5.一日のはじまり

 陽の光の眩しさに意識が浮上する。

 ゆっくりと上げた瞼が重く、重力に逆らうのをやめた。

 そのまま横に転がると顔に冷たいものが当たりうっすらと目を開く。


(……あぁ、ソファか)


 ぼんやりとしたまま身を起こすと窓の外の森が視界に入った。

 風に撫でられた木々が気持ちよさそうに揺らいでおり、昨日あった不気味さは感じられない。


(あんなに怖かったのになぁ…それはそうとこれをなんとかしたい)


 部屋中を漂う色とりどりの淡い光たち。

 未だに目に映る魔力の彩りが寝起きにはつらい。


(ご飯を食べてから考えよう…その前にトイレか)


 場所の見当はついている。

 ソファから立ち上がり洗面所の隣にあった小部屋ヘと向かう。


(ぼっとんだろうとなんだろうと形はなんでもいいから臭くないといいなぁ)


 小部屋の扉を開いて中を覗くとやはりそこはトイレたっだ。

 驚くことにトイレ特有のにおいは全く無い。

 それだけでこの世のトイレ事情の不安は大幅に減った。

 便器は洋式で自分が知っているものと同じ形だが、水を貯めるタンクがない。

 蓋に白い石が嵌め込まれているのでそこに魔力を流すのだろうと一度やってみた。


(あれ?何も起きない…それなら鑑定だ)


──────────

【ソルデ】

 不浄を受ける魔道具。

 魔石を押すと魔石に付与された“浄化”が発動する。

 魔石が持つ魔力がなくなると魔法が発動しなくなる。

 〜快適な生活をあなたに〜

──────────


(名前いいね)


 試しに魔石を押してみるとカコッと音が鳴り、白金色の魔力が便器─ソルデを包み消えた。


(なるほど。この石が魔石で、魔石には魔力があると)


 顎に手を添えながらうんうんと頷いているとはたと気がついた。


(トイレットペーパーはどこ?)


 トイレの中を見回してもそれらしい物は見当たらない。


(え、ないってことある?こんなに立派な便器はあるのに?)


 そうは言っても見える範囲にないのであればそういうことなのだろう。


(お風呂があるくらいだから衛生観念が低いということはないはず。まさか手で拭くなんてことはない…よね?)


 これは“後で考えよう”なんて言える問題ではない。

 速やかに答えを出す必要がある。

 トイレに用があるからここに来ているのだ。


(ここは魔法がある世界。何か方法があるはず)


 壁に体を預け何かヒントはないかと首を動かす。


(魔石が持つ“浄化”の魔法を自分に向けられないかな)


 効果の範囲を広げられないか…と考えたがすぐに無理だと頭を振る。

 綺麗にする対象や範囲はあらかじめ決められているだろう。

 おそらく魔道具に組み込まれているその設定を変える術など持ち合わせていない上に、学ぶ時間も残されていない。


(それなら“浄化”を自分が使えないか)


 魔法の使い方はいまいち分かっていないので、唯一使える“鑑定”から導き出すしかない。


(“鑑定”が発動する条件は…)


 ・体内の魔力を放出する

 ・知りたいと思う or 疑問を持つ

 大まかにはこんな感じだと思う。


(これを“浄化”に当てはめると)


 “体内の魔力を放出する”は同じだと分かるが後者が問題だ。


(綺麗にしたいと思えばいいのかな?)


 目を閉じ検証してみるが、自身から魔力が抜けた感覚があるだけで他に変化は見られなかった。


(これじゃダメか)


 更に考えを巡らせる。

 鑑定のときは知りたい対象そのものに焦点が合ったときに発動した。

 “リンゴ”のことを知りたいと思い、“リンゴ”に向かって鑑定を発動した結果説明が出たわけだ。

 自分に鑑定の能力があると知らなくても使えたということは無意識だろうと条件が揃えば発動するということ。


 改めて“鑑定”が発動する条件を考えると、

 ・体内の魔力を放出する

 ・鑑定したい対象を捉える

 ・知りたいと思う or 疑問を持つ

 だと思われる。


(“浄化”を発動させたい対象は…自分かな)


 再度目を閉じ、検証開始だ。

 全身から汚れを落とす、無くす、払う…とにかく綺麗にするイメージで…最後に魔力の放出。

 すると身体から抜けた魔力がそのまま自分を包み込み消えた。


(お?なんかさっぱりした?というかトイレに用が無くなったな…すごい!)


 成功したようだ。

 “何を綺麗にしたいのか”それがなければ綺麗にしようがない。

 分かってみれば実に単純明快、当たり前のことだった。

 身体の外側も内側も綺麗になったことに喜び、ようやくトイレ問題が解決したと安堵する。


(まさかこんなに考えるはめになるとは思わなかった)


 思ったよりも時間を使ったことには嘆きが生まれるが、トイレの面倒事が消えたことへの喜びが大きいため問題ない。

 足取りが軽くなるのは洗顔など、朝の身支度の面倒も減ったからという理由もある。

 そうして洗面所を通り過ぎキッチンへと向かう。


(さて、何を食べようか)


 温かい物を食べたいと魔道食料庫の中を探すがやはり調理済みの物は見つからなかった。


(どうしようかな)


 なんとなく思い立ち、隣にある戸棚を開くといくつもの瓶がズラリと並べられていた。

 瓶の中には粉や液体、実のような物や乾燥した葉っぱなどが入っている。


(調味料やハーブっぽいけど)


 そのまま口にするのは憚れる。


(こんなときは…鑑定)


 淡い黄色の小さな結晶が入った瓶を調べてみる。


──────────

【サリュー】

 食用可

 品質:S


 サリューサという植物から採れる。

 透明度が高いほど品質が良い。

 爽やかな酸味を持つ。

──────────


(鑑定すごい。次はこっち)


──────────

【バロット粉】

 食用可

 品質:A


 バロットの木の実から皮を剥ぎすり潰した物。

 皮が残っていると雑味が混ざり品質が下がる。

 すり潰せば潰すほど辛味が増す。

 目に入ると痛い。

 直接触れない方がいい。

──────────


(本当に食べて大丈夫なのか?)


 粉末状の物が入った瓶をそっと棚に戻す。


(塩はどれだろう)


 ひとつひとつ調べるのはめんどくさい。

 一気に知る方法はないかと考え、棚の中全体が見えるように一歩下がる。


(詳細はいらない。名前だけが出るように)


 棚の中にある物全てに鑑定を発動する。


──────────

【サリュー】

【バロット粉】

【ピントゥ】

【ポーツ粉】

【ローリエ】

【コーラルペッパー】

  ・

  ・

  ・


──────────


 次々に名前だけが思い浮かぶ。


(おぉ!すごい!塩はこれだね)


 赤みのあるオレンジ色をした小さな結晶が入った瓶を手に取る。


──────────

【コーラルソルト】

 食用可

 品質:S


 透明度が高いほど品質が良い。

 まろやかな塩味でコクがある。

──────────


(あとこれもか)


 少し灰色がかった結晶が入った瓶も取り出す。


──────────

【インベルソルト】

 食用可

 品質:A


 透明度が高いほど品質が良い。

 辛味が強いピリッとした塩味。

──────────


(塩を使い分けたことなんてないから迷うな…今日はこっちでいいか)


インベルソルトを棚に戻す。


(あとは肉と野菜が欲しい)


 魔道食料庫に手を入れ、野菜を数種類と肉をひとつ取り出す。


──────────

【ケイラバードの肉】

 食用可

 品質:A


 ケイラバードという魔物の肉。

 肉質は硬め。

 旨味とコクがある。

──────────


 包んでいる大きな葉を開くと肉の塊が現れた。

 部位ごとに分けられていないので結構大きい。


(魔物か………いるんだ…)


 思わず知った事実に恐怖が押し寄せてくる。


(凶暴なイメージがあるけど実際どうなんだろう。見境なく襲ってくるのかな?普通の動物もいるのかな?)


 ひとつ知れば次々と疑問が湧き出てくる。

 まだこの世界に来たばかりで仕方がないとはいえ、何も知らないことに不安を覚えた。


(知らないことが多すぎる。学ばないと…本があるといいんだけど)


 どうかあの主が読書家でありますようにと黒いローブを纏った骸骨を思い浮かべ願う。


(何をするにしてもまずはお腹を満たさないと)


 調理台に乗せたままの食材に目を向ける。

 人参、キャベツ、玉ねぎ、肉を適当な大きさに切り鍋に入れ、水を加えて火にかける。


(かなり雑だけど今は温かい物が食べられるならなんでもいい)


 具材を煮込んでいる間に他の食べ物を選ぶ。


(やっぱりパンと果物かな…しかし毎回手を突っ込まないと中身が分からないのが面倒だなぁ)


 入っている物の種類が多すぎて覚えきれないのだ。

 てっきり段ごとに種類分けされているのかと思いきやそんなことはなく、それも面倒だと思う理由のひとつになっている。

 ちなみにリンゴは1段目と5段目と6段目に入っていた。

 なので手を入れなくても中身を知る方法があれば知りたい。


(中身が入っていても、入っていなくてもこれは魔道食料庫なんだよね)


 魔道食料庫に何が入っているのか知りたいということは、それすなわち魔道食料庫のことを知りたいということ。


(あれ?普通に鑑定でいけそう)


──────────

【魔道食料庫】

 食料を貯蔵するための魔道具。

 魔法により空間が広げられ、中の時が止められている。

 〜いつでも新鮮な食べ物をあなたに〜


 《内容物》

  パイナップル

  ポーツ

  コラル

  じゃがいも

  バラディードの肉

  クラレグ

  レッドチーズ

  パプリカ

  カルダガの肉


   ・

   ・

   ・ 


──────────


「っ!ストップストップ!!」


 次々に思い浮かぶ名称の多さに慌て思わず魔力を止めた。


(できたのはいいけどこれは多すぎる)


 結局これまで通り手を突っ込むことに決めた。


(後で段ごとに種類分けしよう)


 そうこうしている内にスープの具材に火が通ったのでコーラルソルトで味を整え完成させる。


(なんか朝から疲れたな)


 クロワッサン、スープ、バナナを調理台に並べ、昨日置きっぱなしにしていた丸椅子に腰掛ける。


「いただきます……うん、美味しい」


 一日が始まったばかりだというのに疲労が溜まっている身体にはスープの温かさがやけに染み込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る