流行りの死に方

流行りの死に方 前編

 〇:M市自然名所の一つ、世界岬展望台。市街から大きく外れ、観光道路からのみアクセスできるこの名所は、名前の仰々しさもさることながら荒涼な海岸の絶壁と全景海に囲まれた景色の良さ、一つ佇む灯台、自然に囲まれた観光名所である。だが、この展望台にはとある不名誉な側面があった。

 地元住民がよく知るそれは『自殺の名所』。安い心霊ブログはここら一体を指して負のエネルギーだなんだと騒ぎ立てている。日本で二番目に自殺の多い観光名所。二番目というのが実に不名誉である。

 そんな『負のエネルギー』のうわさを聞き付けたのか、二か月ほど前からこの街、M市に引っ越してきた男がいる。オカルトライター『sigma』、本名を日隈絢三(ひぐま けんぞう)という。


「地名由来は……アイヌ語か……だが、うーん……」

 日隈絢三(ひぐま けんぞう):マズいな。大した『曰く』がない。記事にできるか……いや、記事はどうとでもなる、内容にこだわらなければ。……また、あることない事書くのが忍びない。それだけだ。

 図書館は最近リニューアルされたようで新しく、清潔で、本がまばらだ。地方図書館、それも市内に二つほどあるうちの寂れた『中央町』の方。古い本が少なくスカスカなのは仕方ないだろう。土地の歴史の本は何とかまとまっているが、それ以外の調べ物は上島町の方に行くしかないようだ。

 調べもの……調べもの……か。

 同業他社はそんな時間などかけずに粗製乱造に勤しんでいる。最近ではAIツールに適当に書かせて薄利多売、キャッチーな記事でビューを稼ぐ時代。俺の小規模オカルトブログはビューすら稼げず、マトモな記事を出そうが、何を出そうが、AI以下の集客力。おかげでおれも薄利多売記事をばら撒くブログを併用して、日銭を稼いでいる。どうして、こんなことになった? いや、全て俺のせいか。

 だが、ここは今都市伝説のホットスポット、M市。半年前から、妙に噂の増えている、話題の土地。まだ勝機はある。

 最近の図書館には給湯・自販機のコーナーが本棚・閲覧の場所から少し離れて設けられているようだ。だが、今の俺は隣町からここまでのガソリン代すら渋る生活苦、安下宿の金も厳しい。幸いにも学生時代から貧乏には慣れている、おかげで精神を崩してこのざまだが。……まだ、どうにかなる。どうにかなっているのだから、どうにかなる……。ハァ……。バカだな、俺。

 ポケットには180円。財布には千円。まだまだこれからだ。今月はあと2週ある。まだまだ春の過ごしやすい気候が残っている。霧は多いが外をぶらつけば仕事のネタにもありつけるだろう。だから日がな一日、俺はこの街を歩き回っているのだ。今回はこの図書館から、山を歩いて観光道路へ合流して、お目当ての『世界岬展望台』へ行く。

 僅かに残ったライターとしての矜持が事前調査を俺にやらせたが、徒労だったか。いや、別の図書館に行けばあるいは……。いやいや、もう、このまま行こう。流れで行こう。


 俺は図書館を出て、市立病院沿いの道を進んでゆく。坂がゆっくりと傾斜を強め、住宅街へと入ってゆく。閑静で自然に囲まれた住宅街を抜けると墓地。日本というのは山のちょっと奥まった場所に墓地を建てるものだ。こうしたものが海岸沿いにあると景色も相まって少々異界のような雰囲気を感じる。晩春、虫の音は少なく、涼しげな風が抜けるが空の雲間には青空が見えて、海とのコントラストも美しい。だが、ここに下世話な根性が流れ出てきて、俺に囁く。『墓地の死のイメージが海岸沿いの負のエネルギーに一役買っているとかなんとか写真と一緒に入れちまえ。』俺はきれいな景色の写真を一枚撮った後、墓地をメインとした写真を撮る。

 既に道路は、北海道なので歩道はあるが、観光道路の様相を呈して、曲がりくねった崖沿いの道となっている。周囲にあるのは木、森、林、草、石の柵。笹の葉がうっそうと茂る森と随分下にある海とが映える。だが、雲行きが怪しい。雨に降られるのは考えていなかったが……。スマホで天気を見ても曇り、降水確率は低いが、小雨が降るかもしれないな。

 道を行く。脚はまだまだ快調。ここ最近は歩いて空腹や悩みを誤魔化してきたから体重の割には健脚だ。昔からそんなことばかり言われていたな、痩せてる割には食べる、根暗の割には喋る、鬱の割には笑う。

 陸橋、と言えばまあ、しっかりしていそうだが実際にはコンクリートの橋を渡る。ここら辺の道路整備がされているのかちょっと心配になるが道路のひび割れなどはあまり見えないのでよく整備されているのだろう。と、自分に言い聞かせて渡る。森の木の頂点が橋の下からのぞいている。

 偶に脇道の先にレジャー施設なのか、牧場なのか、はたまた畑なのかよくわからないものがある。ちょっとした小屋や建物が見えることから牧場だろうか。ゴルフ場というのもあり得る。人間は自然の中にゴルフ場を建てるのが好きだからな。バブル期なんかにはスキー場と同じくゴルフ場を建てていたらしい。この街にもスキー場があるようだが、不景気らしい。遺産はこうした田舎から負債となってゆくのだろう。


 「ん?」


 駐車場。少し展望スペースがあるようだ。ちょっとした休憩所……の割には自販機の一つもない。写真でも撮っていくか……と思い展望スペースに近づくと、その脇に地蔵があった。花も添えられている……供養だろうか? 展望スペースからは崖を望むことができる。その周辺は森。スペースを仕切る囲いの外に、ちょっとした獣道のようになっているところがある。……飛び降り? 見回せば車が止まっているのに人はいない。いやいや、考えすぎだ、近くのあの、牧場か何かの人の車だろう。だが、地蔵の写真を撮って、そのことを記事に書けばちょっとしたアオリとしてはいいスパイスだ。

 俺はメモを取りつつ写真を一枚撮る。

 その先は暫らく真っ直ぐな道が続いていた。もうこの辺りは道も広々としていて、ドライブをしている車が稀に通る。今までの道はがらんとしていてちょっと不気味さもあった。『世界岬展望台』も何人か人はいるだろう。流石に歩いてくる人間はウォーキング趣味者以外には俺くらいのものだろうが。

 道は二つに分かれ、『世界岬展望台』のでかでかとした看板が道を示していた。看板は新しいわけではないが、日焼けして見えなくなってはおらず、手入れはある程度されているようだ。この街の看板の多くは日焼けで見えない。統計を取れば40%強はそれにあたるだろうという自信がある。だが流石に観光地、手入れはしてあった。

 道を行くと森の下に崖が広がっている。海との高低差は先程よりもずっと広がり、視野も開けている。向こうの高くなっている場所が展望台か。白い大空の中に岬が盛り上がっている。それは今のおれには不思議と、不穏に思われた。今の時間は……16時20分……。結構歩いたな。1時間くらいか。帰りは来た道と反対、つまりさっきの道を道なりに進めば帰れるので景色に飽きることはないだろうが……少し億劫にも感じる。


 まず駐車場が俺を迎える。自販機とベンチにゴミ箱、ちょっとした土産と飯を売っている売店。トイレ……。まあ一般的な観光名所の設備が整っているが、明らかに売店がコンテナのような仮説住宅だ。どの道この平日の夕方に開いている筈もなく、売店は固く閉ざされていた。駐車場には車が一台止まっている。十数台は停まれそうな駐車場だが一台だけだとがらんとしている。この街はどこもがらんとしていて、哀愁が感じられる。白い空が少し夕陽に灼けてきている。デカい地球を模した鉄骨のオブジェが展望台に向かう広場に立っている。

 階段を上る、更に岬の先に灯台が建っている。あそこは海上保安庁の管轄らしく向かう道は鍵付きの柵で封じられている。この海と灯台を眺める展望台の上に、もう一つの展望スペースが設けられているようだ。そちらは階段を上った場所で、鐘なんかがあるようだ。

 俺は階段を上る。途中、一人の見物客とすれ違う。あの駐車場の車の持ち主だろう、こんな時間に酔狂だな。人にいえた事ではないか。

 階段を上がった先は風が少しあるが、荒涼とした海と灯台、岸壁が広がるパノラマは真っ白な曇り空が相まって壮大で、だが、どこか、寂しい。

 ――寂しい。誰もいない展望台。誰も鳴らさない鐘。鳥の一匹もいない空。風に吹かれて荒れる海。少し肌寒い。小雨の降りそうな暗雲。岩肌にぶつかる飛沫。波の音。飛沫の音。風の音。

――荒涼――

 俺はふと、いつもの、お決まりの言葉を思い出す。

 『なぜ生きるのか』。

 俺は逃げてきた。逃避してきた。逃げて逃げて果てまで逃げて、こんな世界の果てまで来てしまった。退学、落伍、勘当、堕落、失墜。ついに僅かに残った職への矜持さえも捨てて、俺はここまでして、何故生きている? 家族からも逃げ、社会から逃げ、俺の手には何がある? たった数千円の所持金、碌でもねえ文章しか書けない非才、生産能力の無さ。俺は落伍者だ。何も無い。ここには何も無い。あの、荒れている海の中に行けばすべてが終わる。俺の持っているすべてが。だが、俺には何も無い。なら、糞とゴミのような情報を世界にまき散らし続ける前に、社会の為に死ね。

 俺は階段を下りる。気分が悪い。これ以上ここにいると、マズい気がする。

 階段を下りた先で、さっきの見物客が策の前で海を眺めている。

 ジッと眺めている。

 何か重大なものを見つめるように神妙な面持ちで。

 何を……。


 あっ。


 彼は柔らかい表情で、柵を乗り越えて、落ちていった。

 俺は咄嗟に駆け寄ろうとしたが、もう、遅かった。

 岩肌にぶつかって、何かが弾けるような音がした。俺は手遅れであることを承知で、覗き込んだ。

 ぐちゃぐちゃになった胴体と内臓を示しながら、その遺体はこちらを見ていた。

 遺体がこちらを見て笑ったような気がした。

 墜ちる前の、あの表情――穏やかな、柔らかい表情。

 そうだ、ああ、そうか、そうだよな。

 憂いなどすべて消えるのだ。

 何故今まで生きていた?

 意味など、結局感情を抜きにしてしまえば意味などはどこにもない。

 なぜなら意味など俺達が勝手に規定し、勝手に押し付け、勝手に苦しんでいるだけの事なんだ。

 俺達は最初から、意味もクソもねえ、糞みたいな世界に、望んでもいないのに産み落とされて、望んでもいないのに生きてきたんだ。

 じゃあ、もう、ここに居る意味なんてない。

 彼は正しい。

 俺も正しい。

 俺には何も無い。

 恐怖も、悲しみも、苦しみもなくなっていた。

 ただ俺は柵を超え、そのまま――

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