【桃生弥恵】( 1 )


※ 8月20日14時30分ごろ ※



 盆を過ぎれば暑さは薄れる……という通説を覆し、今日も今日とて猛暑日だ。


 だというのに、翡翠の母、悠里は全身黒。7分袖のレザージャケットを着て涼しい顔をしている。

 対して、翡翠は半袖半ズボン。小さな妹、瑠璃はノースリーブのワンピースだ。

 もちろん、肌には日焼け止めを塗り、翡翠は野球帽、瑠璃は麦わらのカンカン帽を被って、対策はバッチリしてある。


 夏休みだというのに、猛暑や事件であまり外出が出来なかった反動だろう。

 ご機嫌で、スキップしそうな様子の瑠璃の手を引いて、翡翠が悠里と訪れたのは、とある繁華街の片隅にあるカフェバーだ。


 ちなみに、あかねと琥珀は、あまり情報の多くない、鈴本の周辺調べに行っている。


 時間はピークタイムの過ぎた頃。カフェバーに入っている客の数は少なめだ。

 バーカウンターとテーブル席で構成されている店内は、落ち着いた雰囲気で、大人向けだった。とはいえ、昼ならば、子供の入店は大丈夫なようだ。

 ただ、雰囲気を壊さない配慮は必要そうだが。


 翡翠としては、同年代の子供達のようにはしゃぎ回るより、静かにゲームやパソコンいじりをしている方が性に合うので、こういう店で大人しくしている事に苦痛は無い。


 しかし、5歳の瑠璃はというと……。


「お酒とコップがいっぱーい!」


 カウンター席には棚があり、ざっと見ただけで洋酒や日本酒などのボトルや色んな種類のグラスが並べられていた。

 酒好きな悠里が好むボトルも幾つかあり、それを見て瑠璃は棚にあるものを酒と判断したようだ。


 生まれて初めてカフェバーに来た瑠璃は、目を輝かせている。声も大きく、店内中に響いてしまった。


「瑠璃、お店に来た時のお約束は?」


 悠里がそれとなく注意を促すと、瑠璃ははっと気づいた様子で、両手で自身の口を塞いだ。


「大きい声を出しちゃだめ。お喋りの声はママ達に聞こえるくらい」


「そうだ。ちゃんと、お約束を守れるな?」


 母に諭され、瑠璃は大きく頷く。

 そんな悠里と瑠璃のやり取りを見て、席の案内をしていた女性が口元をこほろばせた。


「ちゃんと、ママとのお約束を守れて偉いね」


 少しかがみながら、瑠璃にそう声をかけてきた女性が、桃生弥恵だ。

 事前に悠里から写真を見せられていたので、翡翠はすぐに気づいた。


「ここはね、夜はお酒を飲むお店になるんだよ」


 瑠璃にそんな説明をする弥恵。

 穏やかで優しい声で、落ち着いた様子の女性だ。

 そして、子供好きなようにも見える。

 話しかける際、極力、瑠璃に視線を合わせようとする姿勢からそう感じた。


「夜? じゃ、今度は夜に来たい!」


 瑠璃がそんな事を言い出す。それを聞いていた悠里がふっと吹き出しだ。


「夜に来るのは、瑠璃が大人になったらだな」


 悠里の言葉に「なんで?」と、瑠璃は納得できない様子。


「瑠璃がまだお酒の飲めないお子ちゃまだからだよ」


 今度は翡翠が、からかい混じりに答える。

 すると、瑠璃の頬がぷっくりと膨らんだ。


「翡翠だってお酒飲めないのにー。お子ちゃまー!」


 ぷんすこという擬音が聞こえてきそうな様子の瑠璃。


「瑠璃が大人になったら、みんなで来ような」


 翡翠の言葉にむくれた瑠璃の頭を、悠里が優しく撫でる。そのお陰か、多少機嫌は戻ったようだ。


「うん。瑠璃が大っきくなったら、ママと琥珀くんと翡翠とあかねちゃんとで、夜に来るの!」


 瑠璃が大人になる頃まで、あかねがいると信じているあたりが、幼い子供らしいなと、翡翠は思う。

 いや、翡翠もまだ子供だが、瑠璃ほど無邪気ではいられない。母親似の明晰な頭脳故だ仕方がないのだ。


 無邪気に、未来のことを話す瑠璃の様子が可愛らしいのだろう。弥恵がにこにこと笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る