37.熊さんに出会った
走り慣れた道を歩きながら思考を巡らせる。
(さて、どうしようかなぁ…)
先ほど森に入った途端、
見た目は何も変わらない。
大きな体躯にも、爽やかな笑顔にも、元気な声にも、目尻が下がった目にも…どこにも変化は見られず…
けれど確かに何かが変わった。おそらく纏う空気が私に気づかせた。
午後の風の子たちは目に見えて分かりやすい。
視線を動かし警戒をしているけれど、それは無理にそうしているように見える。
まぁ、間違ってはいないだろう。
気を緩めないように気をつける余りそうなってしまうのは仕方がないことだ。
(いつもより疲れそうだねぇ、この子たちは……私はいつも通りでいっか)
魔力感知を常に発動している為、いつもとやることは変わらない。
戦闘が起きた場合は邪魔をしないよう後ろに下がり立っていようと思う。
連携を崩す方が問題だろうと判断したからだ。
(ま、これだけ集団で歩けば魔物は近寄ってこなさそうだけど、実際はどうなんだろうなぁ)
誰かと行動することがない為その辺りのことを学んでこなかったが、それを知ったところで今後役に立つかどうか…
「レイさんは足速いんすよね?」
「はい。おそらく」
「今から行くとこにどんくらいで着けるんすか?」
「川が流れる広場は他にありますか?」
「低級エリアで尚且つこっち方面にはひとつだけだな」
「あそこでしたら……2、3分ほどでしょうかねぇ」
「「「「は?」」」」
(あ、分は通じない?)
「分とは時間の単位でして…1分が60秒…いや、これも通じないか…えぇっと…」
「いや、言葉は通じてるって言ってんだろうが!」
「ですよね」
(だと思ったぜ!…ほんとだよ?そう何度もね?…いや、紛らわしいのがいけないと思います!というかそろそろ言語が同じことに疑問を抱き始めたよ……え?おかしくね?)
というか言葉を止めるそちらが悪いと思います!
もしくはもっと分かりやすい言葉を残して動きを止めてほしいものだ。
「すまんな。思わぬ数値に驚いただけだ」
「そうでしたか」
「…つぅうか普通に見てみたいな。めちゃくちゃ速く走るレイさんの姿を」
「見たいっすね」
(なんで?別に見たところで…あぁ、脅威のスピードで走る人に興味を持つのは普通か?……いや、自分は別に見たいと思わないな)
「どうやったら見れる?」
「速く走る人にそれほど興味があるのですか?」
「違うわよ?この儚げなのんびり屋さんが速く動く姿に興味があるのよ?」
「なるほど…」
(ふむ…ナマケモノが速く動く姿を見たいとかそんな……あ…)
「…レイさん倒せるか?普通に見たい」
「ふふ、私は娯楽要員ですか?」
「ちょ、リーダー!?大丈夫なんすか!?」
「大丈夫だろ」
「ふふ……見えるように倒さねばなりませんねぇ」
要望に応えるべく足を進める速度を上げ、皆の先頭に躍り出た。
「え?見えるようにってなんすか?いつもは見えないとこで殺すってことっすか?」
「さぁな。分からん」
速度を気にしながら10分ほど歩くとようやく視界に入った。
それでも足を止めることなく先へ進むと、地を踏み締める音、枝が払われる音が眼前から届くようになった。
ッグァアアァァァ………
「見ていましたか?」
尻すぼみに消えていく雄叫びを聞きながらくるりと身を翻した。
自分の背後には大きな熊さんの氷像がひとつ。
2本の足で立ち、身体を伸ばしながら両手を見せつけるように掲げたマーダーベア。
開いた口から出た音は少しばかり森に響いたが誰の心にも届かなかったことだろう。
体長は2.3m程あり、本来ならば恐怖を覚えるはずなのに今や恐怖どころか他の感情すら生まれない。
ちなみに一瞬で息の根を止める為に氷はすっごく冷たくしてある。
(ま、こうなると思っていたさ)
身体を向けた先では、皆が私の背後に目を縫いつけられている。
午後の風の子たちの瞳に乗るは恐怖と驚愕、
「そろそろ鑑賞会を終えてもよろしいでしょうか?」
「いや…うん…まず、しまうなり隠すなりしてもらっていいか?すま………」
(ま、こうなると思っていたさ)
収納にしまっただけだ。
だが、彼らはまだその存在を知らなかった。
以前会ったときは魔道バッグ(偽物)を使用していたからだ。
「さて、行きましょうか」
「「「「いやいやいやいや」」」」
「…さて、行きましょうか」
「…そうだな…そうしようか…お前らは大丈夫か?」
「はい…いえ…うん。足を動かすだけならなんとかできそうです」
「そうか…無理はすんなよ?」
「ありがとうございます。すみません。ちょっと警戒を解いていいですか?」
「ああ、そっちのことは気にすんな。まずは心を休めろ」
「すみません。助かります」
「それじゃあ、行くか」
皆が皆、返事を返さぬまま足を持ち上げた。
(ま、頑張れ)
自分は未だ先頭に立ち歩みを進めることになっているが、そんな経験がないため不安が残る。
(速度は……大丈夫そうだな)
首だけ動かし後ろを確認すれば皆、遅れを見せることなく足を動かしていた。
顔に疲れを乗せた状態だがそれは仕方がないことなのです。
「ねぇねぇ、レイさんは媒体も詠唱も使わないっすよね?」
「ええ、そうですねぇ」
駆け足で私の隣に並んだ彼は瞳を煌かせこちらに興味を示しており、カツサンドのときと似ているなと思った。
「ヴィンスさんは何を媒体としているのですか?」
「オレはこれっすね」
そう言いながら持ち上げ見せてくれたのは右手に装備した革製の籠手のようなもの。
肘から下を覆うのは暗く重みのある茶色でわざと艶を抑えているように見える。
掌と手の甲は隠れているものの、5本の指は全て空気に触れる作りになっており、重苦しさや重厚な印象はない。
(普通にかっこいいけど、自分には似合わないだろうなぁ)
己の細い手を思い浮かべながらちょっと落ち込む。
「手に持たずとも魔法を行使できるのは大変便利ですねぇ」
「そっすねぇ…っていうかレイさんは手をかざすとかもないっすよね?」
「そうですねぇ。そちらの方が殺傷率が上がりますからねぇ」
「のほほんと言うことか?それ。いや、言ってることは正しいんだがよぉ…」
「殺るか殺られるか…わずかな隙を生み出した先には死あるのみ…」
「「………」」
(あれだろ?この見た目に似合わずと言いたいのだろう?そんなのが命のやり取りになんの役に立つ?)
「…そういう環境だったってことっすか?」
「ああ、だろうな…泣きそうだ」
「だからいっつも笑ってるんすかね?」
「…それで隠すしかなかったのかもな…しんどかっただろうぜ…」
どうやらこの2人はこちらに恐怖や恐れを覚えたわけではないようだ。
顔を見合わせ話す声は随分と軽やかだ。
私を挟み頭の上で会話が飛び交うものだから普通に聞こえる。
隠す様子を見せないとはそういうことだと思う。
ただ、そのせいで同情と悲壮感が濃くなったのはいかがなものか…
背後に重い何かが漂っていることだけは確かだ。
(同情なんていらん。捨て置け…と言いたいところだけどダメだね。それは…)
今の私にできるのはいつも通り微笑み歩みを進めることだけだ。
足元に見つけ、そして後方に遠ざかっていく魔草花を惜しむことではない。
「ふふふ」
「…レイさんはどこに…いや…」
「そういえばこの間、レイさん普通に森に帰って行きましたよね?」
「だよね?僕後から気がついたよ」
「分かる分かる!普通のことだと思ってたよね!」
「うん。違和感が全くなかったね」
「だよな?俺…くくっ…そうしてレイさんは森へと帰って行きました。で終わったぜ」
「きゃはははは!うけるんですけど〜」
「けれど、自然だったわよねぇ?」
「くくっ、そっすね…日常って感じで違和感ゼロだったっす」
(おやおや、1回2回しか会っていないのにそう思ったとは…やはり私は間違っていなかったようだ…僥倖僥倖)
「ふふふ」
「あれか?花食うのか?」
「きゃはははは!なにその質問〜」
「やだ、ちょっと気になるじゃないの。ふふ」
「普通に食ってそうっすね…くくっ」
(花なぁ…あっちの世界では菊しか食べたことがない…あぁ、桜もあるか…こっちに来てからは普通に食べるよね)
初めて目にする植物は料理に使えないか確かめるべく一度食べてみる。
ポーションの材料となる魔草花については自分が作る薬の味に影響が出ると分かれば確認したくなるのが当然だ。
材料の味が分からぬまま口に入れる物を作ったりはしないだろう。
では、何故ポワの実が醤油だと気がつかなかったのか。
木の実は胡桃とアーモンドがあれば充分だと考え、中身を確認しなかったのだ。
ここにも故郷の味との出逢いを邪魔する思考があったと気がついたのは今…
「苦味があるものもあれば、香りを楽しむものもありますよねぇ」
「…マジかよ…え?ほんとに食ったのか?」
どうやらこちらの世界には花を食す文化がないようだ。
この人たちはポーションを作らないのでそちらの理由で食べることもないだろう。
「まぁ、食べますねぇ」
「なんで?」
「料理に使えないか確認の為、頂き物、薬の材料となる物の味を確かめる…この3点が理由ですねぇ」
「あら?精霊さんにもらったのかしら?」
「それじゃあ、食べるしかないね〜」
「いや、飾れよ」
「くくっ、そっすよね?なんで食うんすか?」
「食用としてお渡しされましたからねぇ」
「ああ、なるほどな。それなら食うしかねぇか」
(だよね?桜の塩漬けを飾るってやべー奴だわ)
「他2つはまぁ、納得かな〜」
「そうか?花を見て料理に使おうと思うか?」
「レイさんなら納得って意味だね〜」
「ああ、なるほどな」
「なるほどなのかしら?」
「なんかこの人なら納得だわ。答えを見つける為に130本の魔草花を探し出す人だぞ?」
「あら?それもそうねぇ。探究心が強いのねぇ」
(まぁね。それは自分でも思うよ。知るは楽しい。気になったら食べる。死ななきゃいいんだ、死ななきゃな……あ、今度お茶っぱも研究しようかなぁ)
「森って何して暮らすんだ?暇じゃねぇか?」
「ふふふ」
(え?森の方角に家があるんじゃなくて、森に住んでると思われてるの?…いや、みんなが言っていたのはそういうことか…森に帰って行った…ね)
どうやらそのままの意味だったようだ。
思わぬ思考につい笑みが
「あれっすね。切り株に座って精霊達と戯れてるっすね。さっきみたいに」
「そうねぇ。一緒にお花で遊ぶのかしら?」
「花びらいっぱい撒いて楽しんでそうだね〜」
(んなわけあるか!どんなイメージだよ。それ……いや、桜の花びらに喜んでたわ…ちょっと違うか?…お?)
「綺麗ですよねぇ。たくさんの花びらが舞う様は…それより、見えてきましたね」
「やっぱり遊んでんのか…」
「簡単に想像できるね〜。っていうか魔物いなかったね〜」
「熊は出たけどな?」
「近寄って来ないのはこちらが集団だからでしょうか?」
「ああ、そうだな。知能が低いとは言え、大抵の奴らは本能で理解してるんだろうぜ」
(憶測は当たっていたようだ…ひとつ学んだな)
「では、熊さんはお馬鹿さんだったのですねぇ」
「レイさんが言うと、かわいいお人形さんに聞こえるわねぇ」
「ふわふわのぬいぐるみでしょ〜?」
「くくっ、子供が抱き締めてるやつっすか?」
「ははははは!それな?」
(それだったら殺せな…いや、殺るわ。普通に。…怖いなぁ…やれやれ)
なんて雑談を繰り広げているうちに目的の広場へと到着した。
多くの人が通り自然とできた草の道。
そこを順に通り抜ける皆の背中を眺めながら肩を落とす。
(冒険者が戦う姿を見たかった…)
ささやかな願いが散り勝手に俯いた顔を、上へと向けた。
晴れ渡るくっきりとした青空に浮かぶまっさらな雲が陽を反射し、更に白さを際立たせている。
それが眩しく感じ思わず目を細めながら広場へと足を踏み入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます