ノエルはクオを見張っている?
ノエルはクオを見張っている?
廊下に出たクオは、きょろきょろと辺りを見回した。
(えっと、あ、確か一階の購買部で食料が入手できるはず、です)
手近の開いた窓からそろりと顔を
そこでは昼休みを迎え、ランチを求めて賑わう女子生徒たちが群がっている。
「クリームパンとイチゴパンくださーい」「チーズサンドセット二つでー」「あ、そのサンドいいなー」「半分こしようよー」…………
購買部にずらりと並ぶパンをあれこれと指さしながら、女子たちが明るい笑顔や注文の声を交わらせている。
その光景を前に。
(ひぇぇぇぇ…………)
クオは窓の縁に置いた手をぶるぶると小さく震わせていた。
(しょっ、食料を入手するには、あの
極度の人見知りで、人と関わる諸々の行動が苦手なクオにとって「人だかりの購買部でパンを入手する」とは、とんでもなく難易度の高い行動なのだ。
「うぅ、軍用保存食のストックが尽きてしまうなんて……」
昨日までのクオは、お腹を満たせる、口に入れても死にはしない、長期保存だけが長所の軍用食料で昼休みの補給をしていた。
通学中の露店や購買部で買うことをことごとく避け、手元にあった保存食ばかり食べていたばかりに──当然だが、尽きた。
さすがに軍部にいる自分のボスに、食料補給要請のためだけに通信はできない。
(に、任務以前に、またボスに
窓の縁にしがみついて頼りなげに震えるクオだが──
実は王国軍特殊部隊〈
今は任務のため「普通の生徒」としてこの学園に通っているのだ。
クオとしては、ランチ分の食事を抜く程度なんら問題はないのだが──そうもいかない。
「普通の生徒」は、昼休みには食料を補給し、休憩を取るものだから。
──「普通」の条件を満たさなければ……!
かくして苦手ながらも律儀に、クオは昼食をとろうとしているのだった。
が、おどおど迷っていると、眼下の賑わいが増してきた。
購買部にはパンを求める生徒たちがどんどん集まっている。
(! はぅわぁあああっ。しっ、しまった、迷っていたばかりにーっ)
クオはあわあわと窓から身を乗り出した。
あれだけの人数の中に飛び込んで、声を出して、パンを注文するなんて……過酷すぎる。
もういっそ、売り場の周りに落ちているパンくずでいい。
支払いを惜しんでいるわけではないが、購買部で注文をするという行いに比べれば、地面のパンをこっそり摘まむ方がよっぽど──
(~~~っ、で、だだだだめですっ。そんなの、普通の生徒はしないはずですしっ)
むしろ人としてだめな行いなのだが。
クオは追い込まれながらもぷるぷると首を振った。
「──なにしてんだ、先輩」
と、そこへ背後から無骨な声がかけられ、クオはびくーっと飛び上がる。
「! ひゃっ、……ひょぇる、あ、にょ、の、ノエルっ」
「……そんな名前の噛み方、あんのか?」
振り返ると、そこに立っていたのは隙の無い
「す、すみません……っ」
「いいけどよ、何してんだ先輩。さっきから窓の外見てたけど──」
ノエルは鋭い眼差しでクオを見やる。
「なに企んでんだ? 不審な真似するなら──一瞬で制圧してやるけど」
「そっ、そそそそんなっ、わたしに、たく、たくらみなど何もっ──」
クオは慌てて首を振る。
それをじっと
ノエルは特殊任務で「普通の生徒」になっているクオの挙動を見張るために軍から派遣された、同じ〈魔女狩り〉の部隊員だ。
経歴の長いクオを「先輩」と呼んではいるものの、気迫も佇まいも、圧倒的にノエルの方が上位の風格を
現に声をかけられただけで慌てふためくクオは、さながら猟犬に追われるウサギだ。
ノエルを前に直立し、カタカタとその場で揺れながら、
「こっ、こここ、購買部の様子を、窺っておりましてっ」
「購買部?」
「あ、はい、その……本日の食料の補給地点として、目星をつけてはみたものの、なかなか状況が、その、わたしの介入できる様子ではないように見えまして、その……」
「なんだ……」
ノエルはいち早く察したように頷いた。
クオが対人関係能力に難あり、という点を彼女は
「だったら早く向かったらいいだろ。パン、売り切れるぞ」
「あ、はい……ですが、その……」
「ミックスサンドとかチーズパンとか、人気のものはもうなくなってるんじゃねえか」
「へぅ……」
「行列作ってるわけじゃないから、人込み
「ひぐ……っ」
「でかい声出して注文しないと、購買の人も取り合ってくれないからな」
「……ひえ……」
淡々としたノエルの言葉にクオは追い詰められたように
「もうわたし……やっぱり、売り場に落ちたパンくずでいいです……」
「おい⁉ 追い込まれすぎだろ、先輩!」
泣きそうな声で最終手段に及ぼうとしているクオに、ノエルは声を荒らげた。
「わたしには、自分から食料を要求して、それを頂戴するなんて過酷な行い、とうてい成し遂げられそうにないです……
購買部の周辺に落ちているはずのパンくずを回収した方が……」
「ちょ……っ、おいおいおい待てってば先輩!」
「ふぇう……気配を消せば人にも気付かれずパンくずも拾えると思いますので、ご迷惑には……」
「あーもう、そういうこと出来るとしても実行すんなって!
わかったよあたしも付いてってやるから!」
「…………ふ、へ?」
クオが顔を上げると、ノエルがぶっきらぼうに顎をしゃくって見せた。
「行くぞ、先輩。──なにしてんだよ。行くんだろ、購買部」
「ふぁ、へゃ、は、はい……」
先導するように歩くノエルの背中を、クオはきょとんとした顔のまま追うことになった。
ノエルの
いつもは背後で自分を見張っているノエルが先を歩き、その後を追うという珍しい立ち位置になっていた。
ノエルはこちらを振り返らない。
ただ、クオの気配を意識してか、ふと言葉を投げてきた。
「トマト入りの野菜サンド」
「……ぅ?」
「購買部の昼飯で、売ってるんだよ。意外とうまい。隠し味にちょっとチーズが混ざってるんだ」
「えっ、あ、そうなんですか?」
「あと、売れ残ってることが多いけど、バゲットがねらい目なんだ」
「バゲット、ですか?」
「見た目が地味なパンだけど、
「! そうなんですね……バゲット……」
「あそこのパンならなんでも美味しいけどさ。
とにかくよ、昼の補給はしっかりしないと午後の授業がもたなくなるぞ、先輩」
そう言ってノエルは一度振り返った。
クオを監視する任務に就いているノエルの眼差しは、きりりと隙が無い。
目が合う度にその迫力に気圧されていたクオだが、今は全身が強張ることはなかった。
(あ、ノエル、わざわざ昼食の補給に付き添って、美味しいもの教えてくれて、心配までしてくれてる…………?)
ちょっとでも不審な真似をしたら、ひっ
だが、厳しく監視しているようで、クオのことをいろいろ気にしてくれているような気が──
(……や、でも、そんな。監視の一環かも、でも──)
「の、ノエル。あ、あの、ありがとうございます」
あれこれと考えた末に、クオはそう口にしていた。
「詳しい情報まで、教えていただいて……」
「べつに。注文は自分でしろよ」
「う、あ、はい。……頑張ります」
ノエルは、ふん、と
クオはすこし緊張のほぐれた足取りで、そのあとをついて歩く。
ノエルのおすすめが残っていればいいな、と思いながら。
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