タタラ山に登って温泉付き山小屋に泊まろう 1




 タタラ山の登山口は、王都を出て馬車で3時間半ほど。

 距離としては東京都心から奥多摩に行くより少し近い程度だ。


 山のふもとは旅人向けの宿場町のようになっている。

 湯治に来ている貴族もいれば、体力作りのために来ている冒険者、あるいはたまたま立ち寄った旅商人なども多い。

 とはいえ今は春の終わりで、温泉シーズンには遠い。

 秋が近付いて寒くなってからの方が混んでくるだろう。

 この時期に山に登ろうとするのはよほどの趣味人くらいだ。


 そんな趣味人である私たちは、宿場町をスルーして登山口に辿り着いた。


「暑いんだけど!」


 マーガレットが開口一番に文句を言う。

 今日は快晴で、ぽかぽかと暖かい。

 上着が長袖だと確かに暑いんだけど、服装にも理由はある。


「いかにもお嬢様な姿で登るのは危険だし、日差しが強い。帽子もかぶってて」


「帽子はいいけど……でも麻の服ってゴワついてあんまり好きじゃないのよね……」


「コットンは着心地が良いけど、汗が乾かないから体温が奪われる。登山や運動には向かない。それに日差しが強いから長袖なのは仕方ない」


 本当は化繊がいいんだけど、この世界には存在しない。

 なので私もマーガレットも、麻のシャツの上に麻のサマージャケットを羽織っている。


 下はショートパンツにウールタイツという、日本でも見かける山ガールスタイルだ。


 ちなみにロングパンツを提案したが「可愛くない。ヤダ」とマーガレットに一蹴された。


「確かに……日焼けしちゃうものね」


「登山口からすぐ林道に入る。山頂はむしろ寒い。暑さはそんなに心配することない」


 私たちの目の前には立て看板があり、『タタラ山 登山口』と書かれている。

 そしてその先は林……というか森になっている。

 ほんのりとそこから流れる冷気が心地よい。


「あ、でも日焼け止めは塗っておく。マーガレットも使って」


 小さな小瓶をマーガレットに渡すと、マーガレットは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。


「日焼け止め……? え、マジで?」


 マーガレットが驚きのあまり口調が雑になった。


 日焼け止めはこの世界において高級品だ。……しかしそれは、貴重な香油をふんだんに使って商人が高位貴族に高く売りつけているためで、酸化亜鉛やオイルなどの成分を理解していれば錬金術師に頼んで簡単に作ってもらえたりする。


 ちなみに錬金術師と呼ぶと仰々しいが、この世界における役割は薬局だ。大きな町には確実に存在しており、貴族にも庶民にも馴染みある存在である。


「瓶ごとあげる。でも自分用に使うだけにして、他人にはあげるのはダメ。商人ギルドにヤミ日焼け止めがバレたら面倒くさい。これは錬金術に詳しい人だけの秘密」


 実は、これに気付いたのは私もごく最近のことだ。


 日焼け止めってそんなに難しい成分していなかったよな……という現代知識を思い出して錬金術の店の人に聞いてみたのだ。


 すると錬金術師は「ウチでは日焼け止めのような高価なものは扱っておりませんが、なぜか酸化亜鉛や酸化チタンと植物油を混ぜたクリームをお買い求めになるお客様はおりますね」と、まるでパチンコの換金所のごとき表現で日焼け止めを格安で売ってくれた。


「ま、まあ、帽子もあるし長袖だから大丈夫だけど……でもそうね、せっかくだし使わせてもらうわ」


 と言いながらも、マーガレットは嬉しそうに日焼け止めを顔に塗っている。

 その間に私は登山前の最後の準備を始めた。


「ん? なにそれ?」


「登山前の事前調査。……旅人に加護をもたらす大地の精霊よ。祈り9日分を供物とする。どうかその尊き姿を現したまえ」


 一人用のミニ焚き火台のような簡易祭壇に精霊を召喚するためのお香を並べ、祈りながら火をつける。

 すると、お香ひとかけらにしては妙に大量の煙が立ち上っていく。


「これが精霊魔法? ふーん……面倒な事するのね」


「静かに。預言が降りる」


 白い煙が、まるで人間のような形を取り始めた。

 精霊が降臨である。


【旅人よ……汝の、願いに、答えよう……】


 どことなく女性のような清らかな声が、煙から聞こえてくる。


「願いは三つ。今日と明日の天気を教えて。この山に害意ある存在がいるかどうかを教えて。山小屋の状況を教えて」


【……本日は快晴。風向きは北北西。微風。登山日和となるであろう……。明日朝は曇り、正午頃から夜まで雨。早期の下山を心すべし。噴火は起きぬであろう】


「ありがとうございます」


【山の恵みは豊かで、熊や猪、山犬の腹は満たされている。獲物を求めて道に迷い出ることは稀であろう。だが獣の心の中までは読めぬ。敵意ある人間、同族の血の匂い染みつきし者はおらぬが、獣の心と同様、人の心も読めぬ。ゆめゆめ油断はせぬように】


「重々気を付けます」


【山小屋……#火守#ひもり#城の主は告げている。二人部屋で、風呂、朝夕の食事付きで合計金貨1枚。トイレは利用する度に銅貨1枚を求めるが、宿泊する場合は不要である】


「オッケーです。予約お願いしますと伝えてください」


【よかろう……うむ、宿の主も応じた。では旅人よ。そなたの旅に幸いがあらんことを】


 大地の精霊が優しい声で告げた。

 まあ告げてくれるだけで別に幸運をもたらしてくれるわけではないのだが、嬉しいものだ。


「あ、ありがとうございまし、た?」


 マーガレットが、おっかなびっくりにお礼を言う。

 精霊が微笑み、そして煙と共に消えていった。


「よし、問題ない」


 絶好の登山日和だ。

 特に、風が弱いのがよい。

 曇り空でも登山はできるが、暴風だったら中止を検討せざるをえない。

 私は嬉しく思いながら、簡易祭壇を片付けてザックに収納する。


「今のが精霊魔法なんだ……」


「うん。火を放ったり水を出したりってことはできないけど、自然の状況を把握して旅人を助けてくれたり、精霊の声が届く範囲で連絡をしてくれたりする。毎日祈りを捧げてそれをストックしてそれを消費するから、魔力も大して使わない」


「へぇ……ま、天気がわかるのは便利ね」


「天気は大事。登山や長旅では生死に関わる」


 ちなみに自然現象に干渉することもできなくはないのだが、祈りの日数の消費が莫大なものになる。


 魔力を消費する方が遥かに効率がよい。奥の手中の奥の手なので、まず使う機会はないだろうが。


「そういうわけで、登山には問題ない。マーガレット、いい?」


「もうここまで来たら帰らないわよ。あんたこそ約束、覚えてるでしょうね?」


「もちろん。旅の安全を保証すること。食事と寝床を確保すること。それと温泉」


「……本当に、この上に温泉があるんでしょうね?」


 マーガレットがちょっと不安そうな表情を浮かべる。


 だが、ここに温泉があることは有名な話だ。

 貴族や身分ある人でもわざわざ足を使って登らないといけないし、この世界において温泉とは湯治目的が多いのでマイナーではある。


 だが、ごく僅かにいる温泉マニアや旅人にとっては「一生に一度は訪れたい」と評判の場所である。他人の金、他人の馬車で行けるのであれば是非とも来たかった。


「そのためには、まず歩く。自分の作った靴なんだから、信じて」


「わかったわよ……。ったく、憂鬱ね。歩くのそんなに好きじゃないのに……」


「大丈夫。登りは山頂まで3時間。途中の山小屋で宿泊して温泉に入る。翌日は下りで2時間半。登りでキツいのは山頂付近だけ。あなたの体力と装備なら問題ない」


「おだてても何も出ないわよ」


 マーガレットはやれやれと肩をすくめ、私の少し後ろをとぼとぼと歩き始めた。




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