流行りの死に方 後編

 落ちる。落下する。死――

 ガシッと脚を掴まれる。

 なんだ?

 そのままふわりと、浮遊感を得る。

 なんだ?


 「勘弁してくれ、目の前で死なれちゃ寝覚めが悪ぃんだよ」


 そこにはベージュのトレンチコートにハンチング帽を被った青年が立っている。俺は彼にひょいと足を掴まれて地面に投げられたようだ。痛みがあまり感じられない。結構勢いはあったはずだが。


 「……? おっさん、痛くないのか?」


 その問いに答えることなく、俺は咄嗟に叫ぶ。


 「生きる意味がない!」


 「……」


 「俺には何も無いんだ! 苦しいだけの人生なんざ、生きる意味なんてない!」


 「……確かに」


 彼は意外な言葉を呟き、そのまま続ける。


 「確かに、生きる意味なんざ、客観的には存在しねえさ。人生の幸福の総量が平等じゃないことなんて当然だし、公平さも公正さもこの世には存在しない。ただただ辛いだけの人生が関の山。愚かな人間って奴はこの一万年のほとんどを同じような失敗を繰り返して、対して進歩もしていない。……だけどよ」


 彼は屈んで、俺と目を合わせる。


 「だけど、人間、愚かなところが逆に良いところなんだぜ?」


 彼は笑う。


 「人間なんざ、脳神経の電気信号で一喜一憂する単純な機械さ。タマシイとやらがあったとしてもそれも割に単純なもんだろうよ。天気のいい日に散歩すりゃ少し気分が良くなる。風呂に入れば少し気が晴れる。腹減ってるときに温かい飯を食えば少し幸福になる。先々考えたって体験しちまえばどうにかなることもある。塞がってんならほかに助けを求めりゃいいのさ」


 彼はジッと俺を見ている。久々に、人と目を合わせた様な気がした。


 「……助けてくれるひとなんざ、いやしねえ……」


 「そりゃ、お前が見てねえか知らねえだけだ。金に困ってんなら社会福祉士に相談しな。役所よりかはマシさ。死にてえのなら心療内科を受診しな、希死念慮は基本は病気だぜ、公的扶助も受けやすくなる……それに」


 彼は俺の肩に手を置く。


 「ここで見棄てちゃ、おれの寝覚めが悪ぃのさ。ホラ、少なくともここに一人、アンタを助ける人が居るぜ?」


 「……」


 救われた、気がする。今までの考えがバカバカしく思えてきた。俺は何をやっていた? 感情が戻ってくる。さっきの事を考えると悪寒が走る。俺は何をやってんだよ。さっきの……さっきの!


 「……一人、崖から落ちた人が、駐車場の車はあの人のだ」


 「? 駐車場に車なんてないぞ? おれのバイクだけだ」


 「え?」


 俺は立ちあがって駐車場をみる。さっき見た車がない。まさか。


 「嘘だろ……」


 柵の方へ行く、下を見ると、先程の遺体は跡形もなく、血の跡も、内臓も、一切合切がきれいさっぱりなくなっていた。――いや、最初からそんなもの無かったのだ。


 「幻覚……?」


 さっき飛び降りた見物人の顔を思い出す。確か、顔は……? 顔? 顔なんてあったか? いや、柔らかい表情をしていた。だが……。だが、顔が思い出せない。ノイズが走る。クソッ、気分が悪い。記憶全体がぼやけていくようだ。


 「大丈夫か、おっさん? ……ん?」


 青年が何かに気づいたように駐車場の方を見る。


 「車だ」


 彼の目線の先を見ると先程の車が再び出現していた。


『カタン……カタン……』


 後ろの展望スペースの階段を『降りる音』だ。さっきと全く同じ。全く同じ音だ。


 「もう一人いたのか……。そこのオッサン、あんた――」


 俺はおずおずと振り返る。そこにはさっき死んだ男が、死ぬ前と同じ様子で立っている。顔ははっきりと見える。だが、分からない。分からない! 表情は分かる、だが顔を『認識できない』。分からない!


 「な……なんなんだ、お前!」


 俺は叫ぶ。腰が抜けそうだ。アイツの、顔のないアイツの、死んだときの表情がフラッシュバックする。肉と臓物を示す、あの光景が脳裏を支配する。不思議と恐怖よりも、心地よさを覚え始める。さっきと同じ感覚。心地よさ、いや、これは無だ。何も無い。空虚。ああ、これが人間の本質。現実。

 いや、ダメだ! なにを、なにが、何なんだ! 馬鹿野郎! 


 「オッサン、どうした? コイツが……こいつがどうかしたのか?」


 「さ、さっきコイツは、死んだ!」


 青年は俺の顔色を見た後、何か決心したように『顔のない奴』を向く。


 「どうやらテメー『怪異』みてぇだな……仕事なんでね、やらせてもらうぜ!」


 青年はポケットから取り出した手袋を嵌める。白地に五芒星の紋章のようなものがあしらわれたものだ。俺も曲がりなりにもオカルトライターの端くれ、それが陰陽道のセーマン印であることぐらいは知っている。まさか、彼は怪異を殴るつもりなのか?


 「食らえボケカス!」


 彼は先ず『顔のない奴』との距離を詰める。口の割に堅実な攻め方だ。ボディーブローを左で繰り出す。だが、彼の拳が奴に触れた瞬間、奴は煙のように消え去った。


 「!? マズい、本体別か!」


 彼はそう口走り、俺の方へ振り向く。


 「オッサン、気を確かに持てよ、オッサンの方はもう術中だ。やべえと思ったら体ひっかけ、痛みで正気がある程度保てる」


 青年は慣れた物言いでそう言う。


 「こういう状況、慣れているのか?」


 「ン、ああ、オカルト専門探偵なんでね。この街はここ最近こういう事象が急増している。学生がオカルト研究部なんて作るようになってるくらいだぜ?」


 冗談めかしてそう言った後、周囲を鋭い目つきで見まわす。


 「何関わったことあったら言ってくれ、どんな些細なことでもいい。……オッサンはここに来たのはじめてか?」


 「え? ああ、初めて来た」


 「おれは何回か来ている。……こんな事象はここでは初めてだがね」


 会話で何となく察するに、あの『怪異』は精神を錯乱させ、さっきの俺のように自殺を仕向ける力を持っているようだ。だが、探偵は何を探しているのか……。


 「何か、その、探しているようだが、それを見つけないと出られない……なんてことないよな?」


 厭な予想だが……。


 「見つけられないと出られないタイプだね。試しにやってみせようか? 危ない場合もあるからアンタにはやらせないぜ、ふんじばってでも止める」


 どうやら経験則でこの怪異の特徴を悟っているようだ。相当多くの、こういった『怪異』を見てきたのだろう。

 俺も彼と一緒になってこの展望台の様子を見る。オブジェ、売店、自販機、ベンチ、トイレ、ゴミ箱、小さい灯台のオブジェ、灯台、展望スペースへの階段、森……。構成要素はそう多くない……。そうだ、駐車場、車は……消えている。


 「車とあの怪異は同期しているようだが……」


 「あれも恐らく幻覚なんだろうな。次出たら車を殴ってみるが……。望み薄かな」


 何か見落としている。そんな気がする。先程存在していなかった何かを俺は見落としている気がする。何がある? 


 「鉄骨のオブジェは……」


 「あれは昔からある」


 「自販機」


 「数も前からあれだけだ」


 「ゴミ箱」


 「前からある」


 「小さい灯台のオブジェ」


 「それは……そんなもんなかった」


 当たりか。

 駐車場の片隅に小さい灯台のオブジェが出現している。俺が最初に駐車場を見た時にはなかった。車が消えて代わりに出現したのか? 俺達はそこに近づく。


『何故だ?』


 ……駐車場に足を踏み入れると俺の耳元に声が囁く。


『何故生きている?』


 ああ、まただ。また、おれの思考に。指し挟まってくる。くそっクソがっ……揺らぐな、揺らぐな、揺らぐなっ……。


『意味などないではないか』


『揺れるのも馬鹿々々しい』


『一喜一憂する愚かな生涯』


『不公平な世界』


『追われ続ける世界』


『社会のお荷物』


『さっさと死ぬのだ』


『皆の為になる』


 クソッ……クソッ……頭が……割れそうだ……。

 手、手が……俺の手が俺の首を締める……うぐッ……。


 「食らえやコラァ!!」


 探偵の彼が灯台のオブジェを右ストレートで殴り壊す。空が割れる、砕けていく。空に大きく、探偵の彼の顔が映る。一体なんだ?


『ぱりん』


――


 空が、晴れている。

 声は聞こえない。俺は探偵の彼の方を見る。彼は……何かと戦っている?


 「クソッ……死ねやオラァ!」


 影のような存在に対して彼はローキックから左フック、右ストレートとコンボを繋いでいく。動きはいい。経験者だろうか。だが、影のような存在に対して効いている様子は薄い。拳や脚が触れる度何かが灼ける音がするが、あの存在が身じろいだり、動きが鈍ったりする様子はない。防戦一方なら勝機は……。


 「うぐッ!」


 影が突如として彼を包み込んだ。彼は拳を振り、その影を振りほどかんともがいている。


『ジュッ』


『ジュッ』


『ジュッ』


 だが影は彼の周囲をすっぽりと覆う。彼は、息苦しそうにしながらも拳を振るのを止めない。


 「バイクから、筒を取ってこっちに撃て!」


 擦れた声がこちらに向けられる。

 俺は咄嗟に、駐車場を見回し、バイクを探す。あれか、バイクのサイドカーに、でかい玩具のバズーカが乗せられている。ベルトで固定されているので取り出しにくい。手汗で手元が狂う。クソッ……。ここで報いなきゃ俺はカスだ……ッ。いや違う! ここで報いなきゃ俺は死ぬんだ! 俺は生きるんだ!

 俺はその玩具のバズーカ砲の銃口はわかりやすく、どう使うのかも詳しくは知らんが見ればわかる。肩に乗せて引き金を引く。映画やバラエティーでよく見るヤツだ。俺はできる。俺はやれる。

 俺はバズーカ砲を肩に乗せ、影に駆け寄る。探偵は溺れるようにもがき、その力も弱々しくなっている。狙いは分からん。分からん。だが、だがやれる、俺はやれる。やれるんだよ。銃口が向いてて引き金ひけば全部終わりだ、この野郎!


『ガチッ』


『ブシュゥウウウウウウウ』


 花火? いや改造されて火花の量が多い。おかげでめちゃくちゃ熱い! 肩が焼ける!

 だが、影みたいな野郎には有効だったようで、探偵は解放される。そのまま影は霧散し、どこかへ消えていった。

 ……俺も、少しは役に立っただろうか。

 俺は気が抜けて膝をつき、筒を落とす。筒の火花はもう消えている。

 あの影の手ごたえが全くない事が気がかりだ。あれで倒したと言えるのか? もしかしたらまたここに……。


「ゲホッ……オッサン、ナイスだったぜ……。ハァ……あの野郎は暫らくここには寄り付かんだろうよ。ウウッ……」


「毎度こんなギリギリなのか」


「へへへ……流石に毎度じゃねえさ。でも一歩間違えれば死ぬ。今回はフィジカルも強い奴だった。やっぱここ、なんか憑いてるんじゃねえのかな」


 彼は起き上がり、俺に手を貸す。

 俺はそのまま手を借りて起き上がる。


 「憑いてるのかもな……。それを調べに来たんだが」


 「おっ。オッサン同業者かなんかか? ウチのバイトに来ねえか? 最近二人ぐらい助手を雇える余裕ができてきてよ」


 「それは……」


 出来れば遠慮したいところだが……。


 「ホラ、おごりだ。飲みな」


 自販機でコーヒーを買い、彼は俺にそれを投げ渡す。

 夜に差し掛かりつつある展望台は冷たい夜風が吹き、暖かいコーヒーが沁みる。コーヒー、いつぶりに飲んだのだろう。妙に、旨い気がした。


 「バイトのシフトはどうなってんだ?」


 何かが、始まる気がした。理由なんてそれだけ、目先だけでも、たまにはいいじゃないか。初めてそう思えた。


 終

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