フラれたから山に登る女 2




「つまり、金を払えってこと?」


 婚約破棄された私は翌日、マーガレットの家……ガルデナス家に訪れた。

 居留守を使われるか、あるいは門前払いされるかと危惧していたが、マーガレットは意外にも私を屋敷の一室に通した。


 最初に老婆のメイドがコーヒーを菓子を持ってきた以外、誰も来ない。

 彼女の家族が同席するということもない。

 一対一の状況だ。


 てっきり勝者の余裕の現れかと思いきや、彼女はどこか緊張している。

 私が何の用で来たのか興味津々といった様子だ。

 しかし、私が浮気についての賠償を求めると顔をしかめた。


「金じゃなくても構わない。むしろ現物がいい。装備を整えなきゃいけない」


「……本気で巡礼するのね」


「する。学校には退学届を出す」


 その方が都合が良いでしょ? という意図を込めたつもりだが、マーガレットはむしろどこかショックを受けた様子だった。


「……わかった。金じゃないなら具体的に何がほしいの?」


「登山靴、雨具、防寒具、ザック、手袋、水筒、クッカー、ロープ、カラビナ、ヘルメット、トレッキングポール、ファーストエイドキット、ヘッデン、アイゼン、ハードシェル、テント、寝袋、コンパス、地図、ピッケル、あとハーネスとクライミングシューズと沢靴とビレイデバイスとアイスアックスと……あ、ついでにポータレッジ」


「待って待って待って。え、なに? 巡礼者の装備でしょ? アイスアックスって斧? 強力な魔法の斧がほしいってこと?」


 しまった。欲望がダダ漏れして大きな誤解を与えてしまった。


 私が列挙したのは地球での登山に必要な道具一式である。

 後半は登山というよりクライミング用品だが。


 実は私は、小此木彰子という日本人だった。


 大金持ちでもなければ、貧乏でもなかった一般庶民だったと思う。ただ唯一変わっているところと言えば、登山が大好きだったことだ。


 結婚を具体的に考え始めた二十代半ばの頃、突然、彼氏に浮気されてフラれた。


 そんな私の傷心を癒したのは山だった。体を動かすのは元々嫌いではなかったが、それはもうドハマりして、三年で日本百名山を制覇した。


 そしてマイナーな山にも登ってみたし、海外の山にもチャレンジした。春夏秋冬、登山ばかりして、その結果、登山雑誌に寄稿したり動画投稿したり山小屋で働いたりと、フリーの登山家として色々と活動していた。


 だがあるとき、登山中に地震が起きて滑落した。

 そこからの記憶がぷつりと途切れている。


 恐らく私はそこで死んで、この世界に転生したのだ。


 子供の頃、どこかの山を登っている夢を見たり、この世界とは全然違う景色の夢を見たりしたことが多々あったが、なんてことはない。前世のことを思い出ししてただけだ。そして今はっきりと記憶を取り戻し、そして前世と同じようにフラれて思った。山に登りたいと。


 まあ、天魔峰だけは転生前の事情とは関係なくこだわりがあったりするが。


「一つ一つ説明する。普通に売ってないものは図面を引くからお抱えの鍛冶師や職人に作ってほしい」


「む、無茶言わないでよ! そりゃ懇意にしてる職人くらいはいるけど……いきなりそんなこと言われてもできるかどうかなんてわからないし……」


 マーガレットは迷っている。

 絶対に無理だとも、不可能だとも言わない。

 名門と名高い家で、しかも当主が騎士団長ともなれば腕の良い職人と付き合いがあるはずだと見込んだが、どうやらアタリだったようだ。ハズレだったらこんな要求を断るのに迷う素振りさえ見せない。


「全部とは言わない。半分くらいは後回しで大丈夫だし、なくても諦められるものもある。でも最低限の装備は1ヶ月以内に揃えたい。職人と交渉が必要なら自分でやる。せめて顔つなぎだけでもしてほしい」


「ええっと、そういうのは男の人に……ああ、お父様とか大叔父様なら手伝ってもらえるかしら……お父様の手を煩わせたらケヴィンの印象が悪くなるし……」


「マーガレット」


「な、なによ」


「他人の手を借りるなとは言わない。だけど私は、あなたに、償いを求めている」


「な、なによ。妙に怖いわよあなた……」


「やってくれるの。それとも、やらないの」


「や、やらなければどうするのよ」


「代理人を通して粛々と賠償を請求する。私とケヴィンの婚約は亡き両親が交わしたものだけど、書面で条件を書いて残してる。あなたの家にとってもケヴィンにとっても、それなりに負担になるはず」


「そんなの織り込み済みよ。お父様の力を侮るなら……」


「代理人や弁護士を立てて戦うならそれでもいい。だけど、あなたの恋人やあなたの父ではなく、あなたの力を見せてほしい。男を奪うくらいならこの程度のこと難なくできるはず」


「そんなわけないでしょ! わたしにそんな権力なんてないわよ!」


 マーガレットがパニックになって叫ぶ。

 だが権力がないとは言っても、不可能ではないとは言っていない。

 表情のどこかに、「もしかしたらできるかも」という色が浮かんでいる。

 よし、畳みかけよう。


「お願い。ガルデナス家と付き合うような職人や鍛冶師に仕事をねじ込める機会なんで今しかない。正直、浮気はムカつくけど、その相手があなただったのは不幸中の幸いだった。千載一遇の機会を逃すわけにはいかない」


「何なのよそれ!」


「あなたが支援するなら、私は聖者になれる。女だから聖女かな? ま、どっちでもいいけど」


「……聖者?」


 私の言葉を聞いて、マーガレットは反論を止めて黙った。


 聖者とは、天魔峰を含む五大聖山のいずれかを巡礼した者につけられる称号である。


 しかもただ巡礼しただけではなく、自分も、そして護衛の冒険者も含め、魔物を一切殺さない不殺生を貫いて成功させなくてはいけない。ノーキルクリアはこの世界で高く評価されるのだ。


 だがそれは凄まじく困難だ。

 数百年続いているこの国の歴史の中で成し遂げたのはほんの数人。

 与太話もいいところだし、普通はここで笑う。

 だがマーガレットは笑わなかった。


「な……なんで……?」


「山が好きだから」


「い、いや、もっと、こう……なんかあるでしょ! 先祖代々の悲願とか、死んだ恋人の遺言とか!」


「他人の願いに命は賭けられない」


 私の言葉が相当衝撃だったのか、マーガレットはしばらく絶句していた。


「ていうか子供の頃から付き合ってたのはケヴィンで、今もぴんぴんしてるし、あなたに奪われたわけだけど」


「そ、そうだけど!」


 その言葉にマーガレットが慌てふためいた。

 悪女ぶるのが下手だな。


「ともかく、子供の頃に思ったきっかけみたいなものはあるけれど、それは秘密」


「教えてよ」


「私が必要な道具を揃えられたら教えてあげる」


 マーガレットが頭を抱える。

 夢の動機なんてセンシティブなこと、あんまり言いたくない。

 言ってもいいけど、その前にやるべきことをやってもらう。


「……あなた、本気なんだ。本気で、巡礼するんだ」


「うん」


「途中で死ぬかもしれないような夢を、本気で追うんだ」


「そうだよ」


 マーガレットの言葉に、私はいちいち頷く。

 マーガレットは私の目を見つめ返していたが、やがて観念したように俯いた。


「……本当は、あなたの彼氏を取ろうとかそういうこと、思ってなかった」


「そうなの?」


「わたしも、ケヴィンも、昔から決められた許嫁とくっついて不自由な一生を生きるくらいなら……せめて今のうちに火遊びしておこうって思ってた。学校を卒業したら後腐れなく別れる、割り切った関係のつもりだった」


「割り切った関係、ね」


 この手の人の考えることはわからない。

 いや、私がそういうものに情熱を見出さないだけか。


「けど、ケヴィンと逢引きしているとき、お父様に見つかったの」


 それを語るマーガレットは、どこか青ざめている。

 マーガレットのお父様ってことは、どこぞの騎士団の団長様ということか。

 それはさぞ恐ろしかろう。


「で、しこたま怒られたの?」


「……許されたわ」


「許されたんだ」


 ずいぶん優しいパパだこと。

 まあ、許されたからこそケヴィンは私に別れを切り出したのだろう。

 だがその割に、マーガレットは浮かない表情をしていた。


「わたしがこういう遊びをするくらい、お父様にとってはどうでもいいことだった。許嫁にとってもそう。『では下の娘をください』って感じで、妹が繰り上がっただけ……まあ、元からろくに会いに来ることもなかったけど」


 ……愛されていない、それどころか興味さえ持ってくれない許嫁か。

 年頃の少女にとってはつらいのだろう。


「全部お金で済んだ。私が良い子でも悪い子だろうと、みんな、どうでもよかった」


「私はどうでもよくない」


 怒りを込めて、私は言葉を投げつけた。

 マーガレットが怯える。


「ケヴィンがなんとなく私のこと好きじゃなくなったのもわかってたし、私も『結婚なんてそんなもんでしょ』って思って向き合ってこなかった。だからケヴィンが私と別れることは受け入れる。あなたがケヴィンと付き合うことも許す。けれどその順番や筋道を間違えたことは許さない」


「……うん」


 マーガレットが、静かに頷く。


「薄々気付いてたけど……あなたは、多分、ケヴィンから聞かされてたような人じゃないんだと思う」


 彼女の中では、私はきっと相当な悪女だったんだろう。

 だとしてもそれを認めるのは流石に早い。

 もしかしたら彼女は、ケヴィンの嘘に薄々気付いていたのかもしれない。


「私はあなたを見ている。あなたが悪人であることも。そしてあなたが自分で罪を償うことのできる人間かどうかも」


 私は強い言葉を使ったが、むしろマーガレットの怯えが消えていく。


 そしてマーガレットは迷いを見せつつも最終的に私の要求を呑んだ。


 私が欲するものについて図面を引いたり説明をする度に正気を疑われたが、それでもマーガレットは真面目に耳を傾けた。


 ところで、私は少しだけマーガレットを騙した。


 道具一式を揃える方が賠償金を払うより安上がりだなどと言ったが、あれは嘘だ。

 私の求めるクオリティの登山用品を完成させる方が、絶対に高くつく。


 マーガレットがそれに気付くのはしばらく先になるが、兎にも角にもマーガレットは動き始めた。



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