10.冷たくて暖かい
「そういえば、パテルさんにお聞きしたいことがあるのです」
「なんだ?」
「パテルさんはこの島に来る前は別の所に住んでいたのですよね?」
「ああ」
「でしたら国の法律なども知っておりますか?」
「法律なぞは知らんが、人が決めた善悪くらいならば分かる。言うておくが我が持つ情報は古いぞ?長らく外からの情報を遮断しておったからな」
「そうですか…」
「何を気にしておるのだ?」
「街のそばにある山に転移陣を勝手に刻んでしまったのです。怒られたりするのかなと…国が陣を刻んでもいい場所を指定していたりするのでしょうか?以前はどうでしたか?」
「………」
“何言ってんだこいつ”瞳でそう語られた。
「やはりだめですよね…どうしましょう…どのような罰を受けるのでしょうか?」
「…いや、知らぬのも当然か…」
「…?」
「転移陣を描くなんぞできる者は数えるほどしかおらん。そもそもその存在を知る者は少ない。知らぬなら怒りようもなかろうて」
「今は使える者が増えている可能性はないでしょうか?」
「ないな。情報は時と共に廃れ消えていく。元々知る者が少なければ尚更な」
「師匠は知っていたようですが…」
「あ奴はとにかく何にでも興味を持ち、それでいて探究心が深かったのだ。一人で高難易度のダンジョンの最下層まで潜り、何も手にせず帰ってくるような奴だ。それに魔力の扱いも上手いときた」
「師匠は何をしにダンジョンへ?」
「ダンジョンのボス部屋の壁が見たかったんだと…」
「…確かにそれはちょっと気になりますね…耐久力とか、素材とか…再生するのかとか…」
ダンジョンに行ったことがないので分からないが、壁などは壊れにくそうだ。
もし再生能力があるのならば持ち帰れないだろうか?
いや、師匠が何も手にせず帰ってきたと言ったな…無理か…無理なのか?
今度行って確かめてみるのもありだな。
せめて削ることはできないだろうか…
鉱物と混ぜて使えば耐久力が上がりそうだ。
衣服にも活用できるだろう。
あ、お皿とか鍋…水差しにもいいな…
待てよ…ティーカップなんて素敵じゃないか?
うん、欲しい。
「お主…」
パテルさんの声にはっと我に返ると呆れた視線を向けられていた。
「すみません。パテルさんがいるのに考え込んでしまって…では、転移陣を描ける者はほとんどいないと考えてよろしいでしょうか?」
「そうなるな。通常の魔法陣と違って空間そのものに描かねばならん。繊細な魔力操作と膨大な魔力、そして空間属性、それらを網羅する者などほとんどおらんだろう」
「なるほど…私が描いた転移陣を別の者が使用することは可能でしょうか?」
「いや、無理だな。その陣と同じ魔力を持つ者でなければ使えん」
「それならば安心ですね。あ!もうひとつ気になることが…私が残した転移陣が誰かに見つかる可能性はありますか?」
「そうだなぁ…それこそ魔力に相当敏感であればそこに不自然な集まり方をする魔力に気がつくだろうが…魔力を見る者自体が少ない上に、そのなかでも更に絞られるだろうて。何せ魔力は常に大気に漂っておる。ふむ、精霊以外に気がつく者はおらんかもな。それに仮に気がついたとてそれが転移陣と知っているかどうか…」
「そうですか。よほどのことがない限り見つかることはなさそうですね」
「だが、突然人が現れたら驚くぞ?」
「ええ、そうですね。それを考慮していい場所を探します。教えてくださってありがとうございました」
とにかく法を犯したわけではないと分かりほっと息を吐く。
「レイが転移陣を知ったのはルークスが残した書物からか?」
「はい」
「そこに詳しく書いておらんかったのか?」
「師匠が記した書物は詳細に書かれているものもあれば、すごく簡素に書き記しているものもあるのですよ。転移陣に関しては後者でしたね。先程パテルさんに尋ねた内容は書かれていなかったです。今その書物持っていますよ。えっと…これです」
収納から取り出した書物を捲り、転移陣について記されたページを開いてパテルさんに見せた。
これは私が紙束だったものを紐で纏め、書物という名に嘘がないようにしたものだ。
──────────────────────
転移陣のこと
自分の魔力で陣をかく
書いたやつに目印とか思い浮かべながら魔力をこめる
目印はなんでもいい 星とかいいかもね やっぱり面倒だから番号にしようかな?
あ、そうそう昨日は天気が良かったから星がきれいだったよ
魔力はたくさん使う
魔力を動かせる人は少ない…もしかしたらいないかも?けど頑張ればできる
陣はこれ↓
──────────────────────
文字の他に謎の落書きや数式?らしきもの、翌日の予定なんかも乱雑に書かれている。
歪な星や花の絵はおそらく目印とするものの候補を書き連ねたのだろうが、角が生えた亀?や二足歩行の蛇?なんかは理解不能だ。
「………レイはこの内容でよくできるようになったな。そもそもこの歪な文字を読む気にならんだろうて」
「暗号解読をしているようで楽しかったですよ?その分時間を取られてしまいましたが」
「他の者が書いた書物は…ないか」
「はい。転移陣の紋様が描かれているのはこの書物だけでした。まぁ、そうでなくとも何か学ぶときは基本師匠が記した書物を参考にしております。書き方は簡素でも内容が濃かったりするのですよ。他の作者の書物は9割が考察や意見で埋められているので生きる術を学ぶには余り参考にならなくて…それはそれで内容が気になったので読みましたが」
おそらく師匠は字が下手なのではなく、書くのがめんどくさいのだと思う。
実際手紙の文字は綺麗なのだ。
それに加えて思うがままに書くので読みにくい物が更に読みにくくなる。
ミスリルはミスリルとかね?まぁ、それはそれで面白いけど。
(そういえば最近は紙クリップ作業をやっていないなぁ…まぁ、気が向いたらやればいいよねぇ)
「ふっ、ほんにルークスそっくりだなお主は」
「え?」
「どこまでもどこまでも追求し考えることをやめない。知る為であればどんな困難だろうと乗り越え走り続ける…その身を削ろうともな…いや、あ奴は困難とすら思うておらんかったかもなぁ。少し抜けておるところもそして纏う色も同じだ」
「色も?そうでしたか…師匠の姿は見たことがないので知りませんでした…」
「色で呼ぶとフェリが怒るでな。あまり口にはせんかったが見惚れるほどに美しい漆黒だった…レイもな」
「面と向かって言われると照れますね。でも、ありがとうございます。パテルさんこそとても美しいですよ?目が離せないほどに」
「…そうか…」
「だから師匠だけ名前で呼んでいるのですね」
「ああ。フェリがピーチクパーチク騒いでうるさいのだ」
「ふふ、私はこの色が好きですしそれで呼んでもいいですよ?」
「レイはレイだ」
「そうですか」
「ああ、最初からそう呼んでおったしな。今更変えぬ」
「ふふ、はい」
(まぁ、途中で変えるのも違和感があるだろうしね)
ふと視線を下げるとページが捲れたままの書物が目に入った。
少しざらつきがある紙に書かれた師匠の文字を指先で撫でる。
「パテルさん」
「なんだ?」
「師匠は昔から字が下手でしたか?」
「ふっ、ああ、これと変わらんな。よく自分が記したものを見せびらかしてきおったが、誰もが読む気にならんかったわ」
「ふふ、この字ではそうなるのも頷けます」
「時折まともな字が混ざっておったがなぁ。全てそれで書けと緑のが言うたら“読めればなんでもいいじゃないか”だと」
「あはは!自分以外は読めていないのに?ふふ」
「ほんにな。見せびらかすなら他が読める字で書かねばならんだろうて。要は面倒なだけだ」
「ふふ、やっぱりそうだと思いました」
文字とも呼べぬこれを見せられても多くの人には謎の模様にしか見えないだろう。
それくらい雑なこの字は昔からのものだと聞いて安心した。
「あの家には多くの魔道具が残されていますが、師匠がこの島に来てから作った物もあるのでしょうか?」
「ああ、作ってはここに持ってきてあれこれ説明しておったわ。ルークスは思い浮かべたことをすぐ言葉にするでな。どの話をしておるのか分かりにくうて聞くのも苦労だ」
「ふふ、なんだか子供みたいですね」
「ほんにな。あれはただの無邪気な子供だ。フェリがおらんかったら生活もままならぬだろうて」
「それはフェリさん大変でしたねぇ。でも、子の世話は楽しくもあったでしょうね」
「ああ、文句を言いつつも嫌そうには見えんかったわ。ふっ、大きな子供を抱えて大変だろうにな」
「大きな子供…ふふ、確かにそうですね」
師匠の姿を知らないのでその光景を思い浮かべられないのが残念だ。
「フェリさんは師匠の字を簡単に読めたのでしょうね…」
「ああ、不思議とな。ふっ、この世でフェリしか持たぬ能力よ」
「この世で唯一ですか…羨ましい能力ですね」
「いや、自力で読めるようになったレイも同じだな…今やこの世で2人か…」
「ふふふ、それは光栄ですねぇ。先日パテルさんから師匠の話を聞いた後、もしかして師匠はその身に澱みを宿していたからまともにペンが握れなかったのではないかと考えたのですよ。どうやら違ったようですね」
「そうか…ふっ、安心せい。普通に書いた字がそれだ」
「ふふ。まさかこの謎の模様に安心する日が訪れるとは思いもよりませんでした」
「謎の模様な…はは、確かに文字とは呼べんな」
師匠が記した書物には文字以外にも多くの絵が描かれている。
ページいっぱいに魔物の絵を描き、説明は1行なんてザラにある。
絵を書く余裕があるのであればペンは普通に握れたのではないだろうかとは思っていた。
そして魔道具を作れるのであればペンが握れない可能性は更に低くなる。
魔道具を製作する際に魔法ペンなるもので陣を刻むのだが、それができるなら文字を書くなど容易い。
なので澱みのせいで文字が歪むという可能性は低いのだが、それでも心配は残っていた。
(今日パテルさんに聞けて良かったなぁ)
「そういえばずっと気になっていたのですがあれはなんでしょうか?」
「む?あぁ、この前のようにレモン水を入れてもらおうと思うてな」
「あの大きさにですか!?」
ここへ降り立つ前に上空から見えたのはそれはそれは大きな穴と岩だ。
湖よりは遥かに小さいがそれでも競泳プールよりは大きいだろう。
「皆にも飲ませたら気に入ってな。すぐに無くなったわ」
しょんぼりと肩を落とすパテルさんとこちらに期待の目を向けてくる多くの精霊たちの姿に出来ませんと伝える勇気がない。
あの岩を削ることはできるし、そこを水で満たすのも簡単だ。
(だけどなぁ…)
「レモンとハチミツが足りません…」
ガガーンと効果音が聞こえてきそうな程にショックを受け項垂れる精霊たちになんと声をかければいいのか…
「…ライムとオレンジも使用してよろしいでしょうか?あとお砂糖も」
「それは
「私は好きですが…ちょっと待ってくださいね」
魔法で出した水へハチミツと砂糖を加え、レモンとライム、オレンジを絞りかき混ぜる。
工程は全て魔法で行えるのですぐに完成した。
それをコップへ注ぎパテルさんの前へと置く。
「今回作るものはこの味になるのですが、いかがでしょうか?」
「ふむ…ん?これもいいな」
一口含んだかと思えば途端に柔らかい空気を撒き散らし始めた。
「それは良かったです。これならば削った後の岩を満たすことができます。ただ…」
「問題なかろう?」
「再度作るまでに時間がかかるので、それが無くなった後はすぐに用意できないかもしれません」
「何故だ?」
「材料の問題です。街に売っているものにも島に生息しているものにも限りがありますから…」
「…それもそうだな」
「ええ。できるだけ街で購入するようにはしますが…」
増やすことができればいいのだが…
育てようにも魔物たちに荒らされそうだ。
「あの家がある空間を覆う魔力にはどのような効果がありますか?あれには魔物が近寄ってこないので私も作ることができれば、その内側で植物を育てられるのですが」
「あれは結界に浄化をかけておるな」
「それだけですか?」
「悪しき心を持つ者は神聖なものに近寄りたくないであろう?」
「まぁ、確かに人もそのような感じはありますねぇ…」
「ただ、あの結界に近寄らぬだけで、近寄れないとは違うぞ?それでもこの島の魔物たちはよその魔物より幾分か知能が高いでな。用がなければ嫌悪すると分かっているものに近づこうとはせぬ。この島で使う分には充分効果があるのだ」
「なるほど。魔力が大気に溶け込み消えるのを阻止することは可能ですか?」
「それはできんがあの結界は常に周囲の魔力を取り込むことで維持しておる」
「なるほど…」
(減った分を常に補給するのか…でもどうやって?)
試しに魔力球をひとつ作り出す。
(これにどうやって周囲の魔力を引き込むか…表面に魔力の流れを作ってみる?)
『わわっ!』
「あぁ!ごめんなさい!大丈夫ですか!?」
『びっくりしたのー』
「すみません」
流れが速すぎてそばで覗き込んでいた精霊を引っ張ってしまった。
ゆっくり…ゆっくり…けれど、消えていく魔力と同じだけ引き寄せるように…
「どうでしょう?これならば大丈夫でしょうか?」
『うん、たのしー!』
『わたしもやるー!』
流れる魔力に乗り魔力球の表面を撫でるように動く精霊たち。
流れるプールで遊ぶ子供たちのようだ。
「簡単にやりおるのぉ」
「え?」
「魔法の固定化だ」
「これが?」
「ああ。魔力操作以外で大気の魔力の流れを変えるには余程強い力や衝撃が必要だ。それがなければ魔力が世にある限りこの球は消えん」
「それは大変便利ですねぇ」
「軽く言いおってからに…周囲に影響を与えぬよう調整するには繊細な魔力操作を必要とするのだぞ?」
「そうでしたか………あの、これ悪用する人が…」
「ふむ、そうだ。先ほどレイがやったように弱い精霊であれば引っ張られる上に、人の魔力を奪うことも可能だな」
「それだと精霊たちが!」
「あぁ、そうやって捕らえようとする者たちがおるのよ。例え従えられなくとも人は珍しいものを集めたがるだろう?」
「見えなくてもですか…?
「脅すのだよ。助かりたければ、助けたければ姿を現せとな」
「…酷いことを…」
「そう思わぬ者がいるということだ。だがそれを自身の魔力でできる者はそうおらん」
「では、どうやって…」
「そういう魔道具を作った者が過去にいたのよ」
「魔道具ですか?」
「魔力を引き寄せるほどの強力な力をもつ魔法陣を瓶の底に刻み精霊のそばで一瞬だけ発動するのだ」
「それだと瓶が壊れてしまいませんか?」
「アダマンタイトを混ぜ込み作った瓶をまた瓶の中に入れる。そうして何重にも重ねるのだ。陣が刻まれているのは一番内側のものだな」
「精霊は瓶をすり抜けられないのですか?」
「通常の瓶であればすり抜けることは可能だが、その魔道具に限って言えば下位精霊には難しいな。一番外側の瓶だけはミスリルが含まれておるのだ」
「確か魔力伝導率が高い鉱物ですよね…?」
「ああ、魔力伝導率が高いということは中へ魔力を通しにくいということ…瓶の中に残る魔力は時間が経つほどに減っていくだろう。精霊は糧となる魔力がなければ弱っていくのみ…」
「なんて残酷な…」
「魔力が少ないゆえ魔力欠乏症をよく引き起こす娘を想い父が考えついたようだ。魔力を容器に保存しておけないかと知り合いの者に相談したらしい…」
「…っ……」
(悪用されたんだ…)
思わず両手に力が入る。
「…悔しいですね…っ」
「…そうだな」
「っ…」
「レイは泣き虫だな」
「だって…」
涙を止めたいのに、頬を伝う雫を拭うパテルさんの指が、瞳が、あまりにも優しくて余計に涙が溢れた。
パテルさんが1番泣きたいはずなのに…なんで…
悔しくて切なくて両手を強く握り締めた。
「泣くな…我は人の慰め方など知らんぞ」
「…っ……」
「ほれ、皆心配しておる」
眉を下げこちらを覗き込むパテルさんの声に反応するより先に頬に綿毛が触れた。
視界の端に入るのは涙を拭こうと小さな手を懸命に動かす緑の綿毛くん。
ふわふわの体は水を吸い少し濡れ窄んでいる。
「っご、ごめんね、体がびしょびしょになっちゃうから…」
吹き飛ばさないように小さな小さな暖かい風で小さな小さな綿毛を乾かす。
『ふふ、きもちい〜』
『あ!ずるーい!』
『ぼくもぼくも』
『レイこっちにも』
『あー!なかまはずれはだめなんだよー!』
「ちょっと待ってください、調整が難しくて…」
何故か風を当てる相手が増えてしまったが、可愛い子たちの期待に応えようと頑張った。
『わぁい』
『あったかぁい』
『ふわふわ〜』
『くるくる〜』
「…ふっ、ふふ、なんでも楽しむのですねぇ」
きっかけは涙から生まれた風魔法だったが、この子たちが集まれば悲しみなんて簡単に吹き飛ぶようだ。
『ねぇ、はやくおみずつくって〜』
『ちょっとすっぱいの〜』
『ちょっとあまいの〜』
『れもんっていうんだよ!』
『おいしいいけにするの〜』
『こっちこっち』
「そうでした!急いで作ります」
精霊たちに手を引かれ、背中を押され、大きな岩が置かれた場所へと移動する。
「パテルさんも来てくださいよ〜」
「我もか…?仕方がないのぉ」
呆れを現す言葉ではあったが、私には嬉しそうな声色に聞こえた。
精霊たちに急かされ振り向くことなく言葉を放ってしまった為、そのときのパテルさんの表情を知らない。
だけど、柔らかな眼差しであったと思うのは、私の願望が多分に含まれた結果かな?
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