フラれたから山に登る女 3




 ガルデナス家は代々騎士の家系であり、マーガレットの父も、祖父も、更には曽祖父も、この国を守る金獅子騎士団における要職を務めてきた。


 この家に生まれた男児は武芸と軍学の英才教育を叩き込まれた後は騎士団に放り込まれ、そして女児は男たちを支えるために様々なたしなみを仕込まれる。


 そのたしなみの一つは、武具の手入れだ。


 剣の研ぎであったり、鎧が錆びないよう油をさしたり、すりへった靴底を交換したりといった道具のメンテナンスを、マーガレットは熟知している。


 また父親が様々な式典に招かれることも多い。その父親と共に、娘たちは歩く。というか歩かされる。綺麗な靴を履いたまま。


 大がかりな移動や行進パレードでは馬車を使うにしても、宮殿や晩餐会の会場の中は当然、歩く。椅子に座ってのほほんと休める機会は案外少ない。靴を履きつぶしてしまうことも少なくない。


 その二つの理由で、マーガレットは靴職人と接する機会が多かった。


 靴の手入れの仕方を習ったり、自分の余所行きの靴を修理してもらったりを侍女や執事に任せることなく、自分自身で職人に相談して解決してる。


 だから登山靴を作るとなったとき、マーガレットは親しい靴職人に相談し、とんとん拍子に話が進んだ……かに見えた。


「あんた、ほんっとぉ―――――――――に、ワガママね!」


 その靴職人の家で、マーガレットは激しく怒っていた。

 私が靴のサイズ調整で色々と注文をつけたからだ。


「靴は何度も調整する。完成形がわかれば、それを修理したり作り直したりも簡単になる。ここだけは時間も金もケチらない。あ、そう、そこそこ。足形の小指の付け根あたりもう0.5ミリくらい削って。あと親指の先の方も」


 マーガレットの馴染みの靴職人はよい腕をしている。

 だが女性が体を動かすための靴を作るのは、どうやら初めてのようだった。


 男女において縦の長さが同じであっても、女性の足の横幅は男性より細いことの方が多い。アウトドア向けの靴を作るとなるとこの世界では自然と男性向けになってしまうので、私は入念に履き心地を確認していた。


「わたしのお金なんだけど!?」


「違う。これは私への賠償。だから私の金」


「だ、だからって人が苦労したものに、『ちょっと違う』の一言はどうなのよ……!」


「違うものは違う。罵倒しているつもりはない。すばらしい仕事をしてくれているのはわかってる。だからこそ私にとっての至高の逸品を作って欲しい」


 そこに、靴職人のおじいさんがまあまあと割って入った。


「わたくしの方は大丈夫ですから、お嬢様、落ち着いて……」


「あなたも怒っていいのよ! 職人らしく依頼主に反論しなさい!」


「え、ええ。旦那様や大旦那様より細かい注文をつけられるとは思いませんでしたが……。ですが、よい仕事ができた満足感の方が強くて……。一体、どこでこんな発想を……」


 靴職人が、テーブルの上に置かれている試作品の靴をしげしげと眺める。

 ふふふ、話がわかる人でとても助かる。


「いいでしょ? 足首を覆うハイカットの靴は、足を固定してケガを防ぐ……っていうのは諸説あるけど、くるぶしまでしっかり覆うから枝や石が入らなくて不快感がない。靴紐もしっかり結べて、ほどくのも一瞬」


「それに材質がベストマッチですな……惚れ惚れします……」


「厳冬期の雪山は厳しいにしても、低山ハイクも高山の岩稜帯歩きもだいたいカバーできる。伝説のアーティファクトとかを除外すれば最高品質のものができた」


「なんで靴のことになるとみんな早口になるわけ?」


「ケルピーの革と泥竜のウロコを使うとは、思いもよりませんでした……。防御力は他の素材に劣る上に加工しにくく、見向きもされていないものです。これを靴の素材として活用できるとは……」


 ケルピーも泥竜も、この世界に住む魔物である。


 ケルピーは深い河川に住む、魚とかカエルみたいな性質の馬だ。

 馬といっても人間を乗せてくれたりはしない上に、漁場を荒らしたり船を転覆させたりする害獣である。

 肉は鶏のモモ肉とムネ肉の中間くらいの味わいで、皮の油は臭みが強くまずいので廃棄される。

 肉の卸売り市場にいって皮を頼めば、こちらが金を払うどころか処分料をくれる。


 泥竜は浅い川や湿地に住む竜で、手足が退化しているため見た目はほとんどヘビだ。

 泥竜も人々の田畑を荒らす害獣であり、騎士団や冒険者はよく討伐に駆り出されたりしている。

 なお、泥竜の肉は美味だ。

 地球のウナギにそっくりで、串焼き屋台がよく出ていたりする。

 ただ、どの店も焼き方が雑なんだよな……塩焼きばっかりだし。

 だが私はそれでも泥竜の串焼きをよく買っていた。

 料理人が下ごしらえしたあとに余る、ウロコをわけてもらうために。


「ケルピーの革は撥水はっすい透湿とうしつ素材になる。泥竜のウロコは硬質ゴムに近い。生の皮やウロコを乾燥させたり手間暇は必要だけど」


「これが靴や雨具の素材ねぇ……。水を弾くならもっといい素材がありそうだけど」


「透湿性が大事。使えばわかる」


 撥水透湿素材とは、外からの水を弾くが、内側の水は通化する素材のことだ。

 登山靴や雨具に求められる性質である。


 雨具は水を弾くだけでよいのでは?

 ……と思われがちだが、案外そうでもない。


 登山や外仕事などで数時間行動し続けると、人間は夏でも冬でも汗をかく。


 そして水を弾くだけの素材によって汗が閉じ込められると体温が奪われ、最悪、低体温症を発症してしまう。装備の甘い登山者が低体温症で死んだりするのは外気温のみならず、汗が体を冷やすことも原因の一つだ。


 そのため雨具の外側には雨を弾く撥水性が求められ、雨具の内側には体から出た汗を放出する透湿性が求められる。


 そして登山靴も、ぬかるみや水たまりを踏んでも乾きやすいので不快感や疲労が減る。


 私は前世の記憶を取り戻す前から、無意識にその素材を探していた。


 この世界において縫い物は女性のたしなみで、男のための装飾品を作ること……レザークラフトなども花嫁修業の一つであり、革素材を探すっことにはケヴィンからも周囲からもこれといって違和感は持たれなかった。むしろ「案外真面目だな」という印象を買うのに一役買っていた。


 自分もレザークラフトが好きなんだろうなと思っていたが、なんてことはない。前世でほしかったものを今世でも欲してただけだった。


「靴底も美しいですな……木や金属ほど硬すぎず、革や毛ほど柔らかすぎない。つま先側のブロックは流れるようなラインを作っていている一方、かかと側は歩く方向に逆らって地面に食い込む。まさに歩く人のための形です」


 職人のおじいさんが、ほれぼれしながら靴底を撫でる。

 あっ、この人靴オタだと感じさせる姿だ。


「靴底って、柔らかいとダメなの?」


 マーガレットの質問に、私が答えた。


「歩く場所による。舗装された道や木道を歩くなら、柔らかい靴底がいい。硬い靴底だと膝に負担が掛かる。逆に森とか岩場とか、平らな場所が少なくて足場が悪いなら硬い靴底がいい。場所によって靴を変えればどこにだっていけるし、膝も腰も守れる」


「ええ。履き心地にこだわれば足は痛みません。しかし多くの人はそこを軽視したまま歩きすぎて、若くして足腰を痛めてしまいます。歩くことのできる人生が長くなればできることも増えるのに……なんともったいない……」


 うっかり靴職人のおじいさんの何かセンシティブな部分に触れてしまったようだ。

 そこから数分ほど演説めいた話を聞き続けるが、おじさんは途中ではっと気付いて話を止めた。


「す、すみません。つい夢中になってしまって」


「こだわってくれるならむしろ助かる」


「ところで、ステッキの方もできましたが……こちらもお使いになるので?」


「ん? トレッキングポールも作ってくれたの?」


「靴と一緒にステッキを頼まれることはよくありますから、問題ありませんでした。折りたたみ式で、左右一対を頼まれるのは初めてのことでしたので、ご満足頂けるかはわかりませんが……」


 靴職人のおじいさんが、細長い布袋をテーブルの上に置いた。

 袋の中には2本のトレッキングポールが入っている。これもオーダー通りだ。


「イーブルプラントの枝を削り出したものです。普通の木材よりも軽く、しなりがあるので折れにくいかと思います。とはいえ強度よりも軽さを優先しているので普通の杖よりは貧弱ですが……」


「大丈夫。だから2本使って負荷を分散させる。あと、体重を預けるような使い方はしない。バランスを取るために使う」


「はぁ……」


 トレッキングポールを2本使うスタイルは、あまりピンと来ていないようだ。

 まあこれは実際に体験してみなければわかるまい。


「あとはザックと、ケルピーの革の雨具、あと毒消しとか包帯を入れたファーストエイドキットもできたわね。確認して」


「それも作ってくれたの?」


「わたくしではなく、お嬢様が縫いました」


 えっ。


「……何よその顔」


「彼氏を取った相手から手縫いのものを贈られるって、なんか微妙」


「あんたが頼んだんでしょ!」


「そこは、うん、ごめんなさい」


「まったく……」


 ザックは、騎士団や冒険者がよく使っているものに腰ベルトや吊り下げ用の紐などを付け足したものだ。縫い目はしっかりしており、店売りのものと遜色ない。


 雨具もよい感じだ。

 この品質なら、日本なら上下セット3万円くらいで売っててもおかしくない。

 しかし雨に降られての登山のは避けるべきだけど、それはそれとして新品の雨具ってなんか使いたくなるんだよね……。困ったものだ。


「でもいいの? 道具作りに専念してて」


「……今のうちじゃないと身軽に動けないのよ。お父様は騎士団の長期訓練中で家を空けてるし、ケヴィンも訓練に連れてかれたわ」


 マーガレットが憂鬱そうな表情を浮かべる。

 しかしケヴィンが騎士団の訓練かぁ。

 華々しいことは好きだが、地味な訓練が得意なタイプだっただろうか。

 まあ、もう私が心配することでもないか。


「ま、夜会に誘われても出ない口実ができたからいいけどね。許嫁がいないときに一人で行くつもりもないし、色々と揉めてる空気を察してくれて断るのも楽だし」


「あれ? 夜会、嫌いなんだ?」


 意外だ。社交場が好きなタイプかと思っていた。


「別に、友達と話をしたり音楽を聞いてるだけなら楽しいんだけど……ダンス苦手なのよ。足もすぐ痛くなるし」


「あー」


「お嬢様は、ヒールが低めの靴をお気に召さなくて……。もっと足に合う靴にしましょうと申し上げているのですが」


「別に好きってわけじゃないけど、我慢は必要よ。夜会に出て踊るのは仕事みたいなものだし……」


 確かに、ダンスは足に負荷が掛かる。

 夜会に出続けた結果、外反母趾になって悩む令嬢もいると聞いたことがある。


「ダンスは仕方ないにしても、旦那様の行事に同行される際はもう少し、靴底の柔らかい靴を履きましょう。こうした素材を使えば、お祖母様のように膝を悪くされることもありませんし……」


「そうしたいのは山々だけど、お父様に恥をかかせるわけにはいかないじゃない。鎧を着て歩いてる人の後ろで、ドレスを着て靴まで楽をしてるのが知られたら、後でなんて言われるかわかったものじゃないわ」


「ですが、何時間も固い床から立っては歩き、立っては歩きの繰り返しでは、マーガレット様も膝を壊してしまいます」


「もうお小言はいいじゃない。お父様も騎士団の訓練に出ちゃったし、何か月かはそういう機会もないわ」


 マーガレットは、もうこの話はおしまいとばかりに靴職人の言葉を無視した。


「ともかく……わたし、そんなに足が強くないんだと思う。足を酷使するような山歩きとか長旅とか、無理よ。あんたは巡礼をするってくらいだから男と同じくらい丈夫なんでしょうけど」


 その言葉に、私はいらつきを隠さずに反論した。


「そんなことはない。さっきの話、忘れたの?」


「さっきの話?」


「履き物にこだわれば足は痛くならない。逆に言えば、誰だって苦手な靴を履いたら足が痛む。強い弱い以前の問題」


「だからそれは男とかあんたみたいな体を鍛えてる人の話で、普通の女の話じゃないでしょう?」


「普通の女が登山靴を履かないなんて誰が決めたの」


「え? いや……まあ、誰が決めたって話でもないけど……」


 何か間違ったこと言った? 言ってないよね? みたいな空気出さないでほしい。


「この靴、直さなくていい。多分、マーガレットの足の形をイメージしてたから横幅がズレたんでしょ?」


「え、ええ。ほぼサイズが同じようでしたので……ただ、小指の付け根の位置関係は微妙に違っていたのだと思います。それで違和感があったのかなと」


「つまり、マーガレットの足の状態をよく理解していて、その上でこの靴を作った。マーガレットが履いて歩くというイメージで靴を作った。そういうこと?」


「……はい」


 靴職人のおじいさんが、私の問いに微笑みながら頷く。


「これはマーガレットの靴にして、私には別の一足を作って。ポールとか他の道具ももう1セットお願い」


「かしこまりました」


 私は、靴職人のおじいさんの願いに気付いた。

 靴職人のおじいさんは、私の意図を正確に読み取った。


 だがそれに戸惑ったのはマーガレットだった。


「え、ええ? いやわたしは巡礼とかしないんだけど」


「聖地巡礼だけが登山じゃない。山頂に聖地がなくて、魔物も出てこない安全な山も普通にある。そういうところには巡礼者が練習のために来たりするし、観光客もいる。タタラ山って知ってる?」


 タタラ山とは、王都のもっとも近くにある活火山だ。

 標高は1700メートル程度。歩く距離は少し長いが、難所は少なく冒険者の訓練にはもってこいで、更にここにはちょっとした観光スポットがある。


「魔物は出ないにしても、火山でしょ……?」


「周囲の聖地の力が地脈を安定させているから、滅多なことでは噴火はしない。火山ガスがちょっと噴き出る程度」


「そ、その時点でなんか怖いんだけど」


「正しい順路を行くなら危険はない。それにあそこには……」


「ちょっと待ってよ。なんかわたしも山に行くみたいな前提で話を進めるのやめてくれる? あんたが山に登るのは支援してあげるけど、わたしは別に」


「温泉がある」


 私の言葉に、マーガレットの文句が止まった。



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