ルカはクオを嗅いでみる

ルカはクオを嗅いでみる

「あれ」


 授業が終わり、ふとこちらに目を向けたルカが手を伸ばしてきた


「おやおやクオ、こっちのやつがほどけちゃってるよ」


「こっち、にょっ? ふひゃあっ⁉」


 耳元の感触にクオが声をひっくり返す。


 耳から首筋へ──するんと辿ったルカの指先がからめ取ったのはリボンひもだった。

 クオがいつも二つ結びにしている髪をまとめているものだ。


「ほらほら。クオのリボン。ちょっとゆるくなっちゃってたみたい」


「あ、わわ、ありがとうございます、ルカ。あやうく髪型が乱れるところでしたっ」


「ぷはは、大げさだなあクオは」


 実は軍の特殊部隊〈魔女狩まじょがり〉であるクオの反応に、ルカはいつもの薄い笑みをにんまりさせて顔を寄せた。


「結び直していい?」

「あ、はい。でも自分で…………ひゃぁっ?」


 耳から首筋にかけて伝わる感覚に、思わずクオは肩を跳ね上げた。


 ルカがクオの髪を指ですぅとくしけずりながら、解けてしまったクオの髪をまとめていく。

 頭皮や耳の縁、何より髪をたどるルカの指の動きに合わせて──全身がぞわぞわしてしまう。


「ふぇ……ょょょょょょょょ……」


 へんな声がクオかられる。


 ルカは普段から距離感が近く、無邪気にクオに触れて来る。


 超がつく人見知りであるクオが、触られるたびにびくーっと驚く、そんな極端な反応を楽しんでいるようだ。

 時には「フカフカしてる」と絶賛(?)しながら胸やら太ももやら触る一幕もある。


 ルカに敵意や殺気がまったくないし、危害が加えられているわけでもないので──


(逃げたり防御するのは、違うような……ふ、ふつうは、どうすれば……っ)


 クオには人づきあいというものに慣れなければいけない、という任務関連の課題もある。

 そんな思いを巡らしつつ。


「ふ……っ、ぅひゃぅぅぅー……っ」


 奇妙な声を発しつつ、目を閉じ、全身硬直させ、とにかくクオは耐えた。


 そんな反応を楽しむかのように、ルカはクオの耳元をくすぐりつつ指を動かし、きゅっとリボンを結ぶのだった。


「はいできた」ルカはそう言うと、ふっと何かに気付いたようにクオの髪を手にすくい上げ、


「くんくん」と、髪の匂いをいだ。


「ひゅ、みょっ……?」

 髪の毛伝いの不思議な感覚に、クオがまたへんな声になる。


 ルカはしげしげとクオと、手にした髪の毛とを見比べていた。


「クオ、なんか良い匂いがする」

「いっ、良い匂い、ですか?」


 クオはきょとんと目を瞬かせる。


「えと、石鹸の匂いでしょうか? いつも寮のシャワーで、軍支給品の残りを、使ってます、けど」


「んんー? 石鹸かなあ?」

 ルカが小首を傾げながら、再びクオの髪の毛を嗅ぎつつ、

「んー、石鹸とか、香料ともちょっと違うような……

 〈魔女狩り〉の血の匂いも、ちょっと混ざってるけど……」

 ぽつりと呟く。


〈魔女狩り〉の血。


 人間でありながら天敵の異種族である魔女の血を取り込んだことで特別な力を獲得した、特殊部隊〈魔女狩り〉である少女が有する特異の証明。


 ルカがそれに反応するのは、彼女自身が魔女の生き残りであるからだった。


 クオとルカは、明かされれば危うい秘密を互いに守り合う「共犯関係」なのだ。


 くんくん、とルカに髪を嗅がれる感覚に徐々に慣れて来たクオは、真面目な顔であれこれ考え始めた。

 

「えっと……何の、匂い……でしょうか……」


 クオは視線を上に、直近の自分の行動を回想した。

 今日一日の、これまでの行動を──


「あ、通学のとき、人と遭遇するのが苦手なので、早朝のうちに走って来ました、けど」

「早朝に? そりゃヒトには会わないだろうけど、わざわざ走ったら汗かくでしょ」

「あ、でも、汗をかくほどの行動では、なかったので」

「そうなの? でも寮から学校までって距離なかったっけ? 普通に歩いて二十分くらい」

「あ、そんなことは。屋根の上なら入り組んだ道を回避できます、ので」

「……屋根の上」

「そこを走っていけば、三分くらいです」

「……はやー」

「屋根のルートでしたら、入り組んだ路地よりも最短距離を直線移動できます、ので」

「ぷはは、朝からアクロバティックなことしてるなあ」


 驚き呆れていたルカは、とうとう噴き出してしまった。


「まあいいや、とにかくクオはいい匂いってことだね」


 ルカは気楽に話をまとめつつ、ついでにクオのリボンを整えた。


「あ、わたしの匂いが普通じゃないとか、そういうことではなかったんですね……」

「ぜーんぜん。なんでか気になっちゃった。自分の匂いと違うから?」


 ルカは適当な口調でそう言うと、自分の髪の毛をすんと嗅いだ。


「んー……ぼくの匂いは……自分じゃわかんないなあ。どう? クオ」

「?」


 自らまんで寄せてきたルカの髪の毛に鼻を寄せ、くんくんとクオも匂いを嗅ぐ。


 彼女の髪は真っ白に見えて、微かなかげがある薄墨うすずみ色だ。

 陽の光に包まれた柔らかい毛先の感触がクオの鼻に触れている。


 その香りは、ほかならぬ魔女の匂いであるはずだ。


 かつての天敵。〈魔女狩り〉である自分がたおすべき存在。


 けれど今のクオは、何の緊張もなくルカと向き合い、互いの匂いを動物のように確かめ合っていた。


 新鮮な土と草花のような。庭園か草原で寝転がって身体に馴染んだような、ルカの香り。


 なんだろう、この匂いは。わからない、けど──いい匂い。


「…………ぷふっ」


 不意に。


 ルカがクオの髪の毛を鼻先に寄せたまま笑い出した。


「?」


 ルカの髪を鼻先に、匂いの正体を考えていたクオが顔を上げると──


 互いの顔が、びっくりするくらい近くにあった。


「クオったら、そんなに真剣な顔して考えることじゃないでしょ」


「──ひゃっ、ふわ、す、すみませんっ、つい、考え込んでしまいましてっ」


 いたずらっぽいルカのにんまり笑みを目の前に、思わずクオがり──


「ぷしゅんっ」


 ルカの毛先に鼻先をくすぐられ、クオはくしゃみをひとつ、してしまう。

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