赤い車

赤い車 前編


 ○:北海道M市のランドマークとして名高い『大橋』は1998年に完成した東日本最大の吊り橋である。

 全長1380メートルの雄大な白い姿は衛星写真からはっきりと確認できるほどに巨大であり、今のこのM市の現状からは似つかわしくないほどに大規模な施設ともいえる。この橋はその長さから車専用道路となっており、歩行者の通行は不可。中央町側の橋の入り口付近には道の駅がある。この街の観光資源の中枢と代名詞として一役買っている。


――


 御代出海香みよで うみか:一昨年前の春、私は初めてのクラス担任を任されることになった。教員生活はまだ三年、ようやく慣れてきたかなと思った頃、初めは他の人もできていることだし、できる。そう言い聞かせて必死でやっていた。今は、もう。

 いつしかこの暗い時間帯にまで仕事を続けるようになっていた。心身の不調。ここで働く唯一の救いは、今はもう誰もいないながらも実家から通勤できることくらい。


 両親は私が大学を卒業するころに二人とも亡くなった。父は予てからの病状の悪化、お医者さんの話だと遺伝病で、私にはその形質が発現していないけれど、私が子供を産む際には発現する可能性があるという。母は、事故だった。父を見舞う際に車の追突事故で。父はその日に亡くなったそうだ。私は教員採用試験が丁度終わった後、その知らせを耳にした。


 ――どうしてこんなことを思い出しているのだろう。……疲れているから。答えは単純だ。


 クラス内の不和、不登校、行事に関する仕事、部活動顧問としての仕事……周りの人の目が少し痛い。『オカルト研究部』という妙な部活動がそもそも認められているのもどうかとは思うけれど、仕事が少ないのはありがたい。部員の生徒は率先して事務処理を行っていて……。ああ、私仕事ができないのかな……。


 疲れからかナイーブな考えに揺れる。とにかく、車を出す。この清水山高校は住宅街が周りにあると言っても少し山の上にある。交通の便もかなり悪い。ましてや、私の実家は対岸の山中、探鳥台にある。大橋を渡ってすぐだが当然、車は必須。というかこの片田舎では車が無くては不便な場所ばかりだ。


――

 

 減市へりいちから久々津くくつ町へ車を走らせる。蛍光灯、LED、蛍光灯。霧の中で街灯の灯だけが見える。近づくと濃霧の中からぬるりと街灯が顔をのぞかせて行く。この時期のこの街の霧は、特に夜は妙な胸騒ぎを感じて嫌いだ。

 住宅街を真っ直ぐ抜けて、港湾を曲がる。夜ともなれば人通りは完全になくなる。まして最近の不審な話を聞けば夜散歩に行こうと思う人なんていない。私はそのうえ、濃霧の夜のじっとりとした嫌な雰囲気が憂鬱な気分を煽って……ため息が出る。

 道の駅を横目に進み、端の入り口のらせん状の道路へ入る。こういう道路は他にあまり見た事がない。視界は狭く、いつ登り切るのか、少しドキドキする。車の免許を取りたての頃は本当にここが嫌いだった。今でも少し苦手だ。

 視界が開ける。一キロ近い真っ直ぐな道は白い霧に塞がれて壁があるみたいにも見えた。淡い電灯の灯が霧の中で揺れている。

 いつもなら夜景や海が端に見えて、少し気分が良いんだけどな。今日の濃霧じゃ、それは期待できない。


 ?


 ふと、ミラーを見ると私の車の真後ろに、かなり近い距離でぴったりと着いてくる一台の赤い車がいることに気づいた。さっきは……いなかったと思うけれど。いやな距離、つかず離れずといった、文句を付けたくなる車間距離。もう少し離れてほしい。

 ほかに後ろにもまえにも車はなく、私の車とその後ろの車だけ。車種は……? 見た事のない車だ。ナンバーは、M市4444。気持ちのいい数字ではない。今の状況だと特に。変なのが居て、ただでさえ疲れ気味のこの木曜日にこんな……。

 私はため息をついた。今日何度目だろう。


――

 

 私は大橋を渡り切り、探鳥台への道へ入る。後ろの車がそれに続く。それ以外の車は一切ない。まあ、夜に車を走らせる人、最近少ないけど……。こんなに車を見ないことは珍しい。なんだか、何だか妙な胸騒ぎを感じる。後ろの車のせいなのか、疲労のせいなのか。何だって私がこんな気分にならなきゃいけないのだろう。

 道は少し湾曲し、かなり長い。その間完全に一定の車間距離を保って、後ろの車は私についてきていた。

 ……何だか本当に気持ちが悪いというか、イライラしてきた。ずっと同じ距離で追ってくる。いや、こっちの道に入れば同じ方向に行くしかないけど、でも同じ距離をぴったりと保つのはちょっと気持ちが悪い。……どんな顔してるのかな。ちょっとした好奇心で除く。前方はずっと歩道もない森の道。鹿が出ると困るけれど、少しだけ、後方確認は大事だし、ストーカーとかだったら見ておくのは大事。


 「え……?」


 居ない。


 運転席に人が居ない。


 「……嘘……」


 何度も見る。見間違いじゃない。


 私が、私が疲れすぎて幻覚が見えている? 気分の問題? いや、でも、確実に人は乗っていない。車種も分からない。赤い車。

 よく見ると気味の悪い赤色。鈍いというか。なんと言うかな……。血が固まったような……だめだ、印象が引っ張られている。

 とにかく次曲がれば探鳥台。住宅街なら車や歩行者の一人や二人いるはずでしょ。こんな気味の悪い車に引っ付かれるのはもう嫌だ。

 探鳥台へ後ろの車も入る。やっぱりストーカー? あのまま道のりに行ってもしばらく何もない……判断に困る。

 住宅街もひっそりと鎮まっていて誰一人歩いていない。霧も相まって私は孤立した状態だという事をひしひしと感じる。後ろの車、やっぱり誰も乗っていない。


 「一体何なの……」


 涙声に気づく。明日も早いんだけどな。いっそ事故ってしまった方が良いのかな、もう。いや、流石に弱気になりすぎている。直接被害を受けたわけではないのだから、大丈夫。


 私は家の通りに入る道を曲がらずに一本先の通りに入る。ストーカーならまだ近づいて来るだろうか? このまま警察まで走ってやろうか? 


 けれど、後ろに居た赤い車は私が入った通りには入らずにそのまま、まっすぐどこかへ走り去って行ってしまった。



 ……考えすぎだった? 

 少し呆然としながらも、私は家に帰る。もう夜ご飯を食べる気力もわかない。近くのコンビニに寄るのも忘れたし、私はそのまま眠った。相変わらず一二時間おきに目が覚める睡眠だった。


――


 翌日。いつものように早朝に出勤、授業準備、事務作業、HRのお知らせなどの教頭からの通達、朝の職員のちょっとした会議、教室でのHRへ、そこからは授業、授業、空きコマに事務作業とテスト製作、授業、昼食、休憩、テスト製作、授業。

金曜は激務。そろそろ死ぬんじゃないかな。私。


 HRを終えて、図書室に向かう。部活動の任せている書類を回収しに入る。丁度、部長の布施田仁良(ふせだ ひとし)君と副部長の加藤稲穂(かとう いなほ)さんが記事を書いているところだった。他の部員の生徒も記事を書いたりしている。


 「ああ、先生、書類ですよね、こちらです」


 「ああ、ありがとう。記事の調子はどう?」


 「ええ、順調ですよ。今日はウチで一番の記事名人の加藤さんが来てますから。先々週のぽしゃった記事の遅れを簡単に取り返してくれてます」


 「え、えへへ。慣れてるだけだよ」


 加藤さんは私のクラスの生徒で、学校を休みがち……正直もっと私が対応しなければならないのだけれど、その役もこの部活に押し付けている。そんな気になってしまう。


 「そう、記事が好評で他の先生方も見ているって聞いたから。今月はどんな記事?」


 「て、定番な学校の怪談と、学校で起きた集団催眠事件、それから、上島町のガス爆発の話と……あと……」


 「『赤い車』だね。まあ、これは都市伝説のタグで調査はあんまりしてないんですが」


 「えっ赤い車?」


 身に覚えがある話に私は驚く。


 「? ええ、『赤い車』って話ですよ。夜の霧の中から突然現れて、人を轢いたり、付け回すっていう無人車両の事です。でも目撃証言が街全域にあって、調査のしようがないんです、なので都市伝説として噂話をまとめようって加藤さんが言ってくれて」


 「ナンバーは4444、安直ですよね。へへへ……。でも、わ、私たちが調べただけでも、10件は同じような話がで、出てるんです。これはちょっとした噂じゃないですよね。へへへ……」


 加藤さんはニヤニヤと笑っている。布施田君も本人は気づいていないようだが噂について話している様子は少し興奮気味だった。この二人はある意味似た者同士なのかもしれない。


 「へ、へぇ……。そう……」


 今の私は話と全く同じ事象を昨日体験したことに取り乱している。怪異、あれが怪異。


 「その噂を証言している人って……無事だったんだよね?」


 「いやぁ、それが轢かれた人もいますし、追突された人がほとんどですね。一回目の邂逅では大丈夫なんですが、二回目以降は殺す気で追突してきたり、轢いてきたりするみたいです。助かったっていってもみんな大体怪我はしてますね。」

血の気が引いてぞっとする。まさか……私は今日、追突される? 


 「回避方法は、無い、ですよ……。聞いた限りだと、車に乗ってた方がま、マシな目に遭いそうですけどね……へへへ……」


 加藤さんは楽しそうにそう言う。その様子が今の私には当てつけのように感じられてしまった。

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