タナカ マサル 25歳 M銀行勤務 預金係 後編


 田中マサルは帰路につくと、順調に『あの通り』へ車を進めていった。

 俺はバイクで突かず離れず、悟られぬように尾行をすすめた。だが、もう悟られているのかもしれない。奴は明らかに『怪異』なのだから。

 ――人間でない人間のようなもの、そんなものに出会うことは想像上以外では俺らが初めてかもしれないな。いや、奴に襲われた人間や、『怪異』に襲われる人間は皆、人間でない人間のようなものに遭っている。そんな話が多発するのはここM市ぐらいのものだが。


 駐車場に停車……。運転席に奴の姿はない。……妙な気配も消えた。俺はバイクを駐車場に停める。

 免田はビルに張っている。あの中に現れているのなら……もう始まっている筈だが。音はなく、気配もない。


 ――気づかれた? 車を置いて逃げた? いや、それならばそれでいい。ここに現れる怪異の駆除が依頼。ここに霧の夜に張っていれば……。いやいや、今は、想定はいい。とにかくビルに入る。


 ビル内でも気配は……ない。


 「免田」


 免田が張っている物陰に近づく。


 「奴は?」


 「消えた。気配もない、こっちにも来てないのか」


 「俺にはわからなかった……明らかに俺らをマークして……いや、ちょっとまて、外かもしれん。確認してない」


 免田は駆け出す。罠……とはいえこちらもやる気で準備は万端、行くしかないか。


 「あっ!」


 外の通りを見た免田は叫ぶ。

 外には、大学生? 男が歩いている。その後ろに突然、ピエロが!


 「後ろ……」


 『ヒュッ』


 免田が叫ぶ前に彼は後ろから振り下ろされるナイフの手を掴み、背負い投げを繰り出す。見えている? どういう、いや、とにかく奴の不覚を取っている!


 「なんだ、テメェ!」


 若い男はピエロの顔面を躊躇なく殴る。殴る。殴る。俺達でさえも引くほどに躊躇も慈悲もなく。


 『バキッバキッ』


 「テメェも怪異だな! オラッ! おれを怖がれ!」


 だがピエロは持っていたナイフを反対の手に出現させ彼の首を狙う。免田は間に合わない。俺も――


 『ヒュッヒュッヒュッ』


 「危ねっ」


 三連撃全て掠めつつも避ける。

 明らかに慣れている。場馴れした免田でもできない芸当だ。

 ――だがピエロはおどけた顔を見せつつ消える。

 気配は生きている! 俺にはわかる。


 「そっちいったぞ!」


 学生らしき彼も叫ぶ、彼にもわかるのか?

 俺は見えない免田に代わり水鉄砲を放つ。


 『ジューッ』


 ピエロが表れる。ダメージは弱いが効果はある。


 「くらえ!」


 免田が表れたピエロ目掛けて灰の入った袋を投げつける。

 ピエロ野郎は咄嗟に袋を避ける、飛散した灰の一部が奴の肌や服に触れると、水鉄砲の比ではない火傷を示した。

 これは確実に奴を殺せる!


 『ニッ』


 奴は笑った。出来損ないの作り笑いだ。

 だが、奴の片手には拳銃がいつの間にか顕れている。その銃口は免田を向いている。


 マズい!


 『ドガッ』


 『パァン!』


 学生らしき彼が銃弾の放たれる少し前に免田にタックルして銃弾を避けさせた。彼は一体何なんだ?


 『パァン! パァン! パァン!』


 彼はその後の容赦ない銃撃も弾の軌道を知っているかのように事前に避けていく。

そしてピエロ野郎にゆっくりと近づき、タックルを掛ける。


 『ドガッ!』


 ピエロは後方に吹っ飛び、地面に叩き付けられる。


 「これを使え! そいつにはこれしか効かねえ!」


 免田は彼に布を投げ渡す。彼は放られたそれを見ずに掴み取り、握りしめたままピエロを殴りつける。


 『バジュッ! ブシュッ! バジュッ! バチュッ!』


 重い一撃が何度も奴の顔に振り下ろされる。それは奴の抵抗を事前に知っているかのように、奴の筋肉や動きを静止しつつダメージを与えていく。


 「おれを恐れろ! この、クソッタレが!」


 怪異に対する異常なほどの怒り、さっきまで歩いていた時とは血相の変わった様子の彼に、免田は駆け寄り、ピエロ野郎への追撃を開始する。


 「灰は効くみたいだな! くらえ!」


 奴の頭に免田は袋に入った灰を掛ける。


 『ブシュウウウウウウウウウ!』


 強酸をかけられたようにピエロの頭は煙を上げつつ融けて消える。奴の中にはピンクの発泡スチロールのようなものが見える。明らかに肉ではない。

 頭のなくなった奴はぴたりと動きを止めた。


 「やったか……?」


 俺は自分の分の灰の袋を懐から取り出して、倒れている奴に近づく。学生らしき彼は胴体部分を殴り続け、溶かしていく。

 そうだ、緩めてはいけない。免田も最後の灰の袋を取り出している。


 『ブシュウウウウ』


 学生らしき彼の胴体への攻撃により胴体のほとんどが溶ける。後は俺が四肢にこの灰を掛ければ……。

 

 『ヒュッ!』


 突如、胴体から分裂した両腕がその手にナイフを顕し、俺と免田に飛び掛かる!


 「諦めろ」


 ガシッと両手それぞれで、学制らしき彼は飛び掛かる腕を掴み取る。だが、何かに気づいたようにそれを投げ捨てて、立ち上がる。


 『プウーッ』


 腕が膨らむ、いや、奴のバラバラになった体全てが膨らんでいる!

 逃げ

 

 『バァアアアアン!』




 ――痛い

 ――クソッ、体中が……。


 「日隈のオッサン、大丈夫か?」


 免田……。は、無事……じゃねえな、火傷が……痛っ……俺も脚を火傷している。


 「救急車はアイツ……蚕飼白こかい はくって名前の大学生が呼んでくれてる。アイツだけほとんど怪我してないんだよ……」


 周囲を見回す。蚕飼という名の彼が電話をしているよこに、ピエロ野郎が居た位置がある。……黒い痕が残っている。爆発があったのか……。脚が痛い。深い火傷ではないが……。


 「……どう思う?」


 免田は電話をしている蚕飼を見ながらそう言う。


 「どう思うって……どういう意味だ?」


 「使えるだろ? おれよりも頼りになるぜ? アイツ」


 勧誘か、まだ人を雇う余裕が……いや、この仕事だけでも結構な額を取っているようだから余裕はあるのだろう。


 「財布が許すなら、雇った方が良いんじゃないか? 俺は事務作業に専念したいよ、こんな目に遭うくらいならな」


 「そうはいかねえさ、調査は人手が居るし、アイツが居ても数で押されちゃオシマイだ。だがまあ、今回みたいな怪我は無くて済むかな……痛ぇ……」


――


 全治二週間のやけどは報酬には見合わないような気がするが、俺達の探偵社にとっては大きな収穫が幾つかあった。


 一つは警察の伝手である八坂さんの協力が得られるようになったこと。報酬額には相当厭な顔をしていたが、俺達の怪我と顛末を聞いて傷病手当だと言って少し上乗せしてくれた。税金の計算が面倒だが、まあもらえるに越したことはない。


 もう一つは大学生の蚕飼白が俺達の探偵社にバイトとして入ったこと。丁度バイトをクビになったばかりで、こういう特異なことをやれるのは本人としても渡りに船だったようだ。


 なんだかんだ、プラスになる事件だった。少なくともそう思うことが俺にできる精一杯の事だ。

 ……だが、あのピエロ野郎の事は結局ほとんど闇の中だ。後で調べてみると、あるという事になっていた戸籍や親の情報、バックグラウンドから何から何まで煙のように消え去っていた。あの車も数日でレッカー車に引かれていったようだ。

 あの爆発と一緒に『田中』……なんだったか? 思い出せないな。名前。確か……いや、どこに勤めていた人物だ……? 

 

 とにかく、俺達は事件を解決した。……怪異事件は……結局、煮え切ることなどないのかもしれない。あの化け物は今も、どこかの誰かとして、佐藤何某や伊藤何某として生きて、人を襲うのかもしれない。

 いや、もしかすると、俺達が気付かないだけで、そんなのが想像以上に存在していて、尻尾を出さなかったり、襲ったりしていないだけなのかもしれない。

 アレを見分ける方法はない。そのことがずっと脳裏に残って、こびりついている。それ以外の事はふわふわと幻のように霧の中に消えていった。


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