クオは朝からあたふた

クオは朝からあたふた

 登校時間に教室にたどり着き、自分の席へ。


 いつもの朝における状況と行動を前に。

 クオはひとつの課題を自分に課していた。それは──


「お……っ、おは、おはようござい、ます」


 教室に到着すると同時に、自分から朝の挨拶あいさつを口にすることだった。


 王国軍特殊部隊〈魔女狩まじょがり〉に所属する兵士であるクオは、「正体を隠して学園で普通の生徒として生活しろ」という特殊任務に励んでいる。

 魔女との戦争では無類の強さをほこっていたクオだが、対人能力には難がある。


 深刻なレベルでコミュ力がよわよわなのだ。


 現に朝の挨拶ひとつするのにも、前日のイメージトレーニングや直前の緊張がたたり、やっと発した声も上擦うわずってひょろひょろしたものだった。


「あ、おはよー、クオちゃん」

「ひゃっ、ふ、ふぁい……!」


 クオに気付いた子たちに声をかけられ、びくーっと肩を跳ね上げるクオは、返事とも鳴き声ともつかない反応をしつつ、素早く自分の席に滑り込んだ。


(な、なななんとか、にっ任務達成、です……っ)


 緊張と安堵が入り乱れ、思わずクオは目をきゅっと閉じる。

 すると。


〈やった~、挨拶できたね~、朝からすごいよ~いい調子~〉


 クオのまぶたの裏からひょいと登場したのは、黒くて丸い小さな存在だ。

 もちろん、実在はしない。長年「ぼっち」の時間を過ごしてきたクオが自分を励ますために勝手に生み出したいわゆる「イマジナリーフレンド」。


 おこげちゃん、とクオは呼んでいる。


 今も目を閉じたクオのなかで、小さな手をふにゃふにゃ振りながら激励げきれいしてくれる。


〈この感じで普通の生徒を目指そう~きっとできるよ~〉


 クオは目を閉じながら、こくこくと小さく頷く。

 ひとりで励まし、励まされる。これがクオなりのセルフ奮起なのだった。


「──なにしてんだ、先輩」


「ひゃぅわぁ⁉」


 真横から唐突とうとつにかけられた声に、クオは椅子ごとその場で小さく跳ねた。


「ひょわっ、の、ノエルっ」

「よお先輩。どうした、登校早々目ぇ閉じて」


 見開いた目で見上げると、自分を凛々しい眼差しで見つめるクラスメイトがいた。

 薄金色ブロンドの髪をひとつにまとめ、すらりとした長身の少女ノエル。


 実は彼女もまた〈魔女狩り〉に所属するクオの後輩にあたる兵士だ。

 特殊任務で学園に通うクオを見張るべく、自身も素性を隠し、いち生徒として同じクラスに通っている。

 当然、クオを見る眼は油断のない監視の眼差しだ。


「寝不足か? ちゃんと眠れてるのかよ」

「ひゃ、い、はいっ。寮での寝食しんしょくも、ももも問題はない、ですっ」


 慌てふためきながらも、クオが答えると、


「ふーん」

 ずい、とノエルが鋭い眼差しを寄せて来た。


 その迫力に「ひぇ」とクオは情けない声を漏らす。


「……目も充血してないし、嘘じゃないみたいだな」

「は、はひ、ほ、ほんとにほんとです……っ」


 カクカクと首を縦に振って見せるクオを、ノエルはなおもジロジロと観察する。


「ふん……まあ、体調万全で、支障なく任務に取り組めてるんならいいけど」


 厳しい監視を思わせる言葉だが、寝不足を心配する様子はただの世話焼きに見えなくもない。


 と、そこへ。


「おはよー」


 ゆるんだ声と軽やかな足取りで、すとんとクオの隣に着席したのはルカだった。

 華奢きゃしゃな身体と白に近い薄墨うすずみ色の長い髪がはかなげだが、人懐っこい笑みとあどけなく輝く黒い瞳が不思議な魅力をかもしている。


「おやおや、どしたのクオ。ノエルにカツアゲでもされた?」

「人聞き悪いこというな。普通に会話してただけだよ」


 いたずらっぽい笑みで二人の様子を見比べるルカを、ノエルがむすっとにらみつけた。


「そうなの? だったらノエルもっとニコニコ話しかけないとさー。

 命惜しさにクオが有り金全部渡してきちゃう勢いじゃない」

「だから恐喝きょうかつじゃねえよ。なんだおまえ、さっきから──」

「わっ、わわーっ、すみませんっ。ルカっ、ノエルはカツアゲしていないですよっ」


 へらへらするルカをノエルが睨むので、あわててクオは声を上げた。


(る、ルカっ、どうしてそんなにノエルをからかうようなことを……っ)


 内心冷や汗が止まらなくなる。というのも、ルカにはノエルに知られてはいけない「秘密」がある。


 実はルカは魔女の生き残りだ。


 戦後、人の世界に紛れて生きることにしたルカは、正体を隠した状態で学生として過ごしている。

 ひょんなことからその正体を知ったクオだが、ルカもまたクオの素性──〈魔女狩り〉の兵士という秘密を握っているのだ。


 かくしてクオとルカは、互いの秘密を守る「共犯関係」となって学生生活を送っている。


 ──ということをノエルは知らない。


 もしルカが魔女と判明すれば、〈魔女狩り〉として即討伐とうばつしてしまうはずだ。

 怪しまれるような行動は慎むべきなのに、ルカはノエルをからかってはその反応を面白がり、怖い顔で睨まれようとどこ吹く風だ。


 クオはその場を取りつくろうべくあたふたと二人を見比べながら、


「ななななにも心配するような事はありませんのでっ。いたって平穏無事ですっ。

 今朝も問題なく登校してこのように着席しておりますっ。今日も授業に励みますっ」


 自分なりにこの場を丸く収めたつもりだが、ぎこちないことこの上ない。


「ぷふっ。クオってば、言えば言うほど無事じゃなく聞こえちゃうなあ」


 クオの様子を面白がり、ルカはにまにまと口元を緩める。


「やっぱりなんか悩みでもあるんじゃないー? 相談してみたら? ねーノエル」

「……なんであたしなんだよ」

「なんでも聞いてくれそうだもん。お母ちゃんみたいにさ」

「誰がお母ちゃんだ⁉ ルカおまえ、前からやたらと──」

「わ、わわわーっ、そそ相談とかっ、大丈夫ですので、そのあの、えっと……っっ」


 またしてもルカがからかいノエルが剣呑けんのんになる、という状況にクオがひやつく。


(ど、どどどどうしようどうしよう、話を逸らすには別の話題を……っ、あ、『会話で使える項目』、ノートにメモしてたのが、えと……わああ、思い出せないですーっ)


 混乱が極まったクオは、突然がたん、と立ち上がった。


「ちょ、ちょっとあの、席を外しますっ、その、ノートを見直しますのでっ、あ、でも、決して問題はないので。すぐに戻りますっ、気にしないでくださいっ」


 会話に詰まった時に備えていた話題メモの内容をごっそり忘れてしまったクオは、その見直しのために鞄片手に教室を走り去ってしまった。


「──ちょ、おい、先輩っ?」


 ノエルが止める暇もなく、クオは風のように教室から姿を消す。


「なんだ、急にどうしたんだ先輩……腹でも壊したんじゃないだろな」


 その呟きにルカが「ぷふっ」と噴き出した。

「ノエルってば、クオの心配ばっかりしてるなあ」

「べつにこれは……心配とかじゃねえよ」


 ノエルは口ごもった。クオの素性含め自分の任務は秘密なので、自然と言葉も減る。


「ふうん、そうなのー?」


 そんな秘密をとっくに知っているルカは、ひとりにんまりとするのだった。

 取り繕ってあわあわするクオや、厳しいようで世話焼きなノエルの様子を楽しむように。


「でもさ、クオってなんか放っとけないよね。ノエルが色々気にしちゃうのもわかるなあ」

「……まあな」


 ノエルは腕組しながら息を吐く。


「授業じゃ先生に指名されただけで心臓止まりそうな顔になるし、落ち着きないんだよな。

 人に頼み事ができないのか、ひとりでおろおろしがちだし。

 こないだも髪型アレンジしてみたかったのか、髪の毛くしゃくしゃにして落ち込んでたしさ。髪いじるくらい、あたし手伝ってやるのに」


「ふうーん、そうなんだねえ」


 ノエルはぼやいているが、その眼差しはもはや監視というより見守るものだ。

 端々ににじみ出る優しさを感じ、ますますルカは口元を緩ませる。


「? なにニヤニヤしてんだ、ルカ」


 不思議そうに首をかしげているノエルに、ルカは薄い笑みだけを返すのだった。

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魔女狩り少女のぼっち卒業計画 短篇 熊谷茂太 @kumaguy_motor

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