妖精の仕事

島丘

妖精の仕事

 妖精のサツキが自殺したので、代役を頼まれた。


 杖を持って踊るだけでいいと言われたが、妖精専用の杖は爪楊枝よりずっと小さい。

 こんなもん折れるわ、と言ってやったら、根拠もなしに「いけるいける」と言い出す。

 押し付けられた杖を指先でつまむ。今にも折れそうだ。


「というか自殺?」

「そう。サツキってば真面目で責任感が強いやつだったからね。もともと妖精に向いてなかったんだよ」


 頬に手をあてて溜め息を吐くヒナノは、今年で妖精歴四百年になるベテランだ。


 三ヶ月前ベランダの掃除をしているときに、何も入っていない植木鉢の上に倒れていたのを保護したことから、今でもその縁は続いている。


 自分は人間が好きでも嫌いでもないが、人間のつくる食べ物は好きだ。そう言って口にしていたのが粘土やらスライムだったので、すぐにやめさせた。


「今は繁忙期だしねぇ。タイミングも悪かったかなぁ」


 つまんだ杖を指先でつんつんと突っつきながら、ヒナノは言った。


 さすがに本気で任せるつもりはなかったようで、手のひらを向けて返却の意思を表される。

 大人しく返すと、それはヒナノの手にすっぽりと収まった。あるべきところにあるというのはいい。


「妖精にも繁忙期とかあるんだな」

「そりゃあるよ。春になったら妖精が見えるようになる人間がうんと多くなるからね。三歳から七歳までの子どもが一番多いけど、最近は新社会人もよく見えるんだよね。そんなに現実がつらいのかなぁ」


 そこまで言うと、手に持っていたコップの中身を一気に呷った。

 ヒナノが来るようになってから用意した、専用のミニチュアコップだ。同じく用意したミニチュアテーブルに置かれた空のコップには、先程まで牛乳が入っていた。ちなみにスーパーの寿司のパックについてくる魚型の醤油差しで注いだ。

 砕いたクッキーの一欠片を食べるヒナノに尋ねる。


「妖精って、夢見がちな人間に見えるんだよな?」

「そうそう。夢見がちで空想好き。だからいつの時代も、子どもに見えるのが多いのはわかるんだよ。でもここ最近は大人にも見える人が多い。君みたいにね」


 ヒナノに指を差された俺という大人も、ここ最近妖精が見えるようになったばかりの人間の一人だ。

 夢見がちで空想好き。というわけではたぶんない。どちらかというとリアリストだった俺が、なぜ見えるようになったのか。答えは簡単。現実逃避だ。


 ここ数年の間に猛威を振るった新型ウイルスとその影響によって、人々のフラストレーションは溜まりに溜まっていった。どこにも出かけられないという状況が続いたわけだ。

 海外旅行は規正され国内でさえ移動することは憚られ、友人にも会えず実家にも帰れず、常にマスクに覆われた息苦しい日々が随分と長く続いた。

 唯一の利点といえばくだらない飲み会がなくなったことくらいか。いや、それに関しても、楽しんでいた人はいたわけだが。


 最近になってようやく落ち着いてきたが、それでも以前とまったく同じような日常というわけにはいかない。

 ライブでは声出しが禁止され、アルコール消毒は当たり前のものになり、マスクをつけていない人の方が目立つ。そんな毎日だ。


 インドア派だった俺でさえ、自由に外出できないということが想像以上のストレスになった。昔は考えもしなかった旅行について想像を巡らせ、漫画や小説を読んでは羨ましいと歯噛みした。

 キャンプ漫画を読めばキャンプをしたくなり、アイドル漫画を読めばライブに行きたくなった。

 年甲斐もなく妄想したりもした。自由で自然豊かで綺麗なエルフがいる異世界で、無双する自分を。


 そんなときに、ヒナノに出会った。

 ベランダに置きっぱなしにいていた空っぽの植木鉢の中に、ヒナノを見つけた。


 妖精が存在することは知っていたが、それはあくまで知識としてだ。写真の中でしか見たことがなかった俺にとって、ヒナノとの出会いは衝撃的なものだった。

 すぐさま保護し、使わなくなったハンカチをリメイクして布団をつくった。

 目覚めると、刻んだ板チョコと、ペットボトルの蓋に注いだ緑茶でもてなした。そして倒れていた理由をたずねると、ヒナノはこめかみを押さえながら答えた。


「たぶん二日酔い」


 妖精ってそんなに神秘的なもんでもないかもしれなき。そのとき初めて思った。


 以来ちょこちょこ遊びに来るようになったヒナノは、会う度に妖精のイメージを一枚ずつ剥ぎ取っていた。

 今日だってそうだ。妖精が自殺するなんて、思いもしなかった。


「というか、妖精の仕事って何だよ」

「歌って踊ること」

「いや、マジでさ」


 ヒナノは舌をべっと出して、黒目を上に向けた。何だその顔。妖精がしていい顔じゃない。


「こうやって子どもをあやすことが仕事」

「泣くわ子ども」


 どうやら話すつもりはないらしい。まぁ誰にだって秘密はあるか。俺は諦めて、自分のグラスに注いだ麦茶を飲み干した。ぬるくて薄い。


「まぁわたしのことはいいじゃない。そっちはどうなのさ。阿津森あつもりさんとは仲良くなった?」


 阿津森さんとは、同じ会社で働く事務の女性だ。地味っぽいけど優しくて穏やか。お菓子もよくくれる。ちょっと前に話をしてから、俺は阿津森さんが好きだと勘違いされていた。

 そりゃ嫌いじゃないけど、好きでもない。毎回誤解を解こうとするが、この妖精は人の話を聞かないのだ。


「だから好きじゃないって」

「映画とか誘ってみたら? 今って何やってるんだろ」

「妖精も映画観るのかよ」

「めちゃくちゃ観るよ。ターミネーターとか」


 ターミネーターとか観る妖精、普通に嫌なんだが。

 ヒナノは阿津森さんに興味津々のようで、最近はことあるごとに尋ねてきた。その度にかわしているのだが、今日は一段としつこい。


「いいから誘いなって。人間なんて寿命短いんだから、この先何が起こるかわかんないよ」

「妖精基準で考えるなよ。というかほとんど面識もないのに誘ったら気持ち悪いだろ」

「他人に求められてるって思うだけで嬉しいもんだよ」

「変な言い方するな」


 ヒナノはそれからしばらく、ずっと阿津森さんを誘え誘えとうるさかった。

 あんまりにしつこいので話を遮るためにグラスを持って台所に移動する。グラスを洗っていると、ヒナノが肩に座ってきた。こんなあからさまな接触は初めてだ。


「誘ったら、妖精のお仕事が何なのか教えてあげるよ」

「は?」


 ヒナノはそれだけ言って、さっさと飛び去った。何なんだ一体。空っぽのミニチュアコップを洗いながら、ヒナノの言葉を反芻する。

 阿津森さんのことは好きじゃないけれど、妖精の仕事は普通に知りたかった。



 翌朝出社すると、テーブルにチョコレートが置かれていた。向かいの席の先輩に尋ねると、阿津森さんだと教えてもらった。


「何かちょっと気持ち悪いよな。無言で毎回置かれてもさ」


 俺は先輩の言葉には曖昧に笑って、阿津森さんを探しに行った。二階に下りると、端っこの席に阿津森さんが座っていた。相変わらず地味な服で、背中も丸まっている。


「阿津森さん」

「あっ、ひ、平山ひらやまさん。お疲れ様です」

「お疲れ様です。チョコ、阿津森さんですよね? いつもありがとうございます」

「いえ、そんな……」


 顔を伏せてボソボソ話す阿津森さんの声は聞き取りづらいけれど、声はけっこう好きだ。


 用も済んだし話が続くタイプでもない。けれど昨日のヒナノの言葉が頭から離れなかった。

 いや、でも、さすがに映画に誘うのはちょっと。周りに人もいるし。でも、妖精の仕事は気になる。


 帰りもせずに無言で目の前に立ち続ける俺を不審に思ったのだろう。阿津森さんが気まずげに見てくる。

 まずい、何か話さなくては。考えもまとまらないまま口を開く。


「いや、あの、映画とか」

「え?」

「ちがっ、そう、妖精が……」


 言ってから自分の失言に気が付く。この年になって妖精が見えるようなロマンチストだと思われたくない。


 咄嗟に口を閉じるが、しっかり聞こえてしまったらしい。阿津森さんは目を見開いて驚いている。そして唐突に椅子から立ち上がると、彼女にしては珍しい大きな声で言った。


「平山さんも妖精が見えるんですか?」


 周りの視線が集まったのがわかった。恥ずかしいやら何やらで、俺は反射的に否定する。


「いやいやいや、見えない、見えないよ。あんなの子どもが見るやつじゃん」


 言ってから、二度目の失言に気付いた。さっきの言い方からして、阿津森さんにも妖精が見えているようだ。なのに子どもが見るやつだなんて言い方をしてしまった。


 人が傷付いたときの顔を目の当たりにする。罪悪感でいっぱいになっていると、通りかかった山城やまぎ課長がニヤニヤしながら言った。


「何だ阿津森さん、妖精が見えるのか? もういい大人だろ〜」


 からかう課長と、それに追従するように聞こえてくるクスクスとした笑い声。皆がこちらを見て、阿津森さんを馬鹿にしていた。


 とんでもないことをしてしまった。今からでも言うべきだ。実は俺も妖精が見えるのだと、軽い調子で言えば、阿津森さんを少しだけ救える。


「なぁ平山。お前もそう思うだろ?」

「いや、はは、そうですね」


 わかっていたのに、俺は言えなかった。弱々しく笑って同意する自分をぶん殴ってやりたい。こんなことならお礼なんか言いにこなければよかった。後悔と罪悪感でいっぱいになる。


 俺はすぐに逃げ帰った。阿津森さんの顔は、怖くて見れなかった。



 家に帰ると、ヒナノがベランダの窓を叩いてきた。

 部屋に入ったヒナノはしばらくいつものように話していたが、俺の様子に思うところがあったのか、珍しく気遣うように言う。


「何かあったの?」


 俺はヒナノに今日のことを話した。反省の意味合いを込めたが、少なからず八つ当たりしたい気持ちもあった。ヒナノが余計なことを言わなければ、こんなことにならなかったのに。


 話を聞き終えたヒナノは、何もないところからステッキを出してきた。空中に出現した、爪楊枝より小さな細っこいステッキ。それが小さな手のひらに収められる。


「ちょっと手出して」


 疑問に思いながら言われた通り右手を差し出す。ヒナノはステッキを軽やかに一振りした。金の粉がちらちらと、手のひらに降り注ぐ。

 すると不思議なことに、あんなにささくれだっていた気持ちが落ち着いてきた。


「これが妖精の仕事の一つ」


 ヒナノはけろっと教えてくれた。秘密にされてきたことが唐突な形で開示されることは、必ずしも喜ばしいだけではない。

 それよりも驚きが勝った。金の粉の存在も、凄いというより不気味に思える。


「な、何だよ今の。怖いんだけど。副作用とかないだろうな?」

「それを真っ先に思っちゃうところが君だよねぇ。素直に喜びなよ。たぶんその内わたしのこと見えなくなるよ」

「いいから教えろって!」


 ヒナノはステッキを左右に振り始めた。今は金の粉は出ていない。


「ないよ。あのね、妖精は気まぐれなの。だから気まぐれに人間を助けたり助けなかったりするの」

「それが仕事なのか?」

「仕事じゃないけど仕事みたいになってる。人間を気まぐれに助けたりいじめたり、そういう性質がいつしか役割になっちゃったんだよ」


 性質が、役割に。誰に強制されずにしていたことが、次第に義務のようになっていったということだろうか。


「つまり、好きで撮り溜めしてたはずのアニメを観るのが苦痛になったり、惰性でソシャゲにログインだけしたり、そういうことか?」

「いや、それはわかんないけど」


 ヒナノはあっさり否定して、振っていたステッキを胸の真ん中で止めた。一本の細く短い線が、ヒナノの体を等分している。


「見える人間が増えるってことは、それだけ求められることが多くなるんだよ。わたしはそれが面倒だと思うけど、サツキみたいに嬉しく思う妖精もいるんだ」

「じゃあ何で、自殺したんだよ」


 嬉しいのに自殺するなんて、矛盾している。今こそたくさんの人に求められていたはずだろうに。


 俺はヒナノの答えを欲しながら、聞きたくないとも思っている自分の矛盾にも気付いていた。

 それは妖精のイメージが覆るからではなく、もっと別の理由だ。言いようのない嫌な予感がしていた。そしてそれは、当たってしまった。


「全員助けられないから。特に大人はね」

「助けられないって」


 妖精が見える条件は夢見がちであること。空想好きであること。そして、現実逃避をしていること。

 今のつらい現実から、逃れたいこと。


 俺は阿津森さんのことを思い出していた。人との距離感がわからず、嘲笑に晒され背中を丸める彼女のことを。


「し、死ぬのか」

「それはまぁ、人によるでしょ」


 ステッキから手を離す。落ちることなく見えなくなり、ヒナノの手は空っぽになった。準備運動でもするみたいに、右手の手首を回し始める。


「どこまですれば助けたことになるかなんて、個人によるよ。わたしなんか、今の一振りですっかり助けた気になったからね。いいことしたなぁって」


 言葉こそ軽いが、ヒナノの顔はどこか暗い。使っていなかった左手もぶんぶん回しながら、立ち止まることなく体を揺らしていた。


「でもサツキは、自分を求めてくれる人を全員ちゃんと助けられなかったから死んじゃったんだと思う。そういう子は、やっぱ妖精に向いてないんだよ」


 顔も知らないサツキの姿が目の前に現れた。小さな小さな体を丸めて、空から垂れ下がるロープの輪を見つめている。

 その後ろ姿は次第に輪郭を鮮明に保ち始めた。白いワンピースではなくグレーのセーターを。手にはステッキではなくチョコレートを。


 自殺した妖精は、今にも泣き出しそうな阿津森さんに変わっていた。


「誰かを助けられるなんて思っちゃ駄目なんだよ。そんな傲慢なこと思うのは、人間だけで十分」


 気が付けばヒナノはこちらを見上げていた。いつになく真剣な、妖精には似つかわしくない顔をしている。

 あんたは傲慢な人間であれと、言われた気がした。

 

 ◇


 スーパーを通り過ぎた直後に、牛乳が家になかったことを思い出した。

 牛乳だけ買うのは何だか気恥ずかしかったので、ファミリーパックのチョコレートも買う。列の一つ前には、カゴいっぱいに野菜や肉を入れている男性がいた。余計に恥ずかしくなった気がする。


 スーパーを出ると、小雨が降り始めていた。傘も持っていなかったので早足で家に帰る。

 玄関に入ると、カレーのいい匂いが漂ってきた。先程のレジに並んでいた男性のせいでカレーの気分になっていた俺には、ありがたい限りだ。


「ただいま」

「あっ、お帰りなさい。ごめん、気付かなくて」


 台所に立つ日菜実ひなみは、鍋の中をかき回しているところだった。コンロの近くには、半分ほどなくなった板チョコが置かれている。どうやら隠し味らしい。


「そこに置いてたら溶けるし、もういいならついでに直すよ」

「ありがとう。お願いするね」


 買ってきたものと板チョコをまとめて冷蔵庫に直していく。何だかチョコまみれだ。

 もう少しでできるからと言われたので、リビングで待つことにした。

 窓を開けて、外の様子を確認する。雨は弱く風も少ない。これなら植木鉢も避難させる必要もないだろう。日菜実が植えてくれたコスモスは、今日も綺麗に咲いている。


「お待たせ」


 窓を閉めるとほとんど同時に、日菜実がカレーを運んできてくれた。小皿に盛られたサラダと、グラスに入った麦茶がそれぞれ二つ分。


「そういえば、また牛乳買ってきたんだね」


 本当に好きだよねぇと言う日菜実に、俺は曖昧に笑った。


 別に凄く好きではないけれど、いつかまた会うかもしれない友人のために置いているだけだ。

 そんなことを言ったら、ロマンチストの夢見がちだと、日菜実にもあいつにも笑われる気がした。

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