4.何者なのか

「情報が少ない…いや、ないと言っても過言ではない」


 テーブルに突っ伏し嘆くことしかできない。


(もっとこう…レベルとか使える魔法とかが欲しかった…あ!もしかすると鑑定の仕方が悪かったのかもしれない)


 ガバッと身を起こし目を閉じてもう一度自身を鑑定する。


(俯瞰で自分を見るイメージで…もっと自分のことを知りたい。これは誰?どんな人間?)


 言い聞かせるように強く念じる。


───────────

【名無し】

 異世界からの迷い人

 呼ばれし者(?)

 “旧・導き手”の友

───────────


「変化なし…」


 ガクリと肩を落とし項垂れる。


「鑑定の熟練度が足りないのか、ステータスという概念がないのか…はぁ、分からない」


 為す術なしと諦め先ほど思い浮かんだ鑑定結果へ意識を切り替えた。

 少ない情報だろうと今の自分には考える足掛けにはなる。


(まず、“異世界からの迷い人”ってどういう意味だろう?)


 自らこちらに来たつもりはないのに勝手に迷子認定されるのは納得がいかない。

 何を以ってして迷っていると判断するのか…

 迷い込んだ人という意味なのか、今まさに迷っている人という意味なのか…


(“呼ばれし者”ということは誰かが私を呼んだ?その途中で迷子になったから“迷い人”?本来行き着く先があったということ?ハテナがついているのはなんでだろう…)


 何もかもが分からず顔が険しくなる。

 考えても考えても疑問ばかり生まれるのは当然だ。

 ふぅと息を吐き肩の力を抜いた。

 今の自分では答えが出せないため一旦保留にするしかない。


(“旧・導き手”の友…か)


 あの小鳥が自分を友だと思ってくれたことが嬉しくて笑みがこぼれる。

 だけど、何を以ってして友人と判断したのかこれまた分からないから困るね。


(名前を知らないのは悲しいなぁ。そうだ、この家に何か情報が残っていないかな)


 崖の上での様子を思い出すに、あの主と関わりがありそうだった。

 何か情報が残されていないか後で探してみようと決意し思考を切り替える。


(ふっ、名無しね…ゲームの初期状態みたい。まぁ、自分に名前がないことは少し納得できるよ…)


 テーブルに肘をつき片手を目の高さまで持ち上げる。

 シミひとつない滑らかな白い肌に少し骨張った長い指─“品質:S”なのも頷ける。

 長い手足にはまだ慣れず距離感が難しい。

 以前よりも高くなった目線と自分が発する低い声にも違和感が残る。

 顔立ちは確認できていないが、それがなくとも自分が男になっていることは考えるまでもなく理解できた。


 地球に居た自分とは別の人間、故に名が無いということなのだろう。

 そしてそれならば、誰かの身体に乗り移ったという可能性は低い。

 元々この世界に存在していたのならば名があるはずだ。

 そこに関しての憂いが晴れただけでも鑑定結果の簡素さへの嘆きはいくらか減る。


(魂が同じでも身体が違えばそれは別人ということか…いや、魂と身体が2つ揃って初めて個となるのか…)


 仮にそうだった場合、この身体を乗っ取ったという可能性がまた浮上する。

 私の魂と誰かの身体が組み合わさった可能性があると。

 だけど、その考えは直ぐに払われた。

 私の記憶しかないからだ。

 誰かの身体だったとしたら、この脳に自分以外の記憶が残っているはず。

 それにこの身体は新品な気がしてならない。

 生きた記憶が身体に残っていない感覚がすると言えばいいのか…


(まぁ、なんにせよ私の記憶しかないなら誰かの身体を奪ったわけではなさそうだね。それはいいとして…)


 この身体になっている理由が分からない。

 そのままの身体と性別では不都合があったのか…

 作り替えられたのか、新たに生まれたのか…

 誰かの気まぐれか…エラーか偶然か…それともこれが世の理か…


(結局のところ何も分からないなぁ…)


 はぁ…と深いため息が漏れる。

 鑑定により自身の情報を得られたはずなのに、謎が深まる結果となり落胆するしかない。

 どうしたものかと思い悩みながら窓の外に目を向けると、空は夕闇に染まっていた。

 深く考え込んでいたようで、ひとりでに灯った照明が室内を照らしていることに気がつかなかったようだ。


(今日はもう考えるのをやめて身体を休めよう)


 あちこちを漂う魔力は未だ瞳に映ったままだが、それについても後ほど考えようと切り替え、止まっていた食事を再開した。

 ずっと手に持っていたことにより少し暖かくなった梨はそれでも美味しかったが、切ない食事となってしまったのは事実。

 これがいつか笑い話になることを願う。


──────


───


──


 心に陰を落としたままの食事を終え、皿を洗おうとシンクへ向かったが、スポンジと洗剤がないことに困惑する。


(どこかにあるのか)


 探すのは面倒だととりあえず水で濯ぐだけに留め、頭の中の“後で考えることリスト”に書き加えた。

 お腹が満たされた今、気になるのは身体の汚れだ。


(お風呂に入りたいなぁ)


 視線を下げると視界に入るのは白いシャツに黒いズボンとブーツ。

 シャツとズボンは薄汚れ湿り気があり、ブーツは泥が所々乾き白っぽくなっているのが目立つ。

 肌は汗と湿気でベタつき不快感を覚える。


(森を歩いたり転んだりしたからなぁ)


 風呂場が何処にあるのか分からない為、とりあえずキッチンにある扉を開き顔を出すとそこは廊下だった。

 軽く顔を動かすと玄関ホールが視界に入る。

 どうやら直接キッチンと行き来できるようだ。

 納得したのち、顔を引っ込めもうひとつの扉へ向かう。


(おっ、ここっぽい)


 そこには洗面台と棚、右手側にすりガラスが嵌められたドアがあった。

 足取り軽くそのドアへ近づくと視界の端に己の姿が入り込んだ。

 チラリと動かした視線の先でこちらを見ているのは端正な顔立ちをした20代程の青年。

 乱れた黒髪に闇夜のような瞳を持つ儚げな美男子。

 髪も肌も衣服も薄汚れているがそれでも損なわれぬ美貌。

 目を見張り驚くその姿でさえ美しい。

 洗面台の鏡に映る己の姿に引いた。


(………嫌だなぁ)


 綺麗なものを見るのは好きだ。

 それが人でも絵でも景色でも。

 だがその対象が自分自身となると話は変わってくる。

 とにかく視線が苦手だからだ。

 小学生の頃クラスで作文を発表するときでさえ声が震えたというのに…

 鏡の中の青年を見つめながら落ち込み立ち尽くすしかない。


 唖然とするなか、ふと先程キッチンで見た野菜や果物を思い出した。

 そのどれもが知っている大きさの2〜4倍はあり、味も格別だった。


(もしかしてこっちの世界のものは地球のものと比べるとサイズも品質も数割増しなのかもしれない…)


 そう、人でさえも…

 暴論のようだがその可能性を否定もできない。

 新たに生まれたにしろ作り替えられたにしろ、この身体はこちらの世界に合わせたもののはずだ。

 地球ではため息が出るほどの美貌でもこちらでは普通なのかもしれない。

 そう思うと少し気が楽になった。


(一度確認する必要があるな…それにたぶん見た目だけじゃなくて……まぁ、それはそうとまずはお風呂だ)


 今考えてもどうしようもないと気を持ち直し、目の前のドアを開いた。

 そこはやはりお風呂場で床も壁も白で統一されたシンプルな造りになっている。

 入口の右側にはシャワーが備え付けられており、反対側にある浴槽は10人入っても余裕がありそうなほどに広い。


(湯船に浸かる文化があってよかった)


 桶で水をかぶる覚悟もできてはいたが、やはりお湯に浸かれるならそちらの方が断然いい。

 しかし湯船はあの大きさだ。

 お湯が貯まるまで時間がかかるだろう。


(今日はシャワーだけでいいか)


 広い湯船は後日堪能すればいいと考え、一旦その場を出た。

 この洗面所は脱衣所も兼ねているようで広くとられている。

 棚には肌触りの良さそうなふんわりとしたタオルが重ねられ、その下の段には真新しい白いシャツと黒いズボン、下着がそれぞれ数枚ずつ用意されている。


(これは…何故?…あぁ、なるほどねぇ)


 都合よく置かれている衣服に疑問が生まれたが、おそらく客人用に用意していたのだろうと納得する。

 この家もあのお風呂も人を呼ぶには充分な広さだ。

 納得できたところでいそいそと服を脱ぎ風呂場へ向かう。


(これだね)


 赤と青の石が1つずつ嵌め込まれたシャワーのハンドルを手前に動かす。


「っ!あつッ!」


 降ってきたお湯の熱さに驚き、慌てて温度を下げる。


(使い方が分かりやすくて助かる)


 ほっと息を吐きながら、適温になったシャワーを浴びる。

 残念ながらシャンプー類は見当たらなかったが、唯一置いてあった石鹸でも充分全身をピカピカにできた。

 そうしてさっぱりした身体に満足しながら風呂場を出たが、また別の問題が発生し頭を悩ませる。


(靴どうしよう)


 服はあるが靴やスリッパがない。

 だが、汚れたブーツを履くのは抵抗がある。

 それにお風呂上がりに靴下を履きたくない。


(それなら仕方がないね)


 ツヤツヤの床を一瞥し裸足のまま洗面所を後にする。

 それが今回の答えだ。


(汚れた服とブーツのことは後で考えよう)


 ペタペタと足を進め、水を入れたグラスを手にソファに腰を下ろす。

 窓から見える森は月明かりを浴びて輪郭だけが銀色に浮かび上がっており、それに恐怖を覚えた。

 今もあの森にいたらと思うと…


(明るいうちにここに来れて良かった)


 心から安堵しソファの背にドサリと身を預ける。


(さて、どこで寝よう)


 今からベッドが置かれた部屋を探すのは骨が折れそうだ。

 何よりもうこれ以上動きたくなかった。

 幸いこのソファは横になっても問題ない大きさだ。


(今日はここでいいか)


 ゴロンと身体を倒す。

 慣れない硬さと革の感触に少し身じろぐが、それでも寝床を変えるつもりはなく、そのまま天井を見つめる。


(この部屋のあかりどうやって消すんだろう)


 照明の光を顔に受け思い浮かんだ疑問の答えを見つける気のないまま微睡む。

 そうしてすぐに意識は闇に沈んだ。

 瞼の裏に残る光は明日どうなっているだろうか…

 最後に思ったのはそれだった。

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