第4話 幸福の国の皇子

時を同じくして、アスナ達のいる黒魔術の国から、早馬で一日半くらい先にある国でも似たような悩みを抱えた男が1人。


白馬にまたがり、自身の銀色に輝く髪の毛をなびかせながら、練習用に作られた的を弓で射る。


パン!と子気味のいい音を響かせながら次々と的を射っていく。



「……殿下」



休憩に戻ってきた男に、タオルと水を差し出しながら困ったように息をつく従者。



「この前のお見合いの方から、お断りの便りがあったそうです」



銀髪の男はチラリと従者を見ると、さほど気にも留めていないのか、小さく息をついて「そうか」と答えた。


そんな様子に従者の方がやきもきしてしまうようで、歩き出した主人を追う。


男は、乗っていた白馬の頭を撫でながら毛並みを整える。



「殿下。私たちの国は幸福の国なんです。そろそろ殿下ご本人がお幸せになって頂かなくては示しがつきません」


「……無理やり結婚したところで、幸せかどうかは本人次第だろう」


「そうですが、仮にもあなたは皇子で、跡継ぎもあなたお一人しかいません。陛下が万が一崩御された場合、あなたが次の国王なんですよ?」


「……父は100歳まで生きるだろうから、まだ大丈夫だ」



冗談なのか本気なのか全く分からないくらいの無表情で答えると、白馬の背中をトントンと叩いて、ひょいっと軽やかに飛び乗った。



「ちょっ…!」



話は終わっていないが、もう話すことはない、と言わんばかりの態度で慌てる従者を見下ろす。


そして何も言わずに踵を返すと、「はっ」と馬のお腹を蹴って走り出してしまった。



「で、殿下!」



大きな声で呼んでも聞こえないふりをする。


そんな主人の後ろ姿を見ながら、無駄とわかっていても叫ばずにはいられなかった。



「イオ殿下ぁぁぁ!!」



その悲痛な叫びに、近くで幸せそうに草を食んでいた小さなポニーや羊、牛たちが一斉に顔を上げた。






しばらく乗馬を楽しんでいたイオは、怪我防止のためにつけていた器具を外しながら城へ戻った。


入り口には不満げに口を尖らせた従者・ルークが器具を受け取ろうと手を伸ばしていた。


すねているのに、ちゃんとイオの従者である仕事は全うするところが面白い。


イオは真顔のまま、心の中でクスリと笑いながら器具をルークの手の上に置いた。



「……このあとは?」



呼びかけると、ルークは器具を持ったままついて来る。



「先程、陛下がお戻りになりましたので、ご会食の準備を」


「……予定より早いな。聞いていた話だと明日の帰還ではなかったか?」



イオは器具をすべて外し終わると、次に着ていた上着なども脱ぎ始める。


どんどんルークの腕に積まれていき、終いには前が見えないくらいの量になった。



「は、早めに商談が終わったとかで…っ」



ルークはよろけながらも主人の物を落とすまいとなんとか踏ん張る。


すると大広間で待っていた侍女たちがルークに積まれた荷物を見て、慌てて駆け寄る。



「ルーク様…!」



数人で分担して荷物を受け取ると、ルークはようやく大きく息をついた。


重さで痺れた腕を振りながらイオを見る。



「…次回以降はぜひ、もう少し軽装でお願いします」


「……それでは鍛錬にならない」


「あなたはもう鍛錬しなくていいんですけど」



すると侍女頭のミレが預かった荷物を仕分けしながら「そうですよ」と笑った。


ミレは40代の女性で、イオが小さい頃からこの城に仕えているので、彼のことはよく知っている。



「それにここは幸福の国。幸せがあふれるこの国に、坊っちゃんが戦わなければいけないのほどの戦は起きませんよ」


「……坊っちゃんと呼ぶな」


「あら、失礼いたしました」



ミレは楽しそうに笑いながら、「さぁ行くわよ〜」と他の侍女に呼びかけて、イオの荷物整理のために大広間を出て行った。



「殿下のお父様の功績もあり、この国は平和です。あなたが危険を犯してまで訓練などする必要はないんですよ」



ミレが事前に準備していた洋服を手に取り、イオが着やすいように広げて差し出す。


彼は少しだけムスッとしたような顔をしながら、無言でその差し出された洋服に腕を通した。



「ましてや一人息子。何かあってからじゃ遅いんですよ」



ルークはイオが小さいときから一緒に育ってきたせいか、最近やたらと小言が多い。


それはこの国の将来を案じてのことだとは思うが、なんだか小姑みたいだ。



「……わかっている」


「わかっていないから言ってるんです」



イオは羽織ったシャツのボタンもそこそこに大広間の先にある食堂に向かって歩き出した。



「ちょっと!ジャケットも着てくださいよ」



急に動き出した彼を慌てて追うルーク。


なんだかんだで振り回されている可哀想なやつだ。


イオはそんなルークを尻目に、食堂のドアを開けた。


すると長いテーブルの一番端に鎮座する父親がいた。


イオが入って来たのを見ると、ふわふわの眉毛をピクッと動かす。



「遅くなりすみません」


「なに、乗馬をしていたと聞いた」



ずっしり響くような声。


この国の王である彼に恭しく頭を下げた。



「……えぇ。ようやくこの土地にも慣れてくれたようで、最近は草原を駆け巡ってます」



実は今日乗っていた白馬は、先日の、26歳の誕生日を迎えたイオへの父からのプレゼントだった。


何がほしいかと問われたとき、特に欲しいものはなかったが、以前街に出たときに、出産馬として飼育されていたが、年齢の関係で殺処分されると聞いた馬がいたことを思い出した。


それでその馬がほしいと言ったら、父が自ら買付に行ってプレゼントしてくれたのだ。


少し年齢は高いが頭のいい馬だった。


すると突然、父親が目をうるませてイオを見た。


そして悲壮感たっぷりに彼の手を取ると、ギュッと力強く握りしめる。



「頼むから怪我だけはしないでよ!」



急に可愛らしい口調になり、王の威厳はどこかに飛んで行ってしまったようだ。


普段の父はこんな感じ。


イオと同じく動物が大好きで、放っておけない性分なのだ。


そして再び突然、ミュージカルのように椅子から立ち上がり、食堂の壁に飾ってある女性の肖像画の前で回りだす。


等身大の5倍はあるであろう、大きな肖像画にガバっと抱きつくと、すがるように見上げる。


これも通常運転だ。



「シャーロット…!イオが怪我をしないように守ってくれ…!」



イオはそんな父親の様子を無関心に見ながら、先に注がれた水を一口飲む。


その肖像画はイオが5歳のときに亡くなった母の絵だった。


あまり記憶にはないが、体の弱い人だったと聞いている。


父はずっと母一人を愛し続け、王であるにも関わらず後妻を取ることはせず、父と子、二人の生活を続けている。


たまに寂しくなるようで、夜にひっそりここに来て、話しかけているのも知っている。


父は、母の肖像画のあごあたりを撫でながら、話し始めた。



「…聞いたよ。またお見合い相手のお嬢さんに断られたんだってね」



その言葉にぴくっと反応する。


弁明する言葉も見つからないので、イオは持っていたグラスを置いて、ゆっくり頭を下げた。



「……陛下にご紹介頂いたのに、不甲斐ない結果で申し訳ないです」



すると父はこちらを向いて困ったような表情で微笑んだ。



「いいんだ。きっとその人じゃなかったんだよ」


「……ですが、おそらく、多分、いや、確実にもう15人目です」



その笑顔のまま、少し短めの腕を後ろで組んで、ゆっくり窓の方へ歩を進める。


そして夕暮れの外を見ながら、話を続けた。



「ありがたいことに、我々は幸福の国の王族だから、福にあやかりたい人はいっぱいいる。けどね、運命、というのはまた違うと思うんだ」


「……?」


「幸福の民だろうが、不幸の民だろうが、皆平等に与えられている運命がある」



窓に写る父親の顔は穏やかだった。


しかし、イオには彼が言いたい真理が何なのかは分からなかった。


思いにふけている父を差し置いて、出される料理を食べ始めるイオ。


今日のメニューは鶏肉のてりやきだ。



「運命に出会えたら、幸せになればいい」



運命。


15連敗しているイオにとって、全く現実味のない話だが、母に出会って、運命に出会った父は本当の運命を知っているのだろう。


肉汁が溢れ出る鶏肉を見ながらイオはそんなことを考えていた。

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