9.優しくて暖かい

「この森に居ると落ち着きますねぇ」


 頬を撫でる心地よい風、葉を擦らせさわさわと音を鳴らす木々、暖かな日差し、ゆらゆらと揺れるコバルトブルーの湖面。

 美味しいお菓子に、甘いカフェオレ。

 そして何故か街の人たちよりも肩肘張らずに話せる相手。


「街へ行きましたが人が多いせいか疲れてしまいました」

「ふむ。生物が多く集うということはそれだけ魔力が集まるということ。それに人は多くの感情を持っておるからな。レイはそのどちらにも敏感ゆえ疲れるのだろう」

「敏感ですか?」

「ああ、その性格に加えて体質もな。感覚が鋭く感知能力が高い。無意識だろうな…その身で得る情報は他人ひとの何倍もあるだろうて」


 感知能力が高い。

 確かにあちらの世界で暮らしていた頃と比べてこの身が受ける情報量は格段に多くなったと感じていた。

 何もしていなくても分かるのだ。

 視線が、感情が、魔力が…この身が勝手に受け取ってしまう。


 それにこの身体は五感でさえも鋭い。

 視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚…その全てが以前より敏感であり鋭いのだ。

 それに加えて見えないはずのものをこの身が肌が感じ取る。


 ただ、それは私特有のものではないはず。

 人族以外の種族は肌で感知する能力が備わっていることが多いそうだ。

 だから、自分の感知能力が高いのか低いのか判断がつかない。

 だけど、パテルさんが“他人ひとの何倍もある”というのならば嘘ではないように思う。


 まぁ、感知能力が低かろうが高かろうが、己にとっては疲労が積もる原因であることに変わりはない。

 そう思うようになったのは街に入ってから。

 島では疲労が蓄積することがなかった。当然だ。人がいないのだから。


「数値化できるものではありませんから人と比べてどれほどの差があるのか分かりにくいですよねぇ」

「ふむ…多くの者にはな魔力や精霊は見えんのだよ。それらを感覚のみで感知するというのも簡単ではない。それをいとも容易く成せるほどの能力がレイにはある。魔力を体外で動かすなぞ精霊以外に出来る者はほとんどおらんぞ?」

「え?そうなのですか?」

「当たり前だ。普通は実態のないものを動かすなど出来ぬだろう?ましてや操るなぞ無理だ」

「言われてみればそうかもしれませんが…でもマンティオロスはできていましたよ?」

「魔物は体内に巡る魔力の他に核を持っておる。その核と体外に放つ魔力を繋げばとどめるのがいくらか簡単になる。だからといって皆ができるわけではないがな。現にマンティオロス以外の魔物は出来ぬだろう?」

「そうですね。私が見たなかでは他にいませんでしたねぇ」

「あ奴は特に魔力に敏感な魔物だからな。魔力が目に映らずとも肌で感じておるのだ。希少な種族よ」

「それほどすごい魔物だったのですね…」


(初戦に選んでいい相手じゃなかった…)


「魔法を放っても避けられるだろう?」

「最初の頃はそうだったような…」

「レイはどのようにして戦っておるのだ?」

「剣で切るか、魔力で切るか、凍らせるか、たまに体当たりもします。いろいろですね」

「動きも俊敏なはずだがなぁ…そういえば我に追いつけるほどの速さで森を駆けるのだったか。動体視力も動きの速さもあ奴を遥かに凌駕するか…あぁ、確かに今思い出せばそうだったな…」


(確かに巨体のくせに動きは俊敏だったなぁ…風魔法もバンバン打ってくるし…まぁ、攻撃を避ける訓練に利用してたけど…ふっ、何度吹っ飛ばされたことか…)


 身体の扱い方に慣れようと、こちらからは何も仕掛けずただひたすら攻撃を避け続けていたことがある。

 あの巨体だ。吹っ飛ばされる威力も距離も半端ない。

 おかげであの威力に耐えるにはどれ程の魔力を纏えばいいのか分かったのでやって良かったと思う。

 訓練の相手としてはうってつけだったなと少し過去を思い出す。


「そういえば魔力は目に映りますが、精霊はパテルさんしか見たことがありませんよ?」

「見えておるだろうて」

「え?」

「あそこで水を飲むのはなんだ?」


 パテルさんの視線の先には、湖面に顔を近づけるもこもこのかたまりが2つ。


「うさぎが1羽とクマが1頭いますね」

「レイのカップに寄るのは?」

「え?赤と水色の魔力が1つずつ…」

「何もせずともよく風を感じるか?」

「はい。この島は柔らかい風がよく通りますよねぇ」

「それらは全て精霊だ」

「え?」

「レイは大丈夫だ」


 パテルさんが優雅にカップを持ち上げながら言葉を紡いだ。

 途端に視界に入っていた無数の魔力たちが形を持ち現れた。

 動物の姿だったり、蕾に羽が生えているような姿だったり、スライムのような子もいる。

 イタチ(?)が首に巻く白い蛇も精霊だろう。

 なかには人型も。果物や野菜の特徴を持つ者、葉っぱを傘にしている者、花弁や葉を身に纏う者、きのこ帽子を頭に乗せる者。

 色とりどりの魔力だったものが様々な姿をとり楽しそうに動き回っている。

 なかにはこれまで見えていたままのものが混ざっているのでそれらは本当に魔力なのだろう。


「これは…」

「精霊たちには仲間以外に簡単に姿を見せるなと言い聞かせておる。無理矢理捕らえ悪用する者がいるのでな…まぁ、なかにはレイは大丈夫だと己で判断し姿を隠さぬ者もおるが…」


 そう言いながらちらりと視線を向けるのは仲良く日向ぼっこしているうさぎとクマ。


「漂うのは全て魔力だと思っておりました」

「姿を隠した状態でも見える者は稀有だがな。わずかに違うはずだ」


 比べてみようと宙に水球を出すと、たくさんの精霊たちがわらわらと集まってきた。

 ちゃぽんと中へ入り泳ぐ者、つんと嘴や手でつついてみる者、ばしゃばしゃと表面を尻尾で叩く者…


「…少し分かりにくいですが確かに魔力とは違いますね。けれど、言われなければ気がつかなかったと思います」

「精霊は魔力に近しい存在だからな。精霊に好かれる者たちが魔法の扱いが上手いのはそれが理由だ」

「と言いますと?」

「常に精霊がそばに居る環境であれば、それに似ている魔力にも身体は敏感になる」


(“何か”が常にそこにある…そしてそれに似ているものがあれば気がつくことができる?…前に同じようなことを考えたことがあるな)


 川を流れる“何か”は“水”

 頬を撫でる“何か”は“風”

 空を突然駆け抜ける“何か”は“雷”


 発生する理由も条件もそれを構成する要素も、全てを知っているわけではないけれどそうだと分かるもの。

 それらが常にそばにあったとしたら…


「なるほど…?無意識だろうとも身体が知っていれば、それに似たものも感知しやすくなる?」

「だが、先程も言うたがレイの場合は元々その感知能力に長けておる。さらに精霊たちに好かれているとなれば尚の事」

「好かれているのでしょうか?」

「でなければわざわざ寄って来ぬ。精霊は善きものにも悪しきものにも敏感だ。そしてそ奴らは善を好む。まぁ、そのなかでも好みはあるがな。水、花、色、本、食、人…何が好きかは様々だな」

「街で魔力がやたらと寄っていく人と、逆に猛スピードで離れていく人がいましたが…」

「そういうことだな…」

「なるほど…あれは精霊でしたか…」


(寄るは善、離れるは悪か…)


 そうして考え込んでいると何かに頬をくすぐられ思考が止まる。

 その存在に目を向けるとぽわぽわの精霊が小さな手をこちらに伸ばし懸命に動かしていた。

 まるで綿毛に手足をくっつけたような萌黄もえぎ色の精霊。

 手足に指はなく、頭の上にはぴょこんと葉っぱがひとつ生えている。

 テニスボールより小さいだろうか…まんまるな体を持つぽわぽわの綿毛が短い手足をちょこちょこと動かす様はとても癒される。

 しかも葉っぱもぴょこぴょこ動いているという特典付きだ。

 

「ふふ、いつも感じていた柔らかな風は君ですね」

『そうなの!やっときがついた〜』

「えっ、しゃべっ!」


 少し舌足らずな幼い男の子の声が聞こえ驚きに目を見張る。


「それは精霊にしか聞こえぬ声だ。他には自身が許した相手でなければ聞かせぬ」

「そうでしたか。今まで気がつかなくてごめんなさい」

『いいの。だってかくれてたんだもん!へへへ』


 両手で口元を押さえ笑う綿毛のなんと可愛いことか!


「かわっ!ぱ、パテルさん!やばいですよ!これは!ねぇ!?」

「…レイがそんなに感情を表に出すとはな」

「さ、さわってもいいですか…?」

『れいにはとくべつだよ〜』


 そろりと指を伸ばすとふわふわぽわぽわの柔らかい感触が伝わり、思わずもう片方の手で口元を押さえた。


「これは…」


 つんつん、さわさわ


「手が止まらない…」

『ふふ、くすぐったいよ〜』

「あ、すみません。つい」

『いつもぼくがやってることとおんなじ〜』


 へへへと笑いながら楽しそうに飛び回る綿毛に頬は緩みっぱなしだ。


「可愛いですねぇ」

「ニヤついておるぞ。これまでは同じ笑みをたたえておったくせに」

「いや、だってこれは仕方がないですよ…ん?」


 周囲に溢れる彩りを見回しているとそのなかに水球で遊ぶ精霊たちを羨ましそうに見つめる子が複数いることに気がついた。

 そっと立ち上がりその子たちのそばへと寄る。


「どうされました?」

『ぼくたちもあそびた〜い』

『あのこたちだけずるいの〜』

『わたしちがうのがいい〜』

「えっと…水が苦手なのでしょうか?」


 水球を取り囲む精霊たちは青や緑、白が多い。

 こちらで口々に話し出したのは赤やオレンジ、黒、紫。

 茶色や黄色はどちらにもいる。


「んー、火は危ないし…風なら大丈夫かな?」

『ひがなかでもえてるの〜』

『ぶきにつかうやつ!』

『ちがうよあれはつくってるんだよ!』

『かんかんって』

『こんこんって』

「あ、炉かな?少々お待ちください」


 火球を土で覆い数カ所穴を開け宙に浮かべる。

 地面に置くと草花が燃えてしまいそうなので湖の上へ。


「炉とは違いますが、こちらでもよろしいでしょうか?」

『わぁ〜い』

『わたしこれがいい!』

『れいありがとう』

『あなにはいれるかな〜』

「ふふ、あれ?行かないのですか?」


 まだこちらにとどまる子たちは黒や紫、茶色が多い。


「もしかして明るいのが苦手でしょうか?…では、こちらはいかがでしょうか?」


 黒い魔力で形作ったのは真っ黒な花束。

 地魔法で簡素な花瓶を作りそこに生けた。

 すると、そばにとどまっていた精霊たちが笑顔の花を咲かせながら嬉しそうにお花に寄って行く。

 驚くことにテーブルの下から黒や紫の子たちがわらわらと出てきて花束を囲い始めたではないか。

 地面からぽこんと顔を出すモグラやネズミ、きのこもいる。


(きのこ?)


『ねぇ、おはなたりないよ〜』

『もっといっぱぁい!』

『はやくはやくー!』

『おはなのしたのやつがいい〜』

『おうちにする〜』

「はい。少々お待ちください」


 水球、赤と茶の球、黒い花束…

 ついでに他の色の球体や花も作り出していく。

 思いつきで地魔法で作った小さな城は力作だ。


「ふぅ、これだけあればいいかな?」


 一気に視界が賑やかになってしまった。

 彩りで溢れていた空間に更に彩りを与えたものだから、とにかく華やかだ。

 精霊たちはそれに嫌がるそぶりを見せないので問題ないだろう。

 パテルさんは楽しそうに遊ぶ精霊たちを眺めながら優雅にカフェオレタイムだしね。


「ふ、やはりレイは好かれておるではないか」

「え?」

「いや…皆喜んでおる」

「パテルさんは何がよろしいでしょうか?」

「我にもか?」

「あ、いらないですよね」


 目を見開き驚くので余計なお世話だったかと出した言葉を否定した。


「いる…よこせ」


 ぷいと顔を逸らすのは癖なのか…

 どうやら気を遣わせてしまったようだ。


「では、どうぞ」


 純白と金色の魔力で作った花束をパテルさんへと差し出す。


「うむ、綺麗だの」

「魔力なのでいずれ消えてしまいますが」

「そうか…儚いのぉ…」


 優しく花弁を撫でるパテルさんが余りにも神聖で思わず見惚れてしまう。

 透明な花瓶を魔法でするすると作りあげる様子に感心しながら自分の席へ腰掛けるとパテルさんが柔らかな視線を向けてきた。


「レイはほんに優しいな」


 心からそう思ってくれているのだろう。

 その純粋な言葉に自分のなかにある澱みを知られたくなくてつい視線を逸らしてしまった。


「そうでもないですよ。嫌いなものは断ち切るタイプです」

「それはいいことだ。自分が嫌なものを無理に寄せる必要はない」

「…そう…ですねぇ…」

「我はまだレイを知らぬのだな…」

「…そのうち分かりますよ。それを知ってあの子たちやパテルさんが離れていくかもしれません…」


 視線の先には楽しそうにはしゃぐ精霊たち。

 自分はきっと今情けない顔をしているのだろうと思うとあの子たちの笑顔が眩しく感じた。


「それはないな」

「人は強欲ですから」

「レイは大丈夫だ。それに魔力が美味うまいからな。あ奴らが離れんぞ?」

「…?魔力に味が?」

「味とも少し違うが…精霊たちは魔力を糧とし生きる。そのなかでも清澄な魔力は格別でな。ほれ、見てみろ」

「………吸い込んでる?」


 自分が出した魔法をよく見ると、そこに宿る自身の魔力がそばにいる精霊たちへと少しずつ吸い寄せられていくのが分かる。

 作った当初より小さくなっているのはそれが原因のようだ。


「ああ、レイが作るものにはレイの魔力が宿る。魔法にも料理にもな」


 そう言うとパテルさんは流れるような動作でカップを傾けた。


(そういえばコーヒーには自分が出した水を使っていたな)


「なるほど。遊びでもあり食事でもあったのですねぇ」

「それにな、我は離れんぞ?何があろうとも我はレイの味方だ。いつでも頼れ」

「………ありがとうございます。それはとても頼もしいですね。ふふ、嬉しいです。パテルさんは私のどんな話でもきっと最後まで聞いてくれるのでしょうね…なんとなく、そんな感じがします。そっか、だからそばにいると安らげるのですね…心地よくて離れられなくなります。それがなくとも私もずっとずっとパテルさんの味方ですけどね?ふふ」

「主はほんに…」


(おじいちゃんってそんな感じだったなぁ)


 シワを寄せ優しく微笑む祖父の顔を思い出しながら視線を下げると、自分の手元にあるカフェオレをちろちろと舐める小さな赤いトカゲと中で泳ぐ青い小魚が視界に入った。


(ちょっとシュールだ)


「あれ?」


 手元の精霊たちに次いで周囲で遊ぶ精霊たちをきょろきょろと見回す。


「魔力紋が…」

「あぁ、姿と一緒に隠しておった」

「大丈夫なのですか?」

「レイになら問題なかろう?」

「ええ、まぁ………あ」

「なんだ?」

「魔力感知の範囲が狭まるなぁって」

「あぁ、レイは遠くまで分かるのか」


 得る情報が多いほど身体に負担がかかる。

 どこにでも精霊は存在するため、彼らが隠していた姿や魔力紋を感知できるようになったとなると情報量を減らすため範囲を狭めるしかない。


「レイがそばに来れば姿を見せるだろうが、そうでなければ普段は隠しておる」

「それならば少し範囲を狭める程度で済みますね」


 どうやら身を守る分には問題なさそうだ。

 まぁ、そうでなくとも精霊たちは可愛いのでぜひ姿を見せてほしいものだ。


 また柔らかい風が頬を撫でていくのを感じ思わず笑みがこぼれた。

 今なんとなく守りたいと思った。それとなく癒しと安らぎを与えてくれるこの空間も精霊もそしてパテルさんも。

 自分がそう思うなんて烏滸がましいかもしれないけれど、疑うことなく自分を信じ優しさで包んでくれる彼らの平穏をこれからずっと願い続けよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る