第2話

「この電車は中央線高尾行きです。次は武蔵境、武蔵境。お出口は左側です。西武多摩川線はお乗り換えです。」

 今更ながら家と職場の間に武蔵境駅があって良かったと思う。メモの場所が東京じゃなくて千葉や埼玉だったらとてもじゃないが行く気になれなかった。

 日本語のアナウンスに続いて英語のアナウンスが流れ出す。読んでいた文庫本を閉じて座席に忘れ物がないか確認する。

 乗客に続いて電車を降りると狙い通りホームの端っこだった。近くにはひらがなで【むさしさかい】と書かれた柱がある。人混みが嫌いな私は、いつもホームの端っこに降りてある程度ホームから人がいなくなってから改札に向かうことにしている。

 そろそろいい頃合いだなと思い、改札に向かう。

 改札を抜けて駅の南口に出るとまず目につくのが二つの大きいロータリーだ。南口を出て左手のロータリーの先に見えるのが大型スーパー、右手のロータリーの先に見えるのがメモにあった武蔵野プレイスである。

 武蔵野プレイスは図書館や様々な講座が開かれたりする施設らしい。らしいというのは、私もインターネットで軽く調べただけで施設内に入ったことがないからだ。白い建物には楕円形の窓がいくつもあって黄色の光が漏れている。

 空は会社を出た時の夕暮れの空から夜の空へと変わっていた。駅の木々にはイルミネーションが施されており、青と白で宝飾されたものや黄色で装飾されたものなど、おそらく二十本以上の木が煌びやかに輝いていた。

 私はイルミネーションはあまり好きではない。なんだか光っていない自分をあざ笑っているみたいに見える。

 左手のロータリーにライトをつけたバスがニ台入ってくるのが見えたのと同時に、サラリーマンや仕事終わりの慌ただしい人の群れが南口に押し寄せてきた。

 私は人混みに逆らって右手のロータリーのほうに向かって歩き始める。

 私がまだ落とし主を探していた時、武蔵野プレイスというのが武蔵境駅から目と鼻の先にある施設であることを知った。おそらく駅から一分もかからないだろう。

 広場に着くと私のお目当ての人物はまだ来ていなかった。

 メモにあった武蔵野プレイス前の広場は、正式名称は境南ふれあい広場公園というらしい。この広場は円形で小さめの白いベンチがざっとみただけでも四十はあって、今見渡しても仕事帰りの学生やサラリーマンでにぎわっている。ここにも木々にイルミネーションが装飾されていて少しうんざりした。

 私はとりあえず近くのベンチに座る。広場の時計を見てみると八時半を少し過ぎていた。お目当ての人物が来るのは九時くらいだから早く着きすぎてしまったようだ。

 私はカバンから文庫本を取り出して時間潰しの読書にふける。

 一章読み終わって時計を見ることを繰り返して三回目。時計はちょうど九時を指していた。

 今日はいないか。

 そう思って立ち上がると、広場に入ってくる少年の姿が見えた。少年は空いているベンチに座って一息ついた後、手にしていた袋からハンバーガーを取り出してむさぼり始める。

 二週間前に見つけたこの少年はもうすぐクリスマスだというのに半袖、半ズボンだ。はっきりとは分からないが小学校低学年くらいだろう。そんなわんぱくそうな年齢と見た目なのに、クラスで一番の真面目な男子がかけていそうな眼鏡をかけている。少年はいつもハンバーガーを食べ終えると一目散に広場を離れる。滞在時間はわずか五分だ。

 そして私が何より驚いたのは鳥籠を持っていることだ。小さめの鳥籠で、暗くてはっきりとは見えないが雀くらいのサイズの鳥が一羽入っている。

 どんな鳥が入っているんだろう? 何でかごを持ち歩いているのだろう?

 私は少年を見かけるうちにそんな疑問を少年にぶつけたくなってしまっていた。

 少年はハンバーガーを食べ終えたらしく、鳥籠と袋を持って立ち上がった。

 私が声をかけにいこうと思って立ち上がったのと、近くに座っていたおばあさんが財布の小銭を大量に地面に落としてしまったのはほぼ同時だった。私が良心に負けておばあさんの小銭を拾い終わった時にはもう少年の姿はなかった。

 今度会った時こそ声をかけてみよう。

 そんな決意をしてその日は家に帰った。

 私が会社で大阪への転勤辞令をもらったのはその二日後のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る