第5話 黒魔術の国の姫

アスナは食べすぎてパンパンに膨れ上がったお腹をさすりながら、天蓋付きのベッドにゴロンと横になった。



「……20歳かぁ…」



無意識につぶやき、ドレッサーの上に放置された招待状の山を見る。


アスナの友人たちで20歳にしても未婚の女性はほとんどいない。


いたとしたら一度結婚に失敗しているか、魔女の道に進んでいるかだろう。


魔術を研究するのも好きだし、こうなったら魔女になるのも手だ。


そう思いながらも、結婚してほしいと願う家族の顔がちらつく。


結婚が女性の幸せのすべてだとは思わない。


この世にはたくさんの人がいて、たくさんの国があって、いろんな考えを持って生きている。


縛られて生きたくない人だっているはずだけど。



「……姫、なんだよなぁ……」



もし平民の家庭だったら、話は変わって来るだろう。


今日を生きるために必死に商売や農業をやっていたら、若い労働力は即戦力で、家族から結婚しろ、なんて言われることもないのかもしれない。


家の存続のために、家族のために働く。


実はこんなふうに恭しくされるより、性に合っているかもしれない。



「…なーんて。現実知らないお姫様が何言ってるの、ってね」



頭の後ろで手を組んで枕にする。


目を開くと、天井に星座の絵が描かれている。


これは父が夢見が悪いときでも迷わないように、と術をかけてくれた天井だ。


黒魔術を扱う民は、よく魔の領域に近くなるときがある。


すると、気持ちの面で負の感情に引っ張られやすくなるときがあるから、よく子を持つ親は目印になる星をまじないとして天井に記すのだ。


アスナはその絵をぼんやり眺める。


少しだけ、人より強い力を持っていた彼女は、幾度となく悪夢によって夢の中に閉じ込められたことがあった。


その度にこの星を頼りに現実世界に戻って来ていた。



「……」



アスナはそんな世界に住んでいるのだ。


他の国から、忌み嫌われる要素は揃っている。


その認識に嘘はないし、偽りだとも思わない。アスナ自身も認めているからこそ、こんな人を受け入れてくれる人がいるとも思わない。


アスナはひとつ、大きく息をついて起き上がった。


すると、今までどこに隠れていたのか、小さな生き物がぴょんとベッドの上に飛び乗ってきた。


3つの頭がそれぞれあちこち見ながら毛づくろいをしている。



「あ、ベロス!」



アスナがそう呼ぶと、ケルベロスはとことこ歩いてきて彼女の体に、自身の体をこすりつけた。



「もう、どこに行ってたのよー」



ベロスと呼ばれた犬は「なんのこと?」と言わんばかりに首をかしげた。



子供の頃に召喚したこのケルベロスは、アスナがまだ小さく、魔力が未熟だったこともあってか、あれからほとんど大きくなることなく、アスナの両手に収まるサイズのままである。


しかしずっと一緒に過ごしてきたおかげか、冥界の番犬といえど、アスナを主人だと思っているようだ。


今のところ、番犬らしい役割は果たしていないが。



「ベロス?もう、私20歳になったんだって。あなたを生み出したのは6歳のときだったから、もうあなたも14歳ね…って、14歳!?」



懐かしむように話しかけていたら、いつの間にかベロスがだいぶ老犬になっていることに気づいた。


体のサイズが小さいせいでいつまでも子供だと勘違いしていた。


ガシッと顔を掴んでよく見ようと覗き込む。


目を見ても濁ってはいないし、歯は全部ちゃんと生え揃っている。


体毛は相変わらず真っ黒で、全然老化は感じられない。



「…ケルベロスって、寿命いくつなんだろ…?」



答える術のないケルベロスに話しかけてみるが、もちろんなんの意味もない。


当の本人はめんどくさそうに「くーん」と鳴くだけだ。



すると、ドアの向こうからトントンと部屋をノックする音が聞こえた。



「アスナ様、リサです」



声の主は、アスナ専属の侍女だ。



「どうぞー」



一旦ベロスに問うのはやめて、アスナは入ってきたリサを見た。



「ねぇ。ベロスの寿命ってどれくらいだと思う?」



お湯が入った桶を持ちながら入ってきたリサは、急な問いかけに無表情のまま固まる。



「……今度はなんの実験ですか」


「実験じゃなくて。20歳になって改めて考えてたら、ベロスももう14歳じゃん!って思って」



リサはテーブルに桶を置き、首をかしげながらタオルをお湯につけた。



「冥界に”寿命”という概念があるのでしょうか」


「…確かに」



何回かタオルをお湯にジャブジャブ浸して温める。そして慣れた手付きでギュッと絞ってテーブルに置くと、アスナの方に向かった。



「おそらく、こういった類の生き物は、200歳くらいまで生きるんじゃないですか?」


「こういった類?」


「魔物、的な?」


「ベロスは魔物じゃないもん」


「名前を初めて聞いたとき、舌が長い、気色悪い生き物かと思いましたので。…ベロスのためにもぜひ改名をおすすめします」



少々辛辣な物言いに、アスナは唇を尖らせてふくれっ面になった。


そんなリサとの出会いは10年前に遡る。


リサは孤児だった。


どこの国の者かもわからない状態で、城の近くの道端に倒れていた。


当時10歳くらいだったアスナは、乗馬の帰りにリサを見つけた。


年齢も同じくらいなのに、栄養が足りていないのか肋骨が浮きでるほどガリガリで身長も小さかった。


まだ小さかったアスナは、単純に同年代の友達がほしいという理由だけで彼女を城に連れ帰ったが、結局心優しい両親のおかげで一緒に育ててもらい、数年前にアスナ付きの侍女となったのだ。


ずっと一緒にいたおかげて気心しれた関係になり、皇女であるアスナにも対等に接してくれる数少ない人物だ。


アスナの扱いにも慣れており、話を聞きながらもテキパキと仕事をこなしていく。


ふくれっ面には反応せず、つけられたアクセサリーを外していく。


そして後ろに回り込み、絞られたコルセットを解いた。



「ぐはぁぁぁ、苦しかった」


「…………仮にも皇女様なんですから…。もう少し慎ましやかになさったらいかがです?」


「今のところ、私をもらってくれる人はいなさそうだからいいの〜」


「…そうやって。のんきなことを言っていると急にそういう話が来たりしますよ」


「ないない。大丈夫」



アスナはそう言ってヘラリと笑った。



本当にそんな出会いがすぐそこに迫っているとも知らず。



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