第6話 噂の美男子
それは突然の知らせだった。
「アスナぁぁぁぁぁ!!!」
まだ朝の準備が整っていない中、ヨンスの声が城中に響き渡った。
掃除をしていた者も、朝食の準備をしていた者も皆何事かとざわめき始める。
ドタドタ廊下を走るヨンスは、足元から「キキー!」と音がなりそうなほどの勢いでアスナの部屋の前で急ブレーキをかけた。
勢い余って「おっと」とよろける。
そしてノックもなしに、バン!と彼女の部屋のドアを開け放った。
「アスナ!起きるんだ!」
まだベッドですやすや寝ていたアスナは眠気眼でモゾモゾ動きながら、声のする方へ顔を向ける。
しかしまだ目が開いていないようで、そのままウトウトし始める。
「アスナ!起きなさい!」
全く起きようとしない彼女のもとに駆け寄り、かけられた布団ごと揺する。
自身を揺り起こされ、ようやく意識を戻しながら目をこすった。
「……何事ですか?」
ヨンスの手を振り払うように伸びをしながら起き上がる。
彼はベッドの横でもどかしそうにパタパタと地団駄を踏みながら「早く早く」と追い立てる。
遅れて入って来たリサと他の侍女たちが慌てて準備を始めた。
何やら大掛かりな準備なのか、普段よりも侍女の人数が多い。
豪勢なドレスに、外出用のハット、歩きやすいような靴など、明らかに外に出る格好だ。
その後ろからはメイク道具を持った侍女までやってきた。
いつもはリサが簡単なメイクだけをしてくれているが、今日はわけが違うらしい。
何も知らされないまま進められていく準備に、アスナは首をかしげることしかできない。
「何事ですか?」
すると興奮気味のヨンスがようやく状況を話し始めた。
「お見合いだよ!」
「…はい?」
会話の順番をまるで無視した一言に、アスナは低い声で反応した。
「……誰の、なんのお見合いですか」
「そりゃもちろん、アスナの結婚のお見合いさ!」
声色にウキウキしているのがわかる。
普通、父親は娘が嫁に行くのを少しは寂しがったり悲しんだりするものではないだろうか。
本人以上にテンションを上げられると、逆に冷めてしまう。
「……なんでまた、こんな急に」
「すっごい人がまだ婚約者もいないっていうから、早くしなきゃと思って」
「すごい人?」
着替える準備ができたのか、ヨンスの後ろから申し訳無さそうに顔を出すリサ。
「…陛下、よろしいでしょうか…?」
「あぁ、構わん。急いでくれ」
あれよあれよと侍女たちがアスナの周りを囲み、着替えを始める。
寝巻きを剥ぎ取られ、下着とコルセットをつけられる。
「さ、お嬢様、お立ちくださいませ」
ドレスを担当する侍女に促され、言われるがままに立ち上がる。
そしてぐいっと思いっきり紐を引かれると、過去一番細いのではないかと思うくらい絞られた。
「いだだだだだだだ!」
思わず声を上げる。
しかし彼女たちは構わず引っ張り続ける。
「ちょっ…!出る!内蔵でる!」
「大丈夫です!コルセットで内蔵が出た女性はおりません!」
「いや、物理のことを言っているのではなくて…!内蔵が出るくらい苦しいっていう比喩で…!」
「そのような会話ができるということは大丈夫です!」
侍女は引っ張り上げた位置で紐を固定する。
これ以上緩める気はないようだ。
次に赤いドレスを被せられると、侍女たちが集まって正面に立つ。
そしてお互いに「もうちょっと淡い色のほうが」「いえ、ここは情熱的な赤でしょう」「がっついていると思われると第一印象が…」などと口々に意見を言い合っている。
コルセットが苦しいアスナは、早くしてほしいと言わんばかりに大きなため息をつく。
「いいよ…赤で」
「だめですわ、お嬢様!これは勝負服なんです!」
「…そんな勝負する相手なの?」
「そうです!今回のお見合い相手はあの、”幸福の国”のイオ皇子ですよ!」
鼻息荒く説明してくれる侍女の顔をじっと見た。
しかし、その”イオ”が誰だかわからない。
「…だれ?」
すると、他国情報に疎いことを知っているリサ以外の侍女が全員、驚いたように息を飲んだ。
「…あ、あの、イオ皇子をご存知ない…!?」
「どのイオおうじ?」
「この世に国が何個あるか知りませんが、その国の中でも一番軍を抜いて美男子と言われる青年ですよ!」
「銀髪をなびかせながら馬に乗る姿なんて、まるで白馬の騎士!」
「さらに幸福の国の皇子と聞けば、幸せになりたい虫けらたちがこぞって后候補に名乗りを上げるというのに!」
「その席が空いているんですよ!」
「そこに食いつかなくてどうするんですか!!」
興奮冷めやらぬ様子でアスナの周りに集まる侍女たち。
「お眼鏡に叶う女性がまだ現れていない今こそチャンスです!」
「その座、アスナ様が奪い取ってください!」
アスナは侍女たちの勢いに押されてのけぞる。
その後ろで疲れたように息をついているリサが見えたが、助ける気配は全くない。
もくもくとアクセサリーの準備をしている。
アスナはせめて少しくらい、と思い抵抗してみる。
「…せ、性格が悪くて、人気ない、とか…?」
「幸福の国はどこよりも経済力が高く、貧困層が少ない国です。そんな国民思いの王家が性格が悪いわけないじゃありませんか!」
「あ、頭悪い、とか…?」
「イオ皇子は、外交に勤しむ王様に代わって政治の補佐をされるくらいの方。決して頭は悪くありません」
「…ち、ちび、とか…」
「ひと目見た人が言うには、スラッとした高い体躯にガッチリとした体つき。何人があの腕に抱かれたいと思ったか…!」
「……っ」
アスナはとうとう言い返す言葉が見つからなくなり、言葉に詰まる。
「…残念でしたね。アスナ様の負けです」
重そうなアクセサリーを持ったリサは、少しだけ楽しそうに言った。
「うぅぅぅー」
完敗に終わったアスナは、相手に見初められるべく、真剣になっている彼女らにされるがままに飾り付けられていくのを眺めることしかできなかった。
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