耳鳴りオヤジ 後編

寝覚めは最悪と言える。何が悲しくてクソみたいなオヤジのドブ声を聞いて起きなきゃならねえんだ。

「ぜーんぶお前のせいだぜ」

この声はたまに反応してきやがる。殺しに来ている。全く、おれを殺しに来ている。

おれは由美とのデートの為に身支度を整えた後、物置からバットを取り出し、袋に入れ、それを背負って待ち合わせ場所に向かった。

「おい、なんだそれ、何する気だ」

一時間ほど耳鳴りはそう言っていたが、無視しておれは由美と会った。

「何? その袋」

「ああ、いや、ちょっと用事があってね、帰りに使うんだ、とりあえず行こうぜ、電車行っちゃうぞ」

電車でマリンパークに行き、昼から夕方にかけて、パーク内を見て回った。人はまばらだが、由美はそう言うところを好む。おれも静かな水族館が好きだ。今回はクソうるさい耳鳴りで台無しだったが。

「大丈夫?」

「ん? ああ、ちょっと……耳鳴りがな」

「ええ? マジ? 帰ってもいいんだよ」

「いやあ、大丈夫。慣れてるから」

「慣れてるって? 嘘はいけねえぞガキぃ、おれは昨日お前に憑いたばっかだぜぇええ、ゲヘヘヘヘ!」

ぶっ殺してやる。


帰りも勿論電車。夕焼けが沈みつつある。

「由美、いいか」

「え、何? 改まって」

「何があっても他の乗客を無視していろ。反応するな、少しも反応しちゃいかん。そしておれのやることも、別の車両を見ることもするな。これだけ守ってくれ」

おれは必死に懇願する。

「げへへへ、無駄だぜ、俺が聴いてるんだからな!」

なんとでも言うが良い。

「……? わ、分かった」

由美は勘が良い。わざわざおれが改まってこう忠告することも殆んどないから、それを察して、くれる……そうだと良いが……。

「無駄だっつってんだろ、俺が見張ってるんだよ!」

日没……霧が出てきた。

「~~~~!!!」

出たか……。

「何?」

「反応するな。絶対に……。ここにいて、スマホだけを見てろ……おれのやることも無視しろよ……」

おれは袋からバットを抜く。高校時代、怪我で野球をやめる前まで使っていた思い入れのあるものだ。しかと握りしめる。力を感じる。アイツをぶっ殺してやる。

「お、おい、何する気だ?」

そうだ、逆なんだよ。なんでおれがお前らみたいな訳の分からないキモイオヤジにひーひー怖がらなきゃならないんだ? メタボで、禿げてて、眼鏡の、弱者に。逆なんだよなぁ……。

「ああ!? なんだテメェ! 俺が見え」

『バコォン!』

顎にクリーン・ヒット。割れる音がした。

「あぁが……『アガ』が、わえて、へ、へめぇ……よ、よくも」

『バァン!』

頭にクリーン・ヒット。衝撃音、だが、『耳鳴りオヤジ』は拉げた顎と変形した頭で起き上がろうとする。明らかに人体とは違う感触。プラスチック人形を叩いているような感触だ。

周囲の人はおれを全く見ていない。気づいてすらいない。……怪異に飲まれているのはおれと由美だけなのだな。そうおれは悟った。

「ふへぇ!」

『耳鳴りオヤジ』は飛び上がっておれに落下してくる。触れるとヤバい。それは判る。

「逆なんだよ!」

『パコォン!』

ホームランだ。オヤジの首がとれる。だが身体はうごめき、じたばたとしている。血は全く流れていない。とれた頭は罵声を浴びせてきているようだが拉げていてよくわからない。

「命乞いをしろ」

ぐりぐりとバットでオヤジの頭を床にこすりつける。ゆっくりと加圧し、潰そうとする。

「ふ……ふげ……ふ、ふみません……ゆ、ゆゆして」

おれは頭を潰す。体の方がとびかかってくること見越して、直ぐにバットを構える。案の定、身体は既にこちらに向かい飛び掛かっていた。フルスイングで胴を割る。

『パキィイ!』

後はバットでバキバキと身体を砕いていく。破片は虫のように蠢くナニカになり、ドアの隙間へと逃げ、外に逃れていった。最後まで気持ちの悪い奴だ……。

だが、終わった。

終わってみるとなんだか、あっさりとしている。……妙な胸騒ぎは収まらない……。

席に戻る。由美は無事……。何よりだ。

「由美……」

『プシューーッ』

『東M市駅、東M市駅、お出口は左側です――』

「行こうか」

「う、うん……」

由美は何も言わずにおれとホームへ出る。

「一体だけで倒したつもりか?」

耳鳴り……まさか!


「よぉお! 久しぶりィ!」

電車の外のホームに二十体はいるであろう、『耳鳴りオヤジ』が満面の笑みでおれを迎えた。

「な、なに?!」

由美が叫ぶ。乗客の多くはおれたちを避けて、なんでもないように改札へと向かい階段を上る。

「今日の標的はお前らに絞った! 今日こそは仲間にしてやるよぉ!」

二十人が一斉におれたちに向かってくる。

おれは由美の手を引き、電車へと戻る。

この列車は……中央行きか……。

「奥へ逃げろ、奴らには触れるな!」

おれは向かってくる『耳鳴りオヤジ』にバットを振る。

一体ずつじゃダメだ! 一回のスイングでなるべく多くを殺す!

『パァン! スパァン!』

急いで電車に乗ってきた奴らをスイング二回で半壊させる。胴が割れたのが四体、だが、割れても奴らは這いずり回って触れようとしてくる。

「無駄だ、この数、俺らに勝てるわけ」

「俺を恐れろ!」

『パキョッ! メキョッ!』

奴らを効率的に壊すにはこれくらいのスイングで破片を作っていくのが最適! だんだんわかってきた。奴らの体幹は最悪、体重も殆んどなくスッカスカ。壊れるスイングなら奴ら体勢を崩す!

「恐れろ!」

『スパァン! パコォン!』

壁のように連なる奴らをスイングで蹴散らし、直ぐに振り返って後ろから俺を狙う奴を壊す。由美の方に向かう奴らは二体か、追う!

「おれを恐れろ!」

おれは由美を追う二体を後ろから追いついて、バットで突き、倒す、すぐに潰すようにバットの先で四肢の関節部を壊す。動けなくなればすぐに奴らは破片となり逃げだす。これが最も効率的……。

「! 後ろからぁあああ!」

振り返りざまにバットを振る。追っていた二体は壊した、追ってきた『壁』五体分を薙ぎ払い、潰す。靴なので足でも壊せることに気づいた。これからは踏み殺す。

「ぶっ殺す……ぶっ殺してやる……!」

おれを恐れろ、怖がるのはおれではない、お前らだ。

『パキョォン! バタン! バキ! バキバキ! パキ!』

八体目……。

『パコォン! バタン! バキ! パキパキ! ボキッ!』

九体目。

『バキョ!』

十.

「やっやめ、たすけて」

『バキョ!』

十一。

「ゆ、ゆるし」

『バン』

十二。

「もう降参だ、ゆるし」

『バキッ』

十三。

「これ以上はおれたちが」

『バキョッ!』

十四。

「話を」

『パキョ、バキ、ドカッ』

十五、十六、十七。

「おれの話を聞いてくれ、たのむ」

「おれを恐れろ」

『バキッ』

十八。

「だ、だめだ、やめてくれ」

這いずり回り、逃げる。

「怖がれ、おれを」

『バキョッ』

十九……。あと一匹。

由美は……。無事か、怖がっている。……おれが怖いのかもな。だが、無事なら何でもいい。

「あ、ああ、ああああ、ゆ、ゆるしてくれ」

胴体と腕だけになった最後の一匹。

「哀れだな、さんざん人をおちょくって、こうなる事を見こさなかったのか? マヌケ」

「どうして俺を……こんなに簡単に壊せるんだ……クソッ……神社か陰陽師か……なんでもいい、赦してくれ、俺はこれ以外になにも」

『パキョッ』

俺の後ろにあった奴の下半身を壊す。油断を誘って一気にやろうって魂胆だろう。……由美の方には……何もなさそうだ。

「ああ、あああ! クソッ……予知能力か……テメェ!」

「……おれを恐れろ」

怖がるのは、おれじゃ、ない!

「ああ、あああああ、ああああ! たすけてくれ、たすけてぇ! やめろおおお!」

『パキッ』

軽い音と共に、その禿げたオヤジは破片になって、死んだ。破片はその場で黒ずんで溶けて、何かのカスとして残った。

『プシューーッ』

『終点、M市駅、M市駅、お出口は左側です――』

「由美……」

「……助かった……んだよね?」

「多分……な」

まばらな乗客が降りて行く。妙な気配もしない。耳鳴りもなくなった。おれは、勝った――

すっきりとした気分。真の勝利をおれは感じた。

「白!」

由美はおれに抱き着く。安心感からか、抱擁が強い。電車に入っていく黒づくめの乗客が横目におれ達をみていた、少し恥ずかしい。

「いたたた、強い、強い、ちょっと……強い」

おれたちはその後、近場のホテルに泊まった。おかげで今回のデートの出費はかなり手痛かった。


【終】

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