属従属従属従属従属従属従属従え従え従え従え従え従え従え従え、あいつを信じるだけだ、従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え、うるせえ! 足掻いてやる! 最期の最期まで、そんな馬鹿みてえな一点張りには足掻く者なんだよ! 従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従え従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属従属
服従
――
『バリリリバリッバリリリリリリ!』
「はぁっ! ……ハァ……ハァ……」
布施田……稲穂……二人とも無事か……。
「よかった……目を覚ましたか……」
「ま、繭は私がパイプで破ったらそのままドロドロに溶けて、他のも全部……」
「助かったってことか……並んでたやつらは?」
「かなり朦朧としていたが皆帰った。酔っ払いと一緒で酩酊してても帰ることはできるみたいだったな。……結構な数駅の方に行ったからどうなっているか……まあ、電車の時間も近いし早く駅に行こう、立てるか?」
「ン……ああ、行ける。早く行こう、警察が来てもおかしくない」
俺たち三人が駅についた頃、パトカーのサイレンが街に響いていた。なんでも今日は事故と事件が立て続けに起こっていたようだ。……最近怪異の事件が増えているのも関係しているのだろうか。
俺も今月立て続けに思考に入り込むタイプの怪異に襲われたせいもあって片頭痛がするようになってきた。
「うう……」
帰りの電車で少し耳鳴りがした。こんな時間に妙に混んでいる電車は立っている人々もいる。俺らと同じく妙に気分が悪そうだ。
「従え」
「!」
「……どうした? 良治?」
「……いや、何でもない」
「つ、疲れているんだよ、きっと」
そうだ、疲れている。そのせいだ、きっと。
終
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