――神崎探偵事務所――

【探偵事務所の日常】( 1 )



※ 8月9日15時20分 ※



 屋外は猛暑もうしょを通り過ぎている。命の輝きに騒がしい筈のセミの声も、あまり聞こえてこない。

 酷暑こくしょの言葉がしっくりはまる、ある日の午後。


 都内の繁華街はんかがいから、電車で1駅。そこは、閑静かんせいな住宅街だ。

 主要な大通りが近く、交通の便が良い。駅のすぐ近くには商店街もある。

 そんな好立地な街の一角。


 傍から見れば、デザイナーズマンション。こんな場所に、探偵事務所たんていじむしょがあるのかと、不思議になるほどだ。

 その2階に、神崎探偵事務所かんざきたんていじむしょは、拠点を構えている。

 探偵事務所だけではなく、住居も兼ねている為、生活空間と仕事空間が混在している建物だ。


 間取りとしては、4LDK。

 仕事をする時は、その中の応接室として宛てがわれている部屋か、ダイニングを使う。

 今日の仕事は、ダイニングでのパソコン作業だ。

 カチカチ、カタカタとキーボードやマウスを操作する音だけが、しんと静まり返ったダイニングにひびく。


 と、一口にダイニングと言ったが、実際はリビングダイニングキッチンだ。

 とても広々としており、ベランダに繋がる南側が、ソファーやコーヒーテーブルが設置されたリビング。壁にテレビをかけてあり、くつろげる空間になっている。


 部屋の中央に、ダイニングテーブルセットを配置してあり、ここがダイニングとなる場所。西側の壁には感覚をあけて、2つの大きな窓が設置されていた。


 そして、その傍には、白く清潔感あふれるシステムキッチンがある。ここはいつも清潔に保たれており、大きな冷蔵庫が目を引く。

 食器棚はなく、上下の棚を上手く使い、食器や常備の食べ物を収納しているようだ。


 部屋の所々に、背の高い、パキラやサンスベリアなどの観葉植物。窓はブラインドカーテンを使い、採光を保ちつつも、強い太陽光が部屋に差し込まないようになっている。居心地の良い空間が作り上げられているのだ。


 もちろん、空調完備。おかげで、ダイニングは涼やかだ。猛暑の影響など1ミリも感じられない。

 そんな快適な職場環境で、眉根をひそめて大きなため息をつく女性が1人。


「画像整理って大変すぎる……」


 ダイニングテーブルの一端に腰を下ろし、ノートパソコンを開いて作業していたのだが、手を止め肩を落とした。

 頭が動き、焦げ茶色のポニーテールが揺れる。


 名は紅月こうづきあかね。大学2年生の19歳。

 神崎探偵事務所の新米助手だ。アルバイトとして働くため、この事務所に通っている。特に、今は夏休みもあり、出勤する日は多い。


 お気に入りのハーフパンツから伸びる太ももが、俯いたあかねの視界に入った。


 作業疲れで塞ぎ込んだあかね見てを、反対側に座る男、神崎かんざき琥珀こはくは、申し訳なさそうな顔をする。


「今回は少ない方ではありますが、それでも大変な作業ですよね……」


 気遣いの言葉をかける琥珀に、あかねは頭をあまり動かさずに、視線を向けた。


 彼は大学2年生で、誕生日が過ぎているため、現在20歳。

 185cmという高長身、中性的な美貌の青年で、清潔感のある、綺麗に整えられた漆黒の短髪。


 アイボリーの、五分袖ポロシャツに、黒いスラックスというコディネートは、そつがない。

 その日、目に付いた服を、適当に着るあかねとは大違いだ。


 しかも、丁寧な言葉遣いに、紳士的な態度と、モテ要素だらけだというのに、この男には更なるモテ要素がある。


 ウルフアイ。金色の瞳。


 雑誌写真やネット画像でなら見ることもあるかもしれないが、実際には、なかなかお目にかかれない色だ。

 大学ではさぞモテるのだろうなと、あかねは思っている。大学が違うので、彼の大学生活を実際見る事は出来ないが。


 あかね自身の見た目はというと、どちらかと言えば可愛いと言われる側ではあるが、琥珀の美貌の横に立てば、あっという間に霞む程度である。


 あかねは、視線をノートパソコンに戻し、項垂れていた体勢を整えて、作業を再開した。


「けど、これも助手の仕事………」


 あかねの作業は、調査結果を依頼者に渡す為にも必要なもの。

 神崎探偵事務所で働くあかねが、やるべき仕事なのだ。


「そうですね。報告書作成も覚えて頂くことにもなりますし、やる仕事は増えますよ」


 あかねは助手の仕事を初めて間もないのだが、琥珀は高校生の頃から助手をしており、今では1人でも調査や書類作成など、一通り仕事がこなせる。

 今現在、あかねは彼の傍について、助手としてのスキルを磨いているところなのだ。


 と、そんなやりとりの最中、1人の人物が姿を現した。長身で、琥珀とよく似た面差しの女性。


 彼女の名前は神崎かんざき悠里ゆうり。彼女は神崎探偵事務所の探偵であり、同時に琥珀の母親でもある。つまり、悠里が琥珀に似ているのではなく、琥珀が悠里にそっくりなのである。


 20歳の息子が居るとは思えない、20代だと言われても、信じてしまいそうになる程の若々しい顔。

 身長は183cmとモデルでも通用しそうな、スリムで整った体躯。


 絶世の美女という形容が見事にハマる容姿に、漆黒の髪は艶やかで、短く整えている。

 悠里と琥珀とで、異なった部分と言えば、瞳の色だろう。少し長い前髪の向こう側にある、ミステリアスな輝きに、あかねは何度見とれたことか……。


 それ以外で異なっているところと言えば、ファッションセンスか。悠里は、黒のパンツスタイルである事が多い。というか、スカートを履いている姿を見た事が無い。

 今日も、黒のタンクトップに、黒のレザーパンツという出で立ちだ。


 彼女は、しばらく前に、応接室の掃除をすると、リビングダイニングから出ていった。この様子だと、その掃除は終わったのだろう。


「そろそろ、休憩にしたらどうだ?」


 悠里は、あかねの表情を見て何かを察したのか、そんな提案をしてきた。


「そうですね。根を詰めるより、休憩を挟みつつが作業する方が、仕事効率が良いですし」


 琥珀も頷く。


「確かに……集中力も切れてきたし………」


 切れてしまった集中力を再び取り戻す為に、休憩を取るは良い事だと、以前聞いたことがある。あかねも2人の意見に同意した。


「ついでに、おやつの時間にしよう」


 悠里の言葉を聞いて、ふと、壁に掲げられた時計を見ると、時間は午後3時を過ぎた頃。おやつの時間にするには調度良い。

 琥珀の幼い兄弟たちの、おやつの時間だ。


「琥珀、翡翠ひすいたちを呼んで来てくれるか?」


 そんな頼みに「あ、それ、私行きます!」と、あかねが横から手をあげた。

 悠里は少しだけ驚いた表情になったが、すぐ、にこりと聖母の像のような、優しい笑みに変わる。


「では、あかね、頼むな」


「はーい」


 あかねは、返事を返すとリビングダイニングから出て、すぐ近くにある子供部屋のドアの前へと向かった。


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