9.師匠は整理整頓が苦手

(瞼が重い)


 鉛でできているのかとさえ思う程に重い身体を立ち上がらせ、ふらふらと洗面所へ向かった。

 蛇口に似た魔道具から流れ出る水を両手に溜め込み、打ち付けるように顔に当て残る涙を洗い流していく。

 それを数度繰り返した後はまた身体をふらりとさせながらも動かした。

 そうしてリビングに入ると、今度はそこに置かれている革張りの横長の椅子に向かって吸い寄せられるように身体が動く。

 辿り着いた先では、濡れた前髪と袖をそのままに少し硬さの残るソファへと倒れ込んだ。


(自分の馬鹿さ加減に腹が立つ)


 ここが別の世界だと理解していなかった。

 いや、向き合おうとしなかったのだ。

 殺意が篭った目を向けられてようやく自覚するなんて馬鹿だ。


「あー!もう!」


 怒りのまま身を起こし、ぐしゃっと前髪を掴みながら苛立ちを逃すように声を出す。

 己をなんとか落ち着かせようと息を吐き、そしてお茶を淹れる為に一度キッチンへ向かう。


 湯気が立つ温かい飲み物を片手にリビングへと戻りソファへ腰を下ろす。


(うん…マシになった…)


 あっさりとした味わいの暖かい紅茶により少し心が落ち着いた。

 もう大丈夫と判断し、今度はソファの上で膝を抱えながら先のことを考える。

 この家にずっと篭ってはいられない。

 世界のことを知る為に街へ向かいたいし、食料の問題もある。


 身を守る術が欲しい。

 今の自分が身ひとつで世を渡れる程この世界は甘くないだろう。

 危険なのはこの島だけだと楽観的に考えるには無理がある。

 それに敵が魔物だけとは限らない。

 こちらの世界の人間がどういう人達なのかを知らない。

 さすがに出会い頭に襲いかかってくるなんてことはないと信じたいが警戒するに越したことはないだろう。


 まずは自分の攻撃方法を確立しなければ襲われたときすぐにやられて終わる。

 それにはやはり魔法の練習が必要か。

 武器…は扱える自信がないが全く使えないのは問題だろう。

 昨日読んだ書物に武器を使う魔物がいると書かれていた。

 素人の自分が武器でやり合うことは難しいだろうが対処法ぐらいは知っておきたい。

 扱い方を知ればその対処法も少しは見出せるだろう。

 それに魔法があるのならそれを使用不可能にする方法も確立されているかもしれない。

 魔法に頼りきりではそうなったとき詰みだ。

 

(この世界にどんな武器があるのか知りたい。師匠は何か残しているだろうか…)


 攻撃の他にも防御やいざというときの逃げる方法も考えなければ…

 魔物の知識も必要だし、怪我をしたときの対処法も知っておきたい。

 

(知識が足りない)




***




 書庫へ向かい思いつくものを手当たり次第に探す。

 魔法、武術の指南書、魔物図鑑、魔法薬、世界地図…


 飛び出してきた書物のなかからどれを選べばいいのかなんて分かるはずもなく、そのなかに師匠が書いたものがあればそれを選ぶことにした。

 結果、今手元にある書物のほとんどが師匠作だ。

 なかにはただの紙切れもあるが…

 何故か武術関連の書物を探して出てくるのは鍛治や彫金に関するもので指南書のようなものは一切見つけられなかった。

 

(師匠は魔法特化型だったのか…まさか武器すら感覚で使える天才か…)


 ないものは仕方がない。

 見つけた書物を読む前に先に武器を探すことにした。

 この家のなかでまだ確認していないのは書庫の隣の部屋とその真上の部屋だ。

 まずは隣の部屋へ向かおうと、並ぶ3つの扉のうち中央の扉を開く。


 壁には棚板がいくつも備え付けられ、その上にはたくさんの道具、液体が入った瓶、枯れた葉っぱ、小石など様々なものが乱雑に置かれている。

 部屋の中央に鎮座する大きなテーブルの上も雑然としており、師匠の性格を垣間見た。

 不気味な壺やすり鉢、蒸留器に似た器具、天秤に分銅、鋳造で使うような型、部屋の隅に転がるガラスペン、あちこちに置かれている物を見るに何かを製作する際に使用する作業部屋だろうと見当がつく。


 窓は北側の壁にあるひとつだけで、そのすぐ隣には家の裏手に出る扉。

 そこから外に出ると左手に鍛冶場があった。

 一目見てそうだと分かるのは、一方の壁が取り払われた造りになっているからだ。

 剥き出しの地面の上には堂々とした佇まいを見せているレンガ造りの炉があり、その他には金床や火かき棒、形やサイズが違う複数のハンマー、ペンチを大きくしたような物など鍛冶に使いそうな道具がたくさん置かれている。

 

(武器が見つからなかったらあのハンマーのなかから選ぼう)


 家へ戻り、作業部屋内にある階段を登るとそこは雑多な物置部屋だった。

 物で溢れ返っているので分かりにくいが、階下よりも部屋が広く感じるのはおそらく魔法で空間を広げているからだろう。

 その場で上半身を左右に捻りながら部屋を見回す。

 一応種類ごとに置き場を分けているように見えるので武器があれば見つけられそうだ。

 ピアノのそばにはハープやバイオリン、イーゼルの周辺にはキャンバスと筆と絵の具、蹄鉄のそばには馬の置物、ワインとワイングラス、宝箱の隣に積まれた金の延べ棒、甲冑の隣にハルバード───


(あ、武器あった)


 甲冑とハルバードの周辺には武器や鎧、盾が置かれていた。

 壁に飾られているものもあれば床に乱雑に積み重なっているものもある。

 物を踏まないように慎重にそこへ近づく。


 先程は物に隠れて分からなかったが思っていたよりも種類が豊富だ。

 とは言っても斧やハルバード、モーニングスターなんて扱える気がしない。

 大きな手裏剣を縦に10個並べたようものは持ち手があるのでかろうじて武器と分かるが、羽子板のような形をした物も武器なのだろうか…

 それはさておき、自分が使うならやはり剣か、槍もリーチがあって良さそうだが森では使えないか…


(使ったことがないからよく分からないな)

 

 とりあえず剣、槍、ナイフをひとつずつ選んだ。

 持ってみてなんとなく手に馴染むものを選んだつもりだがそれが自分に合うものなのか分からない。

 果たしてこの武器でよかったのかと思い悩みながら玄関ホールに降りると窓の外には既に夕闇が迫っていた。

 どうやら今日も昼食を食べ損ねたようだ。


(夕飯はちゃんと作ろうかな)


 ここへ来てからまだ簡単なものしか口にしていない。

 料理をしたと言っても作ったのはスープと肉を焼いただけのものだ。

 物置部屋から持ってきた武器を玄関ホールの壁に立てかけ今日の献立を考えながらキッチンへと向かった。




***




(醤油も味噌もないんだよなぁ)


 調理台に寄りかかりながら唸る。

 街へ行きたい理由のひとつが醤油探しだ。

 チーズやバターがあるので発酵の概念はあるようだが、単に師匠の好みで置かれていないのか、この世界では作られていないのか…


(困ったな…しかも鰹節や昆布もない)


 料理の幅がかなり狭くなるが、あるもので作るしかない。

 とはいえ…


(お米はあるけど炊飯器がない)


 醤油も味噌も和出汁もない上にお米も食べられないなんてことになれば待ち受けるのは絶望だ。

 土鍋で炊いたことはないがやってみるしかない。


(とりあえず米を研いで水に浸すところまではやったけど)


 浸水時間が分からないのでメニューを考える間放置することにした。


(米は後で炊くとして、メインは何を作ろうかな)


 今ある食材を順に思い浮かべながら作れそうなものを探す。

 野菜、パン、チーズ、小麦粉、卵、肉…


(“豚肉のピカタ”にしよう!作り方はそんなに難しくないし、うん、いいね。スープは多めに作って、サラダのドレッシングはレモンを使って…)


 今日のメニューが決まったのでまずは米が入った土鍋を火にかける。

 オーク肉を薄く切り塩胡椒を振り、卵、粉チーズ、水、小麦粉を混ぜ衣を作る。

 スープは潰したトマトを多めに入れたトマトスープ。


 ドレッシングを作る為に懸命に腕を動かしていると後ろからブクブクと泡立つ音が聞こえてきた。

 慌てて振り向くと土鍋から粘り気のある白い泡が次々と溢れ出ている。

 火を止めるとすぐさま収まったが、蓋を開け中を除くと米にはまだ芯が残っており、鍋肌にこびりついた米は少し焦げていた。

 想像していたツヤツヤの白米とかけ離れた姿に悲しみが湧き上がる。


(どうしよう)


 このまま食べるか、水を足してみるか…上手くいくとは思えないので今日はそのまま食べることにした。

 しょぼくれながらドレッシングを仕上げる。

 オーク肉を衣にくぐらせ両面を焼き色がつくまで焼いたら完成だ。


 「いただきます」


 最初に口にするのは白米。

 水分を多く含んだ表面とは裏腹に中心には硬さがあり舌の上にザラザラと残る。

 鼻を通る焦げたにおいも相まって美味しくはないけれど食べられないわけでもない。


(初めてにしては上出来だろう)


 ショックは大きいがもう何度かやれば上手に炊けるようになるだろうと自分を慰める。

 それに白米以外の料理は美味しく作れたので今回は良しとしよう。


(できればご飯はお箸で食べたい)


 キッチン内を探したがお箸が見つからなかったのだ。

 どうにか自分で作れないかと思考を巡らせるうちに食事を終えお風呂へ向かう。

 今日も湯船に浸かり一日の疲れを癒やしたあと柔らかい布団に包まれ眠った。


 何度かうなされ飛び起きたのは仕方がないことだ。

 その際に生まれる嘆きや震え、それらもまた当然の結果だと諦め、夢の世界へ旅立てるように大人しく瞼を閉じ続けた。

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