3.自分を見るのは…
掴んだそばからすり抜け零れ落ちたのは光か、希望か、喜びか…
(涙が流れるのはなぜだろう…)
長い時を共に過ごしたわけではない。
それなのに胸に強く残るのは悲しみで…先程刻まれた寂しさと共に胸を締め付ける。
だけど、その感情を抱く理由が自分には分からなかった。
──────
───
──
(さてと…戻ろうか)
赤くなった目元を袖で強引に拭い来た道を戻る。
階段を降り外に出ると眩しさに目を細めた。
見上げた先には陽が傾きほのかにオレンジ色を纏う空。
(お昼はとっくに過ぎているかな)
ぼんやりと空を見上げながら扉を閉めるとガコンと鍵がかかる音がした。
扉が閉まると自動で作動するようだ。
(さて、この家にお邪魔します)
崖の中腹を一瞥し、歩き出す。
家の裏口が見えるものの最初は正面から入ろうと表側に回った。
中央にある玄関には木で作られた重厚な扉があるが、ドアノブも取っ手もついていない。
扉の横の壁に白い石が埋め込まれており“あれだな”と当たりをつける。
念のため一度扉を押し何も起こらない事を確認してから石へと近づき、崖下の扉を開いたときの小鳥の様子を思い浮かべた。
(たぶんこれに流すんだよね…)
森を掻き分け進んでいたときから体内を巡っているものに違和感を覚えていたし、空気中に何か漂っていることにも気がついていた。
それの正体が分からないことで恐怖を覚えもしたが、森を抜けるのに必死で深く考える余裕がなかったのだ。
浮かぶ水の球
階段を照らしていた照明
この家の主が身に纏っていた衣服
額に触れた嘴から流れてきたもの
大気を漂う何か
魔法と関連していそうなものからは必ず感じていたし、それと同じものが宙を漂っていることにも気がついている。
おそらくそれが“魔力”。
名称が合っているかは分からないが、そこは問題ないだろう。
(魔力を流すということは分かるけど…)
肝心の流し方が分からない。
(とりあえずやってみるか)
体内の魔力は意識しなくても分かる。
今までなかったものが身体の中を巡っているため違和感として認識しやすい。
目を閉じ、まずは体内の魔力の流れを捉える。
次に自分の意思で動かせるか試してみると流れが速くなった。
それを身体の外に出すイメージで…
「おぉっ!??」
大量の魔力が一気に身体から抜けていく感覚に驚き、思わず声が上がってしまった。
カチャリ ギィィ
自身を中心にドーム状に広がった魔力が白い石に触れたらしい。
意図せず鍵が解除され、扉がひとりでに開いた。
(できたけど、ちょっとよく分からなかったな。この扉の仕組みも気になる…まぁ、後で考えよう)
まずは身を落ち着けることが先だと家の中へ足を踏み入れた。
最初に目に飛び込んできたのは室内を舞う色とりどりの魔力たち。
数々の淡い光があまりにも美しく、思わず感嘆のため息が漏れた。
まるで生きているかのようなその魔力ひとつひとつに目を向け見比べてみると、それぞれで動き方が違うことに気がついた。
それらの動きを見るだけでも楽しめそうではあるが、今はその余裕がない。
玄関ホールは吹き抜けになっており天井には細やかな細工が施された照明がぶら下がっていた。
室内のどこを見ても埃や汚れはなく、この家が綺麗に保たれていることに驚きが生まれる。
正面には上へと続く階段があるが、2階を確認するのは後だ。
玄関から入って右手側にある扉を開き中を除くと革張りのソファが視界に入った。
優に3人は座れそうな広いソファが2つ、重厚なテーブルを挟んで向かい合うように置かれている。
無意識にそこへと向かう足は急いているが、焦りはない。
ドサッと身を預けたソファはピンと革が張られており、身体が深く沈み込むことはなくちょうどいい硬さだ。
後ろに倒した頭をそのまま背もたれに預け目を閉じる。
(あぁ、疲れた…)
身体の疲労は小鳥のおかげでほとんどないが、いかんせん色々なことがありすぎた。
(名前聞きそびれたな…)
瞼の裏に浮かぶ青い小鳥の名を呟こうにも呟けなくて少し悲しくなった。
(私を“異界の子”と言っていた…やっぱりここは地球じゃないのか)
「帰れるかなぁ…」
………
弱々しいその声に返す者は誰もなく、ただ辺りに溶けて消えるのみ…
(これからどうしよう)
先のことを考え⋯る前にグゥとお腹が空腹を訴えた。
背もたれに預けた頭をそのままに首だけを動かし隣の部屋へ目を向ける。
そこへ続く入り口には扉がついておらず、こちらからでも水道とシンク、鍋やフライパンを乗せた棚が見える。
(食べ物あるかなぁ)
重い身体を上げその部屋へ向かうと、やはりそこはキッチンだった。
壁際にコンロや食器棚があり、部屋の中央にはマグロでも余裕で捌けそうなほどに大きい調理台が据えられている。
(思ったよりも近代的だ)
竈門を想像していたので安堵する。
キョロキョロと部屋を見回していると白い長方形の大きな箱が目に入った。
ドアがひとつしかないことは気になるが縦長のそれは冷蔵庫に見える。
開いて中を見ると引き出しが10段ほど縦に並んでいた。
「え?」
知っている冷蔵庫との違いに驚き思わず声が上がるのは仕方がないことだ。
(冷蔵庫じゃないのかな?)
おもむろに手を伸ばし引き出しを引いて覗き込むとそこは黒かった。
ガッガタッバンッ
訳が分からず反射的に冷蔵庫を閉めた。
ドッドッドッドと速く脈打つ鼓動を気にする余裕はない。
(何あれ何あれ…怖すぎる…)
落ち着かない鼓動のまま冷蔵庫らしきものを凝視する。
──────────
【魔道食料庫】
──────────
突然頭に何かが思い浮かんだ。
「は…?」
よく分からぬ事象に驚きビクリと肩が跳ねた。
(魔道食料庫?何が?これが?これの名前?どうして突然…魔道食料庫って何?)
次々と疑問が湧き上がるのは混乱が生じているからだ。
当然その状態では思考を纏めることができない。
──────────
【魔道食料庫】
食料を貯蔵するための魔道具。
魔法により空間が広げられ、中の時が止められている。
〜いつでも新鮮な食べ物をあなたに〜
──────────
「は…?キャッチコピーいる?」
どうでもいい。
(つまりあれか?あの黒い所に食べ物が入ってるってこと?あそこに手を突っ込むの?嫌だなぁ)
だが空腹には抗えない。
よし!と気合いを入れ魔道食料庫の扉を開く。
なんとなく先ほど開けた段の1つ下を選び手前に引くと中はやはり墨を落としたかのように黒い。
白にはできないのかと考えつつゆっくりと手を入れる。
膜のような何かを通り過ぎるとその先の手が見えなくなった。
思わず腰が引けるが、手を握るとちゃんと感覚がありほっとする。
それと同時に頭にたくさんの名称が次々と思い浮かび驚いた。
知らない名前も多いが、そのなかから馴染みのある名を見つけそれに焦点を当てると掌に硬いものがぶつかった。
それを掴み手を取り出すと確かにゴボウを握っていた。
「太っ!」
長さは同じなのに太さは通常の3倍はあり握り締めても指が回らない。
ゴボウを一旦黒い空間に戻し再度手を入れる。
今度は果物にしようと決め頭に思い浮かぶもののなかから探す。
取り出した手は傷ひとつ無いツヤツヤとしたリンゴを掴んでいる。
地球のものより2回りほど大きいそれに顔を近づけるとほのかに甘酸っぱい香りがした。
それにつられてガブリと齧りつこうとしたそのとき、手の汚れが目に留まりわずかに開いた口を閉じる。
すぐそばにある水道で汚れを落とすついでにリンゴも洗っていると急に不安が込み上げてきた。
(これ食べて大丈夫かな?)
見た目こそリンゴだが何せ異界の物だ。
毒が入っていないとは言い切れない。
食べ物に見せかけた何かという可能性もある。
流水にさらされたリンゴを見つめながらどうしたものかと思い悩むこと数秒。
──────────────
【リンゴ】
食用可
品質:S
瑞々しく歯ごたえがある。
──────────────
「うわっ!」
またしても突然頭に何かが思い浮かび思わず仰け反った。
(さっきからこれはなんなの…食用可って…)
ふと魔道食料庫の説明を思い出した。
中の時が止まっているかは分からないが、空間が広がっているのは確かだろう。
その説明に嘘がないということは、このリンゴの説明も合っている…はず。
なんにせよこの家を出て外で食料を探すなんて怖くてできない。
となるとこの家に残る食料をあてにするしかないと己が語る。
手に持っているリンゴをジッと見つめた後、意を決して齧りついた。
(たぶん大丈夫)
ツプリと皮を破った後には酸味が少し口に広がりそれに続くのは甘い蜜の味。
噛んだそばから果汁が滴り落ちるほどに瑞々しい果肉はシャキシャキとした歯ごたえがある。
喉の渇きも相まって口に運ぶ手が止まらず大きかったリンゴがどんどん小さくなっていく。
(全部食べてしまった…身体は問題なさそう?)
手足を見ても変化は見られず、痺れや不快感も襲ってこない。
大丈夫そうだと安心し、ほっと胸を撫で下ろした。
(これどうしよう)
手に残ったリンゴの芯をどうすべきか考え辺りを見回すとゴミ箱のような物が目に留まった。
蓋を開けると案の定、中は黒い。
そこにポイッと芯を捨て次に食べる物を考えながら横目にコンロを見る。
(料理をする気力は残っていない…となると果物か…スープやパンはあるかな)
魔道食料庫の中に手を入れ目当ての物を探す。
バナナ、梨、白パン、クロワッサン。
残念ながら調理済みのものは入っておらず、とりあえず知っている名前のものをいくつか選んだ。
食器棚から取り出した木皿にそれらを並べ部屋の中央にある調理台に置く。
隅にあった丸椅子を運んできて腰掛け食事を摂りながら先程頭に思い浮かんだことについて考える。
(どうして急に頭に思い浮かんだのか…さっきは黒い空間に驚いて“何あれ”と魔道食料庫を見ていた。次は“魔道食料庫って何?”と…リンゴのときは…)
ふと思いつき手にしている梨を見つめながら心の中で問う。
(これは何?)
────────────
【梨】
食用可
品質:S
瑞々しくやわらかい。
────────────
「あっ出た。雑っ!」
魔道食料庫の説明文とは違い随分と簡素な内容が思い浮かび、つい不満が漏れた。
(リンゴといい梨といい、なぜこれほどに雑なのか…)
やれやれと梨を見つめながら頭を振った。
────────────
【梨】
食用可
品質:S
高さ20m〜30mの高木に実る果実。
球状のものと楕円形のものがあるが育った環境により形が変わるだけで味にさほど違いはない。
10枚の花弁からなる白い花を咲かせ、その花は魔法薬の材料にもなる。
果肉は白に近い黄色で瑞々しくやわらかい。
全体的に酸味がなく食べやすいが、芯の近くにだけむせ返すほどの酸味があり注意が必要。
ちなみにその酸味を好んで食べる人もいるがその嗜好を持つ者は多くはない。
────────────
「長い長い!」
先程と打って変わり詳細な説明が頭に流れたことに驚き慌てた。
(たぶん、どれだけ詳しく知りたいのかということも意識しないといけないのかな?となるとこれは自分自身が持つ能力…)
魔道食料庫の説明だけならば本体に備わった機能のひとつと考えることもできた。
だがリンゴに続いて梨の説明も出てきた上に、自分の意識が関わってくるとなると自身が持つ能力だと判断できる。
馴染みのある言葉で言うとおそらく“鑑定”だろう。
(んー、でもなんで今になって使えるようになったのかなぁ?)
外でだって同じような状況はあった。
初めて小鳥を見たとき、崖下の扉、この家の主が身に纏っていた衣服、玄関横の白い石などなど。
“これは何?”と疑問に思い見つめた場面は多々あったがそのときは何も起こらなかった。
(違いはなんだろう…小鳥の存在?でも、玄関でも鑑定は発動しなかった。外と中?何が変わった?ん?玄関?)
何か分かりそうで分からない。
唸りながら窓の外に目を向けると疑問が生まれた。
(外にいたときは魔力が見えなかった)
魔力を感じることはなんとなくできていたが、見えてはいなかった。
それなのに今は家の中だけではなく、外にある魔力もハッキリと瞳が捉えている。
ふわふわと漂うものもあれば、風のように流れるものもある。
家の中を漂う魔力が見えるのはこの家特有の何かがあるからだと思っていたが…
(見えるようになったのは家に入ってから?魔力…流れ……あ!)
玄関で白い石に魔力を流したときのことを思い出す。
目を閉じて体内の魔力を意識し感じ取ってみるとわずかに自身から魔力が漏れていることが分かった。
体内を巡る魔力の流れは意識せずとも感じるが、大きい流れから外れた細かい動きの方は意識しないとまだ分からない。
(これが原因か)
玄関では一気に流れ出た魔力の勢いに驚いて無意識に放出を抑えたが、完全に止めたわけではない。
(魔力の放出を止めるという発想がそもそもなかったなぁ)
その後は他のことに気を取られ体内の魔力に意識を向けることがなかった。
漏れていた自分の魔力と咄嗟に出た疑問が合わさり、“鑑定”が発動したのだろう。
意識して魔力の放出を止めた後、手元の梨を見ながらこれは何かと疑問を思い浮かべたが鑑定結果は出ない。
だけど不思議なことに空気中の魔力は見えたままだ。
(梨の鑑定結果が出ないのは分かるけど…魔力が見えるのはどうして?)
鑑定を行使するには魔力が必要となるということは、おそらく魔法の一種なのだろう。
魔力が見えている今、体内の魔力が減っている感覚はない。
となると、魔力を見ることに関しては魔法とは別の何か。
(“魔力感知”とかかな?けど、急に見えるようになった理由は分からないなぁ…あ、知る方法あるじゃん!)
「ステータスオープン!」
……………
………
……
「恥っず!痛っ!」
意気揚々と出した声がただ消えて終わったことに身悶え、思わず顔を隠そうとした手には梨がいた。
顔を打った梨は実に美味しそうなのだが、今は憎たらしい。
(鑑定結果を更に詳しく調べれば何か分かるかもと思ったんだけどなぁ)
ジワジワと顔に熱が集まる。
「じゃあ、あれだ!自分に鑑定をかけてみよう」
誰に言うでもなく、ただ恥ずかしさを隠す為にわざわざ声に出した。
笑われることを望まない癖に虚しく消えた空元気にまた虚しさを覚える。
そしてまた己を励ます為に意気揚々と唱えた。
「鑑定!」
────────────
【人の手】
食用不可
品質:S
瑞々しくやわらかい。
しなやかで美しい。
────────────
「ちっがう!!!食べないよ!」
(そうじゃない。もっと全体を意識して…)
───────────
【名無し】
異世界からの迷い人
呼ばれし者(?)
“旧・導き手”の友
───────────
「えー?これだけ?」
当然だが、答えを返す者などいなかった…
何度虚しさを覚えればいいのだろう。
そんなことを考えながら宙を眺めた。
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