タナカ マサル 25歳 M銀行勤務 預金係 中編

 日隈絢三ひぐま けんぞう:通りの名はなく、あのビルは元々アパレルなどが入っていたようだが十年ほど前に潰れたらしい。霧の夜は周辺住民は異音に悩まされ、ピエロの目撃証言もわずかながらあった。19時ごろ……。周辺住民の聞き込み調査でこの時間帯まで絞り出すことができたがそれ以上の話は出てこない。……オカルト事件のライターだってのに、まともな調査を俺は始めてやった気がした。

 

 「ま、情報があるだけ上出来さ、初バイトにしては役に立ってるぜ、オッサン」


 「それで……。どうするつもりなんだ?」


 免田は嬉々として水鉄砲にどこで仕入れたのかわからない液体を仕込んでいる。水……にしか見えないが大事そうに慎重にいれている。


 「きまってるっしょ、これで溶かしてやるのよ」


 そう言って免田は液体を仕込んだ水鉄砲を構える。


 「……ほんとにそれで大丈夫なのか?」


 「あったりまえよ、モノホンの聖別された水、聖水だぜ? たっけえんだよ、これ。モノホン扱ってる業者一人しか知らねーし、なーんかその外国人のオッサン、妙にコソコソしてて、ここら辺の事とかよく聞いてくるし……。ま、おかげで効果は凄いけどな」


 前に一度自分で使って効果を実感しているのなら……。だが本当にそんなピエロだのなんだのが居るのか、居たとしても本当に『怪異』の類なのかが不安だ。


 「ダイジョブだって、今までおれ、死んだことねーんだから」


 冗談みたいなことを言っているが、多分免田は本気なのだろう。とんでもない能天気だ。俺はこの男について行って果たして本当に良かったのだろうか。不安な俺をよそに免田はそのほかの怪異対策グッツに手入れをしていた。


――


 「いいか、囮はおれがやる。日隈のおっさんは影になるところから隠れて見ていてくれ」


 青白い蛍光灯の光に晒され、免田は人気のない通りを歩く。静かだ。呼吸音さえ響きそうなほどに、夜は密やかだ。免田の足音が響いている。霧は十分に濃く、俺は物陰に隠れ、霧に呑まれそうな免田をじっと見ている。

 毎日昼頃からこの周囲に俺たち二人で張り込みをして交通量や通行者を隠れて監視、ここを日常的に通る人間を一応チェックした。聞き込みに張り込み、正に探偵だな。

 ある程度この場所を通る人間は把握している。そして……ようやっと今日、霧の夜が来たのだ。免田は真っ先に囮捜査を提案した。

 周辺住民は怖がって、もうこの時間帯にはしっかりと戸締りをしているのだろう。特に霧の夜には、あのピエロだかは必ず出るという。


 ……もうすぐで免田が見えなくなってしまいそうだ。そう広い通りではない。免田はもう廃ビルの正面を過ぎて……。


 ――ちょっと待て、なにか、嫌な気配があの廃ビルからする……。近づいている? この気配は……昔からの霊感、オカルトライターを志したのはそう言うくだらない感性が昔からあったから、だが、これは今までのものよりもずっと禍々しく気味が悪い。それは正面を通り、俺の後ろへ回り込む。それを目で追うと。


 後ろに突然。


 モノトーンで気色の悪い顔をしたピエロがナイフを振り降ろしている!


 「うおおおっ!」


 『ヒュン』


 俺は咄嗟に道へ飛び出して倒れる。幸い、怪我はない。命の危機に人間はこんなに素早く反応するものなのか。だが、この感覚、以前の怪異でも味わった……。


 「日隈のおっさん!」


 後ろで免田の声がする。俺は懐からアイツの水鉄砲を取り出す。だが、ピエロはいない。


 気配が動いている。俺を避けて向こうへ……。


 「免田、そっちに行った!」


 俺は立ちあがりながら叫ぶ。


 免田の後ろへと気配が映った。


 「後ろ!」


 俺の叫びを聞いて、免田は後ろを振り返る、その瞬間にピエロが表れた。


 『ブシャアアッ!』


 振り返りざまに免田は水鉄砲を発射していた。俺を信用しすぎだ。だが、ピエロにはある程度有効打であるようで、煙を出して奴は火傷をしている。


 『プシューッ』


 熱湯を浴びたかのような音と赤々とした熱傷が奴の前身に現れるが奴はナイフで免田に襲い掛かる。


 『バコッ』


 『プシューッ』


 免田は空いている左腕でピエロのナイフごと奴を殴りつけた。左手の拳には星形紋様付きの布が巻かれている。ナイフは力なく折れ曲がり、奴は拳によって更に重い火傷を負っている。だが、声などは一切発さない。まるで人形を殴っているようだ。


 「あ、消えた! どこだ!」


 ピエロの気配は廃ビルの中へ入っていった。


 「ビルだ! こっち!」


 俺は免田に叫びつつ、ピエロの気配を追う。

 ドアのない入り口を入り、コンクリートの床を進み、フロアの端……。

 ドアのあったであろう口を通り抜け、裏口! これには扉が付いている。


 「オラァッ!」


 『バゴォッ』


 免田はすかさずタックルで扉を壊す。

 裏は駐車場……。あれは。


 『ブオオオオオ……』


 車が急ぐように出て行く。ナンバープレートは一瞬で見きれてしまい、分からない。


 「クソッ……あれだ、多分」


 既に車は走り去って行った。あとで聞き込みをして地道に追うしかないか……。


 「M市ナンバーで、231、普通乗用車、あの型だとカーディーラーは……M市だと二軒か。だいたい絞れるな」


 免田は伸びをしながら振り返り、俺にそう言う。


 「えっ、あの一瞬で覚えたのか?」


 「ああ、瞬間記憶能力があってね。おかげで学校をさぼりまくれた」


 ある意味、コイツにとって探偵は天職なのかもしれない。


――


 ――田中マサル(25)M銀行勤務。預金係。戸籍謄本もある、健康保険証もある、両親は健在――平凡かつ『普通』の男。交友関係は広くもなく、かといって狭くもない、大学時代からの友人も何人かいる。北海道の文系公立大出身で、そのまま既定路線の銀行勤務――


 「本当にコイツだっていうのか?」


 資料をまとめながら、俺は免田にそう訊く。免田はデスクのパソコンで資料をまとめている。


 「ああ、というか、コイツにしか絞れない。おれらで絞ったあの通りの通行者の一人、車もナンバーからはっきりとコイツ、おれらの持つ手掛かりは大体コイツを示してるってワケ」


 「でも、コイツ……。前に見た時もこの写真も、明らかにあのピエロと骨格と体格が違いすぎる」


 ピエロはかなり小柄であったが、この田中マサルは平均的な身長だ。顔つきもピエロはもっと、骨ばっている。


 「日隈のおっさん、おれらはオカルト探偵だぜ? 突然消えたり現れたりするようなバケモンを追ってんだぜ? 骨格くらい弄れても何の不思議もないじゃねーか」


 言われてみればそうだが、それを言えば何でも通る気もする。


 「大体な、おっさん、そいつ、おれからしてみれば妙な点が多いんだよ」


 「? なにがだ?」


 「何というかな、こう、特徴がなさすぎる。というか、今資料を見ていないおれはそいつの顔を思い出せない。おかしいじゃねえか、瞬間記憶能力のあるおれが写真が擦り切れるくらい見たそいつの顔を、今、忘れてるんだぜ?」


 「それは……」


 言われてみれば、少し目を離せば殆んどこの田中マサルの顔が思い出せない。不思議なほどに欠落する。写真に目を落とす、そこには何の特徴もない顔が映っている。


 「それに、そいつの両親、健在のはずなんだが、情報を辿ってもどこにも追いつかない。住所もあるが、明らかに空き家だった。各種料金の支払いはされているみたいだが……」


 「この田中マサルは情報だけが存在している……てことか?」


 「いや、一応知り合いはいるし同僚もいる。存在はしている。だが、『欠落している』ところを『補っている』ように見える箇所がある」


 これは……こんなのはまさに怪異ではないか。こいつは……。


 「人の形をした何か……」


 「ま、そうだな。こういうケースはあんまり見た事ねえな。幽霊だの生霊だのはあったが、襲ってくる殺人鬼怪異がフツーの人間に紛れているなんてのは、おれも未経験」


 パソコンから目を離し、免田は水鉄砲を懐に納めた。


 「少し仕入れてから……『田中マサル』を尾行する。水鉄砲だけじゃあいつに効いた感じがしない」


 俺達は事務所を後にした。

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