9.混迷

 今日も陽の光の眩しさに意識が浮かぶ。

 昨夜はベッドに気を取られカーテンを閉め忘れてしまったようだ。

 だが今日は魔法について学ぶ予定があり、それにより心が躍っているので眩しさを憎むことはない。

 サッと身を起こし自身に浄化をかけながら足早に寝室を後にした。


 簡単に朝食を済ませ用意したお茶を手にリビングへと向かう。

 カチャと音を立てテーブルに置かれたカップの中で揺れ動く琥珀色の液体を一瞥し、ソファに腰を下ろして書物を捲った。



 魔法は起こしたい事象を思い浮かべながら魔力を放出することで発動する。

 体内の魔力を感知し動かせるようになって初めて魔力の放出が可能となるそうだ。

 同じ魔法でも使用者によって大きな差異があり、ただ火球を打ち出すにしても、形・大きさ・質量・スピード・色など様々な違いが生まれる。


 魔法名は特に決まりがなく、“火球”・“火の球”・“ファイヤーボール”など人によってバラバラだ。

 その為、同じ魔法名でも効果が違う場合があり混乱を招く原因となっているらしい。

 例えば、汚れを落とす“浄化”もあれば、瘴気を払う“浄化”もあるのだとか。

 事象ごとに定義を定め分類するのは非常に困難なので誰もやろうとしないのだろう。


 体内に蓄えられる魔力の総量は個体差があり、それは身体の大きさと比例しない。

 体内の魔力が極端に少なくなると体調不良を起こし酷ければ昏睡状態に陥る。

 これを“魔力欠乏症”と言う。

 魔力が完全に無くなると死に至る場合がある為、魔法を使う際は残りの魔力量を考えながら行使する必要があるそうだ。

 まぁ、酸素と似たようなものだろうと納得できた。


 魔力には魔力紋という指紋のようなものが存在する。

 人や動物、魔物の魔力紋はひとつとして同じものは無く、例え双子でも異なるものとなる。

 ただし、種族ごとに特性は似ているとのこと。

 魔力を持つ植物や鉱物もあり、それらの魔力紋は種類ごとに異なる。

 3つ並んだ金の延べ棒の魔力紋は全て同じということだ。


 “魔力感知”についても記載されていた。

 魔力感知を使いこなせれば感知できる範囲が広がる上に、魔力紋の識別までできるようになるそうだ。

 例え個体を識別できなくとも、種族ごとの特性が分かるだけで充分役に立つとのこと。

 ただし、魔力紋は自分自身の身体で感じ覚えるしかないようで相当の経験が必要だということは明白。

 感覚を研ぐためにも魔力感知は常に発動しておいた方がいいのかもしれない。



 読み終えた紙束をテーブルに置いた後、長く息を吐いた。

 それでも次々と湧き上がる高揚感を抑えられずお茶を一口含む。

 

(魔法を使ってみたいな)


 鑑定も浄化もこれまで体験したことのない不思議な事象なのだが、魔法を使ったという実感があまり得られない。

 このままここにいても落ち着きを見せる気配もなくそわそわと動く心を静めるのは困難を極めるだろう。

 つまるところ、軽い足取りで外へと向かうしかない。




***




 家から離れた場所で練習したいが森に入るのは怖いので家と森の中間地点に陣取る。


 魔法の前にまずは魔力感知を展開する。

 目を閉じ、開く。

 一日ぶりに見た魔力はやはり綺麗で辺りを色鮮やかに彩っている。

 自分のそばにも多く漂っているが、私から少し離れた上の方により多く存在しているみたいだ。

 風が関係するのか、はたまた今いる空間をドーム状に覆う魔力が関係するのかは分からない。

 宙に漂う魔力は色とりどりだが、ドーム状の方は透明だ。

 それなのにそこにあると確かに感じられるのが不思議でたまらない。

 どのような効果をもたらすのかは分からないが、おそらく師匠が施した魔法だろう。

 全身に感じる魔力は既に濃く、今は範囲を広げられそうにない。

 昨日何も考えずとも広げられたのはこの感知量に身体が少しずつ馴染んできていたからかもしれない。

 その感覚を一度切ってしまったのは良くなかったようだ。

 今後は魔力感知の完全なる切断はしないと心に決めた。


(経験を積むにはそれしかないもんね)


 そして今からお待ちかねの魔法の練習に取りかかる。

 魔力の放出は既にできているので考えることといえば発動する魔法について。

 火は森が燃えてしまうので論外だし、風魔法は見えないので分かりにくそうだ。

 危険性が低いものとなると…


(水を使った魔法かな?)


 ではさっそくと、体内の魔力を捉え放出しながら水球を森へ向かって打ち出した。


 ドッと重い音を置き去りにすぐに見えなくなった水球。

 一瞬見えた大きさはバスケットボールくらいだったと思う。

 土埃を巻き上げながら森を駆け抜けた後には木片や葉っぱが宙を舞っている。

 バキバキバキと聞こえていた音が止み、次に届いたのは空まで届くような強い衝撃音。

 その瞬間、より一層高く巻き上がった土埃が辺りを覆った。

 相変わらず見えている色とりどりの魔力たちが楽しそうに踊っているように見えるのはただそう思いたいだけだろう。

 足に感じる揺れは逃げ惑う動物たちが引き起こしているのか、突然の衝撃に驚く地面がもたらすものなのか…


 一斉に飛び立つ鳥の羽ばたきを唖然と立ち尽くす自分の耳が拾う。

 徐々に収まる土埃の間から見えたのは真っ直ぐ続く一本道。

 道の両脇には仰け反ったままの木々たちが綺麗に並び、それを目で辿っていくと道の先にできた穴が見える。

 クレーターのような大きなものではないことに安心しかけたが全然良くない。

 立派な森林破壊だ。


(えっと…どうしよう)


 もう少し角度を上にすればよかった…いや、イメージが悪かったのだ。

 水球本体のイメージはできていたが、それを打ち出すことについてきちんと考えていなかった。

 何故、“打ち出す”という言葉で思い浮かべたのが、何気なくテレビで見た“パチンコ”だったのか…

 先が二股に分かれた木の枝にゴムをくくりつけて玉を飛ばすあれだ。

 本物を見たことはなく、まつわる思い出など持ち合わせていないそれがなぜ咄嗟に思い浮かんだのか。

 『どこか懐かしいレトロな世界〜昭和は世代を越えて〜』じゃないんだよ!!

 少しくすんだオレンジ色の番組タイトルが腹立たしい。

 制作スタッフはとんだとばっちりだ。

 いや、違う世界にまで影響を与えたとなると凄いことかもしれない。


(自分を過信していた…)


 鑑定や浄化、魔力感知がすんなり使えたので調子に乗っていたようだ。

 次はきちんと思い浮かべようと地面に腰を下ろし想像力を働かせる。

 打ち出すのではなくふわふわと宙に浮くように。

 場所も大きさも色もひとつひとつ正確に。

 最後に魔力をゆっくり放つと目の前に浮かぶのは頭に思い描いた通りの水球。


(できた)


 魔法らしい魔法をようやく使えて嬉しいはずなのにそれを素直に喜べないのは仰け反ったままの木々とでこぼこの一本道がチラチラと視界に入るからだろう。


(この水どうやって消すんだろう)


 宙に浮かんだままの水球に戸惑いを覚える。

 ジッと見つめていると、水と混ざり合う魔力がゆっくりと拡散し大気に溶け込んでいくのが分かった。

 そして最後には水が落下し地面を濡らす。


(魔力は時間が経つと消えるのか)


 ふと疑問が湧いたので検証してみる。

 水球をひとつ浮かべそれに向かって別の水球を放つと、ぶつかった瞬間2つの魔力が勢いよく散り消えていく。

 衝撃を受けた水は辺りに飛び散りそこだけが一瞬の雨に降られた。


(衝撃で魔力が消える?)


 そうなると先ほど森に放たれた水球は何故手前の木にぶつかった時点で爆散しなかったのか…

 試しに宙に浮かない水球を思い描きその場に出してみる。

 すると、発現したと同時に下に落ち地面を濡らす。

 地についた瞬間魔力が拡散し消えていくのが見えた。


(地面にぶつかる程度の衝撃でも消える…)


 次は同じ大きさの水球に先程より魔力を込めてみた。

 今度は地面に当たるとコロリと転がりその場に残る。


(同じ大きさのものだと魔力をより込めた方が強くなる…強度が上がるイメージかな)


 水の強度ってなんだと疑問は残るが。

 そこで森林破壊が行われた直前に自分がイメージしていた物を思い出した。


(パチンコか…)


 そう、あのときそれを思い浮かべたのだ。

 つまり、自分はパチンコ玉と同じ強度を持つ水球を放ったということになる。

 “本体のイメージはできていた”とのたまっていたが全然できていなかった。

 昔の人は何もパチンコ玉を使って遊んでいたわけではないだろうに…


 つまり、放つ勢いは昔の遊びにある“パチンコ”で、強度は“パチンコ玉”

 しかも大きさだけはきちんとイメージできていたのでサイズはバスケットボール。

 

(イメージってなんだ…)


 もう訳が分からなくなってきた。

 しかし、このパチンコ玉もとい水球は攻撃に使えそうだ。

 もちろん威力も大きさもかなり抑えないといけないが…


 魔法の練習を続けたいところだが、あの道をそのままにしておくのは心が痛む。

 植林…は難しそうだし、花の種など持っていない。


……………


………


……


(とりあえず整えようか)


 地面を平らにして固めるぐらいならばできそうだし、魔法の練習にもなるだろう。

 近くへ寄ると道の惨状がハッキリと目に映り心が抉られる。

 それでもそのままにしておくという選択肢はなく、せっせと地面をならしていく。

 その途中、木に絡んだ枝を風魔法で取ろうとしてやめた。

 加減を間違えて葉っぱ一枚なくなってしまったら目も当てられない。


 100mほど進んだだろうか…

 突然魔力の揺らぎを感じバッと顔を上げた。

 左側の森の奥からこちらへ一直線に向かってくる魔力がある。

 同時に聞こえてきた音は徐々にこちらに近づいており、不安が募るばかりだ。

 それが地面を蹴る音だと分かったのは、四肢を使いこちらに向かってくる茶色い生物の姿が見えたから。

 まだ距離があるにも関わらずギラリと光る赤い目と視線がぶつかった気がした。

 ハッと息が詰まったその瞬間、咄嗟に打ち出した水球が木々を薙ぎ倒しながら飛んでいった。


 木を吹き飛ばす音よりもはっきりと聞こえる自身の鼓動。

 思わず動いた手が胸を掴むより先に轟音が森に響き渡る。


 だけど、そんなことを気にかけるでもなく、脳裏に焼き付く赤い瞳から逃げるように家へ向かって駆け出した。


 バタンと閉めた扉に背を預け座り込む。

 ドクドクと強く脈打つ鼓動も握り締めた手の震えも治まりそうにない。


(自分がいた世界じゃないんだ…)


 青空の下、行き交う車。

 重くじっとりとした空気が漂う深い森。

 黄色い帽子を頭に乗せた元気な子供たち。

 ひとりでに鍵がかかる扉。

 スマホ、パソコン、洗濯機、電子レンジ。

 意思を持ったかのように飛び出す書物。

 妖し気に光る深紅の瞳。

 長い長い階段の先にある赤い鳥居。

 踊るように舞う桜の花びら。


 2つの世界が頭の中で入り乱れここが何処なのか分からなくなる。

 ここは日本じゃないと分かっているのにそれを認めたくなくて…

 でも頭にこびりついて離れない赤い瞳はやっぱり夢じゃなくて…


 その場に蹲り、声を上げて泣いた。

 その涙は何に対する涙なのか分からぬまま、時が流れていく。

 先程浮かんだ世界の光景が走馬灯のように感じたのは何故なのか…

 一瞬そんなことを考えた気もするが、それが誰の考えなのか本当にその考えを持ったのかすら定まらなかった。

 確かなのはこの身体と心が震えているということだけ。

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