安寧秩序

三鹿ショート

安寧秩序

 道を行く人々は、揃って明るい表情を浮かべている。

 自身に危害を加えるような人間がこの土地に存在せず、揉め事にも無縁な生活を送ることができているためだろう。

 その生活が私のような人間によって作られていると知ったとき、彼らは感謝をするだろうか。

 おそらく、そのような真似に及ぶことはない。

 何故なら、その手法は、公にすることができないようなものだからだ。


***


 数えることができないほどの刺し傷を持った人間を埋めた後、仕事が終了したと上司に連絡した。

 上司は私に対して労いの言葉を口にした後、次なる標的について話し始めた。

 聞くところによると、数多くの男性に色目を使い、相手の感情を利用して金銭を奪っては、その男性を捨てるという行為を繰り返している女性らしい。

 そのような人間は、以前にも始末した記憶がある。

 人間の数だけ人生が存在しているとは思うが、悪事というものは一定のものばかりだった。

 当初は、それらの悪事にも嫌悪感を抱いていたが、両手足の指では足りないほどの人間を始末した今となっては、何の感情も抱くことはなかった。

 ただ、私は仕事をこなすだけである。


***


 上司から情報を伝えられてはいるが、標的が本当に悪事を働いているのかどうかを、私は確認するようにしている。

 今まで一度も無かったことだが、情報が誤っていた場合、何の罪も無い人間を殺めることになってしまい、それは最も避けなければならないことだからだ。

 ゆえに、私は標的である彼女をしばらく観察していた。

 観察していて分かったことだが、彼女は上司が言うような悪人ではなかった。

 平日は朝から晩まで働き、休日には近所の福祉施設を手伝っているような人間である。

 多くの男性を騙すような時間が存在するとは、考えられなかった。

 過去にそのような罪を犯していれば話は別だが、今の彼女は、誰もが必要とするような人間と化しているために、命令通りに殺めるべきなのだろうか。

 相談したところ、上司は神妙な面持ちで首を左右に振った。

「今は善人のように見えたとしても、過去が消えるわけではない。一度付着した汚れは落とすことはできないのだ。その汚れが目立つことがないようにするためには、自身を真っ黒に染めれば良いと考える可能性も存在するだろう」

 そのように言われると、行動しなければならなくなってしまう。

 私は上司に首肯を返すと、彼女の下へと向かった。


***


 先ほどまで泣き叫んでいたが、今では静かになった彼女を、私は埋めた。

 上司にそのことを報告すると、新たな標的について伝えられた。

 だが、私の頭の中は、泣き叫ぶ彼女の姿で埋まっていたために、上司の話をほとんど聞いていなかった。


***


 仕事の合間に、私は彼女について調べた。

 親しい人間からそれほどではない人間までに話を聞いていくうちに、私の行為は誤っていたのではないかと考え始めた。

 彼女を知っている人間の誰に聞いたとしても、彼女が悪人であるという話が出てくることはなかったのである。

 既にこの世を去っているために、彼女をどのように評価したとしてもそれほど大きな問題は存在していないにも関わらず、彼女を悪く言うような人間は存在していなかった。

 つまり、上司の情報は誤っていたのではないか。

 そのようなことを考えながら調査を続けていたところ、彼女に迫っていた人間の話を耳にした。

 いわく、彼女がどれほど拒絶したとしても、その人間が諦めることはなかったらしい。

 厄介な人間も存在したものだと思っていたが、その人間の特徴を聞いたところ、私はその相手が上司だということに気が付いた。

 もしかすると、上司は自分に靡くことがない彼女に恨みを抱いたために、私を使って彼女を始末したということなのだろうか。

 これまで正確な情報を伝えてきた上司がそのような真似に及ぶとは考えたくはなかったものの、今回に限っては、奇妙なことが多かったために、間違いではないのかもしれない。

 私は、上司に訊ねることにした。


***


 考えてみれば、この土地を安全な場所にするためとはいえ、私が悪事に及んでいるということに変わりはない。

 私は、これまで始末してきた人間たちと同じような存在なのである。

 それならば、私が生きている限り、この土地に真なる安全というものが訪れることはないのではないか。

 動くことがなくなった上司を見下ろしながら、私はそのようなことを思った。

 しかし、私一人がこの世を去ったところで、五人の悪人が生き続けることになってしまう。

 それならば、私は悪人専用の悪人として生きれば良い。

 標的を悪人のみに限定すれば、何の罪も無い人々は、何も気にすることなく生活することができるのだ。

 だが、私は何時までこのような仕事を続けなければならないのだろうか。

 何時の日か、終わりは訪れるのだろうかと考えたが、そのような日は来ないと確信してしまうあたり、私はこの世界に希望などというものを持っていないのだろう。

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安寧秩序 三鹿ショート @mijikashort

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