14.初陣

 あの日からはより一層、自己研鑽に力を入れた。

 魔法や武器、魔力操作の鍛錬はもちろんのこと、己の肉体を鍛えることも忘れない。

 魔法薬も作り続けているし、料理をするにもできるだけ魔法を使うようにしている。

 書庫にある書物を読み漁り知識も増やした。


 いろいろ考えた結果、攻撃や防御には主に魔力を使うことにした。

 普通の魔法にも魔力は使っているが、これは魔力自体を使用するということだ。

 魔力球や調薬ミキサーで分かる通り、形を変えられる上に強度についても自由自在、そして複数展開が可能だ。

 何よりこれを選んだ最大の理由は見えないということ。

 他者がどれほど魔力感知に長けているのか分からないが、通常の魔法よりも認識しにくいといことだけは確かだ。


 魔法に関しては思い描いた形を即時発動できるように日々鍛錬を続けている。

 もちろん思い描く内容もたくさんたくさん考え続けており、常に思考が巡っている日々だ。




***




 そして今はクローゼットの前に来ている。

 まだ転移魔術は習得していないが、そろそろ森の中へ入り実戦を積みたい。

 だが、服が心許ないのだ。

 普段は白い薄手の長袖シャツと黒いズボンという軽装で過ごしている。

 特にそれで困らなかったので今まで気にしていなかったが流石に森へ入るには向かない。


 というわけでこの家に来て初めてクローゼットを開いた。

 中には衣服の他に靴やバッグもあり、身に着けるものはここに収めていたのだと見てとれる。

 すっかり忘れていたがスリッパはない。

 掛けられている衣服のなかからシンプルなものをいくつか選び自身の収納にしまう。

 まともなものが少ないため、白のワイシャツばかりになってしまったのは致し方なし。

 

(袖口と襟がフリルで飾られたシャツは師匠が着ていたのだろうか…)


 念の為バッグもいくつか収納に入れておこうと手に取り中を覗くと、やはり異空間が広がっていた。

 そこに恐怖も何も無く、大変便利な鞄だなぁと思いながら、大小様々なバッグを収納に収めていく。

 靴の替えも欲しかったが残念ながらサイズが合わずそちらは断念した。

 少し靴の傷が気になってはいるが、特段困っているわけではないので問題ない。


(最悪、見えない魔法の靴とか履くか?)


 なんて馬鹿なことを考えつつも、良さげな衣服やバッグを得られたことに安堵する。

 そうしてクローゼットを閉めようとしたとき少し違和感を覚えた。


(なんだろう?何が気になるんだ?)


 数歩下がりクローゼットに視線を這わせる。

 すると、扉を飾る複数の茶色い魔石のなかにひとつだけ、他とわずかに魔力が違うものがあると気がついた。

 顔を近づけ目を凝らして見てみるとその魔石だけ少し暗い色をしている。

 手を伸ばし押してみるが何も変化はなく、次に魔力を放ってみるとガコッと何かが動く音が聞こえた。

 クローゼットの中に顔を覗かせると底板のわずかなズレが目に留まる。

 上に乗っている物を全て外に出し、底板を持ち上げるとそこには黒い布がひとつ。

 手に取り広げてみるとそれはローブであった。

 あの骸骨が身に纏っていたものとよく似ている。

 光沢のないずっしりとした黒色を持つローブは威厳を放つと同時に気品も漂わせ少し近寄り難い雰囲気だ。


(自分が身につけていいのだろうか)


 格好良さに見惚れながらも、これを己の物としていいものかと思い悩む。


(…本来これはすぐに見つけられるはずの物だよね?)


 おそらくこの島に辿り着けるのは特別な力を持つ者だけ─自分を除く。

 師匠がそう考えた上でここ隠したのならば、そこまで重く捉える必要はさ無さそうだ。

 厳重に隠していたという雰囲気は見られないので、きっとちょっとした遊び心なのだろう。


(私でさえ見つけられたんだから、そういうことだよね。うんうん)


 強く頷いた後、さっそくローブを羽織ってみた。

 ローブに関しては何を持ってしてサイズが合うと言うのか分からないが、裾を引きずる心配がないので問題ないだろう。

 袖に腕を通すと滑らかな生地が手に触れ上質な物であることが窺えた。


(魔法使いっぽくてかっこいい)


 重みのある黒色が格好良くてつい見入ってしまうのは仕方がないことだと思う。

 衣服が揃った上に最高のローブを見つけられたので大変満足だ。

 師匠と同じような身なりができることも地味に嬉しい。

 そうして、森へ向かう為の準備を進めようと部屋を出たのだが、先にクローゼットのような仕掛けが他にもないか探すことにした。


(ローブみたいにいい物が隠されているかもしれないしね)


 家中をくまなく探し見つけられたのは2つ。

 書庫に置かれた仕掛けテーブルの中には絵本、キッチンの床に隠されていたのは地下へと続く階段。

 絵本に関しては遊び心だろう。

 書物から窺える師匠の性格を考えるとすんなりとそう思えるのだ。

 それよりも気になるのはもう片方の見つけし物。


(何があるのかなぁ)


 階段を下ることに恐怖はなく、ただただ楽しみだと思うだけ。

 そうして、ヒヤリとした空気を肌に感じながら階段を下りると、石造りの壁に囲まれた部屋へと降り立った。

 いくつも置かれた棚にはお酒がズラリと並び、その量の多さに思わず足が止まる。

 魔道食料庫ではなく、わざわざ部屋を用意するということは余程の酒好きだと思われる。

 きっと並べて見るのや、このなかからじっくりと選ぶのも楽しいのだろう。

 あくまで私の中で酒好きのイメージがそれだというわけなのだが、この憶測が確信に変わる日は来るのだろうか…


(明日森から戻ったらひとつ選んで飲んでみよう)


 自分は特段お酒が好きでも嫌いでもないが、明日はお酒が飲めるといいなぁと思う。

 楽しみができたと笑みを浮かべながら階段を登りキッチンへと戻った。

 家中をくまなく探したおかげで魔力感知の精度が上がったのは嬉しい誤算だ。


 そして森へ向かう準備を整えた後、今日は早めに眠りについた。




***




 眼前に見えるのは生い茂る木々とそこから垂れ下がる蔦。

 右手には剣を握り、風がわずかに揺らすのは漆黒のローブと艶めく髪。

 緑を含んだ新鮮な空気を思い切り吸い込み、そしてゆっくりと吐き出す。

 激しく脈打つ鼓動と震える身体を抑え込むのは諦め、代わりに強い覚悟を心に刻む。

 そして、魔力感知の範囲を広げ森へ向かって足を踏み出した。

 微笑みを顔に貼り付けながら…


 森の中は相変わらず薄暗い。

 不思議なのは空気中の魔力は淡い光をもつのに森の中を照らしていないということ。

 その為、魔法で足元を照らそうかとも考えたが、それで魔物に気がつかれては困ると断念した。

 明かりが無くとも充分視界は開けている。

 特に暗がりの中でも困ることは無いと判断し、足に力を込め警戒しながら前へと進む。


(目がいいからね)


 20分ほど歩いただろうか…

 既に魔力感知によっていくつもの反応を捉えている。

 今向かっているのはそのなかのひとつ。


(来た)


 森の奥からこちらへ向かってくる魔力を感じ、足を止めた。

 思わず剣を握る手に力が入ると同時に、痛むほどに早く心臓が脈打ち始める。

 いずれ耳に入るのは地面を蹴る音だろう。

 目を凝らし森の奥を見つめていると茶色い生物が視界に入った。

 一直線にこちらへと向かっているように見えるが上手く木々を避けながら進んでいることが分かる。

 反り上がった2本の牙はかなりの重量があると遠目からでも分かるほどに大きくそして太い。


────────────

【マンティオロス】

 強靭な牙をもつ猪型の魔物。

 その巨体に見合わぬ俊敏な動きで獲物を追い込む。

 風魔法を得意とする。

 魔力感知能力が高い。

────────────


 身体の震えはそのままに、集中して相手の動きを捉え自身の正面へ魔力球を放つ。

 木々の間隙を縫うように進んだ魔法は敵の体に当たると同時に消えた。


 ギラリと光る赤い目と視線がぶつかったその刹那、横に飛びこちらに向かってくる攻撃を避ける。

 自身の横を通り過ぎた風の刃は大木を二つに割った。


(魔力を纏っている)


 じわりと汗が滲む。

 敵は自身の魔力を身体に纏わせ皮膚を守っている。


(木に隠れるのはまずい。常に目で捉えていないと)


 次々と飛んでくる風の刃を避けながらこちらも魔法球を放つ。

 私の攻撃が当たる度に敵の体を守る魔力が少し拡散し大気に溶け込でいくのが見える。


(再度魔力を込めて強度を戻さないのは残りの魔力量を気にしてか…)


 こちらに近づこうとする敵との距離が縮まらないよう風魔法を使い自身が動く速度を上げる。

 あまりに速すぎると制御が難しく、木々にぶつかってしまうので調整が難しい。

 何度目かの魔力球が相手に当たったとき敵が纏う魔力が全て消え、ついに分厚い皮膚に攻撃が通った。


(よし!)


 大きな大きな猪は、空気を振るわせる程の力強い咆哮を天に向けて放った後、先程より殺気を濃く乗せた赤い目でこちらを捉えた。

 同時に地面が抉られる程の強さで地を蹴り、木々を薙ぎ倒しながら弾丸のように一直線に向かってくる。

 その巨体はこちらに届くより先に見えない何かに弾かれ木々を粉砕しながら後ろへ吹き飛んだ。


(収納便利!)


 宙を舞う敵の上からすかさず大きな魔力球を落とし、その巨体を地面に押し付けた。

 それでも尚、意識を保ち立ち上がろうとする敵の下半身は既に氷で覆われている。

 動きを邪魔する氷を壊そうと必死に足掻く敵の首が魔力の刃によって落とされた。

 数秒空いたのち、ズシンと重い音が辺りに響き渡り、それが終わりの鐘代わりとなる。


(…終わった……)


 深く息を吸い、ゆっくりと吐き出しながら身体の強張りを解いた。

 ドクドクと強く脈打つ鼓動だけが耳に届く。

 徐々に湧き上がる喜びを抑えきれず身体の前で両手を強く握った。


(自分で倒せたんだ)


 喜びを噛み締めながら地に伏せる巨体を見つめた。

 もう少し感慨にふけたいところだがここはまだ森の中。

 未だ残る氷を消し去り、マンティオロスを収納にしまうとその場を後にした。


(あ…剣使わなかったな…)




***




 森から戻り、家の外に横たわるマンティオロスを見上げている。

 死して尚、そこに在るだけで圧倒されるほどの大きさだ。

 体高は3mを超えていたと思う。

 空を指す2本の牙は両手を回しても届かないであろう太さをもち、短くそして硬い茶色の体毛はそれだけで高い防御力を誇るだろう。

 よくこれを倒せたものだ。


(最初はスライムとかゴブリンがよかった…)


 そうしなかったのは魔力感知の範囲にそれらしい反応がなかったからだ。

 魔力感知が捉えるのは中型と大型の魔物で何もマンティオロスだけが特別大きいわけではない。

 ちなみにこの森の中ではマンティオロスはギリギリ大型だ。

 だからと言って数が少ないということもなく、魔力感知で調べた限りこの猪だけでも森の中に多く存在する。


 当初は、スライムを捉えられないのは自身の魔力感知の精度が低いからだと考え、それはもう必死に努力した。

 家にいながらも森に生息する魔物の形が分かるようになり、森に生える魔草花まで捉えられるようになったのだ。

 範囲も広がり今では随分と遠くまで感知できる。

 魔力感知の精度が上がれば上がるほど、範囲が広がれば広がるほどもたらす情報量が増えていく。

 ついには頭が焼き切れそうになったとき悟ったのだ。

 この森に小型の魔物はいないのだと…マンティオロス程度は珍しくもなんともないのだと…

 それに気がついたとき、おそらくこの世界はマンティオロスを蹴散らせないでは生き残れないのだと思った。

 でかい猪を容易に蹴散らせるようにならねばならぬ。

 ひとつの指標ができた瞬間でもある。


 もしかしたら小型の魔物は森の外周にならば存在するのかもしれないが、そこへ辿り着くには中型大型の魔物を避けては通れない。

 そうなるともうスライムやゴブリンは諦める他なかった。

 

 改めて目の前の巨体を見上げる。

 これ程の巨体が数多く跋扈しているぐらいだ。

 この島全てを網羅していないが、とにかく広く大きな島であることだけは間違いないだろう。

 それにしても…


(戦闘で収納を使うとは思わなかった)


 防御に使うには役に立たなそうだと切り捨てたはずなのに、まさかそれが初陣で活躍するとは…

 魔力で作った盾では突き破られる可能性があると判断しての行動だった。


(なんにせよ初の勝利だ!)


 生きて帰ってこれたと小躍りしそうになるがそれを抑え強く手を握る。


(今日はこれを夕飯にするんだ)


 これから先自身の身に何が起きるか分からない。

 魔物の解体を覚えておいて損はないだろう。


(ただなぁ…)


 切り離された胴体と首から流れ落ちる血が地面に染み込んでいくのを目に映しながら、そこから届く血生臭さについ顔を顰めた。

 気色悪いとはこのことだ。

 込み上げる吐き気をなんとか抑えながらその大きな胴体へと近づいた。


(魚は捌けるんだ。できるできるできる)


 収納に入れていたナイフでは小さいので大きいものを物置部屋から持ってきた。

 意を決して皮と肉の間にナイフを刺し込むとブヨリとした感触が手に伝わり一度ナイフを引き戻す。

 感触はなんとか我慢できそうだが臭いが問題だ。


 ふと思い立ち浄化をかけてみると血が消えると共にだいぶ臭いが薄れた。

 茶色い体毛には艶が戻ったようにも見える。

 更に風魔法で臭いがこちらに届かないようにすると血生臭さはかなり減った。


(これならできそうだ)


 勝手が分からず悪戦苦闘しながらなんとか胴体の解体を終えた頃には空が茜色に染まっていた。

 仕上がりは言わずもがな…

 首から上はどうすればいいのか検討もつかず、とりあえずそのまま収納へ。


(なんとか無事に終わった)


 自身の身体を見下ろすとどこもかしこも汚い。

 今日は朝から森へ入りそのまま解体を行ったので、傍から見ると酷い有様だろう。

 解体に使用した場所と自身に浄化をかけ家へと戻った。




***




 夕飯はもちろん猪肉のステーキだ!

 苦労して手に入れた食材を無駄にはするまいと丁寧に焼き上げ、地下からワインも持ってきた。


 肉にナイフを当てると少しの抵抗を見せながら刃を通し、切った先から肉汁が流れ出てくる。

 噛むとしっかりとした弾力があり旨味と共にわずかな甘味が口に広がる。

 とろけるような脂身にくどさはなくさっぱりとした味わいだ。

 懸念していた臭みは感じられず、持ってきた赤ワインと相性がいい。

 口に残る脂を流したワインが残すのは芳醇な果実の香り。


(美味しすぎる)


 全ての工程を自身の手でやり遂げたこの料理の味を忘れないようゆっくりと味わった。

 未だ身体と心が震えるのは仕方がないことだと受け入れようではない。

 死ななければなんでもいいのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る