1/fにゆらぐ君
@Pipi_0515
第1話
─ねえ。あたし、ほんの少しでも君の世界を変えられた?
もしそうなら───
ピピピピッ…
耳障りな電子音が、寝起きのままのだらしない聴覚を刺激する。
目を開けるといつも通りの天井。そして、いつも通りの朝。まだ重たい頭をやっとの思いで起こして、見ていた夢に思考を馳せた。
大切だった。けれどもう、何でもないもの。どうしようもできないもの。
思い返してもしょうがない記憶を頭の隅に追いやるようにして布団を出る。フローリングの床に触れた素足から、少しずつ温かさが奪われてゆく。
階下から姉の気配を感じて、ドアの横に大人しく居座った空色のアコースティックギターを尻目にリビングへ降りた。
「おはよう。姉ちゃん」
キッチンで忙しなく動く後ろ姿にそう呼びかける。
「ああ、おはよ。トーストとご飯どっちにする?」
「あ、お赤飯も残ってるけど」
いつも通りの少し疲れ切った目元を見て、わずかに胸が痛んだ。
「赤飯で。早めに食った方がいいだろ」
「そうね、ありがと」
俺は高1の頃から姉ちゃんと2人暮らしをしている。歳は4つ違うので、その頃姉ちゃんはもう大学生になっていた。
人の死というのは思っていたよりもずっと身近で、思っていたよりもずっと突然だ。そう自覚したのは高1の夏に両親が事故で亡くなったとき。2人で毎年恒例の結婚記念日を祝う旅行に出掛けていた最中、旅行先で交通事故に遭った。亡くなったのが旅行先だったということもあり俺たちに連絡が入ってから実際に両親の姿を見られるまで時間がかかった。その時間の中で、俺は冷静になれた気もするし余計に恐怖と不安が心に充満していったような気もする。なんやかんやで親戚の手を借りながら葬儀も済み、その1年後にお墓に納骨をした。
昨日は父の誕生日だった。
「そういえば、あんた宛にハガキ届いてたよ」
「ハガキ?」
「うん。そこのテーブルに置いてある」
振りかけようとしたごま塩を手元に置いて、姉ちゃんが指差したテーブルの上に目をやると、美しい島の風景がプリントされた絵葉書が置かれていた。手にとって裏返す。差出人の名前は書かれていない。そこにはただひと言
〈ギターと一緒に会いにきて〉
そう、達筆で綴られていた。見間違うことのない、習字のお手本のように綺麗な字。あの頃何度も目にした字。これは、彼女の字だ。
「姉ちゃん。俺明日から旅行行ってくる」
「は?」
「急用なんだ」
ごま塩をかけすぎて少ししょっぱくなった赤飯を頬張りながらそう言う。
「...まあ大学も夏休みだし構わないけど...」
「ありがと」
「でも、気をつけて行ってきてよ。事故にはくれぐれも...」
「わかってる。ちゃんと帰ってくるよ」
「お願いね」
翌日。始発の電車になんとか間に合った俺は心地よく揺れる車内で目を瞑りながら、彼女との日々を回想していた。
彼女と初めて言葉を交わしたのは、両親が亡くなってから数ヶ月経った高校2年生の春だった。
「ねえ。君、百瀬くんだよね」
放課後の教室。机に突っ伏した俺の頭の上から降ってきた声は、風に揺られた風鈴みたいに心地良いものだった。
「だったらなんだ」
寝ぼけたまま目線を上げると、そこには1人の女子生徒が立っていた。さらに言えば、俺の苦手な女子生徒だ。
「あたし、天川 空。百瀬くんに頼みがあるの」
「知っている。それはお断りだ」
「知ってくれているのは光栄だけど、どうして?」
「面倒ごとには関わらない主義なんだ」
「聞いてもいないのに面倒ごととは失礼だね」
「聞かなくてもわかる」
彼女、天川は学年の中でも有名人だ。軽音部でもないのに毎日アコースティックギターを背負って登校していて、放課後になると中庭でゲリラライブを開催する。教師たちから目をつけられてはいるものの、その歌声はどこか聴く人を魅了するもので、いつもライブは意外と盛況だ。
ただ、ライブの際に披露される曲の中にはいくつかイントロのみのものがある。聞くところによるとそれらは彼女のオリジナル曲らしいが、歌詞が付けられたことはないらしい。
俺が彼女を苦手だと思うわけは、なにか言葉にできない漠然としたものだ。彼女のまっすぐさが、ひたむきさが俺には眩しすぎる。自分の世界を創ることから逃げてしまった俺には。
「私の曲、聞いたことある?」
「まあ、なんとなくは」
「じゃあ、ちゃんと聴いて。百瀬くん、CDプレイヤー持ってる?」
「持ってはいるが話聞いてたか?俺は手助けする気は...」
「聴いてから決めて。これ、私がこれまで作ってきた曲。全部、ちゃんと、聴いて」
「...わかったよ」
正直、彼女の曲に心を動かされるとは思っていなかった。それでも、彼女の声には、曲には、不思議な引力のようなものがあった。
1/fにゆらぐ君 @Pipi_0515
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