【探偵事務所の日常】( 2 )



 子供部屋のドアを、コツコツという、音をたてノックをすると、直ぐに返事が帰ってきた。


「なに?」と、ドアを開けて、顔を覗かせたのは、翠玉すいぎょくのような瞳をもつ男の子。


 神崎かんざき翡翠ひすい。悠里の次男坊で、小学4年生。

 10歳の割に、大柄な体躯の148cm。瞳の色が違っても、その髪色と容貌は母親と同じで、未来は兄のように、長身な美丈夫に育つだろう。

 白いTシャツにネイビー系のジーンズという、ラフな格好で、肩まで伸びた髪をひとつに纏めて結っている。


 ただ、絶賛反抗期中で、言葉遣いがつっけんどんだ。なまじ、神童と呼ばれるほどの頭脳を持つためか、とても生意気なのだ。

 

「おやつの時間だよ」


 あかねが伝えると、その言葉にいち早く、愛くるしい声の女の子が反応した。


「おやつ?! 食べる!!」


 翡翠の後ろから顔を出したのは、末っ子の神崎かんざき瑠璃るり

 夜明け直前の空を思わせる、深い青色の瞳がとても印象的な少女で、来月に5歳の誕生日がくる。


 瑠璃るりもまた、母親によく似た容姿と、黒髪をもっていて、悠里ゆうりのDNAがとんでもなく強い。将来は確実に母親のような絶世の美女になるだろう。

 フリルのついた花柄のワンピースと、お団子に結い上げられた髪がとても似合っている。

 おやつの話に目を輝かせて、なんとも愛らしい女の子だ。


 開いたドアの隙間から、画用紙やクレヨンが散らばった子供部屋が見えた。瑠璃が大好きなお絵描きをしていた事が、見ただけでわかる。


「その前に、部屋の片付けだぞ、瑠璃」


 おやつの話にウキウキとした表情の瑠璃に、歳の割に落ち着きすぎな声で、片付けを促す翡翠。


「えー、後でじゃ駄目?」


 瑠璃は、片付けよりも、おやつを優先したいようだ。

 けれど。


「駄目。部屋を出る時は、片付けてからが約束だったよな?」


 と、翡翠にピシャリと言われてしまう。

「むー」と、不服で顔を膨らませる瑠璃。


「ほら、手伝ってやるから、片付けだ」


口調はぶっきらぼうだが、妹の片付けを手伝うあたり、翡翠の面倒見が良さが伺えた。

 生意気な言動は多いが、妹には優しい兄なのである。


「部屋の片付けが終わったらすぐ行く」


 という、翡翠の言葉に、あかねは頷いた。


「わかった、伝えとくね」


 そう言って、あかねはリビングダイニングに戻ることにした。


 リビングダイニングから繋がったキッチンでは、悠里と琥珀こはくがおやつの準備中の様子。悠里は生クリームを泡立てているようで、琥珀は飲み物の準備をしている。


「お手伝いすることありますかー?」


 あかねがそう言うと、琥珀がやって来て布巾を手渡してきた。


「じゃ、向こうのテーブルを、この布巾で拭いてきて下さい」


「了解!」


 琥珀から布巾を受け取り、言われたテーブルへと向かう。

 あかねと琥珀が先程まで仕事をしていたダイニングテーブルではなく、そこから少し離れた場所にあるコーヒーテーブルだ。

 コーヒーテーブルを囲うように、幾つかソファーが設置され、団欒の時間に使われる場所である。

 

 おやつの準備が終わる頃、翡翠と瑠璃がリビングダイニングへと入ってきた。片付けが終わったのだろう。


「ママ、今日のおやつ何ー?」


 瑠璃が悠里の足元へ抱きつく。そんな娘の頭を優しく撫でる母。

 まるで絵画でも見ているようだ。


「ガトーショコラだ。チョコレートのケーキ。昨日、焼いてただろう?」


「あ! あの、チョコのやつ!!」


 どうやら瑠璃は、悠里がガトーショコラを焼いていた所に居合わせたらしい。


「昨日、味見した時よりも、美味しくなってるぞ。瑠璃のケーキには、生クリームもいっぱいだ」


 この会話だけで、昨日の2人の様子が想像できそうだ。


「生クリームいっぱいのチョコのやつー! 食べたい、食べたいーー!」


 瑠璃のテンションは最高潮。

 そこへ、翡翠がやってくる。


「その前に、手を洗いに行くぞ。手がクレヨンで汚れてるし」


 そう言われ、瑠璃は抱きついていた手を離し、両手を覗き込んだ。


「これは随分とカラフルだな」


 一緒に覗き込んでいた悠里がくすりと笑う。


「お手て洗ってくるーー」


 瑠璃の愛らしさに、思わず和むあかね。

 翡翠が瑠璃を、キッチンよりも奥にある、バスルームへと連れていった。

 子供たちを見送る悠里の横顔を、あかねは横目でちらりと見る。


 女だてらに探偵事務所を経営し、3人の子を育て、料理を含めた家事全般も難なくこなす。

 憧れの人。

 彼女に、どれだけ近づけるかはわからないが、それでも目指したい人。

 それが、神崎悠里という女性だった。

 

 あかねが悠里と出会ったのは、今から4年ほど前の事。

 いまだに、あの日のことは忘れられない。


 高校の帰り道、暴漢に襲われた所を助けてくれたのが、悠里だった。

 今でも鮮明に思い出せる。

 それは、強く印象づいた事件だった。

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