第11話 女優 慈代

 演劇部の練習の日。噂通りざわついている。


 三年生の和美かずみ恵人けいとに耳打ちした。

「あなた、慈代やすよに謝りなさいよ」


「恵人、やるじゃん」

 三年生の雅也まさやが恵人の肩を叩く。

 雅也は演劇部一のイケメンで演劇部だけでなく大学内外を問わず人気があった。


「いいんじゃないの。俳優はモテなきゃ……な」

 と言って、もう一度、恵人の肩を叩いて去って行く。


「サイッテー」

 それを見ていた和美が雅也の背中に向かって言う。


 雅也は振り向かず手を振って清田きよたたちの方へ行った。


 瑞葉みずはは他の一年生女子と話をしていた。瑞葉は一年生の中では一番美人だと周りも認めていた。特に仲のいい木原芽衣きはらめいは、なにかと瑞葉を応援する。

「瑞葉、慈代さんに負けちゃだめだよ。私たちが守ってあげるから」

「いや、あなたたちは慈代さんを知らないのよ」


 慈代が稽古場に入ってきた。

 いやでも全員の注目が集まる。誰も慈代に声を掛けないが、教室の意識が全集中しているように思えた。


 怒っている……瑞葉はそう思った。

 慈代は瑞葉の方を見向きもしない。芽衣がその空気に耐えられなくなり慈代に近づいて行った。


「慈代先輩。瑞葉のことを怒ってるんですか?」

「……」

「でも、瑞葉が恵人先輩を好きなのは別にいいんじゃないですか?」


 稽古場の中が静まり返った。


「あなた……芽衣めいさんだったかしら」

 振り返り、一歩、芽衣に近づく。


 芽衣は後ずさりし、少しよろめいた。


「あなた……勇気あるのね」


 そして、そのまま芽衣の横を通り過ぎた。芽衣は思わず道を開けた。


 ゆっくり、まっすぐ瑞葉の方へ近づいていく。


 緊張する瑞葉。

 ぶたれる……

 身体からだが縮まる。

 自然に下を向き涙が出そうになった。

 怖い……

 震えていた。


 慈代が下を向く瑞葉の顔を覗き込む。


 部屋にいる全部員に緊張が走った。一触即発という言葉はこういう状況を表すのだと誰もが思った。

 恵人は瑞葉を助けようと思い近づこうとした。


 慈代が、もう一歩、瑞葉に近づいた。


「震えてるの?」


 瑞葉は拳を握りしめ首を振った。

 震えながら恐怖に目を閉じる瑞葉……


「瑞葉さん。あなた……綺麗よ」


 慈代は瑞葉の唇にキスした。


 時間が止まった……


 目を見開き、身動き一つできない瑞葉……


 心臓の鼓動が止まらない。


 そこにいた全員が言葉を失い、その光景に、目も、心も奪われた……


 優しく唇をはなす慈代。


 瑞葉はひざからくずれるように、その場に座りこんだ。


「瑞葉さん……恵人君にしたキス……返してもらったわね」


 そう言って慈代は去って行った。


 瑞葉は何も言えなかった。涙がこぼれた。


 一年生の女子たちが彼女の周りに集まって来た。


「大丈夫? 瑞葉……」


「好き……」

「え?」


 口を覆い瑞葉は泣いた。


「慈代さん……素敵。私、慈代さんを好きになったみたい」

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