6.師から

「ごちそうさまでした」


 スープは素材がいいので塩だけでも充分美味しく、満足のいく仕上がりだった。

 そのお陰か疲れを見せていた身も心もいくらかマシになった…と思う。


(食後のティータイムといきたいところだけど…)


 お茶を飲むまでにまた時間がかかりそうだと今回は諦め立ち上がる。

 シンクに運んできた食器類と昨日使用したお皿を見てふとトイレでのことを思い出す。


(これにも“浄化”が使えないかな)


 浄化をかける対象を食器に変えるだけならばできそうだ。

 さっそく魔法を行使してみると自分の魔力が食器を包み消えていく。

 後に残ったのはピカピカのお皿たち。

 続いてまな板や包丁にも浄化をかけるとこちらも汚れが落ち綺麗になった。


(便利すぎる!あ!これなら洗濯もできそう)


 思い浮かんだ内容を実証するべく、意気揚々と洗面所へ向かい汚れた衣服とブーツに浄化をかけた。


(できたできた!)


 元の色を取り戻した衣服を見てついはしゃいでしまった。

 だが、ブーツに関しては少し残念に思うこともある。

 艶は戻ったが細かい傷は残されたままなのだ。

 浄化はあくまで汚れ…不浄のものを払う効果しかないのだろう。

 けれど、今はそれが分かっただけでも充分だ。


(この家が常に綺麗に保たれているのも浄化のおかげかな)


 昨日、汚れた靴のまま室内を歩いたので靴から落ちた泥があってもおかしくないのだが、床は綺麗なままだ。

 最初にこの家に足を踏み入れたとき、室内には汚れどころか埃すらなかったことを思い出す。

 この家に魔法がかけられているのか、はたまた魔道具を使用しているのか、そこまでは判断がつかないがどちらにせよ浄化が使われている可能性は高そうだ。


(今はわざわざ靴を履く必要もないね)


 靴が綺麗になったとはいえ、室内ではできるだけ履きたくない。

 欲を言えばスリッパが欲しいがそれは家内探索の際、ついでに探そうと決め洗面所を後にした。


(さてと、まずはこれをなんとかしないと)


 ソファに腰を下ろし改めて瞳に映ったままの魔力について考える。


(これを見えないようにしたい)


 ふわふわと空中を漂う魔力が見えるようになったのはこの家に入ってから─正確には玄関の魔石に魔力を流してから。

 そのとき何をしたか、自身に何か変化はあったか…


(あのときは体内の魔力を捉え、動かし、放出した)


 体内で自分の魔力を捉えたとき、そこで初めて魔力とはこういうものなのかと理解できたように思う。

 “どれ”が魔力なのかは既に分かっていたが、魔力そのものについての理解がなかった。

 ふんわりと感じ取れていた“何か”のことを身体と頭がようやく理解し、己に落とし込めたのがあのときだ。


 川を流れる“何か”は“水”

 頬を撫でる“何か”は“風”

 空を突然駆け抜ける“何か”は“雷”


 発生する理由も条件もそれを構成する要素も、全てを知っているわけではないけれどそうだと分かるもの。

 “魔力”もそのひとつで…


(あー、だからなんだと言うんだ)


 ドサリとソファの背もたれに身を預け漂う魔力をしばらく眺めたあと目を閉じた。


(目を閉じても分かるのか)


 光は見えないが部屋中を漂っている魔力がそれぞれどこにあるのか相変わらず感じ取れる。

 何故か魔力が持つ色も分かるから不思議だ。

 更に言えば、天井から吊るされた照明は白金色の魔力を纏っているし、隣の部屋にある魔道食料庫は紺色の魔力を纏っているということも分かるのだ。

 そうして考える内に認識できる範囲がどんどん広がっていることに気がつき目を開いた。


(分かるからと次々と意識を向けすぎた)


 この場を動いていないにも関わらず疲労が蓄積されてしまった。


(これは見えているのではなく感知している…昨日自分で魔力感知と言っていたじゃないか)


 ステータスオープン未遂事件のときのことだ。

 思い出して恥ずかしくなり手で顔を覆う。


(あれは忘れたい)


 ゆっくりと息を吐き心を落ち着かせる。

 そんなことより魔力感知についてだ。

 魔力感知を発動するのに魔力は使わないので魔法ではなさそうだ。

 そうなると何に分類されるのか…


(体の機能のひとつ?)


 仕組みが分からずとも呼吸はできるし手足を動かせる。

 構造を知らなくとも声は出せるし耳も聞こえる。

 それと一緒なのかもしれない。

 そうと理解しても魔力感知の切り方は分からないが…


(呼吸は止めようと思えば止められる。そんな感じでできないかな…見えなくするぞーっと…)


 目を閉じパッと開く。


(あれ?…何それ?それでいいの?)


 唐突に魔力が見えなくなった。

 身を起こしキョロキョロと辺りを見回すもあの淡い光がひとつも視界に入らない。

 部屋に漂っている魔力も照明の魔力もなんとなくは分かる…それより更にうっすらとだが魔道食料庫の魔力も分かる。

 だが、先程とは明らかに感じ方がぼんやりとしている上に瞳には映っていない。

 玄関の魔石に魔力を流す前と同じだ。


(いやいやいやいや、今までのはなんだったの)


 解決するまでにかなりの時間を要したことに落ち込み肩を落とす。


(意識するだけで変わるってこと?気持ちの切り替えが大事ってか)


 ハッと鼻で笑う。


(なんだよそれ)


 あれこれ考えていたのが馬鹿みたいだ。


……………


………


……


「よし!」


 ガバリと顔を上げる。


(そもそも世界が違うんだ。自分の持つ知識も常識もこちらで通用するとは限らないよね)


 そうだそうだと自分に言い聞かせ気持ちを持ち直す。

 それでも立ち上がるまでに少し時間がかかったのは仕方がないことだ。


(今日はこの家を探索するんだ。さっさと行こう)




***




 部屋を出て玄関ホールにある階段を登り2階の右側から見て回る─と言っても扉は2つしかないのだが。

 階段に近い方の扉を開くとそこは書斎のようだった。

 正面には広いソファとテーブルが1つずつ。

 それらよりも存在感を放っているのは右側に見える重厚感溢れる木製の執務机。

 艶のある茶褐色の机は威厳のある佇まいで実に格好良い。


(座ってみたい)


 欲望のままにふらふらと近づくと机の上に置かれた1冊のノートが目に留まった。

 紺色の表紙には何も描かれておらず随分とシンプルなデザインだ。

 手に取り裏返してみるがそこも紺一色で変わり映えしなかった。

 表紙を捲ってみるとページの中央に“師から弟子へ”の文字。


(弟子へ向けて書いたものが何故ここに?)


 ポツンと一冊だけ置かれたノートに違和感を覚えながらページを捲るとそこには手書きの文字が綴られていた。


──────────────────────

【僕の弟子へ】


 おめでとう。

 ここへ辿り着いたのは君が初めてだよ。


 見つからないように島全体に魔法をかけて隠したんだ。

 もちろん強力な魔法をいくつも使ってね。

 自分で作った魔道具も使用しているから誰にも見つからない自信があったんだけど、悔しいなぁ…君には見つかったようだ。


 時代が進んで魔法が発展したのか、卓越した技術を持つ者が現れたのか、君自身の運か才能か。

 それとも…なんだろうね?

 どんな方法であれ、ここへ辿り着けるだけの何かを君は持っているということだ。

 それを直接問えないのはとても残念だよ。

 君となら楽しい時間を過ごせたかもしれないね。


 元々この島には僕の全てを隠すつもりで来たんだ。

 僕自身も含めてね。

 まあ、僕にもいろいろ事情があるのさ。

 誰にも見つかるつもりはなかったし、そうならないように心血を注いだつもりだよ。

 それでももしここへ辿り着ける者がいたとしたら、その者に全てを託そうと決めていたんだ。


 砂漠に埋められた花びらを見つけ出し、素水さみずを遥か上空から一滴点じ潤す。

 意味は伝わるかな?ここに辿り着ける者が現れる可能性はそれ程に低いと言いたいんだ。

 難題だよね?これって。

 少なくとも僕が上記を行えるまでになるのは凄く凄く大変なことだ。


 とはいえ実際にこれを読んでいる者がいるのだから驚きだよ。

 残念ながら既にこの世を去った僕が直接君にできることはない。

 だからこの家とここにある全てを好きに使ってくれてかまわないよ。

 既にこれを読めるくらいだから君には必要のないものかもしれないけどね。


 この島はこれまで誰も足を踏み入れたことのない場所だ。

 この島の存在を知る人がいないと言った方が正しいかな?

 元々誰のものでもないからそこは勝手にしてね。

 あ!もしかして君の時代にはそれも変わっているのかな?

 まあ、僕はもういないしその辺りのことは自分でなんとかしてね。


 君は僕の最初で最後の弟子だよ。

 直接何かを伝えることはできないけれど、ここを譲るから問題ないよね。

 師匠なんて必要ない!そんな悲しいことは言わないよね?

 泣いちゃうよ?泣き顔は見たくないでしょ? 

 僕の自慢の弟子だと言ってみたいな。


 実りある一世であることを願うよ。


【君の師匠 ルークス・フェン・ヴェリタティス】

───────────────────────


「ルークス……フェン・ヴェリタティス…さん?様?」


 思いもよらぬ内容に頭が働かない。

 書斎にあるソファへ移動し、もう一度目を通した。

 丁寧にゆっくりと…


………


「…はぁ……」


 ゆっくりと息を吐き、読み終えたノートを一旦テーブルに置いた。

 それぞれの足に肘を立て、流れるように組んだ手の甲に額を乗せて頭を働かせる。


(まず…何から考えようか…)


 次から次へと溢れてくる疑問や理解不能な内容が頭を埋め尽くし、まともに思考を巡らせられない。

 とりあえず今得た情報を頭の中に淡々と並べていく。


(これはノートに書いてあるけど手紙と呼んでいいの?)


 どうでもいい疑問だ。

 勝手に呼べばいいと思う。


(えーっと…まずこの家を譲ってもらったから好きに使っていいということで…)


「ありがとうございます」


 お礼は大事だ。ペコリも忘れない。

 後で崖の中腹に何か供えに行こう。

 あの骸骨を思い浮かべても怖いと思わないから不思議だ。


(それよりも…凄い力を持った人がここに来ると踏んでいたようだけど…)


 何も持たぬ自分が弟子になってしまい申し訳なさで胸が痛む。

 それでも既にここへ来てしまっている。

 その事実は変えられないので有り難く“師匠”と呼ばせてもらうことにした。


(しま……島なのかぁ)


 しかも“前人未踏の”と先につく。

 正確には2名到達しているが、ちょっとそこまでお買い物へなどと気軽に言える場所ではなさそうだ。


(いや、まだそうと決まったわけではない)


 島には変わりないが今もまだ未開の地だとは限らない。

 ノートにもその可能性が記されていたことを思い出し、パッと顔を上げ窓の外を見る。

 だが、ここは2階にも関わらず手前にある木々しか見ることは叶わなかった。


(ないな)


 昨日、崖の中腹から森を眺めた際、人が居そうな場所は目に入らなかった。

 左右全てが見えたわけではないし崖の裏側がどうなっているのか知らないが、探す為にはまず崖か森をなんとかしないと進めない。

 こんな状況のなか、近くに人が居るかもしれないなどと前向きに考えるなんて不可能だ。

 それに、居ないと決めつけてしまった方がいい。

 期待を裏切られたときに受ける傷は大きいだろう。

 それならば最初から期待なんてするべきではない。

 洗面所に残されていた衣服は客人用ではなく、弟子の為に用意したのだと今なら分かる。


(人にはすぐに会えそうにないけどそこは仕方がない…)


 まず、自分はこれからどうすればいいか考えよう。

 私は元の世界へ帰る方法を知りたい。

 だけど、その為に何を知り何をすればいいのか全く分からないから困る。

 となると、この世界のことを学び知識をつけないことには元の世界へ帰る方法を見つけ出せないだろう。

 この家に多くの書物が残されていることを願う。

 そもそも地球への帰り方が記された書物でもあればいいのだが…

 

(期待はしない。うん。うん…)


 無かった場合は島の外へ出て情報を集める必要がある。

 その為にはあの森を抜けるか、崖を登るかしなければいけない。

 だけど、森を抜けた先はどうする?海をどうやって渡るのだ?

 高い高い崖を見上げた先に緑が見えたということは崖の上はおそらく森が広がっている。

 もしくはてっぺんに木が生えているだけで、すぐ後ろは海とか?

 なんにせよ、森を抜け海を渡る必要がありそうだ。


(森を抜けるには最初に自分が何をできるか知る必要があるね)


 この家に残されている食料は無限ではないが、数えきれないほどの量があるので数か月…もしかしたら数年は大丈夫だろう。

 食料が尽きる前に島を出る必要があるものの、学び知識を蓄える猶予は残されている。 

 服はある、家もある…何もサバイバルをしろというわけではないのだ。


(この家があるんだから大丈夫)


 震える身体を無視し、自分に言い聞かせながら外を見つめた。


(結局あの森に自分がいたのはどうしてなんだろう)


 場所を考えると師匠がなんらかの方法で人を呼んだと言われてもおかしくないのだが、ノートの内容を見るにどうやら無関係のようだ。


(自分が異世界に来た理由も、森にいた理由も何も分からないままか…)


 異世界転移に関してはこの家の主と何かしら関係があると思っていただけに落胆が大きい。

 手がかりひとつなかったことに肩を落とすが、それならば自分でどうにかするしかないと気丈に己を奮い立たせた。


(まず、知ることが大事だね)


 ノートにはこの家と“ここにある全て”と記されていた。

 ということは家以外にも何か残されているはずだ。


(あそこに何かあるかな…)


 この家に寄り添うように建てられた円塔がずっと気になっていたのだ。

 何かが残されていそうなあの塔へ向かう為、ノートを手にしながら立ち上がる。

 そして、不安や恐怖を拭っている暇なんてないと囁く心と共に書斎を後にした。

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