イレイザーヘッド症候群

イレイザーヘッド症候群 前編


 ○:奇異、奇怪、珍妙。これらは同質性を前提とした言葉である。だが、同質性はただの幻想であるともいえる。同質性を引き合いに出す際に利用される要素は意図的もしくは意図せず大雑把で細分化されていない、定義付けの曖昧な概念がほとんどだ。というよりも、この世界における事象において明確な定義付けの決着した概念の方が少数であり、デカルトが嘗て述べた人間真理たる理性についてすら実存主義をはじめとした批判が為されている。この見えている世界すらも信用に値せず。脳の見せる幻想との境界が無いというのに、何が同質と言えようか? 


――


 百舌鳥坂良治もずざか りょうじ:髪型……。

校則というのは学校という組織の一定の秩序のために必要というのはよくわかる。けれどその正当性の担保に対して、ここをはじめとした、学校関係者の思考はゼロに等しい。組織を動かすうえで最も重要なこと、正当性、長期性、信用性、そんなこと、一切知ろうとしていないのか、知っている人も、動けないのか。

 ……とにかく、生徒が一切の正当性を感じられない校則なんて言うのは、多数の暴力によっていとも簡単に塗り替えられる。どんなに権限が強くとも、ずっと気を張っているのなんて無理なんだから。


――


 「その髪型、流行ってるのか?」


 俺は朝登校して早々、クラスの前の席に座る男子に訊く。たしか、コイツは……あまりクラスでも話さない大人しい方の生徒だったが、今の髪形はなんと言うか、こう、目立つというか、奔放というか、パーマを上方に伸ばしているような妙な髪型だ。


 「流行ってるって言うか……うーん。普通の髪形だよ?」


 ふつう……普通? 


 「そう……か……ちなみに床屋はどこ?」


 「ああ、上島町の、スーパーに入ってる床屋だよ」


 確かに床屋は普通だ。……でもその髪型は……。


 「お、百舌鳥坂、おはよう」


 サッカー部のやつらが挨拶する。髪型が……同じだ。


 「……おはよう、お前らもスーパーの床屋かよ」


 「? おれは中央の床屋だぞ?」


 場所が違っても同じ髪型……?


――


 「床屋? おれは西町のおじさんに切ってもらってるけど」


 「俺は港湾町の古い床屋で」


 「僕は知縫別の床屋」


 驚くべきことに、この髪形はこの街の床屋あらゆる場所で流行っているようだ。更に他学年でも流行が観測されている……。知り合いのラインで確認を取るに、市内の別の高校でもこの髪型が一昨日あたりから観測され始め、場所によっては女子や教師にもこの髪型が伝播し始めていた。

 俺は放課後以前の休み時間にここまで情報を調査し、昼休みに職員室へ、保健係のちょっとした用事を請負いつつ調査しようと入る。そこでは丁度、職員会議が行われようとしていた。

 体育教師で生徒指導担当の山口が丁度、席を立とうとしていたころだった。


 「ん、百舌鳥坂か、プリント? ああ、保健の。そこ、置いといてくれ」


 「会議ですかね?」


 「んああ、頭髪の事でな……生徒指導として見過ごせないことが起きてるのはお前の事だから知ってるだろ」


 「ええまあ。耳が早いもので。でも先生方からしたらやっぱりダメなんですかね」


 「俺は……そう思っているんだが、もうあの髪形にしている先生もいる」


 「え、マジすか、それじゃあ校則どうするんですか」


 「そう簡単に変えちゃいかん、だが、変えろというのが他でもない教頭から言われててな、だからこその職員会議だ。ま、決定事項は帰りのHRで分かる。お前らの記事にはこの会議は間に合わんよ」


 「いえいえ、報道としては前後の話も大事なんでね。まあ、この話は誰から聞いたかはオフレコですけどね」


 「そうしてくれ、教頭に聞かれちゃ俺も面倒だ……さあ、さっさとプリントおいて行け、俺も会議室に行かなきゃならん」


――


 HRで、担任の御代出先生がぼそぼそと、この学校の校則が変わりパーマや長髪が一部許されることが決定したことを告げた。生徒は特に驚くことも喜ぶこともせずに黙ってそれを聞いていた。


 「こりゃ相当だな、校外捜査に乗り出さなきゃならねえ」


 「で、でもどこを調査するか決められないんじゃない……?」


 布施田の言葉に稲穂がそう訊く。


 「確かに、俺の調べでも中々……広範囲に話が広がっている。特徴としては床屋ってとこと髪型をしている本人は気にも留めていないことだな。一応、髪型をしていない奴らにも話を聞いて『異常』であると思っているのは分かっているが……でも数が多い以上、その感覚もうせていくかもな」


 「……とりあえず近くの床屋でも調べるべ」


 布施田は立ち上がる。稲穂もそれに続く。図書室には他にも部員がいるが何か調べものをしているようだ。


 「……幸田君と八坂さんに免田さんは何か別の調査でもあるのか?」


 「ああ、なんでも今度の深夜学校調査の事前準備をしたいってんで任せてるんだ。事務処理はおれがやっておいたからもういいんだが」


 「そうか……確か夏休み前最後の大仕事だったな」


 「ああ、何が出るかワクワクだ」


 「へへへ……楽しみだね」


 「お前らなぁ……」


 布施田と稲穂は明らかにこういった事件を楽しんでいる。特に布施田に関しちゃ、何度か死にかけているのにもかかわらず。……迂闊なわけでもない、バカなわけでもない。むしろ俺よりも頭がキレるところが多い。だが……危うい。


――


 「髪型? ウチはこれやって二十年だからねぇ……」


 「いつものだよ? いつもの」


 「特別ヘンってわけでもないでしょう」


 「こんな髪型みんなやってんの? ええ? 流石にちょっと……」


 「こんなのが流行ってんのか?」


 「昔映画で見た奴だね、今の流行り? へえ、何が流行るかわからねえな」


 反応はまちまち、いつもやっている髪型だと答えた床屋に共通点は無し。……M市内のどこでも発生しているのだろうが、歩き回って調べても徒労感が強い。


 「おーい良治、ちょっとフードコートで休んでいこうぜ」


 「え? ああ」


 珍しい、あの布施田が捜査中に休憩……ああそうか、稲穂が歩き回って疲れていることに気を回してか。


 「け、結構回ったけどあんまりつかめないね」


 稲穂がコーヒーを飲んだ後そう言う。


 「ここまで本腰入れて調べても尻尾がつかめないのは久しぶりだな。一二年の頃を思い出すよ」


 僕がそう言うと、布施田が食べ終わったクレープの包みを丸めながら話始める。


 「あーそうだな……確かおれ良治に言われて入ったからあんまし乗り気じゃなかったな」


 このオカルト研究部に先に入っていたのは俺の方だった、クラスで仲の良い布施田が帰宅部で暇だと言っていたので部員不足で存続の危うい部活に入ってもらった……それから一年半後に妙な噂と失踪事件がこの街で巻き起こるようになった。


 「い、いまでは布施田君の方が乗り気だよね」


 「いやー日常に飽き飽きだったもんでね。とはいえ今回の事件はなんか大事件に繋がっているわけじゃなし、次の情報が出るまで別の事件の調査にシフトした方がよさそうだな」


 ゴミ箱を求めて布施田が立ち上がる。稲穂もコーヒーを飲み終わったところだ。


 「そうだな……おっと、結構な時間だ。このまま帰るか」


 俺達はフードコートの入った商業施設から出ると道行くサラリーマン風の、『例の髪形』の男たちが同じ方向へ向かっていくのを目撃する。時間は丁度、会社の定時を少し過ぎたころ。霧も出始めている……。


 「――どうする?」


 布施田は俺達に訊く。


 「例によって俺は大丈夫」


 「わ、私も別に帰っても誰もいないし」


 「OK、追うぞ」


 布施田はニヤリと笑い、サラリーマンたちの後を追った。


――


 上島町の商業施設から同じ頭のサラリーマンを追って、俺達は南下を続けた、大通りを超え、駅を超え、バスターミナル付近を曲がり、映画館を超え……徐々にサラリーマンと思しき同じ頭の人間たちは増加していった。他の道路を見ても同じ様子の様々な服の人間……いや、同じスーツの奴らのが明らかに多い……が同じ方向に歩いている。その様子は妙に整然としていて、虚ろな目をしているような気がした。彼らを追っている俺達の様子を気にも留めていない。


 「おれたち、見えてないのか?」


 「……わからねえ」


 「しゅ、集団催眠……す、すごい事件になってきたね。えへへへ」


 「面白くなってきたな」


 オカルト馬鹿二人が興奮気味にそう言う。だがこの規模は今までにないぞ。本当に大丈夫なのか?


――


 行軍は延々と続く。雄西、妻恋ともう四つほど町をまたいでいる……。俺も流石に脚が疲れてくる距離だ。


 「加藤さん大丈夫? 結構な距離だけど……」


 「じ、実は……結構……辛い」


 「少し休もうか、幸い妻恋駅があるから座って休める」


 霧の中、無人駅ながら屋根と自販機の揃う駅は休憩にはもってこいだ。暗い霧の中、同じ頭の人間が一方向に向かっていく様子がぽつぽつと観測される。それは不気味な光景だった。


 「こんなにいるのか……」


 「この様子だと中央に電車で行った方が速いんじゃないか?」


 「どうだろうか……一か八かで行ってみるか? まあ今日以外にもこの光景が観測される日があるかもしれないから、ダメだったら次……って感じでもいいか」


 「ご、ごめんね、歩きなれてなくて」


 「いやぁ、おれらでも結構きつい距離だ。中央までだったらいよいよ無理だぜ、少なくともおれは」


 「俺も無理だよ、そもそも文化部なんだしウチら」


 幸いなことに行きの電車は五分後にくる。帰りは……バスがないが、電車は二時間後に最後のがある。


――


 中央へ向かう電車は相変わらずがらんとしていた。もう霧も濃くなっている。こんな時間に出歩くここらの住人はもういない。

 駅を出ると、また、あの頭が歩いている姿を発見する。


 「商店街に向かっているな」


 こんな夜にあのシャッターしかない商店街へ向かう……いよいよ良くない気配が察せられる。それに比例して他の馬鹿二人の興奮度のヴォルテージも挙がっていく。……お札のストックはまだある。だがこの数……全員が襲い掛かってきたとしたら? そんなことはないと思いたいが経験上、あり得るとも思える。


 同じ頭の人間は既に列となり、商店街のある一点に向かって並んでいる。俺達は車どおりがない商店街の車道を進む。後ろの方で車のすごいエンジン音が聞こえたが霧でよく見えなかった。

 商店街は歩道にのみ屋根があるタイプで店の多くは昼夜問わずシャッターが下ろされている。生き残っているのは婦人服店とカフェぐらいの物だ。最近では俺が良く行く怪しげなカフェ『ダニッチ』などの新規出店もあるが……やはりカフェ。あの生気のない商店街にここまで人が集まる様子は生れて始めて見た……見れるものとも思っていなかったがこんな形で見るのは何と言うか……妙な納得感がある。


 「あそこだ、『Mシティ・コア』廃ビルだ」

 M市のコア……それが廃ビルになっているというのも納得感がある。人口の凋落、没落。だがそれに反して今は盛況だ。列は異様に整然としているが……。


 「どうする? 入るか?」


 あの同じ頭の人々は俺達には一瞥もくれない。耳に俺達の声が届いてすらいないようだ。


 「入るしか……ないだろ、これ以外の手がかりもない」


 「い、嫌な感じ、あの、二階から、する」


 「加藤さん?」


 稲穂はいつも以上に肩を震わせている。何かを感じ取ったのだろうか。


 「だ、大丈夫、それよりも、は、早く行こう」


 あの上には何があるのか、俺にはあまり何も感じられないが……。

 俺達はガラスもドアもなくなった廃ビルの中入っていく。廃墟の中でも整然とした列は二階へ続く階段に続き、ゆっくりと進んでいっている。俺達はその隣を通っていく、誰も俺達を気にしていない。不気味だ。

 俺達は二階へと至るとそこには妙な光景があった。

 一人一人、同じ頭の人間が大きな白い繭のようなものへと入って行っている。それはどこにも通じていない筈だが、一人、二人、三人とどんどん入ってゆく。

 繭……菌糸? あれは一体……何だ?

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