赤い車 後編
あの車――左ハンドル車だった。アメリカ製?
あの車が全速力で追ってきたとしたら、私は……。でも、何故昨日は追突されなかったのか。
そう言う習性? そう言うもの?
――考えてもしょうがない。とにかく私は目の前の書類に集中しないといけない。もうすぐ体育大会の季節だし、他にもこまごまとした行事がある。クラスの進路相談も相談担当の先生に幾つか伝えないといけない内容が……。
結局、今日も呪いのように仕事に追われ、暗くなるまで学校からは出られなかった。
流石に霧が濃くなる時間帯に、この学校には居たくない。妙な噂と不審者騒ぎから、セキュリティ強化によって守衛制が導入されるほど、この学校の夜は不気味で嫌な噂が絶えない。ウチのオカ研も守衛が入ってから交渉して調査に乗り出したいと言ってる。……彼らに私の現状を言っておけば、何かの対策はとれたのかな。また、後悔する。
私は車に乗り込む。
今日は大橋ではなく、大きく迂回するルートを通ろう。その方がいい。
そう思った私はいつもならそこまではしないけれど、念のためにナビアプリで交通情報を確認する。
『通行止め』
『事故による通行止め』
『工事による通行止め』
……明らかに、おかしい。私が向こうへ行くための道が的確に防がれている。通行止め、通行止め、通行止め……。こんなにも奇妙なことが本当に? 何かの間違い……確認するまでは信じない。絶対に何かの間違いだ。
私はエンジンをかけて車を橋とは反対の方へ向かわせる。霧はまだ薄い。今向かえば……いや、向こうに行ける。流石に大丈夫だ。事故だってどうにか……復旧しているかもしれない。とにかく、とにかく確認をしよう。
――
「嘘……」
一つ、二つ……三つ……どれも塞がっている。霧が濃くなっていく。ガソリンは……まだ大丈夫だけど。……もう、このままこっちに泊まってしまおうかな。出費はいたいし……ちょっと不満というか、ムカつくけれど、車や命の値段には代えられない。とにかく中央に行けばあまり上等とは言えないけれど泊まるところはある。そこへ急いで――
『グルルルルルルゥウウン』
「!?」
獣の唸りに似たエンジン音が響く。気づけば私の車の遥か後方に白い霧に紛れてランプの光が、こちらに近づいている。
あの車が、大橋に出るとは、誰も言っていなかった。
『グルルルルルルゥウウウン』
霧の中から赤いアメリカ産の艶のあるボディが現れる。そこには昨日にはなかった髑髏と稲妻のクロスサインが刻印されている。バカみたいだ。だけれど赤いあのボディも相まって血に濡れた殺人鬼のように私の恐怖心を煽る。
バカみたいなのは私だ。なりふり構わず仕事なんてほっぽって家に早く帰っていれば……。でもそれじゃあ……生徒や他の先生も……何より明日の私が……。
……本当にバカみたいだ。本当に、本当に!
『グルルルウルウウウン!』
二車線道路であの車は真っすぐこちらへ向かってくる。追突。
やってやる!
私はぶつかるギリギリでハンドルを切り車線を無視してなりふり構わず車を避け、奴のやってきた方へアクセルをベタ踏みして逃げる。ハンドルが重い。でも必死に私は車を真っ直ぐの軌道に戻す。
「大丈夫、大丈夫、もう私ならやれる、やれる。やるしかない!」
なんで私ばかりこんな目に合わなきゃいけないのか、なんであんなバカみたいな車に、時代遅れの……70、80年代のオッサンが乗る様な車に怯えなきゃいけない! こっちは新しい! こっちは燃費がいい! うるさい! うるさいだけの車に、負けてるなんて、追われて怯えてるとこを嘲笑うみたいに!
私は、変に怒っている。その一方でこうして冷静に自分を見ている。――それでいい。
車を走らせる。ここら辺は大橋に入るまで真っすぐ。今のこの濃霧の時間にこの辺りを走る車はほとんどない。歩く人も……中央で少し、サラリーマンの集団やトレンチコートの人を中心とした三人組を見た気がしたけれどそれ以外はほとんど誰も歩いていない。
この今の走行、見られてないと良いけど……。
『グルルルルゥウウン!』
後ろからゆっくりとこちらに近づくあの赤い車がその髑髏を街灯に照らしながら、霧の中から現れる。あの車は私の車の隣の車線に躍り出て、横に並ぼうとしてくる。今度は追突じゃない?
相変わらず無人の車内を見せつけながら、ゆっくりとこちらの車体に車を近づける。
コイツ、私の車を側面から追い詰めるつもり……いや、そうか! あれは!
大橋の入り口が見える。大橋はらせん状、二車線ではあるけれど、ギリギリの幅、私の運転で、こんな奴が隣に居て、あの幅を……無理、でもここを避ければ、簡単に私の車に並ぶコイツは追突を仕掛けてくる。それに、ガソリンが……。
「やってやるしかない!」
私は、逆にアクセルを踏みしめ、ハンドルを切り、車を奴の方にぶつける。
『ガガッ!』
奴の車は重く、私の軽じゃあまり揺れはしない、だけど!
『ガガッ、ガガガガガガガ!』
らせん状の急カーブの壁に奴は入り口でぶつかる。私はすかさず車を離す。
ハンドル切りで少し間違えれば私もあの車のように壁に、いや、あの車よりひどい。
ブレーキと共に私の車は螺旋カーブの中でドリフトする。こうするしかない。慣性を、生かして進む。
『キュィイイイイイイ!』
一回転、二回転……三回転。出口が見える。
螺旋を出ると私は橋をそのまま、急いで渡る。
あの車は大破しただろうか? あのスピードで、あの壁にぶつかれば、ただでは済まない。済まないはずだ。ちゃんと確認できていないところが不気味だ。
ミラーを覗き、後方を見る。
「嘘……」
『グルルルルルルゥウウウン!』
側面に大きな傷を受け、普通の車なら大破してしまうような壊れ方をするはずだった。けれど異常な耐久性でその車は私を追ってきた。後方の霧の中から、霧を纏いながら現れたそれは、今度こそ、その髑髏が、恐怖の象徴としてはっきりと私に認識された。
一体なぜこんなにも私を狙うのだろう? 気持ちの悪い執着。
とにかく、とにかく私は降り口を通過する。こちらには螺旋はない。家まで緩やかな林の中の道路を進む。人目はない。幸か不幸か。……不幸だよ。
『ルルルルルルルゥウウン!』
先程よりももっとゆっくりと、赤い車はこちらに近づく。霧で前の見えない中、私は不安に駆られつつも全速力で車を駆る。ただでさえ霧があるというのに……。
『ルルルルルルウウウゥウウン!』
近づく、緩やかなカーブをわざとらしくドリフトを掛け、こちらの恐怖を煽る。煽る。煽る!
『ガガッ』
「ううッ!」
ちょっとずつ追突を仕掛ける。厭らしい。こちらの恐怖を、狙っている!
「ううううっ!! ……このっ!」
私は車線を変える。もう少し、もう少しで住宅街、何か、何かまた仕掛けてやる!
『キッ!』
私は奴の後ろに車を回す。これなら追突は……いや、マズい気がする。
私は咄嗟にハンドルを切る。
『キキィイイイ!』
『ガガッ!』
奴は急停止を仕掛ける。
幸い車線を変えるのが間に合った。ドアの部分に傷が入ったのかな。
あのまま後方に居れば危なかった。自らの大破を厭わない車だ。何を考えているのか、いや、そんなのはどうでもいい。もう住宅街。アイツは、奴は、さっきのブレーキで離れた。
私は真っすぐ自分の家へ向かう。カーブの度、あの車が私の車に近づく。
『グルルルルゥウウン!』
『ガガッ』
とにかくあの車は私の車の追突を狙いぶつかってくる。
でも、もう、私の家……。
――あの車は、昨日のように消えるだろうか?
誰もそんなことを保証してはいない。
もしかするとこれはとんでもない悪手だったのかもしれない。私の家に近づいたところで、あの車を壊すなり撒く鳴りしない限り……私は家に帰れない?
『キキィイイイイイイ!』
突然、あの車は急ブレーキをかけ、ドリフトをして霧の中へ真っすぐ逃げていった。
丁度、私の家の通りで。
私の家にあの車は寄りつけないのか、それとも……。いや、考えるのはやめよう。車の修理代も、あの車の事も……仕事の事も。今は、とにかく、休みたい。
久しぶりによく眠れた……わけではないけれど、少し肩の荷が下りた気がした。
――
「あっ……冷蔵庫、何もない」
翌朝、私はまた外に出る羽目になる。けれど今日はバスを使わないと。流石にあんなボロボロの車でスーパーに行くわけにはいかない。
……家を出る前に、いつもの父のお守りを持っていく。昨日もポケットに入れていたけれど、あんまり効果がなかった気がする。
――昔、父が元気だったころにくれた、父の家に伝わるという、少々気味の悪いペンダント。ポケットに入れるくらいなら……何かの足しにはなるでしょ……。
父のくれたペンダントは星の中に瞳のある不気味なマークが刻印されていて、幼かった私には不気味に見えた。今は……いや、今も不気味だ。
父は迷信深いわけではなかったけれど、病気になって元気がなくなってからはよく、呪いだとかペンダントを持って外に出なさいと口にしていた。何も縋るものがないというのは、凄く心細かったのだろう。今なら、その気持ちが分かる。
バスに揺られ、商業施設の集まる上島町の端で降りる。私はそのままバス停から信号を渡ってスーパーへ……。
『グルルルルゥウウン!』
うそ……。
赤い車だ。
信号を無視して、私を目掛けて、一直線に、全速力で。
さっきまで居なかったじゃん。
なんで。
なんで。
なんで私にばかり。
『ガンッ!』
『ボシュウウウウウウウウウ!』
私は車にぶつかり、地面に倒れる、けれど、思っていたよりも、ずっと、弱い勢い……。目の前では私にぶつかった、あの赤い車が『溶けて』、煙を上げて消えていった。
痛む身体を少し起こしながら、私はポケットのペンダントを見た。それは光り輝いて、私を守るように、その光は私を包んでいた。
なんだ……意外と効果あるんじゃん……最初っから、お父さんを信じていればよかった。
2週間の入院は、私にとって良い休みになった。
終
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