8.甘いカフェオレ

 6日ぶりの我が家だ。

 帰宅して最初に行うのはお風呂で身も心も癒すこと。


「あぁぁぁぁ〜」


 宿屋、“砦のくまさん邸”には湯船が備わっておらず、あるのはシャワーのみだった。

 湯船に浸かるには街の大衆浴場か高級宿に行くしかないとのことで諦めたのだ。

 あとはそういうお店とかね…


 この家の浴槽はかなり広いが、魔道具を使わずとも魔法でお湯を出せるので入りたいときにすぐ入れる。

 身体の汚れは浄化で綺麗にできるが、なんとなくシャンプーやボディーソープを使いたいと思ってしまう。

 だが、作り方が分からない為困っている。

 普通の石鹸はあるのでそれの作り方を覚えれば何か糸口が掴めるかもしれない。

 できれば入浴剤も欲しいところだ。


(そういえば椿があったな…椿油とか作れないかなぁ…使うのは実かな?花弁かな?時期はいつなんだろう?)


 そうして取り留めのないことをつらつらと考えている内にすっかり長湯をしてしまった。

 お風呂から上がり、ぽかぽかの身体でキッチンへと向かう。

 レモン水を一気に煽り、その後ポワの実を使った料理の製作に入った。

 からあげ、照り焼きチキン、手羽先揚げ、ささみはすぐ使えるように茹でて割いておく…


(あれ?最後はポワの実料理じゃない…というか鳥料理ばっかりだ…)


 チャーシューはフラムバードの胸肉と島で狩ったビッグピグを使った2種類。

 ちなみにビッグピグはその名の通り大きい豚。

 軽トラック程の大きさだが、マンティオロスに比べれば可愛いものだ。

 オークより美味しいと知ってからは豚肉料理にはこっちを使うことが多くなった。


(あ!肉巻きなんかも美味しそう!豚汁もだ!)


 今度はいろいろな野菜を豚肉でひたすら巻いていく。

 チーズや大葉入りのものも作った。

 火を通した後の味付けは塩胡椒もしくは甘ダレで。

 次は豚汁…


(そういえば豆腐とこんにゃくがないな…ま、今回はなくてもいいか)


 この間にも魔法を駆使して米を炊き、スープを作り、小麦粉を練り…多くのことを同時に進めていく。

 調理にコンロやオーブンは使わない。

 熱は火魔法で、水は水魔法で、洗い物には浄化を、乾燥粉砕は言わずもがな…魔法でできることは魔法でやる。

 とにかく魔法を鍛えようとした結果がこれだ。

 食材が飛び交い、宙で次々料理が完成していく様を傍から見たらどう思われるのか…


 そうしてその日は料理に明け暮れた。




 慣れた土地はやはり心地いいのかぐっすりと眠れた。

 布団は同じなのにこの家で寝た方が身も心も休まる。

 宿は個室とはいえ周りは知らぬ者ばかりで気を張っていたのかもしれない。

 その点、ここは自然と魔物に囲まれた家だ。

 周囲に感情を覚える生物がいない。

 それだけで気持ちが楽になるから不思議だ。

 今後は頻繁に…できれば毎日帰ってきたいが、転移陣を山の麓に刻んだ為そこまで行くのに少し時間がかかる。

 もう少し街に近い場所でいい所がないか後で探してみよう。


(あれ?そもそも勝手に刻んでいいの?…やばい!)


 すっかり頭から抜け落ちていた。

 今まさに人の法を犯している可能性がある。

 だが、おそらくあの山の麓まで辿り着ける者はいないはずだ。

 山まで到達するどころか、森の奥まで行ける者は少ないと村の番人が語っていたから…


(見つかる心配は今のところなさそうだけど…パテルさんに聞いてみよう)


 ちょうど今日は湖に行く予定だ。

 今はレモン水とパウンドケーキの大量生産中。

 と言ってもレモン水に関しては、水に絞った果実とハチミツを加え混ぜるだけなのですぐに完成する。

 パウンドケーキは少し時間がかかるが、それは焼き時間があるからだ。

 それ以外の工程は魔法を使えばすぐに終わる。

 そして、パウンドケーキに関しては1本だろうと10本だろうと製作時間がほとんど同じなので大量生産でも困らない。


(魔法って便利!)


 焼き上がりを待つ間に朝食を済ませ、完成したものを持って湖へと出発。

 人が多い所に居たので自然に囲まれ心を休ませたい。

 すっかりこの島での暮らしに馴染んでしまったようで緑に囲まれていないと落ち着かないのだ。


 悠々と空を飛び進んでいると湖が見えてきたが…


(あれはなんだ?)


 以前来たときには無かったはずのものが湖のそばに鎮座している。

 だが、それを気にしている場合ではない。

 見知った姿が視界に入ったのでそちらにご挨拶が先だ。


「パテルさ〜ん!」


 手を振ろうと上げた腕をピタリと止めた。

 こちらに顔を向けたパテルさんから伝わる気迫がすごい…


「レイ、来るのが遅かったではないか」


 敵意は感じられないのに怒りなのかなんなのかよく分からないものが伝わってくる。


(え?私何かした?)


 思わぬ出来事に宙に浮かびながらおろおろと狼狽えることしかできない。

 下に降りた方がいいのか、ここを去った方がいいのか判断がつかないのだ。


「何故来なかったのだ?」

「え?」


(どういうこと?今来たよ…)


 質問の意図が分からず考えている間にパテルさんから悲壮が続々と届く。

 とりあえず話を聞こうと地に降り立つと猛スピードで詰め寄ってきた。

 近くにいてはきっと落ち着いて話せないと少し離れた位置に降りたのだが全く意味を成さなかった…


(近い近い!)


「おい、何故離れる」


 わざわざ首を下げ顔をズイと寄せられては身体が仰け反るのも仕方がないことだ。


「いえ、あの、どうかされましたか?」

「だから何故来なかったのかと聞いておるのだ」

「あの、来ております。今」

「あれから何日経ったと思うておる」

「えっと…分かりません」

「………」


(正解が分からないな…)


 無表情の大きな鹿さんがしょんぼりしているように見える。


「あの…」

「この湖を忘れておったか?」

「いいえ。とんでもない。覚えておりましたよ?これほどに美しい湖ですもの。忘れられません」

「そうか…」


 少し声に喜びが乗ったものの未だにしょんぼりは継続中だ。


(あ、もしかして…)


「すみません。もしかしてパウンドケーキとレモン水を待っておりましたか?」

「…まぁ、それもあるな」

「そうでしたか。あまり頻繁に来るのはお邪魔かと思っておりましたが、どれぐらいの頻度でお持ちしましょうか?」

「レイが来たいときに来い」

「え?私ですか?」


(ん?パウンドケーキの配達日はお任せでいいの?)


「いつでも来るがよいと言うたはずだ」


(そうか…社交辞令ってたぶん人間間でしか発生しないよね?)


 つまり、この方の言葉はその通りに受け取ってもいいのかもしれない。

 いや、もう少し様子見かな?


「はい。今後は遠慮なくこちらに足を運ぼうと思います。あ、飛んでくるので足は使用しないですが」

「…くくっ、そうか。それならよい」


(あ、笑った)


 表情も姿も変わらないのにその声と瞳で分かる。

 悲壮が消えた瞳は相変わらず優しくて美しい。


「本日はきちんとパウンドケーキとレモン水をお持ちしました。前回お話ししたドライフルーツ入りの他にコーヒー味も作ってみたのですよ」

「こーひーとはなんだ?」

「あら?」


(もしかして昔はなかったのかもしれないね)


「コーヒーの実の中にある種を使って作る苦味の強い飲み物です。粉末状のものを今回パウンドケーキに使用しました。よろしければ一度飲んでみますか?苦味が強いので好き嫌いが分かれるのです。私はお砂糖やミルクを混ぜて飲みます」

「うむ」

「今用意しますね。ここにテーブルをお出してもよろしいでしょうか?」

「かまわん」

「えっと…このテーブルならパテルさんが飲みやすいですかね?」


 収納から少し高さのあるテーブルを取り出した。


「む、我を気にしてか。地面に置いても問題ないぞ」

「え…それはちょっと私が嫌なので…」

「まぁ、なんでもいい。早く出せ」

「はい」


 カフェオレはよく飲むので大量に収納に入れている。

 さすがにコーヒーカップでは小さすぎる為、大きい木製の器を2つ取り出し、ミスリル製の水差しに入れておいた温かいコーヒーやカフェオレを注いだ。


「こちらがコーヒーで、カフェオレ…ミルクとお砂糖を混ぜたものがこちらです。黒い方は苦いので口にするのは少しにし「むっ!」た方が…」

「ぐふ、苦いではないか!」

「だからそう言ったじゃないですか!」


(話を聞けよ!)


 慌てて湖に駆け寄り顔を突っ込みながら水を飲む姿に呆れた視線を送る。


「我はこの飲み物は好かん」


 戻って来たかと思えば敵と対峙するかのようにコーヒーを睨み付け始めた。

 その姿に出逢った当初の神聖さは無い。


「ではこちらはいかがでしょうか?少し甘いですよ?」

「だが、この黒いのを使っておるのだろう?」

「そうですが、苦味はかなり薄いです。無理にとは言いませんが…」


 パテルさんはそろそろとカフェオレが入った器へ顔を寄せほんの少しだけ舐めた。


「む?こっちは飲める。だがちと甘みが足りぬな」

「お砂糖を加えますか?それとも違う飲み物をお出ししましょうか?」

「砂糖を足してくれ」

「かしこまりました。これくらいかな?」

「うむ。これは旨いな」


 ゆっくりと頷くパテルさんから嘘は感じられず、嬉しくなった。

 自分が好きなものを気に入ってもらえたことが素直に嬉しいのだ。


「それは良かったです。パウンドケーキのコーヒー味はいかが致しますか?少しだけ食べてみますか?」

「うむ。こーひーほど苦くはないのだろう?」

「はい。強い苦味は無いのですが、そちらのカフェオレよりは少し苦味がありますねぇ。けれど、そのほろ苦さが美味しいのですよ。今切り分けますね」


 コーヒーパウンドケーキを1切れ分の厚さに切り、更に半分こ。

 そしてお皿に乗せてテーブルの上へと置いた。


「どうぞ召し上がってみてください」

「うむ。うむ…確かにこれは苦味があってこそ旨いな」

「そうでしょう?お口に合って良かったです」

「それもそのままよこせ」

「え?はい、どうぞ」


 1切れ分だけ短くなったパウンドケーキを丸ごとお皿に乗せると彼はすぐさま平らげた。

 そして何故かしょんぼりし始めた…ように見える。


「…レイの分はあるのか?」

「え?ふっ、ふふ。たくさん作りましたので心配いりませんよ?」


(食べた後に言われてもねぇ)


 何も乗らぬ皿を見つめこちらを心配する姿に思わず笑ってしまった。


「そうか。次はこの前食べたやつとドライフルーツとやらが入ったやつだ」


(まだ食べるのか…)


「丸ごと1本ずつでよろしいでしょうか?」

「ああ。…いや、待て。レイの分を切り分けてからだ」

「どちらもまだまだありますから大丈夫ですよ?」

「いいからそうしろ」

「…?分かりました。これでよろしいでしょうか?」

「うむ。レイも食うのだぞ」

「今ですか?」

「無論だ」

「分かりました。えっと…もうひとつテーブルを出しますね」


 パテルさんが使っているテーブルは少し高さがあるため別のものを収納から取り出した。

 椅子を置き自分用のパウンドケーキもこちらのテーブルへ移動させ、ついでにカフェオレも用意する。


「パテルさんは飲み物どうされますか?ん?」


 空になった木の器に手を伸ばそうとしたとき、こちらのカフェオレをじっと見つめる視線に気がついた。


「何か問題がありましたか?」

「その入れ物に入ってるとより旨そうに見えるな」

「コーヒーカップのことですか?まぁ、確かに」


 どでかい木の器に注いだものより、白く艶のある陶器に注がれたカフェオレの方が美味しそうに見えるというのはよく分かる。


「すみません。これは大きいサイズのものがなくて…今度街で探してみますので」

「その小さいものなら今出せるか?」

「はい。念のため食器類も収納に収めておりますので」

「収納とな?」

「あ、そっか。時を止めた広い空間です。呼び名が分からないので私はそう呼んでいます」

「ふむ、なるほどな。その収納とやらからそれと同じものを出せ」

「分かりました」


(このサイズでは飲むのに一苦労だろうに…)


 何をしたいのは分からぬまま言われた通りコーヒーカップをひとつ取り出す。


「うむ」


 パテルさんが陽炎のように揺らぎ一瞬消えたかと思えば既に姿はなく、代わりに立っていたのは白い美丈夫。

 表現が少しおかしいが、とにかく白いのだ。


 陽光を受け艶めく月白の長い髪は風に揺れ、まっさらな雪のような肌を隠す衣服もこれまた白。

 聖母が身に纏うような一続きの衣はシンプルながらも高貴さが窺える。

 ただひとつ色が乗るのは黄金に煌めく瞳だけ。


「パテルさんは人の姿にもなれたのですねぇ」

「む、驚かんのか」

「いえ、驚いておりますが…あまり驚かないというか…納得の方が強いですねぇ」

「つまらん」

「精霊は姿を変えられるものなのですか?」

「最上位以上ともなれば造作もないことよ。上位より下は一度決めた姿を変えることが出来ぬがな」


(やっぱり最上位精霊だったか…ん?)


「以上?最上位精霊よりも上が存在するのですか?」

「精霊王がそうだな」

「あぁ、なるほど」

「それより早く椅子を出せ」

「あぁ、はい。こちらのテーブルでよろしいでしょうか?」

「うむ」


 その返事を受け、もう一脚椅子を取り出して自分の席の向かい側に設置する。

 そしてもうひとつのカップにカフェオレを注ぎお砂糖を加えた。


「パウンドケーキは切り分けますか?」

「ああ、そうしてくれ」


 3種類のパウンドケーキを1切れずつお皿に乗せ、椅子に優雅に座っているパテルさんの前へと置く。

 パウンドケーキの残りも全て切りそちらは大皿へ。


「もっと食べられるようでしたら、こちらからお好きなものをどうぞ」

「うむ、すまぬな」


 そう言いながらパテルさんが一番先にフォークを刺すのはプレーン味。


「やはり旨いな」

「ありがとうございます」


 コーヒー味のときはがっついていたのに今はゆっくりと余韻を味わうように食べている。


(さて、自分も食べるか)


 まずはドライフルーツ入りを一口。

 今回使用したフルーツはブドウとオレンジ。

 地下倉庫でラム酒に似たお酒を見つけたのでそれも加えた。


 少し詰まった生地は適度な柔らかさをもち、甘くほろ苦い上品な味がする。

 小さくなったフルーツをぎゅっと噛みしめるとわずかな酸味と自然の甘味が口に広がっていく。


「パテルさん、お酒は飲めますか?今回ドライフルーツ入りの方に使用したのですが、確認せずに作ってしまいました」

「昔はよく飲んでいたな。青いのが我の所に来る度に多量に持って来おった」

「フェリさんではないですよね?師匠の友人でしょうか?」

「ああ、生粋の酒好きでな。浴びるように飲んではフェリと緑のに叱られておったわ」

「へぇ〜、なんだか楽しそうですねぇ」

「あ奴らが来るとうるさくて敵わん。まぁ、精霊たちが楽しそうにするのでな。大人しくしてろと言えなんだ」


 そうは言いながらもパテルさんも楽しんでいたのだろう。

 その穏やかな表情を見れば誰でも分かる。


「ここは静かですがそれでも私は楽しいです」

「む?…そうか…」


 頬杖をつきながらパテルさんに視線を向けると無表情で分かりにくいが喜んでいるように見えた。

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